魔女との再会
卒業式を目前に控えた頃、私は夕陽が沈む前に、久しぶりに屋敷の近くの森へと足を運んだ。
魔法をかけられてから、ひとりになることが少なくなったせいで、ここにもあまり来れていなかった。
いつも魔法を練習していた場所でオレンジ色の空を見ながら、ぐーっと思い切り伸びをする。そういえば、魔女に初めて会った日も、綺麗な夕焼け空だったっけ。
――またシロツメクサで花冠でも作っていたら、あの魔女に会えちゃったりしないかしら。
なんてことを考え足元を見てみると、シロツメクサは一輪も見当たらない。どうやらシロツメクサが咲くのは、もう少し先みたいだ。
はぁ、と深いため息が漏れたその瞬間。
「大きくなったわね」
俯いていた私は、突如聞こえたその声に顔を上げた。
……この声、まさか。
「まっ! 魔女!」
「久しぶり。あら、前より更にかわいくなってる」
私の顔を見て、口元を手で隠しながらくすくすと上品に魔女は笑う。
「……あなたは、変わってませんね」
長い艶のある黒髪に、真っ黒なワンピース。雪のような白い肌に、真紅の唇。
五年という月日の流れをまったく感じさせず、彼女は若々しい姿のままだった。
「ええ、魔女だもの」
変わらないことが当たり前のように、魔女は言う。〝魔女は歳を取らない〟と噂で聞いたことがあるが、どうやら本当みたいだ。
「あれから調子はどう? さぞかし男をたぶらかしているんじゃない?」
にやりと笑いながら、魔女は私の顔を覗き込む。なんだかきまりが悪くなり、私は魔女からサッと目線を逸らした。
「いえ……その……なんというか」
「……あら。お気に召さなかった?」
笑顔の魔女と裏腹に、気まずそうに口ごもる私を見て、魔女はなんとなく状況を察したようだ。
「すみません。自分で望んだことだけど、私にはもったいなすぎる魔法でした。私、やっぱりモテなくていいです。本当に申し訳ないんですけど……解呪してもらえませんか?」
このチャンスを逃せば、もう二度と魔女に会えないかもしれない。そう思い、私は勢いで魔女に解呪を申し出た。
「いいわよ」
「いいんですかっ!?」
拍子抜けするほどあっさりと解呪を承諾してもらえた。安心からか、顔が緩んでしまった私に、魔女は真剣な顔つきでこう告げる。
「いいけど、後悔はしない?」
「……後悔、ですか?」
「〝やっぱりまたかけてほしい〟なんて言われても、アタシは絶対やらないわよ。ぜっったいにね」
〝絶対〟の部分をこれでもかというくらい強調する魔女に、私は思わずたじろぐ。
――後悔、か。今まで、この魔法をかけてもらったことを後悔したことは何度もあった。だからこそ、こうして解呪を望んだのだ。
今さら香りを消してもらって、私は普通でいられるのか。魔女に言われ、私は今一度、昔の自分を思い出した。
また、誰も私に見向きもしなくなる。注目しなくなる。そんな状況に、一度甘い蜜をすすった私が耐えられる……?
ひとりで考え込んでいると、魔女が口を開く。
「三日間よ」
「え?」
「三日間だけ猶予をあげるわ。本当に解呪してほしかったら、三日後、同じ時間にここへ来なさい」
三日後は、卒業式の前日だ。学園は式の準備があるから午前中で終わるし、考える時間はそれまでじゅうぶんにある。
「わかりました。……後悔しないよう、念のためよく考えてみます」
「そうしなさい。ちょっとでも遅刻したら、一生解呪してあげないからね」
そう言って、魔女は意地悪そうにふっと笑うと、またすぐに私の前から姿を消した。
私はこの日から三日間、自分のこの香りとの決別に、真剣に向き合うことにした。
* * *
「フランカ様はどこに行った!?」
「あっちでフランカの香りがしたような……」
「急げ! 絶対捜し出すぞ!」
なんだかんだであれから三日経ち、卒業式の前日。
ルーナの言う通り、私は男子生徒に追われまくり大変な目に遭っていた。みんな口を揃えて、私に婚約を迫ってくる。
対応するのに疲れ切った私は、以前ルーナがくれた香りがかなり強めのサシェを持ち歩き、校舎の隅に身を潜めていた。
ルーナは今、私の鞄と下駄箱にある靴を取りに行ってくれている。ルーナが戻ってきたら、誰にも見つからないようダッシュで屋敷に戻ろう。
しかしそんな私の願いは、瞬く間に打ち砕かれることとなる。
「見つけた」
頭上からする声。見上げれば、笑顔のリベラート様が立っていた。
「……あなたの鼻って、まるで犬並みね」
「それって褒めてる?」
「ええ。とっても。ここまできたら尊敬します」
やっぱりリベラート様に、サシェは効かなかったか。
相変わらずの私を見つけ出す能力の高さ。くそっ。結局この二年間で一度もリベラート様から逃げきれなかった!
「フランカ、険しい顔してどうしたの? ここにしわ寄ってる」
リベラート様は言いながら、人差し指を私の眉間にぐりぐりと押し付けた。
「ちょっ! やめてください! 誰のせいでこのしわができてると思ってるんですか!」
「え? 誰のせいなんだ? 教えてくれたら俺も一緒に反撃しにいくよ!」
「もういいです」
あなたのせいですけど!? って叫びたくなったが、相手にするのも面倒なのでやめておいた。……ていうか、眉間のしわの反撃ってなんだ。よく考えたらわけがわからなくて、おもわず笑ってしまう。
「……あ、フランカが笑ってる。いつもそうやって笑ったら、すごく素敵なのに」
「余計なお世話です! ……それって、私がいつも不機嫌って言いたいのですか?」
「いいや? でも、そうやって自然に笑ってるの久しぶりに見たから。……なんかドキッとしたな」
「~~っ!」
リベラート様の、こういう天然タラシなところが苦手だ。
私が笑っただけで、そんなに嬉しそうに照れ笑いをされて――ドキッとするのはこっちだと言ってやりたくなる。
「そ、それより、今日はなんの用ですか!」
不覚にも熱くなった顔を隠すように、リベラート様から顔を背けた。
「今日はフランカに言いたいことがあって。ほら、明日にはもう俺たち卒業だし。こうやって気軽に会えなくなるだろう?」
「……それは、そうですね」
「フランカは魔法省に入るんだよな」
「はい。私はこれから土魔法を極めるんです」
私は卒業後、魔法省の下っ端職員として働くことが決まっている。最初は雑務ばかりらしいが、いずれ魔法研究課に入り、新たな土魔法を世に編み出すのが私の夢だ。
「フランカはバリバリ働きたい派なんだね。女性だとめずらしいんじゃないか? 早いうちに結婚したがる令嬢のほうが世の中には多いだろう?」
「そうかもしれませんが、私は今のところ恋愛に興味ありませんので。それに、私は魔法を極めることくらいしか、自分だけの力で出来ないし」
「どうして? 君にできることは、ほかにももっとたくさんあるじゃないか」
私の言葉が引っかかったのか、リベラート様は食い気味で私にそう言った。
「できることって……例えば?」
「例えば、君といるだけで、俺は笑顔になるし幸せになる。他人をそんな気持ちにできるって、結構すごいことだと思うけど」
「それは……」
リベラート様が私といると笑顔になるのも、幸せになるのも、全部――。
「私の力じゃありませんから」
きっぱりとそう告げると、リベラート様は一瞬目を見開いて、「おかしなことを言うなぁ」と困ったように笑った。
「リベラート様は騎士団に入るんでしたっけ」
「ああ。明後日には入団する。一刻も早く一人前になりたいからな」
「リベラート様ならなれますよ。きっと」
「ありがとう。フランカにそう言われたら、自身が湧いてきた」
子供のように無邪気に声を弾ませるリベラート様は、かわいらしく見えた。立派な騎士になっている姿が安易に想像できてしまうのが、なんだか悔しくもある。
「……あのさ、フランカ」
「はい?」
かしこまったように、リベラート様が体ごと私のほうに向きなおす。つられて私も彼のほうを向き、私たちはふたり真正面から向かい合う形になった。
「もし俺が、君を守れる立派な騎士になったら――俺と結婚してくれないか?」
「えっ……えぇ!?」
今日、何度も似たような言葉を言われてきた。だけど、この流れでリベラート様にまで言われるとは思っていなかった。
まっすぐに私を見つめるその瞳から、本気だということを感じる。そこには、いつものようなお調子者のリベラート様はいなかった。
「私、さっき言いましたよね? 恋愛に興味無いって……」
「恋愛に興味はなくとも、俺に興味はあるだろう?」
「ないですけど!? どこからくるんですか!その自信!」
「俺の婚約者になってくれ!」
「話聞いてますか!?」
私がなにを言おうが、リベラート様は「結婚しよう」の一点張りだ。
拒否してもまったく聞く耳を持っていないいつのまにかじりじりと壁際に追い詰められているし、オーケーするまで、この場から逃がしてもらえない気がしてきた。
ああ……どうすれば……!
この場を切り抜ける方法に悩んだ結果、私はひとつの決断を下すことにした。それは、リベラート様への返事だけでなく、これからの私の人生に対する決断でもあった。
「……わかりました」
「本当か!?」
「でも、ひとつ条件があります」
「……条件?」
ぱあっと明るい笑顔を見せたあと、リベラート様は私の発言に首を傾げた。
「次に会った時にまだ、リベラート様が私のことを好きだったら――その時は望み通り将来結婚でもなんでもします。でもそうじゃなければ、その時点で婚約は解消ということで」
しっかりとした口調でそう言って、私はリベラート様を見つめ返す。
リベラート様は目をぱちくりと何度か瞬きしたあとに、「ははっ」と軽く笑い声を上げ、片手で自分の髪の毛をくしゃりとかき上げた。
「そんな条件、既にクリアしたも同然だ!」
今のリベラート様はそう思って当然だろう。でも、私がしているのは未来の話だ。
なにも知らないリベラート様は、私の腕を引くと、そのまま私を優しく抱きしめた。突然の抱擁に、私は固まって動けなくなり、されるがままの状態。
抵抗しない私に気をよくしたのか、リベラート様は抱きしめる腕に力を込めた。
「フランカ、君を世界一幸せにするよ」
極めつけに、耳元でそう囁かれる。
――果たして明日、同じことが言えるかしらね。
もうすぐ終わりを告げるであろう、私たちの関係。どうせ終わるなら、今だけは好きにさせてあげよう。
そう思い、私はリベラート様に身を任せたまま、静かに目を閉じた。
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