戦鬼

 そいつは身長が百九十センチを超える四十代くらいの大男だった。




 やや短めの茶髪を整髪料で完璧に整えている。




 眉間から左頬にかけて大きな傷があって、筋骨隆々の体躯も相まり見た目は騎士団長というより完全にマフィアのボスといった風体だ。








「だ、団長っ⁉ いきなり何をしてるんですかっ⁉」








 突然の事態に混乱しながらもミリーが大男に食って掛かる。








「よう、エイベル。久しぶりに珍しい客が来るって言うからよ。ちょいと挨拶をな」




「今のはちょいとでも挨拶でもありませんでしたよ⁉」








 あたふたしているミリーを余所に、キースはあくまで飄々とした態度だ。




 軽く戦斧を振るうと、外殻を象っていた魔力は解かれ、戦斧は粒子と消え、アンティークな喫煙具パイプだけがキースの無骨な掌に収まった。








「ほれ、こっちは武器を下ろしたぞ。そっちもこの物騒なの仕舞っちゃくれねぇか? お前さんも俺が本気で斬りかかったわけじゃねぇいことくらい剣圧の重みで分かるだろ?」




「………」








 周囲を取り囲む剣軍をちょいちょいとわざとらしく指さしているのが頭にくる。




 ちっ、と舌打ちしつつ『第九の剣軍ザ・サウザンド』を解除し、鞘へと納めた。








「久しぶりだな、嬢ちゃん。良い女になったじゃねえか」




「……お久しぶりです、ヴァイルシュタイン卿。そっちは極悪ヅラにますます磨きがかかったようで」




「かかっ! 十年経っても憎まれ口は変わんねえな。見てくれは上等だってのに、中身がそんなんじゃ男だって寄ってこねえだろ?」






 何を余計なこと言ってくれてんのよ、このクソオヤジ。






「ほっといてください。それよりも私のような一介の傭兵もどきにわざわざ会おうとするだなんて師団長っていうのも随分暇な役職なんですね」




「はっ、お前さんが本当に一介の傭兵だってんなら普通にシカトしてるさ。お前さんだからこそ会いたかったんだよ……何しろお前さんは古い戦友だからな」








 キースはおよそこの人には似合わない穏やかな眼差しでそんなことを言う。








 嫌な眼だと、そう思った。




 けれど、同時に分かってもいた。




 この人はきっと、こういう眼で私を見てくるのだろうと。








 まるで今ではなく過去を見つめるような。此処ではない遠い何処かの――眩しい何かを懐かしむような、そんな表情。








 ああ、そうだ。




 私はこういう眼が見たくなくて、この人に会いたくなかった。








「ところで、さっきから怖い眼で睨んでるそっちの坊主がセリアちゃんが言ってた記憶喪失の少年かい?」








 キースの視線がソラへと向けられる。




 見ると、キースの言った通りソラの表情にいつもの笑顔はなく、眦は吊り上がり、明確な怒気を放っていた。








「何か言いたげだな、坊主。いいぜ? 文句があるなら聞いてやる」








 にぃ、とキースが野太い笑みを浮かべてみせる。




 いや、ホント凶悪な顔面よね、このオヤジ。




 多分気の弱いヤツなら大人でも腰を抜かすと思う。




 まだ幼いソラには相当のプレッシャーだろう。








 けれど、ソラは一歩も退かず、不快感も露わに鋭く切り返した。








「お気遣いどうも。それなら言わせてもらいますけど、さっきのはミリーさんの言う通り挨拶なんかじゃないと思います。団長っていうのがどれだけ偉いのか知りませんけど、いい歳して少しハシャぎ過ぎなんじゃないですか?」








「ちょっ、ソラ君⁉」








 遠慮も忖度もないソラの皮肉に、ミリーが冷や汗を垂らす。




 けど、言われた当のキースはむしろ面白そうに口元を吊り上げた。








「一般的にはそうかもな。だが、俺も嬢ちゃんも魔術士だ。魔術士には魔術士の流儀ってもんがある。今のだってその一環さ。実際、嬢ちゃんも何も言っちゃこねぇだろ?」




「そうかもしれませんね。だから僕も何かを言う気はありませんでした。それなのに、話をわざわざ掘り下げたのはそっちでしょ?」








「……へえ? 言うじゃねえか、坊主」








 キースが静かにパイプを咥える。




 そして次の瞬間、キースの身体から紫色の魔力が一気に迸った。








「――ッ⁉ 団長ッ‼」








 室内の空気が重力を増したように重く圧し掛かってくる。ミリーが表情を青ざめさせ、堪らず叫んだ。












 ――〝戦鬼〟。












 それが、目の前の男に与えられた〝銘〟。








 人魔大戦を生き残った魔術士は畏敬の念を込めて〝英雄〟と称されるが、とりわけキースは大戦時代、最激戦区と言われた北方領土で腕を磨き、〝銘持ち〟に至った一騎当千の古強者。




 生半可な魔術士では、この男の前に立つことすら出来ない。








 キースの強大な魔力に晒され、ソラの小さな身体が吹き飛ばされそうになる。








 けれど、








「―――ッ、あああああああああああああああッッ‼」








 ダンッ、と、ソラは渾身の力を込めて一歩前へ足を踏み出した。




 歯を食いしばり、全身から汗を噴き出しながらも絶対に退かぬとばかりにキースを鋭く睨みつける。








「――ほう」








 キースが感嘆の息を吐く。




 そこでキースは初めて探るように目の前の少年をまじまじと見つめた。








「なるほどな。デカい口叩くだけあって根性はそれなりか。それに、まだまだ弱っちろいが魔力を感じる。坊主……お前さんも魔術遣いだな?」








「……だったらっ、何ですか……っ」








 ふー、ふー、と呼吸を荒く乱しながら、吐き捨てるようにソラは言った。








「恐怖に震えながらも立ち向かってみせる……か。いいぞ。女みてえな顔しちゃいるが、中々の気概じゃねぇか」








 くく、とキースの唇に笑みが過る。




 するとそれまで充満していた魔力が立ちどころに消え去り、室内の空気も重圧から解放されたように軽くなった。








「意地の悪い真似して悪かったな、坊主。お前さんの言う通り、久しぶりに旧友に会えて少しハシャいじまったみてぇだ」








「……謝る相手は僕じゃないと思いますけど」








「ふむ。ま、正論だな」








 キースは咥えていたパイプを、パン、と打ち鳴らす。








「さて、お前さんたち確か支部内の見学をしたいんだったか? いいぜ、好きに見ていきな。ただし、アウローラの嬢ちゃんだけは少し残れ」




「……は?」








 キースの言葉に思わず警戒心を強める。








「どういうことですか、ヴァイルシュタイン卿」




「そう怖い顔すんな。別に取って食いやしねえよ。単にかつての戦友ともう少し話をしたいってだけさ。十年ぶりなんだ。それぐらい構わねえだろ?」








 その戦友にいきなり斬りかかってきたくせに何を言ってるんだか。






 本当にこの男はどういう神経をしているのだろうか。








「……アウローラ」








 ソラが判断を委ねるように私に視線を向けてくる。




 結局心の中で盛大に溜息をついて、ミリーに声をかけた。








「悪い、ミリー。後で合流する。先に行っててくれ」




「え、ええ。それは構わないけど……アウローラ、大丈夫なの?」




「ああ、こっちは問題ない。それより、そいつのことを頼む。そいつに何かあったらセリアのやつが色々とうるさそうだから」








 本心からそう言って、私は二人を部屋から追い出す。
















 ただ部屋の扉が閉まる直前までソラは心配そうに私を見つめていた。
















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