第363話 往年の勇姿

「駆逐艦「ヘイウッド・L・エドワーズ」の艦長、スコット少佐です。」


「伊号第14潜水艦艦長、山本です、帰路、よろしくお願いします。」


「、、、今回は、アメリカ海軍の一部が、大変な失態を、、、海軍精神に反する卑劣な行為、どうかお許しを、少将ジェネラル


 俺たちは、後続の駆逐艦に分乗し、横須賀へ向け進路を取った。

 ここにはもはや敵味方はない。

 静かな海、、、、


 この平穏が、もっと早く訪れていれば、シズや北村少佐は死なずにすんだのに。


 再び、俺の目に涙が伝った。

 

 海を見ている振りをして、俺は誰も見ていない海に向かって、ただ泣いた。


 そして、何度も最後のシズの姿が思い出された。

 新妻の、ワンピースを着たシズが、照れながら、俺の事を最後に「雄介様」と言った、あの言葉が、頭から離れない。


 俺が駆逐艦の右舷から日本列島を見て泣いているその反対側で、14潜の元乗組員たちが騒ぎはじめている。


「どうしたんですか?」


「、、、長門だ、戦艦「長門」が曳航えいこうされてゆく」


 船体を真っ赤に錆びさせたその巨体を太平洋に向け、それでも往年の勇姿を見せていた。


 搭乗員たちは、皆、一様に涙を流し、それを見送るしか無かった。

 そんな時、一喝入れてきたのは、山本提督であった。


「副長、全員を甲板上に整列させろ、長門と14潜を見送る」


 実はこのとき、俺が気づいていないだけで、伊号第14潜水艦は、長門と同じく曳航されていたのだ。


「大日本帝国海軍旗艦「長門」及び、伊号第14潜水艦に対し、敬礼」


 駆逐艦の左舷側に一列に並んだ14潜の乗組員達は、一斉に戦艦長門と14潜に向かって敬礼をした。

 敬礼しながら、多くの乗組員はすすり泣き、別れを惜しんだ。

 それは、単に朽ちた戦艦との別れを惜しむのではなく、旧帝国海軍と、14潜と、そしてY号作戦で散った将兵との、最後の別れであった。

 山本提督が言った「帝国海軍旗艦」とは、恐らく戦後海軍の初代旗艦に「長門を」と考えていた山本提督や、北村少佐の気持ちを代弁したものだろう。

 俺も、彼らの後ろから敬礼し、戦艦長門を送った。

 何故だろう、この戦いで失ったものが大きすぎるのか、どうにも心が整理出来ないでいた。


 

 、、、後で玲子君に聞いた話では、この時、曳航されていった「14潜」に搭載されたままの、旧海軍の原爆弾頭は、そのままビキニ環礁まで曳航され、14潜もろとも「起爆」されたのだ。

 俺たちが社会科の教科書で見る「ビキニ環礁での原爆実験」とされるあの有名な写真は、旧帝国海軍核弾頭の起爆写真なんだそうだ。

 そして、その標的艦として数多くの軍艦と共に、あの戦艦「長門」もそこには居たのである。

 自軍の原爆によって沈むまいとしたのか、14潜が起爆した後の海域には、戦艦「長門」ただ一隻だけが沈むことなく生き残っていたのだ。

 戦艦長門は、惨めに曳航されながらも、こうして大日本帝国海軍の意地を貫き、その後、誰にも看取られることなく翌朝、沈んでいたんだそうだ。


 俺たちは横須賀に帰る駆逐艦の上で、皆茫然としながら海を眺めていた。

 そんな時、山本提督がポツリと囁いた、「この艦、、、いい船だな」


 それは、なんてことない一言に聞こえたが、実はこの時、北村少佐から玲子君に渡された、あの時の、最後の出撃前に手渡された一冊のノートを、山本提督が読んだ後であったことが、大きな意味を持っていた。

 そのノートを読みながら、それまで頑なに涙一つ見せずにいた山本提督が、そのノートの上に大粒の涙をこぼしたことなど、俺たちは知る由も無かったのだから。

 

 あのノートには、海軍の、いや、戦後日本が再スタートをする際に必要な陸海空軍の再編に関する素案が、詳細に記されていたのである。


 

 山本提督がY号作戦を戦った事実は、当然伏せられ、歴史の闇へと葬られて行った。

 しかし、山本提督と、ここに居る潜水艦乗組員達は、その後、横須賀地方復員局を去り、運輸省へと引き抜かれて行った、新設される機雷掃海部隊として

 そして、この時、運輸省へ行った旧海軍軍人により、後の海上保安庁が発足する。


 そんな中でも、山本提督はあの日、北村少佐と約束した、海軍主導による「陸海空」軍の創設に向け、GHQとの調整を推進させて行く。

 それは、あの秘密計画「Y号作戦」を引き継いだ「Y計画」として進められたのである。


 日本は、サンフランシスコ講和条約を経て、占領統治に終止符を打ち、ようやく独立国家としての戦後史を歩むことになるが、未だ海軍を持つに至らず、山本提督は遂に海上保安庁から、後の海軍の主軸となるべく、旧Y号作戦のメンバーを引き連れ「海上警備隊」を創設させると、海上保安庁から独立した。

 これが後の「海上自衛隊」である。

 あの日、駆逐艦ヘイウッド・L・エドワーズの艦上で見た北村少佐の素案は、実によく出来たもので、海上自衛隊の他、後の陸上自衛隊、航空自衛隊の発足も、実はこの「北村ノート」を元に創設されたことは、ほとんどの人が知らない事である。


 余談だが、あの日、山本提督が「良い船」と褒めた、駆逐艦ヘイウッド・L・エドワーズは、米海軍より海上自衛隊へ貸与され、護衛艦「ありあけ」として就航、同じくY号作戦に従事していた駆逐艦リチャード・P・リアリーも、護衛艦「ゆうぐれ」として、長らく日本の海を守る事になる。

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