飲霊水
唐突に喉の乾きを自覚して、水を飲まねばと冷蔵庫から500mlミネラルウォーターを出し、コップに注ぎぐいっとやろうとすると、水面に女の顔が映っていて危うくコップを落としそうになる。
テーブルに水が少し溢れたのを拭き、改めてコップを真上から見下ろす。
女の顔は生きているものとは思えないくらい目が落ち窪んでいる。まるで眼窩にクレーターができているみたいだ。そして窪みの真ん中にちょこんとある血走った眼球で俺を睨んでいる。体を動かすと、動かした分だけ視線で追ってくる。俺は呪われたのだろうか?
飲まずに捨てるか......とも思ったが止める。
もったいない。
正直気色悪いし女の顔も怖かったが、我慢して一口飲む。
味は……普通の水だ。
一旦口を離すと、水面に映る女の顔はまだ俺を睨みつけている。顔全体がティッシュを丸めたみたいにくしゃくしゃに歪み、俺に圧をかけてくるが、一口飲んだ以上は二口も三口も変わらないだろう……変わらないよな? だよな? とビビりながらも飲み干す。
しかし飲んだら飲んだで、今度は幽霊を飲んだら何が起こるのか? そういう不安が湧いてくる。
俺はその日、ずっとビビっていて、少しでも心霊的な変化があったらすぐにお祓いしてもらおう、と神社の周りをうろうろしていた。不審人物にしか見えないだろうけど、俺は本気で祟りがないか心配だったし、五時間くらいは神社の周りにいる。
だが特に何も起こらない。
もしかして、あの幽霊は単に顔が怖いってだけの幽霊じゃないのか?
俺を睨みつける程度の害しか及ぼさないんじゃないのか?
というかもういないのでは……という期待半分で家に帰り、コップにミネラルウオーターを注ぐと女の顔が俺を睨んでいる。
俺はまたコップを落としかける。
勘弁してくれと思うが、実害は出ていないし仮説が正しそうではある。方針はそのままだ。相変わらず怖すぎる顔を見ないようにして飲み干す。
自分から飲んでおいて俺はやっぱりビビりながら寝る。夢の中にあの女が出てくるんじゃないか? 朝起きたら俺は息をしていないじゃないか? だが、一ミリも怖いことは起こらず朝を迎える。拍子抜けだ。
そういうわけで明らかな祟りがあるわけでもないし、怖いという気持ちは減って、さすがに慣れる。女の顔を見て、一体何を恨んでるんだろうなとか想像を巡らすこともできるし、愛着みたいなものも湧いて、飲むとき「おす、いただかせていただきます」と言うこともできる。返事なんて返ってくるわけないけど一応飲ませて? いただいているわけだしな。
まあでもしょせん、500mlペットボトルだから、一日も経てばほとんどなくなる。せいぜいあと一口分しか残っていない。
ちゃぷちゃぷペットボトルを揺らし、よく幽霊なんて飲んだな~と思う。我ながらあっぱれ。
さらば怖い顔。
お別れだ。
もうお互い顔を見ることはないだろう……そう考えると、たった一日の出会いではあるけれど、寂しいような気がしないでもない。
最後の一杯をコップに入れ、女の顔が睨みつけてくるのを受け止めながら、飲む。これでペットボトルの中は空だ。幽霊はもういない。ペットボトルをごみ箱に投げると外れる。めんどくさい。俺は床に転がったペットボトルを拾おうとしてかがむと体に力が入らなくて、倒れる。
うん?
助けを呼ぼうとするが、全身が震えるばかりで声を出すこともできない。鼻と口から血交じりの泡が出ていて、寒いし痛いし、たしかな死の予感がある。それが避けられないこともわかる。
俺の中で女の顔が笑っている。
幽霊を飲むとか体に良いわけもなかったんだ。
飲んだあとから色々心配するくせに、なんで俺は想像できなかったのかな。いや想像したくなかっただけだろうけど。
俺が死ぬまであともう少しかかりそうだが、とにかく苦痛しか感じないから早く死にたい。
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