第4章

「作戦は三日後に行われる予定です。星間弾道移住用ミサイルをかつてオセアニアと呼ばれていた地域にぶち込みます。一つではありません。大量に、です。そう、月に住む老人の数だけ大量に。移住用ミサイルの中には爆発物が入っているわけじゃありません。老人が入っています。地球に移住してもらおうじゃないか。すなわちそういうことなのです。分かりにくいという方のために少し汚い言葉を使って説明しましょう。月に生産性の無い人間を置いておくことは発展の邪魔になる。地球に老人ホームを造って、移住させてしまおう。これで分かってもらえたと思います」

 作戦会議室でビン底眼鏡の男はいかにも理研究者風の口調で話す。誰も笑わないのは一応罪悪感があるからだろうか。ここに集められたのはかぐや十四世と加菜を含む革命派の若者たち。革命派には、介護に疲れた者や、国の未来を危ぶむ者など現状に不満を持つ若いエネルギーがみなぎっていた。勿論、ライも参加していた。三十代以下の若者の参加率は優に九割は超えており、国中でフラストレーションが溜まっているのは明白だった。

「しかし、急に地球に移住用ミサイルを撃ち込めば星間問題になるでしょう。地球はともかく、ニューワールドが黙ってない。特に地球原理主義者たちが抗議にくるに決まっています」

 ビン底眼鏡はかぐやをチラリと見遣る。かぐやは頷いて、

「そこでだ。加菜! そなたに一仕事お願いしたい。そなたはNASAのお偉方とつながりがあるとか」

 衆人環視が極まって、加菜はビシッと指された指を見つめながら言う。

「はい、ステファニーのことですね」

「発射から着弾までの一時間の間、監視衛星に偽造映像を流したい。それには監視衛星のシステム内に忍び込む必要がある」

「はい……」

「忍び込むには色々な方法があるが、一番手っ取り早いのはセキュリティコードを盗むことじゃろう。ステファニーは監視衛星の責任者だとか。どうにかしてシステムの最高権限コードを聞き出してほしい」

「そんな無茶な」

「無理難題にめげないでくれ。かぐやからのお願いじゃ」

 無責任に空を仰ぐかぐやに腹が立つ。三か月前に月に来たばかりだろうが住人であることには変わらない。月の上にいる以上与えられた課題はこなさねばならない。

「加菜さんだけ仕事があるわけではありません。皆さん平等に仕事があります」

 ビン底眼鏡がそう言うと、かぐやは再び話の主導権を奪う。

「各家族に必要数の移住用ミサイルを送る。三日後、皆は自分の祖父母に別れを告げて移住用ミサイルの中に入るように促してほしい」

 すると、ライが遮るように手を挙げた。恐らくここにいる全員が抱いていたであろう疑問。

「すまん、地球に老人ホームはすでにあるのか?」

「建設予定です。まずは月の財政を建て直すことが最優先です。その後に、ニューワールド政府と話し合い、共同で老人ホームの建設を始める予定です。ですがご心配なく。かつてのオセアニア地域は比較的荒廃が遅れています。気温や天候もまだまだ過ごしやすい。あと、三十年はエクメーネでしょう。建設までの時間は老人だけで生きられるはずです」

「それは出来るわけがないでしょう。うちの祖父母は二人とも介護なしでは生きられない」

 若い女が立ち上がっていきり立つ。目の下の隈は彼女を十は老けさせる。それでも、祖父母を愛するのは道徳なのか責任なのか。

「それなら、身体の動く他の老人が介護すればいいでしょう。体が動かない老人だけを送還するのではありません。六十五歳を過ぎた老人を例外なく送還するのです。その中には動ける者もいれば動けない者もいる。老人ホームが出来るまで助け合って生きてもらいましょう。また、食事などの救援物資は定期的に地球に送る予定です。加菜さんが最高階層コードを持ってきてくれれば、それを解析することで監視衛星のハッキングはかなり容易になります。偽造セキュリティパスの開発くらいすぐにできるでしょう。つまり、これからはニューワールドに気付かれることなく地球に救援移住用ミサイルを何発でも打ち込めるというわけです」

「じゃあ、食べ物はやるからインフラ設備も整っていないところで原始的な暮らしをしろ、と?」

 ライも立ち上がってビン底眼鏡に詰め寄ると、彼はお茶を濁すようにモゴモゴと、

「いや、ですからオセアニア地域はまだまだ綺麗な川も山もあります。川で洗濯も山で竹取も出来るわけです。翁と媼に相応しい暮らしは営めるはず……」

 ライが再び質問をしようとするところ静止したのはかぐや十四世。彼女は深いため息をついて、

「ふぅー、そうじゃな。この際全てハッキリ言おう」

 かぐやはいきり立ったライや女を座らせた。彼女は憂う。横顔は旅立つ姫のよう。彼女は群衆の瞳を全て掌握した。照らす。静寂。

 地球と月は兄弟星。地球が兄で月が弟。地球では昔そんな風に言われていたらしい。惑星の成り立ちから考えるのであれば間違ってはいないが、人間の歴史から考えると大間違いじゃろう。月は地球がまだまだ未熟である頃から圧倒的な科学力を有していた。竹取物語にあるように、月の人間は弓矢をいなし、また空を飛ぶことも容易だった。まあ、感情を失う羽衣や、不死の薬なんかは脚色されているもので月の史実とは反するが、未知の科学を当時の地球人がそのように大袈裟に表現したのも致し方ない。

 昔から月がこっそり技術を教えることで地球は発展してきた。アリストテレスもニュートンもアインシュタインでさえも元々は月の人間だ。地球は愚かな弟だった。愚かというのは発展が遅れていたことを非難しているわけではない。戦争という行為を星が壊れるまでやめなかったことを非難しているのだ。人が滅ぶよりも先に星が滅ぶのも無理はない。核戦争を繰り返し、限りなく人口が減った五十年前。終わりの果てのような地球に住む人間はやっと差別も宗教も国家も越えて結託した。ニューワールドを造り上げたのじゃ。宇宙世紀などと抜かして、歴史にテコ入れを加えてな。ちなみに、私たちが地球と初めてコンタクトを取ったのもその時だ。なぜ、コンタクトを取ったか分かるか? それは乱暴な地球人が月を侵略しようなどと考えないようにするためだ。経済、技術援助をする代わりにお互い干渉しないことを約束させたのじゃ。

 それからというものニューワールドは科学力を携え始めた。私たちが老人に優しくしている間に、労働力不足で足踏みしている間に、急速に進歩してきた。かぐや十三世が新世界人の移住法案を可決させたのはニューワールドを援助するためではない。新世界人の手を借りたいほど人手が足りなかったからじゃ。しかし、そんな苦労もむなしく今やニューワールドは月を追い抜こうとしている。圧倒的な差はもうない。このままならばあと数十年もしないうちに完全に敗北するじゃろう。

 そうなったらどうなると思う? ニューワールドが月を科学力で上回ったらどうなると思う? 戦争に明け暮れていた愚かな弟が再び力を持ったらどうなると思う?


 侵略は確かな未来じゃ。


 月が抱える労働力不足の問題は未来の財政とか貯蓄の話では済まされない。これは月を守るための改革なのだ。私たちは早急に力を取り戻さなければならない。次の世代に美しい月を残しておくために。申し訳ないが老人を介護している暇は無い。若者が若者のための国を作るときが来たのだ。私は古い掟を廃止して、新たな掟をつくろう。

『若者は未来のために働くこと』

 さあ、私に力を貸してくれ。改革を始めよう。

 歓声が轟いたのだから会議はもう必要ない。ふっ切れた顔で帰路につく若者の顔はかつてない力で満ち溢れていた。真っ黒な正義の力で。そして、それが真っ黒であることも知らずに真っ白だと信じ込んで。かぐやは一人佇む加菜に満足げに笑いかける。加菜はその笑顔の真意が分からないからか、困り顔で俯くのだった。


「加那ちゃんみたいな若い人たちがいつも助けてくれて本当に助かっているよ。ありがとうね」

 媼は白米がこんもりと盛られた茶碗を加那の目の前に置く。晩御飯のときは丸いちゃぶ台を三人で囲むのがこの家の暗黙のルール。媼が作ってくれた料理を運ぼうとした加菜は半ば強引に座らせられて、挙句の果てには日ごろの感謝を述べられた。翁が間髪入れずに追従する。

「本当だ。ごめんなぁ、老人の面倒なんかみさせちまってよぉ。だけんど、加那ちゃんが来てくれてから毎日楽しくてしょうがないんだ。ありがとうなぁ」

 照れくさそうに笑う翁。顔が赤いのは照れくさいからなのか、はたまた日中の庭仕事の影響か。それは問うまでもなく前者だろう。だって、翁と媼は毎日毎日飽きずに加那に礼を言うのだから。それも、毎回照れくさそうに顔を赤らめて笑いながら。

「うん、こちらこそだよ」

 いつもと返事が違うのは、今日は大事な話があったから。加菜はなんだか落ち着かない様子で二人を見る。しかし、二人は加菜の小さな異変に気付くことなく手を合わせる。

「さ、冷めちゃう前に頂きましょう。いただきます」

 漆塗りの箸を這うシワがれた指。加菜の心を優しい味が苦しめるのだろう。加菜は白米の粒一つ一つが喉にねっとりはりつく感覚が痛々しいのか顔を歪める。

「加那ちゃん、今日の仕事はどうだったんだい」

「今日は畑仕事だったの。もう少しで稲の穂が頭を垂れるわ」

「そうかい。もうそんな季節になるのかい。年を取ると季節があっという間に過ぎていくわ」

「あと、何回秋を感じられるのかねぇ」

 翁はわざとらしく落ち込むように箸を置く。

「いやだねぇ、そんなこと言わないでくださいよ」

「ジョークってやつじゃ」

 打って変わって横文字を得意げに話す翁は加菜を見遣る。加菜のために少しでも若くあろうとする翁の悪あがきがとてもかわいく見えた。

 人知れず最後の晩餐が終わり、憂鬱のなかで風呂に入ろうとしたときに呼び鈴が鳴った。扉の先で待つのは血走った眼のライだった。ライは鼻息荒く、

「加那、最高権限コードを奪ったらしいな」

「えぇ、ステファニーは多分奪われたことも気づいてないわ」

「そうか。で、最後の別れは?」

 ライはまるで美しいようにそれを比喩で表現する。それはライ自身も美しく思えないから。いや、違う。それは皮肉。

「まだよ。でも、必ず今から言うわ」

「加那、おめえどうしたんだ。会議の時もそうだが、なんだか急に人が変わっちまったみたいじゃねぇか。友達も媼も翁も裏切って自分だけの心配をすんのかい」

 ライの後ろではTB社と書かれた赤文字が良いアクセントになった、バックグラウンドが黄色で覆われた移住用ミサイルが加菜の家に運び込まれている。各家庭に国から送り込まれた老人の数だけある黄色いそれに張本人たちは続々と入っていって、それごと月面の発射台に運び込まれる。   

 他の家庭の老人たちは納得して入って行ったのだろうか。

「違うわ。私はかなの心配をしている。自分のことしか考えてないのは加那でしょう。加那の優しさの根源は、良い人に見られたいという欲求、そして嫌われたくないという甘えた気持ちだけ。生きるってのはそんな生ぬるいことじゃない」

「……俺ぁ、おめえの言ってることが分からねえ。でもよぉ、俺ぁ前の加那が好きだ。辛いことなんて吹き飛ばすように、笑顔で無邪気に働く加那が」

「誰のおかげで加那が笑顔でいられると思っているの。汚れ役を請け負っている人がいるから笑っていられるのよ!」

 加菜は熱くなった自分の頬に触れながら深呼吸をすると、

「あなたは祖父を移住用ミサイルの中に入れさせたの?」

「いや、まだだぁ。爺ちゃんを地球に送り込むなんてできねぇよ。婆ちゃんに比べちゃなんも出来ない爺ちゃんだけど、やっぱり大切な俺の爺ちゃんなんだぁ」

 ライがにへら、と笑いながら恥ずかしそうに言うから加菜は再び息巻いた。

「人が変わったみたいなのはあなたでしょ! 命は未来のために使うべきって言っていたのはあなたじゃない」

「そうなんだがやっぱりよ、俺の作った飯をうまそうに食べてる爺ちゃん見るととてもそんな気は起きねぇんだ」

「まさか、自分だけ介護を続けるって言うんじゃないでしょうね」

「そのまさかだぁ」

 またしてもライは笑う。まるで自分の願いが聞き入れられることを信じて疑わないよう。

「許さないわ。そういう秩序を乱す者がいると必ず追従する者が出てくる」

「かもしれねぇが、俺は今からかぐや様に直訴してくるんだ。うちの爺ちゃんだけは残してくれってな」

「そんなこと許されるわけがないでしょう。あの集会の後に若者の間だけで極秘裏に行われた国民投票で地球送還計画案は可決されたんだから」

 そう、あの夜の後、若者の総意を確認するために月では極秘裏に五十五歳に満たない若者だけで国民投票が行われた。その結果は地球送還計画に賛成の票が過半数を大きく越えた――ことにされた。若ければ若いほど、つまりは二十から三十代の者が力強く賛成の意を示したのだ。四十代、五十代の者は自分の将来を案じて異議を唱える者ももちろんいたが、代替案を持たない初老の人間の意見など若いエネルギーに黙殺されてしまった。擬似民主的に決まったのだ。

「そこをなんとか」

 どうしてライは加菜にそんな話をしたのだろうか。そして、加菜にはある疑問が持ち上がった。

「……ねぇ、もしかして私が媼と翁に別れを言えていないと予想してここにきたの? 私があなたの味方になると思ってきたの?」

「……。」

「私の覚悟を舐めるな! 私はあなたとも加那とも違う」

 加菜は思い切りライを突き飛ばした。あまりにも強い力であったために。加菜よりも一回りも大きいはずのライの身体は羽虫のように吹き飛んだ。ライは力なくその場に座り込みながら、

「そうか。ごめんなぁ。でも加那よぉ、自分の幸せだけが全てじゃないのかもしれない。 俺ぁ、一人で行ってくる」

「そんなこと分かっているよ」

 加菜は素早く玄関のドアを閉めると、その勢いのまま居間に向かった。衝動的な別れほど後悔するべきものはない。しかし、同時に衝動的な別れほど別れやすいものはない。彼女が切り出した負の提案は、意外にも優しい愛で返されるのだから加那が涙を流すのも無理はなかった。

「おじいちゃん、おばあちゃん。話があるの」

「何だい?」

 生命の危機に気付かないのは年老いたからなのだろうか。本能が鈍っている。死を敏感に感じることが出来なくなっている。

「月の財政が悪いのは知っているでしょ? 限界ギリギリの中で月は生きている。あと数年もすれば福祉にお金が回らなくなる。年長者をいたわることが難しくなる。おじいちゃんとおばあちゃんは今はまだ不自由なく身体が動くけど、動けなくなった時に国は助けてくれない。おそらく私もこれまで以上に労働をさせられて介護が出来なくなる。 ……だから、移住してくれないかな。もっと快適な場所があるのよ」

 加菜の口から出た巧妙な嘘は真実でもあった。実際、このままの状態では首が回らなくなるのは事実であったし、福祉介護費が減額されるのも当然の未来と予想された。加菜は出来るだけ淡々と説明に従事したが、それは媼と翁だけでなく自分にも言い聞かせるためだったのであろうか。ともかく特筆すべきは媼と翁は終始穏やかな顔であったというところだ。

「ごめんねぇ。そうだよね。若い人に迷惑かけちゃいけないよね」

「移住か。まだ動けるうちに面倒を見てもらえる施設に行く方がいいのかもしれないのぉ。加那ちゃんのことが大好きだから、加那ちゃんの迷惑になりたくない」

 穏やかな笑みであった。悲しい顔一つ見せないのは年長の技。

「ごめん。でも、新しい場所は良いところだから」

「加那ちゃんがいなきゃどこもいいところじゃないんよなぁ」

「お父さん! わがまま言わないの」

「……ごめん。ごめん」 

 地球に向けたコールドスリープは嫌に冷たかった。加菜は自分の身体をさする。借り物とは到底思えない主観的な寒さであった。

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