決闘⑤
ソラとウェルズリー。
二人の決闘はそれから僅か数秒で決着となった。
アウローラが騒ぎを聞きつけ、地下アリーナホールの扉を蹴破ったのはキースの宣言から二十分後。
戦闘が始まってから十五分が経過した後だった。
リングの上で対峙するソラとウェルズリー。
キースに組み伏せられているミリアリア。
静かな熱気を帯びる観客の視線。
状況は分からないが、戦況は即座に把握出来た。
ソラはまさに満身創痍という有様だった。
全身の擦過傷。
頭部からの夥しい流血。
魔力も枯渇しかけ、もはや立っているのがやっとの状態だった。
勝負の天秤は誰が見ても明らかなほどに相手の騎士に傾いている。
けれど、その時。
アリーナに集った観客は目撃した。
圧倒的弱者でしかないはずの少年が、眼前に立ちはだかる壁を打ち壊す瞬間を。
「『――お前を殴る』
変化は劇的だった。
魔力を帯びた声が静まり返ったアリーナに木霊した時、額の出血は止まり、ソラの中で尽きかけていた魔力が突如膨張を始める。
その変貌に、アリーナに集った全ての者が瞠目する。
信じられない、という驚愕。
有り得ない、という畏怖。
だが、目の前で起きたことは紛れもない真実。
――『天誓』
祈りと誓い。
覚悟と信念。
他者ではなく、術士本人を縛る『天声』。
己に課した誓いを果たすため、強制的な
本来なら魔術を覚えて数日のソラが使えるはずのない絶技。
だが朦朧とする意識の中、極限の集中と天性のセンスが、圧倒的な経験不足を補い、不完全ながらも『天誓』を発動させるに至らせた。
「……ダメだ」
『天誓』は諸刃の剣。
本来の性能以上の力を引き出す代わりに、誓いが果たされなかった時、それ以上の反動が行使した者に跳ね返る。
故に『天誓』は魔術士にとって最後の切り札。
素人が不完全な状態で行使するにはあまりにも危険で分の悪い賭け。
それでも、ソラは決して退かない。
いかに危険で分が悪かろうと、迷わず死地に飛び込み、勝利を掴み取る。
―――その覚悟が、傾きかけた天秤を再び水平に揺り戻した。
「――止まれっ! ソラッ‼︎」
アウローラの制止の声。
奇しくもその声に先に反応したのはウェルズリー。
硬直していたウェルズリーの意識が我に返った時―――彼は前進ではなく後退を選択した。
「―――ッッ‼︎」
――『天靴』。
接地面との間にある魔力を弾くことによって初速からトップスピードを弾き出す加速魔術。
既に発動直前にあった『天靴』はウェルズリーが硬直から抜け出すと同時に彼の身体を一瞬で後方へと運ぶ。
だが。
ウェルズリーは見た。
自身より遅く動き出したはずのソラが、既に自分の懐に潜り込んでいるその異常を。
「―――なッ⁉︎」
無我。無音。無拍子。
無念無想の状態から繰り出された東洋剣術の歩法――〝摺り足〟によって、音も気配も無く、ソラはウェルズリーに肉薄。
そして。
『天誓』によって底上げされた魔力を纏った拳が、これまで以上の速さと力をもって打ち出された。
「ぐっ、がッッ―――⁉︎」
ソラの拳と防御したウェルズリーの腕が激突。
風切り音に続いて衝撃が空を走り、砂埃が宙を舞う。
「ガッ、ア、アアアア―――ッッ⁉︎」
肉と骨が軋む音を脳髄の奥で知覚しながら、ウェルズリーは奥歯を噛んで痛みに耐える。
『天靴』を発動させるために足に魔力を集中させていたのが仇となった。
魔力密度の薄い箇所を狙われたら、いかに色無しといえどダメージを負うのは避けられない。
激突から数瞬。
ウェルズリーはその場を脱するため、再び『天靴』を発動させようとする。
だが、遅い。
臆した者と踏み出した者。
勝利と敗北の境界の上で、その違いが、二人の次の一手に明確な差を生み出した。
力を込めたウェルズリーの軸足を、踏み込んだソラの右足が払い、発動の出鼻を挫く。
「こ、の―――ッ!」
体勢を崩され、ウェルズリーの魔力が乱れる。
魔力は術士の精神状態によって多大な影響を受ける。
ウェルズリーの動揺は、纏う魔力にも大きな〝揺らぎ〟をもたらした。
先ほどまでのソラなら見逃していたかもしれない。
けれど、今のソラにはその〝揺らぎ〟がはっきりと〝視え〟る。
千載一遇の好機。
反撃する間を与えない。
グズグズしていたら『天靴』で逃げられる。
ソラは勝利に向かい一気に駆け抜けた。
「あああああああああああああああああああああっ‼︎」
右の拳を放つ。相手の左腕によって防がれる。
左の肘を放つ。相手の右肘によって防がれる。
右の蹴りを放つ。相手の左足によって防がれる。
息つく間を与えぬ高速の連撃―――‼︎
(コイツ……ッ! 魔力の部分強化を棄てた⁉︎)
自身の魔力操作では攻撃のスピードに間に合わないと判断したソラは、攻撃力の部分強化を棄て、常に最大出力での全体強化を選択。
魔力を集約させなければ、密度の薄い箇所を衝かれることはない。
……だが、足りない。
腐っても相手は現役の騎士。
高速の連撃をウェルズリーは悉く捌いてみせた。
(防御に徹すれば所詮コイツの攻撃は脅威ではない! 常に最大で放出していればすぐに魔力は尽きる! 『天誓』の効果もそう長くは続かないっ! 力尽きるのが先か、あるいはこちらの防御を突破するため魔力を集約させるか。どちらにしろ、そこを叩く!)
所詮、無駄な足掻きだ。
弱いヤツはどこまでいっても弱いまま。
生まれた時から人間の立ち位置は決まっている。
無様にしがみついたところで、現実は覆らない。
それをこの身の程知らずに教えてやる。
さあ、来い。
来い。
来い―――ッ!
ウェルズリーが機を窺う中、ソラは攻撃を続けるごとに腕が、足が、心臓が悲鳴を上げる音を聞いた。
しかし、それでもソラは止まらない。
速く。
もっと速く。
身体中のあらゆる
「ご――――ふっ⁉︎」
突如。
ソラの喉から胃液と血液が逆流した。
骨が罅割れ、筋肉が断裂する。
肉体の過剰酷使によって内臓が異常をきたす。
限界を超えた魔術行使によるリバウンド。
糸が切れた人形のようにソラの身体が崩れ落ちていく。
あまりにも不吉なその姿に、アウローラの背筋が凍った。
けれど。
―――まだ、だっ!
ソラの意志は折れない。
挫けない。
暗闇の先にある光明を信じ、最後まで諦めない。
必ずこの拳を、このクソ野郎に叩き込む―――ッ‼︎
「う、おあああああああああああああああああ――――――ッッ‼︎」
(―――来たッ‼︎)
その瞬間、ウェルズリーは勝利を確信する。
ソラの右拳に魔力が収束されていく。
相も変わらず稚拙な魔力操作。
魔力が収束しきる前に確実に仕留められる。
「終わりだ、餓鬼―――ッ‼︎」
絶対の確信をもって放たれた一撃。
狙いは顔面。
この不愉快な眼を顔ごと潰し、苦痛に歪ませて、地べたを舐めさせてやる。
その光景は、今まさに実現する。
――――はずだった。
「…………………………は?」
ウェルズリーは呆然と声を上げる。
予見していた光景はそこには無かった。
打った拳には空を切った感触しかない。
絶対の確信をもって放たれた一撃は、あっさりと、小石でも避けるかのような気軽さで躱されたのだ。
「……やっぱな。最初からずっと頭ばかりしつこく狙ってくるから、最後の一発も打ってくるとしたら顔面ここだと思ったよ」
ウェルズリーの一撃を躱したソラは、既に懐に潜り込んでいる。
(まさかっ、誘われたのか―――ッ⁉)
ソラの隙をついた必殺の一撃。
だが、その狙いは予測していた。
ならば躱すことが出来るのは道理。
ソラは拳に集約させていた魔力に、さらに全ての魔力を上乗せする。
収束は驚くほどスムーズに行われ、瞬きの間に完了した。
かつてない魔力量。
色無しだったはずのソラの魔力に微かな光が滲んだ。
滲んだ光は水面に溶けた絵具のように広がり、黄金の輝きを発する。
その輝きに、アウローラは目を奪われた。
黄金の色彩。
黄属性魔力の貴種。
世界を救った偉大なる〝聖王〟と同じ色彩属性。
(マズいッ、マズいッ! これを喰らうのはマズい―――‼)
ウェルズリーは最大出力で肉体を魔力で補強。
どこだ?
どこを狙う?
相手の視線、体勢、腕の角度。
あらゆる情報から予測し、そこに魔力を集約させる。
「――腹に力籠めろ」
(腹ぁあああああああああああああああああああああああああああああ‼)
ウェルズリーは全速で腹に魔力を集約。
一秒の後。
無防備となった顔面をソラの拳が撃ち抜いた。
「ッ、ぎ―――⁉」
悲鳴を上げる間もなく、ウェルズリーの身体は砲弾の如き勢いで場外へと吹っ飛ばされた。
―――ゴォォォォンッ、と。
轟音がアリーナに轟く。
その激烈なる光景を目にしていた観客たちは、その悉くが息を呑んだ。
濛々と立ち込めていた砂埃が晴れると、粉々になった観客席の上でウェルズリーが伸びている。
ピクピクと痙攣しているところを見ると、かろうじて生きているようだ。
「悪い。歯を食いしばれの間違いだった」
「―――勝者! 異邦の客人、ソラッ‼」
静まり返ったアリーナに、キースの勝利宣言が響く。
怒号のような歓声を耳の奥で聞きながら、ソラは完全に意識を失った。
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