キミはそのまま朽ち果てろ
負傷者が収容される騎士団支部の医療室。
ベッドが六つある大部屋は今はそこで眠っているソラの占領状態だった。
ベッド横の丸椅子に座り、横たわっているソラに視線を落とす。
包帯とギプスだらけのひどい有様だったけど、ソラは苦しげな様子もなく穏やかな寝息を立てていた。
「……軍医様が言うにはとりあえず命に別状はないそうよ。ただ、全身の打撲傷と数か所の骨折と筋断裂。それと重度の魔力欠乏症……少なくとも数日はまともに起き上がることもできないだろうって」
傍らに立っていたミリーがソラの容態を語る。
「腕の良い治癒魔術士なら骨折や筋断裂くらいすぐに治せるけど、今のソラ君にそれを使うのは………」
「治癒系の魔術は魔力を同調させて被術者の回復を促す術だからな。限界を超えて魔力を引き出したコイツにはかえって逆効果だろうな」
「……ええ。他者から魔力を補給することも出来なくはないけど、黄属性の使い手は他の属性と違って極端に少ないから」
七原色の内、統計的に多いのが《赤》、《緑》、《青》、の三色だ。
多くの魔術士がこの三色のいずれかに属する。
対して《黄》、《白》の使い手は非常に少ない。
そして治癒魔術とは基本的に白属性の独壇場だ。
その理由は白の魔力が他の六色との同調率が高く、治癒魔術に対して適正が高いことにある。
ゆえに白属性の魔術士は相対的に治癒術士を目指す場合が多く、高位の治癒術士ならば切断された四肢を数分で繋げることも可能だ。
とはいえ失った四肢を一から再生させるなんてことは出来ないし、同調率が高いと言っても魔力を補給するだけなら同属性の魔力の方が断然効率が良いのだけれど。
「ごめんなさい、アウローラ」
「お前が謝ることはないだろ。喧嘩を売ってきたのは向こうのバカ貴族だし、決闘にまで煽ったのはあのクソ団長だ」
それに護衛役でありながらこの子から目を離したのは私のミスで、この子を守るのは本来私の役目だった。
私にミリーを責める資格はない。
「……ごめんなさい」
「だから、お前のせいじゃないって言ってるだろ。罪悪感を薄めるためだけに言っているなら不快なだけだ」
謝罪を繰り返すミリーに少しだけイラついて、つい言葉が荒くなってしまう。
これ以上しつこく言ってくるようなら頬の一つでも張ってやろうと振り返った。
けれど、続く言葉を私は呑み込んでしまう。
想像していた罪悪感に満ちた表情はそこにはなく。
ミリーは何故か頬を赤らめ、高揚したように息を荒げていた。
「……ミリー?」
「ごめんなさい、アウローラ……私、さっきからおかしいの。心臓がバクバクして、身体中が熱くて。ウェルズリーのこと殺したいぐらいムカついてるのに。そんなこと、どうでもよくなるくらいに今、私……昂ってる」
ミリーは両腕で自分の身体をきつく抱きしめる。
まるで、暴れ出しそうな感情を押さえつけるような仕草。
「……あはは、不謹慎よね。ソラ君がこんなに傷ついてるっていうのに……でもね、ソラ君はこんなになるまで戦ってくれた。本人は違うって言ってたけど、私の名誉を守るために。あれほどの大器を持つ人が、私みたいなちっぽけな存在のためにそうしてくれた。それが、私はたまらなく嬉しいの」
「………」
「ねえ、アウローラ。やっぱりこの子は騎士団に入るべきだわ。この子はいずれ英雄になる。その資質がある。魔術の才能以上に、その在り方が人を惹きつける。人魔大戦で聖王を失ったこの世界には新しい英雄が必要なの。ソラ君ならきっと、その役割を―――」
「―――ミリアリア」
言葉は思いのほか低く、力が籠っていた。
熱くなっていたミリーの言葉を一気に冷ますほどに。
「それを決めるのは少なくともお前ではないだろ。弁えろ、ミリアリア。英雄っていうのは資質さえあれば成れるような軽いものじゃない――違うか?」
英雄が求められるのはいつだって戦場という名の地獄だ。
痛くて、苦しくて、殺し殺される最低最悪の地獄。
そんな中に在りながら、決して絶望することなく、光を放ち続け、誰かに希望を与える者こそが本物の英雄だ。
軽々しく名乗るものじゃないし、成れるものでもない。
「………」
ミリーは、気まずそうに視線を逸らす。
それから重苦しい声で呟いた。
「……そうね。貴女の言う通りだわ。なんだか熱に浮かされて余計なことを言ったみたい……少し、頭を冷やしてくるわね」
言って、ミリーは医療室の出口へと歩み寄っていく。
ドアノブに手をかけると、そうそう、と振り向いた。
「団長が連絡をとったみたいなんだけど、アークレイ市長も後ほどこちらにいらっしゃるそうよ。仕事を片付けたらすぐに向かうから、貴女も帰らずに必ず残っていろ、ですって」
「……マジか。このことセリアに報告したのか? なんて命知らずな真似を……」
セリアは身内には比較的甘いけど、その分身内を傷つける相手に対して容赦がない。
……本当に、人死にが出ないことを祈るばかりだわ。
ミリーが出ていくのを確認した後、改めてソラへと向き直る。
ソラの意識がないことを確認して、私は溜まったものを吐き出すように深く息をついた。
「……英雄、か。まあ、ミリーの気持ちも解らなくはないけど」
諦めない意思。揺るぎない心。
自分よりも強大な者を相手を前に、それでも逃げずに立ち向かえる者が一体どれほど居るというのだろう。
仮にも騎士を名乗る者が、その雄姿に心を打たれないはずがない。
そんな奮戦をした少年は今はこうして私の目の前で安らかに寝息を立てている。
「……人をこれだけ心配させて呑気なものね、君は」
無防備な顔で眠るソラを見ていたら、なんだか段々と腹立たしくなってくる。
頬を抓ってやると、ソラは痛そうに「うぅ」と顔を顰めた。
……正直、あの戦いは観ていて本当に心臓に悪かった。
それほどまでにこの子の戦い方は無茶で無謀だった。
一歩間違えば本当に命を落としていたかもしれない。
だからこそ、あの戦いは騎士たちの心を惹きつけてやまなかったのかもしれないけれど、それでも少しぐらい頬を抓ってやってもバチは当たらないと思う。
「……そもそも君は馬力が低すぎる。薄っぺらな魔力を掻き集めたところで、実力が大きく乖離した相手には決定打にはなりえない。すべての魔力を振り絞ってようやく倒せるようじゃ話にならないわ」
「……………」
「それに魔力のコントロールも甘い。戦闘中に完璧に魔力を制御するのは正規の騎士でも至難の業。実際君も後半は疲労と緊張で制御がかなり乱れていたみたいだしね」
「……………」
「それと前に出過ぎ。攻撃は最大の防御、なんて言うけど、それも場合によりけりよ。格上相手に無策で特攻するなんて自殺行為以外の何物でもないわ」
「……………」
眠るソラを相手に、思ったことを率直に告げ続ける。
意識のない相手に語りかける程無駄なこともないと思う。
けど、ここまで人を心配させた大バカ者に対して素直にアドバイスするのも癪だ。
このことは後でミリーにでも伝えさせればいい。
「それから―――」
「……………」
「それから、」
「……………」
「それから………」
「……………」
「……君は、どうしてそんなに強く在れるの?」
「……………」
気づけば、ぽつりと胸に抱いた弱音を吐露していた。
ソラは未だ深い眠りについていて応えない。
私はソラの頬から手を離し、包帯が巻かれた額にそっと触れる。
ソラの表情がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「……君には、才能がある」
そのことに間違いはない。
戦術の工夫と発想。天性の勝負勘。
それでも、いくら才能があったところで、現時点でのこの子の戦闘能力は決して高くはない。
にもかかわらず、この子は立ち向かった。己よりも強大な相手を前にして背を向けなかった。
命懸けの実戦と安全が保障された模擬戦の違い?
いいえ、違う。
たとえ模擬戦であろうと、安全を保障された魔術戦などあり得ない。
それに先ほどの戦いには実戦さながらの緊張感があった。
この子はきっとどんな困難においても目を背けずに立ち向かうのだろう。
そしてそれは、私には無い強さだった。
「………私は、立ち向かえなかったのに」
「―――そうだね。逃げ出したキミには、一生解らないのだろうね」
その時突然、声が飛んだ。
ぎくり、と身体が強張る。
その声音はひどく懐かしいものだった。
不意に現れたありえない声に意識が凍りつく。
ウソだ。
私はよろよろと立ち上がって――そして、信じられない思いでその姿を視界に収めた。
十年前の、記憶の中の姿からは大分幼くなっている。
けれど、その存在を間違えるはずがない。
常にあの人の傍にいた、あの人と共に在った――――
「アル、カ……?」
「さんぐらい付けなよ、無礼者。いや、今はキミがボクの
そんなことを言って、目の前の少女はくすくすと笑う。
けど、それは決して親愛の笑みなんかじゃない。
地を這う虫を眺めるような……そんな、嫌悪と侮蔑を孕んだ酷薄の笑み。
「なん、で―――」
「なんでお前がここにいる、なんてありきたりな質問はしないでくれよ。ボクは〝聖霊〟。〝聖剣に宿る意志〟だ。 歪な形ではあるけど聖剣はキミが継承したのだから、ボクがここにいるのは至極当たり前のことだろ?」
そうだ。
彼女の言っていることは正しい。
目の前のこれはそういう存在で、そして聖剣は今私の中にある。
けど、だからこそ彼女がここにいるのは理屈が合わない。
彼女が聖剣に宿る意志だというのなら、彼女はあの日―――
「違う。貴女はあの日消えたはずだ。私はそれを見た! 聖剣はあの日、魔王によって砕かれたッ!」
「あー、そうだね。うん。確かに
眩暈がする。
呆れたように肩を竦めるアルカに、私は自分でも理不尽だと思う感情を抱いた。
今更……そうだ、今更だ。
十年も経ったのに、どうして今更現れた。
どうして、あのまま消えていてくれなかった……っ!
「……何の用があって私の前に来た。私に、恨み言でも言いに来たのですか?」
「キミって本当に卑屈な考えしかできないよね。心配しなくてもキミに用なんかないよ。今のところ、ボクの興味はそこにいる彼だけさ」
アルカが眠っているソラを指差す。
「……? その子が一体何だというのです。その子の失った記憶に貴女が興味を引かれるほどの何かがあるとでも言うのですか」
「過ぎたこと、終わったことに関心はないよ。それよりもボクはその子の未来を見てみたい。その子がこれから紡ぐであろう新しい物語をね。さっき出てった彼女……ミリーだっけ? 彼女も言ってたけど、その子はいずれ英雄となる。多くの英雄を見てきたボクが断言する。その子は資質は〝本物〟だよ。キミとは違ってね」
「……ッ」
……ああ。
自分でも分かってるわよ。私が偽物だってことくらい。
だって、私は本物を知っているから。
あの人のそばにいて、問答無用で思い知らされたから。
私はどう足掻いてもあの人のようにはなれない。
……でも、
「……なら、私を偽物と呼ぶ貴女は何なんだ? 何もしてくれなかったくせに。何も守ってくれなかったくせに。聖霊なんて御大層な肩書を名乗っておきながら、カイル様を救ってくれなかったくせにっ!」
激情のままに叫んだ。
ああ、こんなの八つ当たりだ。
私にこんなことを言う資格がないことも分かってる。
けど。
それでも、十年間ずっと溜め込んでいて、言わずにはいられなかった私の本音。
「何が終わったことに関心はないよ……ふざけないでよ。あの人の死はそんなに軽いものじゃないでしょ? カイル様の人生はっ、お前なんかを愉しませるためにあったんじゃないっ!」
大切な人を亡くして、どうしてそんな簡単に終わったこととして切り捨てられる?
あれからまだ、十年しか経っていないっていうのに。
未練も、後悔も。
私の中では何一つ終わっていないっていうのにっ!
「逆に訊くけど。それならカイラードの人生は、キミのようなつまらない命を救うためにあったのかい?」
「――――――」
……その言葉に、私の思考は今度こそ真っ白に塗りつぶされた。
足元がふらふらする。
地面が急に消失したみたいだった。
カラカラに乾いた口で、何も考えられない頭で、私は反論の言葉を探す。
「カイル様が、死んだ、のは――――」
「キミのせいさ。守れなかった、なんて自己擁護の言葉で誤魔化すなよ。彼の死は紛れもなく君を救うためにあった。魔王によって瀕死の重傷を負わされたキミを救うには聖剣の加護をキミに移すしかなかった。その結果、加護を失ったカイラードは夢半ばで力尽きて死んでいった――ああ、本当に、キミさえいなければカイラードは死なずにすんだのに。そうすればボクも、より多くの素晴らしい物語が見られただろうに」
アルカはつくづく無念そうに呟いた。
「きっと、あの大戦を戦った誰もが思ったことだろうね。生き残るべきは彼だったと。彼はどんなに傷ついても、立ち上がって、前に進める人間だったから。何かを変えられる人間だったから。キミは逃げ出して、ただ蹲ってるばかりで、何一つ変わろうとしない。自分の罪からすら未だに眼を逸らし続けている。そんな愚物がただ息をしているだけの人生に一体何の意味があるっていうんだい?」
何も変えられないくせに。
生きている意味なんて何もないくせに。
どうしてお前なんかが生き残ったのだと、アルカは弾劾する。
それは、浴びせられる前に逃げたことで聞かずにすんだ怨嗟の声。
かつての仲間たちが私に対して思っただろう呪いの言葉。
「……ッ、だったら」
そう思うならなんで。
「なんであの時、聖剣の移譲を許したッ⁉ カイル様に生きてて欲しかったのなら、最初から貴女が拒否すればよかったでしょ⁉」
私だって、こんな力欲しくはなかった。
あの人のいない世界で生きていたくなんてなかった。
こんなにも苦しい想いをする破目になんて、ならなかった。
―――力も命も要らないから、あの人に生きていて欲しかった。
それなのに、どうして。
どうして私だった。
なんで、私なんかを助けたりしたの……?
「……所詮ボクは剣だ。力の行使も譲渡も。全ては契約主の手に委ねられる。意志はあれど、ボクにはそれを拒むことは出来ないんだよ。そして、あの時ボクの力を使う権利を持っていたのは――この世でただ一人、キミが生き残ることを望んだ者だった」
それだけの話だよ、と。
涙で滲んだ視界の向こうで、アルカが肩を竦める。
それからアルカは、訣別するかのように私に背を向けた。
「いいさ。元々キミに期待なんてしていなかったんだ。カイラードの死を無意味なものにするというのなら、それもいいだろう。キミは何も為さず、何も考えずにダラダラと余生を貪っていればいいさ」
無様に過去にしがみついて。
未来に絶望して。
そうして――――
「キミはそのまま朽ち果てろ」
最後にそう吐き捨てて、アルカは病室を去っていく。
私は、その背中を引き留めるが出来なかった。
こうして、私の心に棘だけを残して、私たちの十年ぶりの会話は終わりを告げた。
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