第7話 覚醒

 うっすらとした光が戻ってくる。残された左目が捉えたのは、にわかには信じがたい光景だった。

 下半身を消し飛ばされて絶命しているハムスター。ハムスターの下半身を呑み込みミンチに変えた恐ろしい漆黒の球体が回転している。球体からは悍ましいほどに強力な魔力と猛烈な殺意が感じられた。

 叶の意識が薄れていく。ハムスターが死んでも受けた傷がなかったことになるわけではない。致命傷を受けた叶の命は今にも尽きようとしている。


「おっと。死なせはしないよ」


 再び男の声が聞こえ、周囲から真っ赤な輪郭の黒い腕が伸びてきて叶の体を包み込む。傷口を覆う腕から紫の光が漏れ、止血しながら痛みを和らげていった。

 片目で何が起きているのか確認しようと叶が動く。すると、黒い燕尾服のようなものを着た男と視線が合った。


「よっ。お望み通り助けに来てやったぞ」

「……え?」

「いや、お前が助けてって言ったんだろ? だから来たんだ。それに、お前には面白い素質がありそうだからな」


 男が何を言っているのかよく分からなかった。確かに叶は助けてとは口にしたが、まさかそれを聞いてくれる存在などいるはずがないと思っていたし、そもそも声が聞こえるはずがないだとかどうしてこんな場所に人がいるのだとか疑問は次々溢れてくる。

 何一つ理解が追いつかない叶を見た男が笑った。


「まぁ、その反応が正しいよな。よーく分かるぜ」

「あなた……は?」

「俺か? うーん……名前をちゃんと聞き取れるか分からないけどなぁ……」


 頭を掻いた男は、一瞬迷うものの顔を上げた。右手を横に振って漆黒のオーラを放出しながら名乗る。


「俺は邪神アルマ。このアビスに封印された神殿で祀られていた邪神だよ」

「アルマ……?」

「名前を理解できるのか。やはりお前は面白い!」


 興奮して手を叩くアルマに、叶はどう反応すればいいのか分からず困惑するばかりだ。そして、あることに気がついて疑問を口にする。


「あの骨の騎士……たしか……サーヴァント……」

「ん? まさか俺が嫌がらせのために置いた罠に引っかかったのか? あんな分かりやすい罠に? それは悪かったが、あれに引っかかるのはバカだろ」


 心配した風を装いナチュラルに煽ってくるアルマ。どうにも馬鹿にされた気がして黙っていられなかった叶は、ここまでに起きたことをアルマに話した。アルマは、叶の傷を闇の手で癒やしながら真剣に聞いてくれる。

 欠損部位までとはいかないが、叶の全身の出血を止めたアルマが話を聞き終え、優しく頭を撫でる。


「酷いことするもんだなぁ。お前は強いよ。よくここまで耐えた」

「アルマさん……!」

「……叶。唐突だがお前に一つ提案しよう」


 アルマが立ち上がった。黒いリンゴのような果実を掌に出現させ、それを叶へと差し出す。


「お前はよく我慢した。だが、やられっぱなしでいいのか? 復讐したいと思わないか?」

「……できるものなら……やりたい……ッ! 聖以外の全員……親もクラスの皆も先生も殺してやりたい……ッ! でも、力がない……」

「では、問おう。お前は魔王になるつもりはないか?」


 アルマの言葉に叶が興味を持った。視線が自然と果実に引き寄せられる。


「魔王とは、俺たち邪神から祝福されこの果実を食べた者のことを指すのだ。叶が望むのなら、お前にもこれをやろう」

「これを食べると……魔王に……?」

「そうだ。勇者など簡単に殺すことができるほど強力な力も手に入る。お前が復讐するのに必要な力だと思うぞ」


 叶はアルマから果実を受け取った。だが、食べるかどうかは迷いが生じる。


「どうした?」

「これ、食べると異形の存在に変わったりしませんか? それに、どんな代償があるか……」

「姿を変貌させるのもその姿のままでいるのもお前の自由だ。それに、食べたところで代償はない。だが、そうだな。俺の要求を聞いてもらうことになるな」


 アルマがにやりと笑う。その顔がまるで子どものような無邪気なもので、それが一層不気味さを増す。


「お前が勇者とその仲間を殺し続けると、必ずフォレアが介入してくるはずだ。その時、俺とお前、それから先に誕生させた魔王の三人がかりでやつを捕らえる。その手伝いをしてもらおうか」

「女神を……?」

「お前にとっても憎いはずだ。召喚されなければ、魔物に殺されかけるなんて目にも遭わなかっただろうに」


 アルマの言葉に叶は頷いた。地球にいたままだといじめはずっと続いていた。しかし、こんなにも命の危険を感じることはなかったはずだと思う。

 急にフォレアのことも憎く思えてきた。憎悪と怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合って叶の心を埋め尽くしていく。


「そしてもう一つ」

「?」

「お前をいじめてきた者たちの無様な悲鳴と泣き声を楽しませてくれ。果実の代金としてはそれで充分以上だ」


 その言葉が最後の引き金を引いた。

 アルマの言葉に力強く頷くと、叶は果実にかじりついた。一口食べ進めるごとに絶大な闇の魔力が体中に巡っていくのを感じることができる。

 アルマが目を見開く。叶の力はアルマの想像を遥かに上回っていた。


「珍しいな。まさか大魔王の素質とは。さすがは叶! 憎悪の復讐鬼!」


 感激したようにアルマが拍手を贈る。と、同時にアルマの姿が薄くなっていく。


「俺の娘として歓迎しよう叶。その魔王の力を振るい、お前を虐げてきた勇者たちを皆殺しにするといい!」

「ええ。ありがとう、アルマ様」


 全身から闇が放出される。闇は叶の失われた体を再生させていき、同時に人の姿を維持したまま恐ろしい風貌へと叶を変えていった。

 闇が繭のように叶を覆う。しばらくして闇の繭が消え去ると、そこには完全に変わり果てた大魔王の姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る