第5章
「加奈、私、どうしたら」
心という深淵で二人は見つめ合う。お互いを阻む鏡が無いのは多分二人は身体を持たない同族だから。
「加那はここで外に出ようとしないノ?」
「だって、加菜に身体を完全に奪われてしまったもの。それにステファニーも裏切ってしまったし合わせる顔がない」
加奈は可哀そうな表情で加那に教える。
「でもこのままだったら媼も翁も失うのヨ。加菜が悪い子じゃないのはあなたも知っているデショ。彼女の精神は揺らいデル。あなたに出る気があるナラ」
「でも、これからは私の人生じゃなくて加菜の人生だから」
なぜ笑う。加那はなぜ笑うのか。悲しいのなら笑う必要などないのに。加奈は幼き自分の主人に、
「加那は勘違いしてルワ。かなは本当は三人じゃないノ。一人ヨ」
「どういうこと?」
「かなは加那だけナノ。私たちかな(加菜、加奈)は紛れもなくあなたナノ。加菜はそれぞれの人格が別物だって思ってイタ。加那を愛して加那をサポートする自分は加菜であって加那じゃないんだっテ。でもね、誰一人として加菜が加那になりすましていることに気付かナイ。だから、ついに加菜は気づいてしまったノ。私は加那なんだっテ。加那の肉体を有している時点でたとえ人格が異なろうとも加菜は加那の一部でしかナイ。加菜は加那を愛していることを不利益で美しい他人への愛と思っていたけど実際は違ったノ。それはただ自分を愛していたダケ。加那と加那の身体を想ってやっていた手助けは利己的な行動にすぎなかっタ」
老人の追放は加那の心の奥底で臨む加菜の願い。
「加菜も加奈も私なの?」
「えぇ、身体が同じなんだから私たちは同一人物なのヨ」加那は苦しそうに、
「確かに私は加菜も加奈も自分なんだって受け入れなきゃいけないと思う。でも、身体が同じだから同一の自己なんて悲しすぎるよ。加菜は私を愛してくれているから損な役回りを引き受けてくれていたんでしょ。私はその優しさをないがしろにしたくない」
「でもそれも結局は共通の加那、つまりはわたしのためヨ」
「違うわ! 加菜が愛した人が偶然私だっただけなのよ。偶然身体が同じだっただけなの。身体という要素は『わたし』の形成にとってはどうでもいいことなの。そうよ。そうに違いない!」
加菜は心に棘を刺されたようにガタガタ震える身体を抑える。媼も翁も移住用ミサイルの中に入っていって、移住用ミサイルは月面の発射台へと運び込まれた。月を覆いつくすほどの移住用ミサイル群は鮮やかだ。月面はまるで地球の子どもが描いた月のようにベタ塗りされた黄色だった。不自然に染まる月の挙動をNASAは気づかない。現在進行形でカメラがハッキングされて偽造映像が流れていることに気づけないのだ。発射準備は着々と整っていく。
かぐや十四世はワイングラスを傾けて小月(ライトムーン)を眺める。芝生が映える城の庭に、白いテーブルと白い椅子。重なるように白い兎が十数匹。六倍の高さまで跳ね上がる。赤ワインも彼女の召し物の十二単も際立ってそこに存在している。空をもう一度見上げれば、小月では月と変わらず兎が永遠に餅をつき続ける。月に居ながらにして月を眺める違和感をワインの酔いが忘れさせてくれる。
「いっそこのまま忘れさせておくれ」
彼女は寂し気に言葉を紡ぐ。全てを背負うには小さい背中は小刻みに震えている。彼女は月を発展させてきた彼らを星流しの追放刑に処した。今現在も月が存在しているのは、月人(つきびと)たちが生きていられるのは、紛れもなく若かりし彼らが汗水垂らして働いたおかげ。そんな功労を全て無かったことにするよう。
「私がやったことは正しいのだろうか。本当はこのままゆっくり衰退していくことこそが月の正しい運命ではないのだろうか」
問い。年を取って生産性が無い老人を捨ててまで発展する星の未来は輝いているか? 否。では、問い。
「私に与えられた使命は? ......やはり月を存続させることだ」
ワイングラスの底が渋い赤を越えて見える。薄く残る最後の水面が揺れる。揺れはどんどん大きくなって彼女の鼓膜にも声という振動が届く。
「かぐや様! 話があるんだぁ!」
ライが村の方から息を切らしながら走ってきて、かぐやに大きく手を振っている。門番が彼の身体を抑え込もうとするが、彼の瞳はかぐやというただ一点を見つめる。
「よい。離してやれ」
彼女の言葉終わると同時に彼の身体は急に自由になって、とても耐えられない、と身体が倒れ込むという反応を返す。彼女の足元から見上げるように、
「かぐや様! うちの、うちのじいちゃんだけはこの星に残してやってくれないかな。俺が責任もって面倒見るからよ」
「ならん」
目を丸くして固まった彼女の全身と裏腹に口からは脊髄反射のごとく言葉が出てきた。
「どうして?」
「いらないからじゃ。お前は足枷を脱ぎ捨てて、月のために更に熱心に働かねばならん。この星の発展の邪魔はさせない」
「爺ちゃんは足枷なんかじゃねえ! なぁ、こなしてみせるよ。どんな労働も無理難題もこなしてみせるよ。だから、爺ちゃんをうちに置かせてくれよ」
彼の目に滲む涙のせいでかぐやの胸はキリキリと痛む。それでも冷徹に、すがりつく彼の手を払う。
「月は、私は無慈悲な夜の女王だ」
やっと零れ落ちた大粒の涙が六分の一の速度で緑に落ちて行ったとき、発射の準備は完全に整ったのだった。彼女の一声で世界は変わる。新たな時代が始まる。果たしてそれが良い時代となるのだろうか。
「待って!」
その声は、加菜? 加奈? 加那?
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