重いよ

「あっはっは! いやはや、なかなか面白い見世物だったよ。やっぱりキミを選んだのは正解だったね」






 振り返ると、いつの間にか背後にはアルカがふよふよと浮かんでいた。




 アルカの姿は特定の人間以外には視えないらしい。




 そのことを弁えているソラは前を歩くミリアリアには聞こえないよう小声でアルカに話しかけた。






「……いたのか、アルカ。ていうか見てたの?」




「もちろん。言ったろ? キミのことを見てるって。それよりキミ、本当に命知らずな真似するね。あんな啖呵切っちゃってあの男が激昂して襲い掛かってくるとは思わなかったのかい? それとも仮にそうなったとしてもキミの護衛なら確実に守ってくれるという打算があったのかな?」




「……別に。そんなごちゃごちゃ考えて啖呵切ったわけじゃないよ。ただ、ムカつくことをムカつくと言っただけ」






 未だ怒りが収まらないのか、心持ちふてくされた様子でソラは言う。




 そんなソラにアルカはやれやれと肩を竦めた。






「ま。考えなしに行動するのは子供の特権だけど、そういうのって見守る大人からすれば色々とやきもきするんだろうね。それが良識と常識を持った人間ならなおさらね」




「?」






 誰のことを言っているのか分からないソラは首を傾げる。




 それを察したアルカはちょいちょいと前方を指差した。






「……?――あ」






 アルカが指さした方を見ると、ミリアリアが振り返り、何か言いたげにじとりとこちらを睨んでいる。




 私怒ってます、と言わんばかりに腕を組んで。






「……えっと」




「ま、文句の一つくらいは聞いてあげるんだね。それぐらいの義務はキミにもあると思うよ?」






 面白半分に押されるようにソラは足取り重く進んでいく。




 ミリアリアの前に立つとソラは気まずそうに視線を泳がせた。








「……その、ミリーさん」




「なに」




「えっと。なんていうか……」






 しばし悩んだ末、ソラはそっと頭を下げる。






「ごめん、ミリーさん。ちょっと軽はずみな行動だったかもしれません」




「〝ちょっと〟?」




「……ごめんなさい。ものすごく軽はずみでした」






 眼光に気圧されてソラは思わず背筋を伸ばして訂正する。ミリアリアは冷たい眼差しでソラを見つめながら黙りこむ。




 その果てにつくづくと内圧を下げるようにミリアリアは長い溜め息を吐いた。






「いえ、私の方こそ嫌な態度をとってしまってごめんなさい。考えてみれば、私にソラ君の行動についてとやかく言う権利なんてなかったわよね」




「あ、いや、そんなことないよ。ミリーさんが僕のことを考えて言ってくれてるのは分かってる……でも僕、間違ったことを言ったつもりはないから」






 つい、そんな言葉が口を衝いて出た。




 確かに軽率ではあったかもしれないけれど、キースに食って掛かったことをソラは間違いだとは思わない。




 いくら魔術士の流儀だろうと、自分の知り合いが不当な暴力に晒されて黙っているほどソラはお人好しじゃない。




 そんなソラにミリアリアは気まずそうに眉を伏せた。






「……そうね。ソラ君は間違ってない。ソラ君はさっき、アウローラのために団長に対して怒りをぶつけた。その行いは人としてとても正しいと思う。でもね、正しい行いが常に善い結果をもたらしてくれるとは限らない。君のその行いが君や周囲の人間を傷つけることだってあるかもしれない。そのことはちゃんと自覚しておいて」






 幼い子供に言い聞かせるような口調でミリアリアはそんなことを言う。




 だが、その言葉はある意味、先ほどのソラの行為を遠回しに否定する物言いだ。






 ソラはたちまち不機嫌な顔になる。






「……なんだよ、それ。じゃあミリーさんはあそこで黙ったままでいた方が良かったって言うんですか」






 ソラはむすっとして言い返す。






 少年の憤りをミリアリアはとても好ましく思う。




 優しい子だ、と素直にそう思う。






 この少年はきっと誰かのために困難に立ち向かえる勇気を持っている。




 そのひたむきで真っ直ぐな想いに水を差すことに、ミリアリアは内心で忸怩たる感情を抱いた。








「違うわ。言ったでしょう? 君は間違ってないって。ここで重要なのは正しいか、間違っているかじゃなくて、ソラ君にとって何が大切なのかっていうこと。力を持てば、その分選べる選択肢も増えてくる。けど、全てを選び取ることなんて神様にだってできない。ソラ君にも何かを棄て、何かを選ばなきゃならない時がいつか必ずやってくる。自分の中にある大切なもの。命を捨ててでも守りたいもの。それらに天秤が傾くのであれば、






 本当は言いたくないこと、それでも言わなければならないこと。




 いつか直面する現実の冷たさをミリアリアはソラに伝えようとしていた。






 あまりにも真剣なその表情に、ソラは僅かにたじろぐ。








 けど。




 それなら。




 偉そうにそう言うミリアリア自身は。








「なら……ミリーさんは棄てられたんですか? 自分の中の正しさっていうのを」




「ソラ君は……アウローラから、私たちが初めて会った時の話は聞いた?」




「……少しだけ。二年前に騎士団の部隊を助けた時、その中にいた一人がミリーさんだったって」






 ほんの少し躊躇ってそう言うと、ミリアリアは双眸を歪ませながら苦笑した。






「ええ。二年前、当時の私は自分でも本当に嫌になるくらいに弱くて。それでも、覚悟だけは一人前のつもりで……だからあの時、私は仲間の命より騎士としての責務を果たすことを優先したの」










 それは二年前、とある魔獣の討伐任務の最中だったのだという。






 目標の魔獣の階級は高位級ハイクラス。王立騎士団の中でも上位の実力者だけが討伐し得る強敵。




 それを討つべく編成されたのが、十七師団の精鋭含む総勢四十五名からなる大規模討伐チーム。






 当時、新任団員だったミリアリアはその先遣小隊の一員として偵察任務に出ていた。そして偵察の途中、目標の魔獣が近隣の街を襲っているところを発見する。






 増援が間に合わないと判断したミリアリアの小隊はそのまま戦闘に突入。










 結果――その小隊はただ一人、ミリアリアだけを残して全滅した。










「あの時、アウローラに助けられなかったら、私も仲間と一緒に廃墟となった街の片隅で屍を晒していた。それはいいの。国民の血税で暮らしている以上、私には彼らを護る義務があるから。そして、それは仲間たちも同じ。騎士である以上、殉職は当然覚悟の上だった。でも、アウローラに助けられて、私は一人生き残った。だからこそ、生き残った私は、彼らが信じた正義を最期まで貫き通す責任がある。でもね……それでも、時折考えるの。あの時、もしも仲間の命を選んでいたらこの胸の痛みも少しはマシだったのかなって」






 そんな思考に意味はないっていうのにね、と、ミリアリアは自嘲するように嗤った。








「……それは、後悔してるってことですか?」








 騎士としての責務を選んだことを。




 苦楽を共にした仲間ではなく。






 護るべき国民とはいえ、所詮は見知らぬ他人の命を優先したことを。








「ええ。今でもずっと後悔している。でも後悔しているのはどっちを選べばよかったとか、そういうことじゃなくて……私の後悔は多分、その選択の天秤をしっかりと計らなかったことにあるんだと思う」








 騎士として、民を護る。






 その使命を選んだことに後悔は無い。




 けれどあの時、人が次々に殺されていく極限状態の中で、ミリアリアたちの間にある種の熱が蔓延していたことは否定できない。




 その熱に浮かされて、よく考えもしないで安易な使命に流されてしまった。








 その軽挙が今もミリアリアの心を苛んでいる。








「痛みを伴わない教訓に意義はないって言うけど、痛みを伴わずに済むならそれに越したことはないと思う……後悔は続く。泥のように心にずっとこびり付いて離れない。できることなら、ソラ君にはそうなってほしくない。だからね、ソラ君。これから先どんな選択をするにせよ、君はよく考えて、きちんと決めてほしいの」








 後悔に囚われることなく、選んだその道を胸を張って進めるように。








 その言葉の中にはきっと、ミリアリアの色々な感情が詰まっていた。








 使命を果たすために死んだ仲間たち。




 何一つ成し遂げられずに護られるばかりだった弱い自分。








 それは、独りで抱えこむにはあまりも―――










「……重いよ。どうしてミリーさんは僕にそんな話をしたのさ」






 少なくとも昨日会ったばかりの子供に話すようなことではないだろう。




 ソラは少しだけミリアリアを恨みがましく思った。






 ミリアリアはそんなソラの視線を真っ向から受け止めて。






「うん、ごめんね……でも、ソラ君には自分自身の行動がどういう結果をもたらすのか、その可能性をきちんと認識しておいてほしかったから。自分が傷つくことで悲しむ人がいるならなおさら。ソラ君にもきっとそういう人がいるんじゃないの?」






「……それは、どう、なんだろう」






 答えようとして、ソラの口からは曖昧な言葉しか出てこなかった。




 なぜなら今の自分にはアークレイの屋敷で目覚める前の記憶がないから。








 ただ、脳裏を過ったのは夢に見た黒い髪の幼い少女のこと。




 自分にとって大切であったろう存在。そしてそれはきっと向こうにとっても。






 恐らく過去の自分は何を置いてもその子を守る選択をし続けてきたのだろう。不思議とその確信がある。






 けれどそこで、はたと気づいた。






 何を置いてもその子を守ると決めた自分が、なぜ今その子の傍にいない?




 そもそもあの少女は今も無事でいてくれているのか?








 ぞわり、と。




 不意にソラは自らの記憶がないことを気が遠くなるくらい怖ろしく感じた。








 自分の行動の結果によってこの記憶が失われたのだとしたら、果たして自分はその時選択を間違えなかったと断言できるだろうか。




 少なくとも少女を置いてここにいるこの現状は、彼女を深く傷つけているのではないか。








 自分が抱いた願いや感情は、少女を傷つけてはいなかっただろうか。




 届いてほしかった言葉は、きちんと正しく相手に届いてくれていただろうか。






「……ソラ君?」




「いや、なんでもない」








 答えなど出ない。




 どんなに考えたところで結局それは失くした記憶の中にしか在りはしないのだから。


















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