第3章

「初めまして! 私、加那って言います。宜しくお願いします」

「待っていたよ。私は媼、そして、あっちで盆栽にかまけているのが翁」

 笑顔がとてもチャーミングなおばあちゃんとの最初の挨拶は台所であった。コーディネーターに従って、科学技術の匂いが不自然に消えている、古民家以外の表現のしようがない家に来た加那はホームステイ先の翁と媼に挨拶をした。かぐや王国に住む者は、絶対に祖父母と暮らさなければならない。生まれてきた赤子はすぐに両親の元を離れ、父方もしくは母方の祖父母の元に送られる。なぜなら、子どもの父と母の若いエネルギーを子育てにつかうのは勿体ないから。第一子は父方に、第二子は母方に引き取られるというのがほとんど慣例となっている。また、自分の祖父母がいない者、もしくは外部からの移住者は、孫が存在しない他人の祖父母の元へと出向して共に生活しなければならない。加那はインタビュアーから渡されたハンドブックに書かれていたこの注意書きをまたしても見落としていた。加菜は、コーディネーターに抗議して入国を取りやめるべきだと主張したが、加奈はどっちでも良いと思っていた。じゃあ、加那はどうだったかというと、むしろ喜んでいた。加那は十七歳で地球を離れて以来、家族の愛を肌で感じることはなかった。受話器ごしの愛は偽物みたいに冷たくて、それが花奈との疎遠の理由の一つでもあった。新しい家族の誕生は、加那にとって賑やかで華々しい未来。老人が足枷に感じる未来は到底先に見えた。

 それから、翁と媼は加那を初孫のように可愛がって、労働に従事する加那をいつも気持ちよく見送った。労働力が全然足りていないかぐや王国では、若者はただひたすら強制的に働かされる。毎日十時間は軽く働かされるので、若者たちのフラストレーションはピークに達していたが、まだまだ精気にみなぎっている者もいた。その違いというのはあまりにも顕著であって、限界の若者は恨めしそうに言う。

「加那、お前のとこはいいなあ。まだ爺さんと婆さんが動けて」

 大きいおにぎりを頬張りながら加那に絡んでくるのはライだ。いつも変わりばえしない自分の昼食と温かい匂いがする加那の昼食を見比べている。

「食べる? ふきのとうの煮物」

「本当に? いいのか?」

「うん」

 加那の返事を聞く前に、ライは弁当箱に指を突っ込んでそれを奪い取った。口いっぱいに飯を放り込んだ後、それを続けて押し込んだ。

「うめえ~。懐かしいなあ。うちの婆さんも昔はよく作ってくれたんだ」

 加那は媼の料理が褒められたことが自分のことのように嬉しかった。媼の弁当は毎日茶色ばっかりだったが、そこにはしっかり愛情が入っていた。

「加那よぉ、悪いことは言わねえ。ニューワールドでも地球でもいいからすぐに帰りな。お前は俺と違って、血の繋がった自分の爺さんと婆さんじゃねえんだろう。面倒みてやる必要なんてお前にはねえんだよう」

 ライは口角に飯粒をつけながら悲しそう。祖母が死んでからライは変わった。以前はシャキシャキと働き、誰よりも労働の素晴らしさを熱く語っていたが、今は生気の無いマリオネットみたいに盲目的に働いている。彼の祖父は祖母に家事を任せっきりで、家のことなど何も出来ない男だった。そんな男が妻を亡くしてから急に家事ができるはずもなく、全てはライが引き継ぐことになった。三食の用意も、川で洗濯するのもライの仕事になった。当の祖父は何にも刈れないような細腕で山に芝刈りに行くだけ。彼の肩にのった命は消えそうなほど頼りないのに酷く重たかった。

「でも、私は翁と媼が好きだから。家族に血の繋がりは関係ない。心の繋がりさえあれば家族なのよ」

「優しいお前らしいが、将来確実に苦労すらあ。命っていうのは次の世代のために使うもんだべ」

「それは人それぞれよ」

「いいや、違う。地球でもニューワールドでも共通な生き物の不変の原理だ。『老人の介護をしながら誰もが幸せな世界を創りなさい』 この問題は月の偉い学者さんでも解けやしない。正真正銘の無理難題なんだ。多分、かぐや一世様はいつかこうなることが分かっていたんだよぉ。だから、無理難題にめげないことって掟があるんだ。オシャレな洒落でもなんでもねえ。無責任な責任転換なんだよ」

 ライはいつになく熱く語るとその場を去っていった。彼のボロボロの服も、年季の入った桑も強い説得力を放っていた。しかし、なぜか彼の背中だけは辛そうに否定している気がする。加那は振り払うように弁当をかき込むと午後から始まるバリアフリー工事に備えて少し寝ることにした。

 かぐや十四世は視察のために現場を見に来ていた。視察のためにという言葉に含まれる意味合いは、現場の労働環境を知るためとか、工事、または農業の進行具合を見るためとか責任者のテンプレートではなかった。一人の女を見に来たのだ。加那という名前の女を。この世界を救うことになるやもしれない女である、と占い婆が言うから画策してわざわざ王国まで来させたのだ。先日の決意からかぐや十四世はある壮大な計画を進めている。親密な従者たちは地下より深いアンダーグラウンド下で動き回り、地球に根回ししているところだった。加那に期待するのはニューワールドへの根回しで、今回はその交渉にやってきたわけだが様子がおかしい。畑のすぐそばの原っぱの上で飯を食うライと加那の話を木の影に隠れてこっそり聞いていたが、加那はどうやら血の繋がらない祖父母さえも愛する女なのだ。すぐに嫌気がさしてニューワールドに帰ろうとしますよ。正義感を上手く転がして焚きつけてやれば、かぐや様の大きな力となりましょう。そんなことを従者が言うからわざわざ来たと言うのに加那は計画に使えそうもない。むしろ、ライという男の方が見込みがある。眠る加那の横に立ち、切り株に腰かける従者に聞いた。

「この者が使えると思うか?」

「そうは見えませんね」

「お主が呼び寄せたのじゃろう。入国審査インタビュアーの恰好をして合格印を押してやった、と得意げな顔して言うておったじゃないか」

 見覚えのある女が気まずそうに俯いている。切り株に座る不敬に気づかないほど動揺しているとも考えられたが、どうにも違うらしい。

「そうなんですけどね。私は占い婆の意見に従っただけですし。それに何ていうかこんな能天気じゃなかったんですよ。もっと聡明にみえた」

「馬鹿者! 若いお主たちがそんなんでどうする? これからは若い力だけで生きていく世界を創るんじゃぞ」

 かぐやは自前の扇子を振るう所作で従者の頭を小突いたが、彼女はヘラヘラと笑う。

「今でも若い力だけで成り立っていますけど」

 もう一発従者の頭に入りそうな雰囲気を打ち破るあくびが聞こえた。すぐさまかぐやは扇子を袖にしまう。

「ふあー、よく寝た。さあ、仕事に行きますか。あれ?」

「おぉ、そなた疲れておるのかな?」

「いいえ、すこぶる元気です。ニューワールドの時は一人暮らしで寂しかったから、こっちに来られて充実した生活を送っています。で、あなたはどちらさま?」

「この方は何を隠そうかぐや十四世様であられる!」

 先ほどとは打って変わって恭しく言うものだから、かぐやは再び扇子を振るいたい欲求に駆られたがすんでのところで止まってみせた。

「かぐや様!」

 加那は跪いて足元をみる。煌びやかな金が装飾された靴はいかにも姫であることを知らせる。

「失礼いたしました。かぐや十四世様とは知らずに働いたご無礼をお許しください」

「気にするでない」

「有難うございます。私は加那と申しまして、三か月ほど前にニューワールドから越してきた者であります」

「知っておる」

 変に場が沈黙するから加那は自分の意見を求められていると勘違いして、

「左様でございましたか。え、えっと、私はかぐや王国に来ることができて、その、幸せに、」

「耳触りの良い挨拶はもうよい。私はお主にこの国に対する本音を聞きに来たのだ」

「本音ですか?」

「そなたは地球出身だとか。年老いた両親を置いてニューワールドに来たのであろう」

 かぐやは意地悪く『置いて』という言葉を使った。扇子で顔を隠し、見下すような目つきで加那を見る。

「はい。私は両親と共に地球に残りたかったのですが、若いお前は地球にいてはならないと母に言われてやむなくニューワールドに行ったのです」

「それは本当か?」

 加那は固まって動けなくなった。まるで心臓をわしづかみされているようで。地球を脱出したあの日の母の顔が、寂しそうにベッドに横たわる父が浮かぶ。

「……いいえ、本当は私の中の加菜が両親を置いて、無理やりニューワールドに逃げたのです」

「お主はその時どうしていた?」

 かぐやは間髪入れずに加那に問う。扇子の先で加那の頭をぐりぐりとなじる。

「私の身体の中で黙って見ておりました。母に嫌われたくないが故に、厄介ごとを加菜に押しつけて逃げたのです」

「ずるい女よのう。両親と自分の幸せを両立させるのは無理難題であったから、自分自身で解決出来なくて逃げたわけだ」

 いやらしく加那の過去を回顧する。ただそれは、言葉は悪くても紛れもなく真実であった。加那は俯いて、

「……左様でございます」

 そう加那が言い終わった瞬間に、かなが怒鳴り声をあげた。

「いいえ、違う。かぐやだかなんだか知らないけども勝手に加那を知ったような口をきくな!」

 かぐやは突然の出来事にビクッと肩をすくめるも、すぐに取り直して眉をひそめる。

「お主は?」

「加菜よ」

 憤る加菜は鼻息を荒くしながらかぐやを睨む。赤いカラーが目の奥底にみなぎっていた。

「そうか、そなたが聡明なかなというわけだな。のう、加菜よ。加那を苦しめたことは詫びよう。そうでもしないとお主が出て来てくれなかったから仕方なくやったのじゃ」

「私に用があるって言うの?」

「加菜、お主のこの国の感想を聞かせてもらえぬか?」

 加菜は苛立ちに任せて全てを話した。加奈が加那を慰めている間にこの国の内情を全てぶった切ってやった。ライの言う通りこの国は間違っていること。つまりは、未来がないこと。生産性の低い老人の命はたとえ血が繋がろうとも労わるに値しないことを懇々と話し続けた。その間、かぐや十四世は満足げな顔で静かに聞き続けた。加那はこの国を救う存在ではないが、加菜は自分に仕えて最高の働きをしてくれるに違いない。

「加菜、私と共に国を変えてくれないか?」

 穏やかな笑み。加那は理解できない。

「私が? それは……出来ません」

「なぜじゃ。お主が必要なのだ」

「私は国のためには働きません。加那の幸せのために働くのです」

「加那は数年も経たずに苦しむぞ。媼と翁ももう年だ。健康に生きていることが出来るのは今だけじゃろう」

「加那は優しいから、笑って介護するはずです」

 かぐやから目を背けたのは後ろめたさがあったから。かぐやは暗い部分にしっかり光を当てる。

「そんなわけなかろう。父と母の面倒を見ることを辞めて逃げたのはどいつだ」

「加那は本当に残りたがっていた。加那の身体を奪ってニューワールドに飛んだのは私だ。お母さまと私が画策して加那を逃がしたんだ」

「じゃあ、また逃がすのか? 加那が介護に疲れて衰弱したら、お主が加那をニューワールドに逃がすのか。良い言い訳じゃな。私は残りたかったのに、私の中の加菜がやったんですってかい。結局加那は甘い蜜だけすする汚い女よ。優しいところなど一つもありゃせん!」

 加菜は言い返せなかった。加那のために加菜と加奈は犠牲になる。いつも損な役回りで辛い思い出ばっかりだった。母に愛されたい気持ちは加菜も加那も加奈も変わらない。それでも加那のために苦汁をなめてきた。それは加那を愛していたから。加那の人生のために、加菜という人格として尽くすことは彼女の生きる意味だった。でも、当人の加那はいつだって知らん顔。他人の苦労を知らずに生きる加那に教えてあげたくなった。かな全員を一番幸せにできるかなは私である、と。

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