雨の次の日
晴天です。
夜通し雨を降らせた雲はどこかに消えてしまったようです。
風が少し強いですけれど、散歩に行くことにします。私は散歩が好きなのです。
お供はゴールデンレトリーバーのジャン。
カーディガンを羽織り、外に出るとやっぱり冷たい風が吹いていますが、むしろプールで泳いでいるみたいに気持ち良いです。私は泳ぐのも好きです。
しばらく風を浴びていると、ジャンがぐいとリードを引っ張るので、よろめきながら、道路に飛び出し、わあと声に出して言いました。
青空を映す水たまり。
太陽の光でキラキラしている雑草。
雨宿りを終え、巣から出てきた鳥たち。
雨上がりの空はこんな素晴らしい景色を残してくれたのです!
ただ歩いているだけで楽しくて、ジャンと競い合うように先へ先へぐんぐん進みます。目指すはドッグランです。今日はフリスビーを用意しているのです。たくさんジャンと遊ぶつもりです。ほとんど走っているようでしたが、ちっとも疲れません。私たちと同じく散歩をしている人たちとすれ違うたびに元気が良いねえと言われますが、歩みは止まりません。
ドッグランの芝生が見えてくると、私の真横をすごい速さで自転車が通り過ぎていき、チリンとベルを鳴らされ、ジャンが「ばうっ!」と吠えます。
「吠えちゃだめよ」
私はなだめますが、ジャンは
「ばうっ! ばうっ!」
と吠え続けます。
どうしたのでしょう。
ジャンは吠える子ではありません。自転車の姿はもう見えないのにずっと吠えています。不思議に思っていると、急に辺りが暗くなりました。
「ばうっ! ばうっ!」
ジャンが歯茎を剥き出しにして姿勢を低くします。まるで誰かを襲おうとしているようでした。
ジャンは誰に吠えているのでしょう?
やがてジャンが上を向きます。上? 私も見上げます。
真っ黒な塊がいました。
巨大な黒い塊が空を覆っているのです。
あまりに大きくまるで空がそれに塗りつぶされてしまったようでした。
「ばうっ! ばうっ!」
ジャンは吠えます。
すると黒い塊から膨れ上がった指をした短い手が、大量に生えてきました。私は悲鳴をあげます。それぞれの手は上下左右にでたらめに生え、重なり、うごめき、まるで芋虫が集まっているようでした。寒気がしました。私は小さなころ、芋虫が服の隙間から背中に入ってきたとき以来、芋虫が怖くてたまらないのです。
大量の手は私に見せつけるようにわさわさと動いたあと、一斉に降ってきます。
隠れる場所はありません。
一つの手が私の頭に落ちました。髪の毛をぎゅっと掴まれ、上に引っ張られ、ぶちぶちと髪が抜けていき、足が地面から離れかけます。さらにもう一つの手が私の左腕を掴み、三本目の手が右腕に爪を突き立てると完全に宙へ浮いてしまいます。私はあの、得体のしれない黒い塊の元へ連れていかれるのでしょうか。
そんなのいや! そう叫ぶと、
「ばうっ! ばうっ!」
ジャンが私の頭より高く飛び跳ね、髪を引っ張っている手に噛みつきます。手は黒い水のようなものを噴き出し、千切れます。ジャンは着地するとすばやく体勢を整え、また飛び、私を襲う手を次々にかみ千切っていきました。私は解放されお尻から地面に落ちました。
ジャンがすぐに駆け寄ってきます。
私はジャンにありがとうを言うつもりでした。
しかし、そのときです。私の目の前で、新たに降ってきた手がジャンの後ろ脚を握り、ジャンを持ち上げます。
「きゃうんっ」
「ジャン!」
私は足を踏み出し、ジャンに手を伸ばそうとすると、足がもつれ転げました。
そうしている間にジャンが逆さまのまま宙に浮かびます。ジャンは体をひねり、後ろ脚を握る手にかみつこうとしますが、届きません。わんわん吠えながら、高く高く上がっていきます。ジャンの茶色の目が私を見つめていました。
あっという間に、手は私のジャンを連れ去っていきました。
ジャンだけではありません。
町のあちこちから子供や猫も連れていかれるのが見えました。
大量の手は空を覆う黒い塊の中心に集まっていきます。私はそれを見ていることしかできません。
黒い塊がぶるぶると震えました。
まるで何もできない私をあざ笑っているようでした。
それが合図のように、集まった大量の手がまるで粘土でもこねるみたいに動き、掌の中にいるジャンたちを丸め、潰しました。遠く離れ、私には聞こえるはずがないのに彼らの悲鳴が聞こえました。
「うええええええええええええええええええん!」
みんな痛くて泣いています。
でも私は彼らを助けることができないのです。
ああっジャン!
日が暮れてしまうと思うほど長く悲鳴を聞いたころ、突然、地平線から光が差しこみました。
黒い塊が端から消えていきます。
まるで黒雲が霧散していくようでした。
同時に私の中からジャンが消えていくのがわかります。
ジャンと過ごした思い出が奪われていきます。
黒い塊がすべて消え失せたとき、私はジャンを完全に失うのでしょう。きっとそうなのです。でも。
絶対に忘れない。
忘れてなんかやらない。
私はそう思いました。
まばゆい光が目を刺します。
散歩の途中だったことを思い出し、私はまた歩き始めました。
見上げると、美しい青空が広がっていました。この空を見るためにきっと明日も散歩をするのでしょう。
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