うるさい

「それで、話というのは―――」




 ソラとミリーを見送り、振り返ると思わずそのまま口を閉じてしまった。






「……一体何をしているのですか、貴方は」




「先ほどの非礼、お詫び申し上げます。『聖焔騎士団』第九席アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム卿」




 膝をついたキースはそう言って深々と頭を垂れてくる。




 口調も先ほどとは打って変わり丁寧なものになっていた。




 それは紛れもなく自分よりも上位の者に対する態度だった。




「『元』……ですよ、ヴァイルシュタイン卿。顔を上げてください。そういうの本当に困ります」




「否。面を上げるのは貴公が謝罪を受け入れてからでありますれば」






 ……うわ、なんて面倒くさい。




 普段のノリは軽いくせに、何をそんなに頑なになっているんだか。




 けど、このままで一向に話が進まないと判断し、これ見よがしに、はあ、と溜息をつく。






「謝罪を受け入れます。顔を上げてください、ヴァイルシュタイン卿。それと、私はもう騎士ではありませんし、〝ヴァン=エヴァ―フレイム〟は十年前に棄てた名です。私のことをそう呼ぶのは止めてほしい」




「……承知した、アウローラ殿」






 そうしてキースはようやく立ち上がる。




 私を見つめる穏やかな双眸。




 そこに怒りや侮蔑といった感情は見受けられなかった。






「相変わらずおかしな人ですね、貴方は。仮にも貴族のくせに下賤な戦災孤児出身者に頭を下げるなんて。貴方には王国貴族としての誇りはないのですか?」




「貴族の血に連なることへの誇りはあるとも。先人たちに対する敬意も。だが血統だけがその者の価値を決めるわけではないだろう。貴公ら『聖焔騎士団』はあの大戦にいたすべての者たちにとっての英雄でありますれば」






 キースは迷いなくそう言い放つ。




 その言葉を、鼻で嗤う。




 本当に心底、おかしくて。




「は、英雄……英雄ですって? ええ。確かに私以外の団員はきっとそう呼ばれるのに相応しいのでしょうね。けど、私は違う。銘を剥奪され、騎士団から追放された私が今や何と呼ばれているか、貴方は知っているはずでは?」




「貴公の存在を知る中には、貴公を恨んでいる者たちも確かに存在する。だが、それは八つ当たりに近い感情でしょう。罪が消えぬように、その者が成した功績も決して消えはしない。かつて、この身と戦友たちの命を救ってくれたのは貴公だ……俺がお前さんを尊重する理由なんてそれだけで充分なんだよ」






 キースは皮肉に動じることなく淡く微笑む。


 そして肩の力を抜いて、ぷかぷかとパイプを吹かせた。






「なんとなく察しちゃいたが、その様子じゃ、やっぱり他の『聖焔騎士団』のメンバーとはあれ以来会ってねえみたいだな」




「……今更、どの面下げて会えと言うのです。彼らにとって、私は裏切り者です。それに、あの人がいない今、私もあの場所に未練などありませんから」






 公式記録では『アウローラ=エヴァーフレイム』はあの大戦で名も無き騎士の一人として死んだことになっている。




 それはつまり最初から『聖焔騎士団』に九番目の騎士など存在しなかったということだ。




 それが、主を護れなかった無能な騎士に対する罰。




 騎士団の中に私の居場所なんてもうありはしない。


 存在しないものに未練を持つ行為なんて、無意味以外の何物でもないだろう。 






「嘘だな。なら、どうしてお前さんは未だにその剣を持ち続けている?」






 だというのに、そんな私の強がりをキースはきっぱりと否定した。




 キースは見透かすように、私の腰にある『第九の剣軍』を指差し、続ける。






「『至剣九閃』――聖王陛下が『聖焔騎士団』にのみ与えた最高位の魔具。銘は棄てても、剣は棄てなかった。騎士爵を剥奪されながら、お前さんが未だにその剣を持ち続けているのは、?」




「―――――」




 言葉は冷水となって私の体温を一気に引き下げる。


 理性が一気に凍りついて、パキ、とひび割れたような気がした。




 何かを言わなければならないのに、喉がひりついて言葉が上手く出てこない。




 それは目の前の男の言葉が正しいという、これ以上ないくらいの証明だった。




「お前さんはあの偉大な王を護るために剣を取った。だが、お前さんは護れなかった。けど、それはお前さん一人の責任じゃあねえだろう。王を護れなかったのは俺たち全員に責任がある。お前さんの罪は王を護れなかったことじゃなく、王の死から目を背けたことだ」




「……うる、さい」






 聞きたくない言葉は刃となって私の心を突き刺す。




 やめろ。


 それ以上、踏み込んでこないで。




 胃の底から吐き気が込み上げてきて、手足が震える。




 なのに、キースは言葉を止めてくれなかった。






「つらかっただろう。苦しかっただろう。今も悔やみ続けているんだろう。だが、どんなに悔やんだところで過去を変えることなんざできやしねえし、死んだ人間は蘇りはしない。なら、せめてお前さんは向き合わなきゃならない。どんなにつらくてもその現実から目を背けてはならない。前へ進んでいくために」




「……うるさい」




「逃げるなよ、嬢ちゃん。いい加減、夢にまどろむのはよせ。そうでなきゃ、一体何のためにあの御方が死んだのか、分からな―――」




「――うるさいッ‼」






 感情に任せた叫びが室内に響き渡る。




 それは、叱られた子供が癇癪を起こすものと何も変わらなかった。






 ……ああ、まただ。




 脳裡に十年前の、あの日の光景が浮かび上がる。








 ―――厚い雲が空を覆っていた。




 深くて冷たい森の奥。


 木々は折れ、無残に抉られた大地が、そこで起きた戦いの激しさを物語っている。




 戦いの爪痕残るその森を、深々と舞うように降りしきる淡雪が覆い隠していく。




 とても美しい光景であるはずなのに、たまらなく怖ろしかったことを今でもまだ憶えている。




 生きとし生けるもの全てを染め上げる白の花弁。




 目が眩まんばかりに輝くその世界には、傷つき倒れ伏すあの人と、泣きながら彼に縋りつく愚かな自分と。




 そして、そこにもう一人。




 あの人と同じ蒼穹の瞳を憎悪に焦がしながら、私を仇の如く睨みつける、一人の少女――。






「…………ッッ」




 あの怒りを、あの憎しみを、受け止めることなんて出来なかった。


 自分が犯した罪と向き合う方法なんて解らなかった。




 あの雪の日から、私の心は一歩も前に進むことはなく、今でもまだ、あの場所に蹲り続けている。






「……うるさい……っ」






 肩を抱いて、震える声で繰り返す。




 キースはそんな私を、ただ――憐れむように見つめていた。






「……なあ、嬢ちゃん。俺はお前さんという人間を気に入っている。幸せになってほしいと願っている。だが、お前さんがその過去に囚われている限り、お前さんの未来に幸せはない。お前さんを本当の意味で救うことができるのは、お前さん以外に存在しないんだぜ」




「……それは思い違いだよ、キースさん」 






 これ以上話していたくなくて、私はキースに背を向ける。




 そして、そのまま振り返ることなく告げた。




「私の幸せは、未来になんて無い。私の幸せは十年前……あの人と一緒に、壊れてしまった」






 最後にそんな言葉を残して、私は扉から出て行く。




 その間際に、






「――未来に幸せは無い、か。それこそ思い違いだよ、嬢ちゃん」






 かつて共に戦場を駆け抜けた戦友。




 その失墜と苦悩に想いを馳せて。






「未来は誰にも分からん。どうかお前さんの未来に、多くの幸せがあらんことを―――」






 そんな祈りのような声が聞こえた気がした。










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