先を行かれてしまった……

「フランカ! 大丈夫だった――って、あれ。私、お邪魔な感じ?」


 リベラート様の抱擁を黙って受け入れていると、ルーナが姿を現した。焦った私はすぐにリベラート様を押しのける。急に強い力でお腹を押されたリベラート様は、痛かったのか小さな呻き声を上げていた。


「ルーナ! いや、全然邪魔じゃないわ! むしろナイス! あと荷物もありがとう」

「えぇー……? 本当に邪魔じゃなかった?」


 ルーナは私達の距離感を見てなにかを察したのか、含み笑いをしながらもう一度私に問う。


「はは。大丈夫だよ。大事な話はし終えたあとだったから。――それじゃあフランカ。また明日、ね」

「はい。また明日」


 リベラート様は私とルーナにひらひらと手を振って、その場を去って行った。明日には、私の香りが消えているとも知らずに……。


◇ ◇ ◇


 帰り道。馬車でルーナを屋敷まで送っている最中のこと。


「ねぇ! 大事な話ってなんだったの!?」


 ルーナが興味津々に、前のめりで言う。こっちが話すまで待とうとか、遠慮するという考えはないのだろうか。ルーナを見ると、もう待ちきれないといった様子だ。


「もしかして求婚でもされた!?」

「……」

「図星なのね! きゃーっ! ついにフランカがリベラート様とっ!」

「ちょ、ちょっとルーナ! 大きな声で騒がないで!」


 馬車には私たちしかいないと言っても、あまり大きな声で騒がれたら困る。私は決して広くない馬車内で、両手足をジタバタとさせるルーナの両肩を掴み、一旦落ち着かせた。


「で、返事はもちろんオーケーにしたの?」

「……そのことなんだけど」


 私はルーナに、自分がリベラート様にどう返事をしたかを話した。

 そして、これから私がしようとしていることも。全部。


「本当に解呪するの!?」

「ええ。もう決めたわ」

「だけど、そうしたらリベラート様との婚約は……」

「なくなるでしょうね」


 けろりと言う私に、ルーナは驚愕の表情を浮かべ立ち上がる。

 

「い、いいの!? リベラート様みたいな人、この先絶対になかなか現れないわよ!?」

「だとしても、嘘の気持ちだし。もしなにかの拍子で私の香りが消えたら、私が騙していたこともバレるでしょ? それに、やっぱりもうこんな生活はこりごり。私には〝絶世の美女アリーチェの妹〟くらいのポジションがちょうどいいのよ」

「そ、そうかもしれないけど……フランカは、後悔しないの?」


 ルーナは心配そうに、魔女と同じことを私に聞いてきた。


「リベラート様のこと、本当に鬱陶しいと思ってたわけじゃないでしょう? ほかの人より態度は冷たかったけど、ほかの人の前みたいに、取り繕った笑顔を見せてはいなかったじゃない。私には、フランカはリベラート様にだけは素を見せているようにも見えたの。私から見たら、ふたりは香りとか関係なく、お似合いだと思うわ」


 私が、リベラート様にだけは素を? 自分では思ったことがなかった。無意識に、そうなっていたのだろうか。


「……もしそうだったとしても、私はもうこの香りから解放されたいの。それにやっぱり――誰かを騙してまで、自分が幸せになろうとは思えない」

「……そっか。うん。フランカが決めたことなら、私はもうなにも言わないわ。なんかごめんね。私、フランカには幸せになってほしいから」

「わかってるわ。ありがとう。ルーナ」


 今までずっと、私のことを助けてくれた優しいルーナ。心配して言ってくれたことは、私が一番よくわかっている。

 それからは、卒業後のことについて話した。ルーナは魔法学校の先生になるのが夢で、卒業後は更に上の学園へ進学することが決まっている。ルーナとも頻繁に顔を合わせられなくなるが、私達の友情関係はきっと変わらないと信じている。


「フランカの香りがなくなったら、今まであまり遊びに行けなかったところにも行けるようになるわね!」

「そうね。私、街にある有名なレストランで大きなステーキを食べたいわ!」

「ああ、あそこ、男性客ばっかりだったものね。休日、予定を合わせて行きましょ。ほかにもいろいろ!」


 これからは、楽しいことがたくさん待っている。

 今まで我慢してたこともできる。もしかしたら、香りなんて関係なしに、私のことを好きになってくれる人にだってこれから出会えるかもしれない。


時間は過ぎていき、私は魔女の待つ森へと向かった。  

 そこには、既に魔女の姿があった。先に私を待っていたようだ。まるで、来ることを確信していたように思える。


「やっぱり来たわね」

 

 私を見るなり、魔女は言った。


「はい。解呪をお願いします!」


 とっくに覚悟は決まっていた。強い気持ちを込めて言うと、魔女は私に近づいて手を伸ばした。懐かしい、温かな光に全身を包まれる。


「終わったわよ」


 あっという間に解呪は終わった。かけられたときと同様、また自分の体のにおいをすんすんと鼻を鳴らしてかいでみる。……うん。やっぱりなにが変わったかまったくわからないわ。


「これであなたは魔性の女じゃなくなった。今の気分はどう?」

「……まだ解呪された実感がないですけど、これから嫌ってくらい実感するんでしょうね」


 もう私は異性に対して魅了魔法を発動できない。土魔法しか使えない私は、この先一生魅了魔法なんてものとは無縁だろう。


「美人な魔女さん。ありがとうございます。二度も私の勝手なわがままを聞いてくれて。無縁だった魔性の女に一度でもなれて、いい経験になったし勉強になりました」


 清々しい、晴れやかな気持ちを伝えると、魔女は僅かに歩みを進め、私の隣に並んだ。

 私よりも背の高い魔女を見上げると、吹いてきた風が魔女の黒髪を大きく揺らした。

 そして、魔女はこう言った。


「あなたはそのままでも十分、魔性の女の素質があるわよ」

「……このままの私でも?」

「もっと自信持ちなさい。アタシ、滅多に自分以外の人間を褒めたりしないけど、あなたのことは結構気に入ってるの。なんでかわからないけど」


 魔女はそう言いながら小さく笑う。


「じゃあ。アタシは行くわ。そろそろこの国にも飽きてきたし」。

「あ、ま、待って!」


 くるりと背を向ける魔女に、私はおもわず声をかける。


「私、フランカっていいます! あの、名前は――!?」


 最後に聞きたかったことを叫ぶ。すると、魔女は顔だけこちらを振り返った。


「ベランジェールよ。……フランカね。覚えておくわ」


 そう言うと、魔女は私にウインクをしながら投げキスをして、風のように姿を消した。

 私の魔法がちゃんと解けていたことは、その後屋敷に戻るとすぐにわかった。

 私を見るとデレデレしていた男の使用人たちは、目が覚めたように全員正常に戻った。


「お嬢様から、いつもの香りが消えた」


 みんな口を揃えてそう言いながら、私をただのお嬢様として扱い、挙げ句「アリーチェお嬢様がいない屋敷には華が足りないから、早く帰って来てほしい」などと言い出す始末だ。


 その様子を目の当たりにしたメイドたちが、「フランカ様はこっそり魅了魔法をマスターしていて、それを使っていたのでは?」と内緒話をしているのが聞こえた。あながち間違っていないその話に、私はひとりで笑いそうになった。

 あからさまな手のひら返しをされて、気分がいいとはいえないが、悪くもない。

 この数年は過保護に扱われすぎていた。求めていた自由の時間が増えて、気は楽だ。

 どうせもうすぐ姉も屋敷に戻って来る。そうなれば、完全に昔に戻るだけだ。

 姉も留学する前は、私が急にモテだしたことに驚いていたから、帰ってきたら今度は別の意味で驚くだろう。あの数年は一体なんだったのか、と。

姉には、魔女の話をいつかしてもいいかも、なんて思ったりした。そして、モテモテ人生でたいへんな姉を、今後は精一杯サポートしてあげようとも思った。


 そんなこんなで、卒業式の朝を迎えた。

 私が香りを纏っていない状態で学園に行くのは、今日が最初で最後になるだろう。


 馬車で学園へ向かうと、既に門の前で男子生徒たちが私を待ち伏せしていた。

 どうやら全員、昨日私にした婚約の申し出に対する返事を聞きたいみたいだ。


「フランカ様が来たぞ!」


 馬車から降りて門へ向かえば、男子生徒のひとりがそう叫んだ。


「みんな、ごきげんよう」


 香りがない私に、みんなはどういう反応をするのだろう。反応が楽しみだ。

 そんな思いを抱えながら、いつものように愛想笑いを浮かべ挨拶をすると、男子生徒たちの動きが見事にピタリと一斉に止まった。


「……あれ。俺、どうしてフランカにこんなに熱を上げてたんだっけ」


 ひとりがぽつりと呟けば、ざわめきがどんどんと広がっていく。


「僕も。フランカ様のどこに惹かれていたのか急に思い出せなくなったな。……顔はかわいいけど」

「俺も同じ状況だ」

「私も」


本人を目の前に失礼な人たちね。


「なにより……フランカからいつもの香りがしなくなってる」

「本当だ! あの素晴らしく甘美な香りがまるでしない」

「俺たちは、フランカ様のあの香りが好きだったのに」


 昨日男の使用人たちに散々言われたことを、どうやら今日も聞かなくてはならないらしい。

解呪により、私は魔性の女ではなくなり、ただその辺によくいる子爵令嬢のひとりに成り下がった。魔法の腕も並。身分も並。ついでに言うと、見た目も姉に比べたら足元にも及ばない。

 結局みんな、私が自動的に発していた魅了魔法にかかっていただけだった。


 我に返った男子生徒たちは、口を揃えて私にこう言う。


「婚約を破棄させてくれ!」


 返事も聞かず、一方的にそれだけ告げられる。私の前から去って行く、魔法が解けた男たちの背中に向かって、心の中で叫んだ。


 ――そもそも婚約交わしてませんけど!?


 なぜかフラれたことになった私は、なんともいえない気持ちになった。間違いなく言えるのは、一日にこんなに婚約破棄をされたのは私くらいなものだろう。


 ……はぁ。わかってはいたけど、やっぱり今までのことは夢物語にすぎなかったのね。

 私は姉のように絶世の美女でもないし、秀才でもない。自分の力だけで男を虜にする能力なんて、もちろん持ち合わせていない。

鬱陶しく感じていた取り巻きがいなくなり、せいせいするかと思っていたけど……自分の魅力のなさを改めて思い知らされた気分だ。


 ――あとはリベラート様に婚約破棄してもらうだけね。


 自ら婚約破棄されに行く、なんておかしな話だが、このまま婚約者でい続けるわけにもいかない。

 二年間、誰よりも私に猛アタックをしてきたリベラート様が夢から覚める瞬間は、どんな顔をするのだろう。若い時期の大事な二年間を弄んでしまったことに、いまさら罪悪感が湧いてきた。リベラート様だけにいえることではないけれど。


 もう私から香りは消えているけど、リベラート様が捜しやすいようにサシェを制服のポケットにいれておこうと思い、私は鞄から香りの強いサシェを取り出す。

 そして数十分、卒業式開始前に学園で待機していたが、リベラート様は一向に姿を現さない。


 ……いつもはどこにいても見つけてくるのに、どうなっているの。


 そしてそのままリベラート様に会わないまま、卒業式が始まった。さすがに式のあとに会えるだろうと思っていたが、姿が見えない。

何事かと思っていると、衝撃の事実を知ることとなった。なんと、リベラート様は卒業式に参加していなかったのだ。

 それは卒業式後、私の侍女にリベラート様の執事が預けた手紙によって発覚した。


 手紙の内容はこうだ。


〝愛するフランカへ


 フランカ、卒業おめでとう。君と過ごした二年間は、とても楽しく、幸せな日々だった。

 そんなふたりの思い出の学園で過ごす最終日に、一緒にいられなかったことをどうか許してほしい。


 実は、手違いで俺の騎士団への入団が本日からになっていたんだ。

 そのせいで、俺は卒業式に参加することができなくなってしまったが、これは俺が一日でも早く立派な騎士になるために神様が仕掛けたいたずらと思うことにするよ。

 これで、フランカとの結婚が一日早くなったね。

 

 しばらく会えない日が続くけど、俺はいつでもフランカを想っている。

 この気持ちに嘘はない。次会った時、今一度俺の気持ちをフランカに伝えよう。その時まで、どうか元気で。

 君の婚約者、リベラート・ヴァレンティより


 P.S 絶対に俺以外の男に興味を持たないように。〟


「……嘘でしょ」


 読み終わった私の手は、微かにだが震えていた。

 

――せめて今日だけでも、私に会ってくれたらよかったのに! そしたら、即婚約破棄できたのに! 


 リベラート様にだけ、もう発動しない魅了魔法がかかったままになるなんて。


 こうして私はもうしばらくのあいだ、リベラート様の婚約者として過ごすこととなってしまった。

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