どこかで会ったっけ?
〝魔術士〟とは、その名の通り〝魔術〟という
ただし一般に認知されているイメージと違って、魔術士は空想の物語のように何もないところから火を出したり、空を飛ぶなんてことは出来ない。
それは〝魔術〟ではなく、先天的な〝異能〟の領域だ。
〝魔術〟とはあくまで、魔力という生命エネルギーを用い、肉体を強化させ、人間が本来持つ身体能力を拡張させる技術のことを言う。
屋敷の中庭に出ると、冬の寒気が容赦なくソラの身体に襲いかかってきた。
現在のソラの服装は動きやすいように薄手のシャツ一枚に半ズボン。夏場ならともかく、冬の朝にこの格好はかなり肌寒い。
けれどソラはそれを無視し、全身を脱力させて己の内面へと意識を埋没させた。
「――すぅ」
大きく息を吸い、
「はぁ――」
吐きだす。
自分の中の魔力を感じとることが出来れば、特に構えは必要ない。
必要なのはイメージと集中力。
細胞の一つ一つからエネルギーを集めるイメージ。
集めたエネルギーを心臓へと集中させ、さらに心臓から血管を通じて身体全体へと流しこんでいく。
そして、そのまま体内から体外へと拡張させる。
するとソラの周りに透明な膜のようなモノが浮かび上がった。
――『
あらゆる魔術の基本となる技。
その名の通り、魔力を鎧のように纏う技術。
これにより肉体は頑強になり、身体能力は大幅に強化される。
ただし、
「……むう。やっぱり
ソラは自分の身体に揺蕩う湯気のような魔力を視て、ぼやくように呟いた。
《赤》、《黄》、《緑》、《青》、《紫》、《白》、《黒》。
魔力の性質は人によってそれぞれ異なるが、基本的にこの七色のいずれかに大別される。
例えばアウローラの真紅の魔力は《赤》の性質に属し、アンジェラの白銀は《白》の性質に属する。
これを七原色――〝色彩属性〟と呼ぶ。
魔力は密度が増すごとにより強力に、より眼に視えやすくなる。
逆に言えば、色が視えないということは、それだけ魔力の密度が薄く、力が弱いということだ。
魔力に目覚めたばかりのソラは自分の中にある魔力を完全には引き出し切れておらず、今纏っている魔力は本来の魔力の上澄みのようなものでしかないらしい。
自分の未熟な魔力を情けなく思いつつ、ソラは魔力を纏ったまま、構えをとる。
そしてこの一週間、アンジェラによって叩き込まれた『型』を開始した。
中段に構えた右拳を突き出し、それを素早く引き戻して今度は左拳を突き出す。伸ばした左拳をそのままに回転し、蹴りを放つ。
拳打を、蹴りを、筋肉の一つ一つの動きを意識して、速度を殺さず、丁寧に繰り返していく。
その際、気を抜けばどこかへ逃げ出そうとする魔力をソラは無理やり身体の周囲に押さえつける。
冬の寒さも、音も、匂いも、すべてを意識の外に追い出して、ひたすら型に集中していった。
それをどれぐらい続けていたのか。気づけば、ソラの息は千々に乱れ、全身から汗が吹き出し、服がぐしゃぐしゃになっていた。
「はあっ、はあっ………ふぅ――」
最後に長く息を吐いて、ソラはその場でごろんと仰向けに寝ころんだ。
全身に疲労感と脱力感がどっと圧しかかってきた。魔力も幾分か消耗している。
だが、心地良い疲れだ。
火照った身体に当たる草の感触がひんやりと冷えていて気持ちいい。
空が青いなあ、なんてぼんやりと上を見上げながら、ソラはこれまでの出来事を改めて思い返す。
ソラには過去の記憶が無い。
自分でも信じられないが、それが事実なのだから仕方がない。
二週間前、目を覚ますと、そこは知らない豪華なベッドの上だった。
傍らに居たのはモノトーンの女中服を着た青い髪の美人――フェリシアと、その主人だという不思議な貫禄に満ちた女性――セリアだった。
話を聞くと、自分はこの屋敷の門前で倒れていたところを彼女たちによって保護されたのだという。
そして、セリアたちに自分のことを話そうとしたその時、ようやく気がついた。
己の記憶の殆どが欠落しているということに。
自分が誰なのか分からない。
どうして此処にいるのかも分からない。
憶えていることは、たった一つ。
―――『ソラ』。
自分がそう呼ばれていたということだけ。
記憶喪失。
幼いソラにとっては、まるで異世界に一人放り出されたような気分だった。
帰る場所もなく、行くあてもない。
何か、大切なモノを置き去りにしてきてしまったような気がするけれど、それさえも思い出せない。
そのことが胸が締めつけられるように哀しかった。
その後、同年代の子供たちと触れ合うことによって記憶が刺激されるかもしれないというセリアの提案によって、ソラは街外れの教会に一時的に預けられることとなった。
孤児院としての機能も兼ねたその教会はいつだって子供たちの元気な笑い声で満ちていた。
一緒に遊んで、ケンカして、それからまた一緒にご飯を食べる。
そんな賑やかで楽しい毎日を過ごしていると、再びセリアがソラの前に現れた。
紅い髪と瞳を持った彼女――アウローラを連れて。
「――おい、こんなところで寝ていると風邪ひくぞ」
「わぷっ⁉︎」
いつの間にか目を閉じていたソラの顔に突然タオルが落とされる。
慌てて起き上がると、アウローラが呆れた表情でソラのことを見下ろしていた。
「あれ? アウローラ、なんでここに?」
「それはこっちのセリフだ。私は窓からお前の姿が見えたから様子を見に来ただけだ」
一応、護衛役だしな、とアウローラは付け足す。
態度はそっけなかったけれど、わざわざタオルを持ってきてくれたあたり、やっぱりこの人は優しい人だなと、ソラはなんだか嬉しくなった。
「そっか。僕は日課の鍛錬をしていただけだよ。毎日やらないと、感覚が鈍っちゃうからさ」
アウローラは、あっそ、と感情の読めない声で返事をすると、そのまま噴水の縁に足を組み、じっとソラのことを見つめた。
「お前、魔術が使えたんだな」
唐突にアウローラがそんなことを訊いてくる。
ソラは、きょとん、と首を傾げた。
「え? うん。まあ、使えると言っても一つだけだけど。シスターはこれ以上はまだ早いって言って、教えてくれなかったんだ」
「やっぱり、魔術はあのシスターに教わったのか。でも、魔術ってのは一朝一夕で身につくものじゃない。記憶を失う以前から、お前は魔術に触れていたんじゃないのか?」
「さあ、どうだろ? 憶えてないからよく分からないけど。でも、シスターが魔術を使っているところを見て、なんとなく出来そうな気がしたんだ」
きっかけは単なる偶然だった。
教会に来て数日が経った日の朝、いつもより早くに目が覚めたソラがなんとなく教会の庭園を散歩していると、アンジェラが魔術の鍛錬をしているところを偶然目撃したのだ。
アンジェラの魔力はとても静かで鋭く、まるで研ぎ澄まされた刃のように美しかった。
その光景を見て、不思議と自分にも出来ると確信が芽生え、色々と試しているうちに、いつの間にか素人なりに魔力を操れるようになっていた。
アンジェラにそれがバレた時は、それはもうこっぴどく叱られた。
普段は子供たちに優しいアンジェラがあれほど怒りを露わにしたのは初めてだったかもしれない。
曰く、一度でも魔力を発現した者は一般人に比べて魔力を閉じる栓がはるかに緩んでしまうらしい。
未熟な者であれば激しい感情の動きだけで魔力は簡単に暴走し、場合によっては己の魔力で自滅することだってあるという。
魔術の危険性を訥々と語った後、それからアンジェラは不本意そうにしながらも、子供たちが眠っている早朝の時間だけ、ソラに稽古をつけてくれるようになったというわけだ。
「……ふうん」
アウローラは気のない返事をしつつ、そのまま考え込むように口元に手をあてて黙ってしまう。
向こうが黙ってしまったので、ソラは話しかけていいのか分からず、なんとなしにアウローラの姿を眺めた。
(……やっぱり、この人は綺麗だ。……うわっ、)
何気なくシャツから覗いた胸の谷間に視線が吸い寄せられて、ソラは慌てて目をそらす。
セリアから女傭兵が護衛役になると聞いた時、ソラはてっきり筋骨隆々のゴリラのような女が来るのだと思っていたが、実際会ったアウローラは想像していたものとはまるで違っていた。
腰まで届くくらいの癖のない真っ直ぐな紅い髪。
鋭く、凛とした雰囲気。
髪と同じ紅い瞳は宝石のように輝いていて、顔だって近くで見ると驚くほどきめ細かで整っている。
絶世の美女……というのはきっと彼女のような人のことを指すのだろう。
もちろん顔の造形が整っているという意味ではアルカが一番だし、セリアやフェリシア、アンジェラだって充分以上に美人だ。
けれど、目覚めてからこれまで出会った女性の中でソラが一番見惚れたのはアウローラであり、これから先彼女以上に綺麗だと感じる女性には出会わないだろうと思っている。
「……そういえば。僕はあの時、何て言おうとしたのかな」
ふと、そんなことを思った。
昨日初めて会った時、彼女のことを「アーラ」と呼んだのは別に言い間違えたからではない。
ソラ自身どうしてなのか分からないけど、彼女を見た瞬間、ただ自然とそう呼んでいたのだ。
まるで、ずっと昔から、彼女のことをそう呼んでいたかのように。
ずっと前から、彼女のことを知っていたかのように。
「なあアウローラ。僕たち、どこかで会ったことはないかな?」
「……はあ?」
口をついてそう訊ねると、アウローラは怪訝そうにこちらを見てくる。
「ナンパのつもりか、それ? 悪いけど、お前みたいな若白髪の子供の知り合いはいないよ」
「いや、別にこれ白髪っていうわけじゃないから」
記憶がないから根拠はないが……それでも、さすがにこの歳で髪が全部白髪とは思いたくない。
抗議の気持ちを込めて視線を送ると、アウローラは、ふん、とどうでもよさそうに噴水から立ち上がった。
「私はそろそろ戻るけど、お前も身体を冷やさないうちに切り上げておけよ」
「あ、ちょっと待った、アウローラ。僕も一緒に――うわっ、」
立ち上がり、アウローラの後を追おうとするも慌てていたのか、それとも疲れていたのか、足がもつれて転びそうになる。
と、地面に倒れこむ寸前、アウローラの腕が滑り込み、ソラの身体を抱きとめた。
「おい、気をつけろ」
「ごめん、アウローラ。ありが―――」
身体を起こそうとして、ソラの右手がアウローラの左手に触れた瞬間。
―――視界に、砂嵐のようなノイズが走った。
「―――え?」
それは、ソラの知らない映像。知らないはずの光景だった。
……赤。
赤、赤、赤。
網膜が焼けつくような真っ赤な血の色。
白く輝く無垢な雪の大地を身体から流れ出る鮮血が赤く染め上げてゆく。
仰向けに体勢を変えたのはきっと、なんとなくだったのだろう。
下よりは上を向いていたかったし……それに、その方があの子の顔がよく見えると思ったから。
傍らには一人の少女がいた。
視界が滲んで、顔がよく見えない。けれど、少女が泣いているのは声の様子からすぐに解った。
少女は血で汚れるのも構わず、必死に■の身体にしがみつき、懇願する。
奪われないように。
連れて行かれないように。
零れ落ちる命の砂を懸命に掴みとろうとする。
けれど、少女の願いも空しく――その声は遠く、身体は冷たく、瞼は重くなっていく。
〝―――置いていかないで〟
……ああ、泣かないでほしい。
そんな悲しい声をしないでほしい。
泣かせたかったわけじゃない。悲しませたかったわけじゃないんだ。
そうだ。そのことをちゃんと伝えないと。
■にとって大切な、この子に。
ずっと傍にいて、ずっと自分を守ってきてくれた彼女に。
なのに―――
―――この声が、どうしても、届けられない。
「―――い。おいっ!」
「え?」
顔を上げると、アウローラの顔が目の前にあった。
彼女は僕の瞳をじっと覗き込んでいる。
怒ったような……少しだけ心配そうな、そんな表情。
こんな表情もするんだな、なんてソラがぼんやりと思っていると、自分の顔がひどく冷たくなっていることに気がついた。
全身から血の気が引いたような感覚。
さっきまでとは違う汗が滝のように流れ出ている。
「お前……もしかして体調が悪いのか?」
言われて、ソラは先ほど見た光景を思い出す。
一瞬の白昼夢。
ここではないどこかの、自分ではない誰かが見た光景。
「……いや、なんでもないよ。ちょっとだけ立ち眩みしたみたいだ」
どう説明すればいいのか分からず、結局ソラは誤魔化すことにした。
アウローラはどこかしっくりこない様子だったけれど、それ以上は何も言わず、ソラの身体を離すと屋敷の中へと歩いていく。
そんなアウローラの後をソラは慌てて追った。
前を歩くアウローラの紅い髪がふわりと揺れる。
先ほどの光景の中で見た少女と同じ紅い色の髪。
なぜか鮮やかなその色彩が、ソラの脳裏にやけに残り続けた。
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