決闘④
泣いている誰かがいた。
「お前の両親は最期まで誰かを守るために戦い、己の信じた道を貫き通した。師としてそれを誇りに思う……だが、親としては自分よりも長く、ほんのひとときでも長く、生きていて欲しかった」
強い人だと思っていた。
自分にも他人にも厳しく、何事にも揺るがない強い人だと。
けれど、その声は震え、目元には泣き腫らした跡があった。
「暁の剣は呪を祓い、魔を滅し、人々を救う守護の剣。継承者として私はこの剣を次代に引き継ぐ責任がある……だが、今となってはもうお前にそれを背負わせるつもりはない」
硬い掌が頭の上に置かれる。
撫でられている、ということに後から気づいた。
今までそんなことをされた記憶はなかったし、実際この人も慣れてはいなかったのだろう。
力加減も下手くそで、ひどく不器用な撫で方だった。
「剣も、血も、宿業も。お前たちには必要ない。暁流は私の代で終わりだ。だから、お前たちは争いの外で穏やかに生きて、幸せになりなさい」
それが、この人の出した答え。
家族を亡くしたこの人が、これ以上家族を失わないために。
祖父が孫に願う祈りの形だった。
――俯いていた瞳から涙が零れ落ちた。
父と母に置いて逝かれたのが、心の底から悲しくて。
祖父の優しさが、心の底から温かくて。
けれど。
だからこそ。
「それでも僕は―――」
涙を拭って、前を向くと、そう決めたのだ。
†
「――ソラ君! しっかりしてっ……ソラ君!」
ミリアリアの必死の呼びかけに、飛んでいたソラの意識が引き戻された。
はっ、と目を見開く。
意識を取り戻した途端、後頭部に走る激痛に再び意識を失いそうになる。
状況が分からない。
一体何が起こった――?
「……まさか、今のを防ぐとはな」
苛立ちと微かな感嘆を滲ませた声音でウェルズリーが呟く。
ウェルズリーはリングの中央に立ち、倒れているソラを見下ろしている。
「先ほどの一撃。君の『天鎧』では防ぎきれぬと判断し、全身の防御を棄てて頭部に魔力を集中させたのか。平民にしてはなかなかどうして大した才能だ」
……ああ、なるほど、とソラは得心した。
意識はまだはっきりしないが、ペラペラと解説してくれたおかげでどうにか現状は把握できた。
自分が倒れている位置を確認する。
リングアウトはしていない。
頭を殴られ派手に吹き飛ばされたはずだが、どうやら支柱の一本に運良く引っかかったらしい。
腕は……動く。拳も握れる。両の足も折れてはいない。
なら、勝負はまだ終わっていない。
己はまだ、戦える――!
「ぐ、がっ――ッ!」
痛みを噛み殺し柱伝いに立ち上がろうとする。だが足に力が入らず、腕が柱から滑り落ちて、リングに顔面から倒れこんでしまった。
「ソラ君っ⁉︎」
「なん、だ……これ?」
口の中に砂利と鉄の味が染み込んできた。
全身に力が入らない。
この感覚は―――
「魔力切れだな。素人がペース配分を考えず立て続けに魔術を行使すればそうなるのは当然だな」
「魔力、切れ……?」
言われてみれば、確かに魔力が上手く引き出せない。
汗が滝のように流れ出て、呼吸が千々に乱れていく。
「こ、の……!」
「やめておけ。今の君は意識を保つだけで精一杯だろう。これ以上無茶をすれば取り返しのつかないことになるぞ」
地面を掻きむしり、必死に立ち上がろうとするソラにウェルズリーが冷めた瞳で忠告する。
魔力の使い過ぎによる反動か、頭の奥がガンガンと痛んだ。
全身の疲労と痛みが「もう立ち上がるな」と警鐘を鳴らす。
けれど。
「くっ、が、ああっ………っ!」
諦めようとする弱い心を叩きのめして、ソラはなおも立ち上がろうと両の腕に力を籠める。
飛びそうになる意識を舌を噛んで無理矢理繋ぎ止めた。
「~~団長ッ! ここまでです! ソラ君はもう戦えません! この決闘は終わりです!」
ミリアリアが堪らずキースに叫びかける。
言われたキースが、やれやれ、という面持ちで肩を竦めた。
それから呑気そうに煙管を吹かせて言う。
「だ、そうだが。どうする、坊主? そろそろやめとくか?」
「……まさか」
虚勢を張って、不敵に笑ってやる。
まだ勝負はついていない。まだ自分は何一つ納得なんてできていない。
相手が格上なのは最初から解っていたことだ。
危険は元より承知の上。
ただがむしゃらに攻め、打たれ、貪欲に学び、そして勝つ。
それ以外に道はない。
「この程度で止めるなよ……本番はここからだろ」
「よく吠えた……なら、早く立ち上がってみせな。モタモタしてると負けにするぜ?」
――言われるまでもない。
震える身体に再び喝を入れる。
ミリアリアが、どうして、と息を呑んだ。
観客たちも足掻くソラの姿を食い入るように見つめている。
そこへ、
「……なんなんだ、お前は」
ウェルズリーが苛立たしそうに呟いた。
「どうしてそう無駄に足掻こうとする? 私と君の力の差は明白。君では私に勝てないと、そう決まっているというのに」
ぴく、とソラは表情を険しくする。
「……勝てないなんて、どうしてそんなの決まってるんだよ?」
ウェルズリーは、何を今更、と鼻を鳴らした。
「私が貴族だからだ。私たち貴族は父祖の遺志を継ぎ、何代にもわたって優秀な血を取り込み、進歩し続けてきた優れた血族だ。平民とは違う価値ある血筋だ。お前たちとでは積み重ねてきた歴史が違う。そんな私たちにお前たちが劣るのは当然のことだろうが……っ!」
後半は語気が荒くなっていた。
その言葉にミリアリアは歯噛みし、キースはどこ吹く風で紫煙を吐いた。
ウェルズリーの主張。
それは優良種たる貴族に劣等種である平民は敵わないということ。
清廉潔白を旨とする騎士団にすら今でも存在する――差別という名の偏見。
「……は、薄っぺらいな。結局、アンタの自信の根拠はそれだけか」
けれど、そんな御託をソラは決して認めない。
だから笑ってやった。
思いきり、馬鹿にするように。
「……なんだと?」
ウェルズリーが不愉快そうに眉をしかめる。
けれど、殺意の籠った眼光を浴びながらも、ソラは一歩も退く気はなかった。
ソラはボロボロの身体を引き摺って、ようやく立ち上がる。
「父祖の遺志を継いだ、だって? 笑わせるなよ。じゃあ訊くけど、アンタのご先祖様は他人を見下して、優越感に浸ることが正しいって、アンタたちに言い遺したのか?」
奥歯を噛んで目の前の相手を睨みつける。
ウェルズリーの主張に、真っ向から立ち向かう。
「そうじゃあないだろう。アンタの先祖は、つらくて、苦しくて、泣いている誰かを助けたいって、そう思って立ち上がったんじゃないのか? 自分が死んだ後にも繋いでほしいと願ったのは、そういう想いだったんじゃないのか? その想いを継がずに、ただ貴族だからっていう理由で偉いと勘違いしてるようなら、そんな血には何の価値もありはしないよ」
リングの下にいるミリアリアを見つめる。
泣いて、傷ついて、それでも前へ進もうとしているこの人が不条理に貶められることなど、ソラは到底我慢できなかった。
「……価値がない? お前は、この国の貴族に価値がないとそう言うのか?」
「馬鹿か。僕は〝貴族〟じゃなくて〝アンタ〟のことを言ってるんだよ。傷ついた仲間を見下して、恥知らずなんて馬鹿にするようなヤツに一体誰がついていこうなんて思える? そんなのは貴族でも騎士でもない。ただのクソ野郎だって言ってるんだ」
「――貴様っ!」
激昂したウェルズリーがソラへと肉薄し、拳を振りかぶった。
隙だらけの大振り。
けれど、ソラにそれを躱す余力は残っていない。
棒立ちの脳天にウェルズリーの拳が突き刺さる。
「~~~~ッッ‼」
両脚の踏ん張りがきかず、そのまま支柱と拳の間でソラの頭蓋は挟み潰された。
グシャり、という悍ましい異音。
ミリアリアの声にならない悲鳴がアリーナに轟く。
堪らずミリアリアはリングに駆け上がろうとする――が、それよりも早くミリアリアはキースに組み伏せられた。
「――ッ⁉ 団長‼」
「まだだ。まだ勝負は終わっていない」
キースはもうミリアリアを見てすらいない。
ただ、何かを期待するようにリング上の一点だけを見つめている。
「っ、こ、の―――⁉」
ビキリ、と理性がひび割れる音が聞こえた。
ミリアリアはキースを呪い殺さんとばかりに睨みつける。
「まだ、ですって? ふざけるなっ‼ あんなに優しい子が! これ以上傷つくのを黙って見てろっていうんですか⁉ 決着ならもう着いているでしょう‼ それとも、団長はソラ君が死ぬまで終わらせないって言うつも、り―――」
だが、ミリアリアの口から吐き出された怒声は、言い終えるその途中で勢いを減速させる。
無論、キースに臆したわけではない。
その時、ミリアリアはリングの上に、有り得ないものを見たのだ。
「……うそ」
アリーナにいた誰かが呟いた。
それはこのアリーナに集った全員の共通の感想だった。
先の一撃はソラをの意識を刈り取るのに充分な威力があり、下手をすればソラの命を奪っていた。
けれど、額から止めどなく血を溢れさせながら、ソラは倒れていなかった。
その瞳に宿る闘志は折れていなかった。
「――見ろよ」
ソラは己の頭蓋を撃ち抜いているウェルズリーの腕を力強く握りしめる。
鬼気迫る胆にウェルズリーが絶句した。
「これが僕の血だ。アンタと同じ赤い血だ。アンタと僕のこの血に一体どれだけの違いがある? 人の価値が決まるのは〝血筋〟じゃない。〝生き様〟だ……カッコ悪いんだよ、アンタ。アンタが本当に貴い血筋だって言うのならッ! 泣いている女の子の一人くらい守ってみやがれってんだ―――ッ‼」
轟雷の如く響く怒号にウェルズリーの総身が震えあがる。
怯んだウェルズリーは咄嗟にソラの手を外し、堪らず後方へと飛び退いた。
――なんだ、今のは? まさか臆したというのか? この私が? ありえないッ! こんな未熟な小僧などに……ッ!
動揺はすぐさま怒りに塗りつぶされる。
掴まれた右腕が僅かに震えた。だが、こんなものは些事だと己に言い聞かせる。
見ろ、相手のあの無様な有様を。
魔力は既に枯渇寸前。全身の打撲に夥しい額の出血。もはや立っているのもやっとの状態。
このまま立っているだけで恐らく相手は勝手に自滅する。
少なくともあと一撃入れれば完全に沈むだろう。
なのに―――
―――こいつ……ッ!
その眼光は些かも衰えていない。
むしろ鋭さを増している。
死に体のくせに何故か不用意に攻め込ませないだけの迫力があった。だが、それでもやはり問題はない。
彼我の距離はおよそ十メートル。
―――次で終わらせてやる。
ウェルズリーは不退転の覚悟で魔力を足元へと集中させる。
そして、その様子をソラはひどく冷静に眺めていた。
(……やばい。血を流し過ぎた)
視界が揺れる。
先ほどから額の出血が一向に止まらない。
脳に送る酸素が足りず、思考が定まらない。
(なんだか……前にもこんなことがあった気がするな)
朦朧とする意識でソラはぼんやりとそんなことを思った。
周りの音が遠くなっていき、自分の心音だけがやけに大きく響く。
不意に、ミリアリアと眼が合った。
自分を心配そうに見つめる綺麗な瞳。その瞳に音もなく滲む、透き通るような涙。
〝……おにいちゃん〟
その時。霞む瞳に、一瞬だけ誰かの姿が重なった。
ドクンッ、と心臓が跳ね起きる。
あれは、そう。
夢で見た、黒い髪の小さな女の子。
「――ああ」
ほんの一瞬の幻影。
それでも、ソラはその光景を噛み締めるように胸に掻き抱いた。
そうだ。
自分はあの子を守りたかったのだ。
父と母が命を賭して守った命。
人を救うなんて大儀はよく解らなかったけれど、それでも二人が守った命を今度は自分が守り抜くと。
かっこいいお兄ちゃんになると、そう約束した――大切な自分の家族。
「……なら、こんなヤツに負けてるわけにはいかないよな」
乾いた口振りに
戦うために、拳を握りしめた。
今の自分はこいつよりも弱い。
なら、ここで超えろ。
この程度の壁、ぶち破ってみせろ。
今、この瞬間に強くなれ。
「―――だから」
胸を張る。
呼吸を整え――そして、
「『――お前を殴る』」
そう宣誓した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます