湖上に浮かぶ

D-JACKS

湖上に浮かぶ

 都市伝説や噂なんてのはどこにでもあって、それらはいつもどこか信憑性に欠けるが、人々の好奇心をあおるような話が多い。廃病院の手術室がいつも手術中になっていて今でも夜な夜な手術が行われている、誰も住んでいない一軒家から人の笑い声がする、夜中神社に行くと知らない世界に飛ばされて戻れなくなってしまうなど様々な都市伝説がある。これらと似たような噂は、僕の住んでいる街だけじゃなくどこの街にも1つくらいはあるだろう。そして僕の街に最近、新しい噂ができた。

「おい聞いたか?湖の噂。」

「ああ、人が立ってるっていうあれか?」

「そうそう!なんでも朝の4時にしかいないらしいぜ。」

「まじかよ!女か?女なのか?」

「知らねーよ。」

「マジだったらおもしれーよな!」

どうやら新しい噂は「朝の4時に湖行くと、湖の上に人が立っている」というものらしい。なんとも胡散臭い噂だ。僕の住む街には湖がある。特別大きいわけではないけれど、水がすごく綺麗であるらしい。僕はずっとこの街で暮らしているから、湖なんて1つしか見たことないからよくわからないけど、国内では綺麗な湖として有名らしい。そんな誰が最初に話し始めたのかは全く分からない湖の噂話が出回り始めて、僕のいる街ではそのことで話が持ち切りになっている。なんとも迷惑な話だ。どうせ誰かが適当に作った嘘に決まっている。人が水面に立てるわけがない。そんなことができるなら、ぜひとも僕の前で披露してほしいものだ。そもそも、なんで朝の4時なんだ。そんな誰も起きていない時間に起きる出来事という時点でとても胡散臭い。そんな胡散臭さ全開の噂話に盛り上がっている人達を見て、私は呆れていた。少し考えれば嘘だとわかるのに。同じことが続く退屈な日常に刺激を欲しているのはわかるが、僕には嘘だとわかりきっている話でなぜそこまで盛り上がるのだろうか。全くもって意味不明だ。とにかく、僕はこの噂話もとい全く信じていなかった。まだ、この時は。

 

 噂話が出回り始めて一週間ほどたった頃、街のみんなの関心は噂の湖に集まっていた。

「明日、湖に行こうぜ!」

「3時30分に俺の家に集合な!」

「絶対寝過ごすなよ!」

噂の真相を確かめようとする人々がちらほらと出てきた。なんて勇気のある人たちなんだ。僕から見れば彼らは勇者のようなものだ。それなりの年月を生きてきた人間ならこの噂が真実でないことなど容易に想像ができる。噂なんてものは真実かどうかわからない、けど誰かはそれを本当に体験したのかもしれないというほんの少しの期待を帯びているから人は面白がり、それを楽しむことができる。真実が確定してしまえば、それはただの嘘に成り下がってしまう。自分たちであれだけ盛り上がっておいて、それを自らの手で潰してしまうなんて僕にはできない。面白いものは面白いものでままであってほしいと僕は思う。それが本当に楽しいかなんてものは分からないけど、それでも僕は握りつぶすことはできない。そんな勇気を僕は持ち合わせていない。だから彼らは勇者なのだ。曖昧な面白さよりも、たいして面白くもない現実をつかみ取る勇気をもった勇者なのだ。まったくもって羨ましいとは思わないけれど。そんな蛮勇を携えた勇者たちは湖へと冒険に向かうことになった。まあ、僕には何の関係もない話だが。


 勇者たちが湖に向かいだしてから、街の様子が少し変化していった。街の人々が変わり始めたのである。それは噂話の熱が冷めて元の状態に戻ったのではなく、明らかに街の人の言動が変わっていったのである。何かに憑りつかれてしまったかのように。おしどり夫婦で有名だった旦那が嫁や子供に虐待をしだす、年代別の日本代表に選ばれるほどの実力を持つ高校生のサッカー少年は、急に部活を引退して家で引きこもりだすなど、別人のようになってしまっている。私の友達のゲームしか取り柄のないヤツは、ゲームを全て売ってしまい、まったくゲームをしなくなった。それだけならまだいいのだが、ゲームのみをしてきた彼は、それ以外のことに対する情熱をほとんど持ち合わせていないため、毎日自堕落な生活をして過ごしている。今では学校にも来なくなって引きこもりになってしまった。そしてこれらのような別人になったように変わってしまったのはきまって朝の4時に湖に行った者たちなのだ。


 明らかに何かがおかしい、僕も含め街の人たちはそう思いだした。私たちが目に見える形でこれだけの変化を目の当たりにすると、湖の噂はただの噂なんかではないのかもしれないと思わざるをえなかった。街の人たちは噂を面白がることはできなくなり、みんな湖に恐怖を覚えていった。


 しかし僕は街の人とは反対に興味をそそられた。嘘だと確信していた噂話は本当なのかもしれない、そう思ったからだ。それに、街の湖には少し奇妙な点があったのだ。湖は綺麗で有名であるといったが、あの湖はずっと綺麗なままらしい。高度経済成長で周りの自然すべてが汚れてしまった時も、湖はずっと綺麗だったらしいのだ。工業排水や生活排水が湖に直接流されていた時代に、まったく汚れることなく今の状態を保持し続けていたという話がある。明らかに不自然だ。そして、あの湖の生態系はほとんど変わっていない。日本最大の湖の琵琶湖のように外来種の魚がたくさんいるということはない。海外の魚がペットとして販売されている世の中で、こんなことがあるだろうか。実際に、琵琶湖ではペットとして飼っていたブラックバスやブルーギルを湖に捨てたことから外来魚が大量繁殖し、問題となっているらしい。ほかの湖でも似たような問題が挙がっている中で、あの湖だけがその被害を受けなかったとは考えにくい。つまり、あの湖は誰かに守られている、あるいは管理されているかのように私たちの影響を受けない状態にあるのだ。初めてこのことを知ったときは嘘のような話だと思ったが、奇妙な話ではあった。そして今回の街の人が変わってしまうという現象、何かがおかしい。私たちの知らない何かがあるのかもしれない、そんな興味を私は持ってしまった。変わってしまった彼らのように。


 それからというもの、湖に存在する何かを探るために、私は毎朝4時に湖に向かうことにした。だが、毎朝行っても湖には何もなかった。ただの何の変哲もない大きな水たまりがあるだけだ。そこには水面に立っている人もいない。これといって変わったところなどどこにもないのである。僕の予想では彼らは湖に立っている人をを見たから変わってしまったのではないかと思っていたが、違うのだろうか?


 一週間、二週間とたっても何もなかった。だが、僕は諦めなかった。諦められなかったという方が正しいのかもしれない。一度決めたことは自分が納得を得られるところまではやりたいと思うからだ。だから私は決着がつくまで毎朝湖へ向かうのだ。そんな思いを抱え一月が経った頃に湖に行くと、水面に人が立っている。噂通りに人が立っているのだ。正確に言えば人らしき存在が立っていた、という方が正しいのかもしれない。「それ」は月明りに照らされてシルエットしかわからない。男なのか女なのかすらよくわからない「それ」は微動だにせずそこに立った状態で存在していた。 

「君には何もないと思っていたよ。」

「それ」は僕に話しかけてきた。

「え?」

僕は「それ」が何を言っているのかわからなかった。

「そのままの意味。君にはなんにもないと思っていたんだよ。」

やっぱり何を言っているのかわからない。いや、何を僕に伝えようとしているのかがわからない。

「あなたが街の人を変えたのですか?」

話題を変えることにした。「それ」の言葉の意味も分からないし、噂の真相も知りたかったから。

「そうね。私が変えたことになるのかな。結果的に変えてしまったと言う方が正しいけれど。」

結果的に変えてしまった?ということは街の人を変えることは目的ではないといことなのか?

「なぜそんなことをしたんですか?」

僕は直接聞くことにした。自分で考えても仕方がないと思ったから。

「ここを護るためよ。あなたたちからね。」

「それ」は淡々と僕の質問を返してくれる。無感情に返される返答に人間らしい温度のようなものを感じなかった。機械と会話したことなんてないけど、きっとこんな感じなんだと思った。

「ここ、というのはこの湖のことでしょうか?」

「そう。あなたたち人間がここを汚すから、守らなきゃいけないの。」

いまいち「それ」のいうことが理解できない。

「汚した復讐の為に人を変えているというのですか?」

「違う。綺麗にするために貰っているだけよ。」

「何を?」

「あなたたちの大切な感情を。正確に言うと、あなたたちの最も大きな要素といった方がいいかもね。誰にだってあるのよ、その人にとって大切で、純粋な感情、思いがね。」

「それがこの湖をきれいにすると?」

「そうよ。その純粋さが汚れた水をきれいにしてくれるの。」

なるほど、意味が分からない。「それ」は一体何を言っているのだろう?気持ちで綺麗にできるならとっくに人間がやっているではないだろうか?だが、この湖がずっと綺麗であったということ事実があるから、むやみに否定はできない。

「わからなくてもいいわ。あなたには関係ないからね。」

「そうですか。でも、あなたが僕の前に現れたということは、僕からも純粋な感情というものを奪うということですか?」

「そういうこと。さっきも言ったけど、あなたには何もないと思っていたのよ。大切にしているものなんてね。だからは私はあなたとは合わなかった。けど、勘違いだったみたい。あなたにはしっかりとあるわ。」

「それは?」

僕は素直に聞いてみる。知りたかったからだ。自分の中に占める大きな要素というものが。

「執念よ。」

「執念?」

「そう。あなたは決めたことは納得するまでやり続ける執念があるのよ。それがあなたなの。」

「執念が僕の大半を占めていると?」

「そういうこと。まあ、今日私が貰っていくんだけどね。」

「それは困ります。」

そんなことを言っても聞いてはくれないだろうけど。

「そういうわけにはいかないわ。」

やっぱり。まあ当たり前の話だ。それが「それ」の目的なのだから。

「あなたたちは自然を、環境を汚して満足な生活を営んでいるわ。それが当たり前かのように。けれどね、私たちからすればたまったものじゃない。あなたたちの都合でなんでもやられたら困るのよ。私たちだって生きているんだから。」

「だから奪うと?」

「そうよ。」

まるで身勝手な意見だ。だが、それは僕たちも一緒か。

「わかりました。どうぞ。」

「あら。ずいぶんすんなりと受け入れるのね。」

「ええ、まあ。」

僕は抗おうとは思えなかった。なぜかそういうものだと受け入れられたから。

「じゃあね。」

「ええ、さようなら。」


 気がつくと、僕は自分の家のベッドで寝ていた。今朝のことは何となく覚えている。思い出そうと思えば思い出せるかもしれない。まあ、どうでもいいや。さて、今日も学校に行こう。同じことが繰り返される学校へと。学校へと行く道中、僕は湖を見に行った。けれどどこには何もない。あるのはただ綺麗な水だけ。


 



 

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