ひゅー
それから三十分ほどして私たちは目的地に到着した。
「着いたぞ。ここだ」
セリアが路上に車を停車させる。
彼女の後に続いて車から降りると、そこは都市の郊外に建てられた教会だった。
「ここは?」
「見ての通りただの教会さ。さ、行こうか」
セリアが正面にあった鉄柵を開くと、錆びかけていたのか、ギギィ、と嫌な音が響いた。
スタスタと先に行くセリアを追って敷地内に入っていく。
「これはまたなんていうか……」
率直に言えば、その教会は今にも潰れそうなくらいにボロボロだった。
ここに来るのは初めてだったけど、仮にも世界有数の観光都市の教会でありながら、地面は雑草が生い茂り、教会の屋根に備え付けられた剣十字は大分痛んできている。
かつては趣きに溢れていただろう建物も、手入れも修繕も何もなく、ただ年季だけを重ねたような印象で、今ではもう見る影もない。
けれど、敷地内の空気は怪談に語られるような陰気なものとはまるで違っていた。
その理由は、楽しそうに中庭を駆け回り、草むしりに精を出している幼い数人の子供たちがいたからだろう。
彼らの姿が本来厳粛であるはずの教会の空気を長閑なものに変えていた。
……というか、
「……子供?」
「ただの子供じゃない。彼らは全員、戦災孤児だ」
私の呟きにセリアが反応する。その言葉に私は首を傾げた。
「戦災孤児? そういうのって孤児院とかに行くんじゃないのか? それがどうして教会にいる?」
「普通はそうなんだけどな。端的に言えば数が多すぎて受け入れきれなかったんだよ。孤児たちの人数は年々減少傾向にはあるが、それでも現状の体制じゃまだまだ不十分なんだ。孤児院で受け入れきれなかった子供たちはこうして教会や役所なんかの公共施設で分散して一時的に保護しているのさ」
セリアはコートの胸ポケットから煙草を取り出し、それから口元に咥えようとしてピタリと止まる。
子供たちがいる手前、気を遣ったのだろうか。ひどく恨めしそうに煙草をしまい直す。
セリアは気を取り直すように子供たちに近づいていきそのまま声をかけた。
「やあ、君たち少しいいかな? シスター・アンジェラはいるかい? セリアが来たと伝えて欲しいんだが」
子供たちが私たちの存在に気づいて視線を向けてくる。
突然の訪問にぽかんとする子供たちだったが、セリアは、にこり、と笑いかける。
すると、子供たちはまるで鬼にでも出くわしたようにわなわなと身体を震わせた。
「うわあああっ!セリア様がきたぞーっ!」
「だれか!シスターを呼んできて!はやく!」
「せんりゃくてきてったいだ!きょうかいに逃げこめーっ!」
子供たちはパニックを起こしたように一目散に教会へと駆け込んでいった。
長閑な教会風景は一瞬で消え去り、ひゅー、と冷たい風が吹いた。
「……なんていうか、アンタって子供に好かれるタイプじゃないとは思ってたけど、あんなに嫌われてたんだな。あいつらに何かしたのか?」
「お前は私を何だと思ってる。さすがに私だって子供相手に暴力なんか振るわないさ」
じろりとこちらを睨みつけてくるセリアはひどく不服そうだった。
でも、それは普段のイメージが悪いせいだと思う。
何しろ、この女はかつてラルクスで起こった数十人規模の大乱闘を拳一つで収めた暴力市長なのだ。
「ふん。まあ、いいさ。所詮は選挙権も持っていないような子供。そんな奴らの好感度を稼いだところで何にもならないからな」
「今は持ってなくても、いずれ選挙権は持つようになるんじゃないか?」
「……む。確かにそうだな。なら、今の内にしっかり私を敬うよう教育していかないとまずいか。真面目に今度の議会で提案するとしよう。アウローラ、具体的にどんな法案を作ったらいいと思う?」
「どうでもいいと思う」
「……あの、セリア様?」
と、私たちがそんなくだらないやり取りをしていると、前方から声がかけられた。
見れば、そこには恐らくセリアと同い年くらいの、黒い礼服を着た女性が困ったように微笑んでいた。
「ああ、アンジェ。久し振りだな」
セリアは何事もなかったように向き直る。
アンジェと呼ばれたその女性は温和な顔立ちをした柔らかな美人だった。
ふわりとしたライトグレーの髪をゆるく括り、それを肩から垂らしている。
落ち着いたブラウンの瞳に慈愛に満ちた笑顔。
セリアと違って子供たちに好かれているのだろう。
今も腰にしがみついている小さな女の子の頭を優しく撫でている。
女性らしい豊満なその胸には聖天教のシンボルである
「ええ、ご無沙汰しております、セリア様。お忙しい中、御足労頂き申し訳ございません」
「気にしなくていい。無理を言って頼みごとをしたのはこちらの方だからね。であれば、こちらから足を運ぶのが筋というものだろう」
「貴女のお心遣いに感謝を。それで、そちらの方が……」
「ああ、彼女が以前話したアウローラだ」
そこでセリアが私に視線を向けてくる。
挨拶しろ、ということなのだろう。
面倒だったけれど、私はアンジェと呼ばれたシスターの方へと向き直る。
踵を揃え、左手は腰へと回す。右拳を胸に当て、一礼。
「お初にお目にかかります、シスター。私はアウローラ。此度はセリア殿に招かれ参上致しました。家名はありませんので、私のことはそのままアウローラとお呼びください」
口調も敬語に直し、表情の方も意識して笑顔を作ろうとして……止めた。
愛想笑いは得意じゃないし、そもそも今回の件を聞いたのはついさっきだ。
そこまでする必要もないだろう。
しかし、私の無愛想な挨拶を受けたシスターは気分を害したようでもなく、ただ驚いたように目を丸くしていた。
「何か?」
「あ……いえ、今のは王立騎士団の軍式礼のようでしたから少し驚きまして。セリア様からはアークレイ家専属の傭兵だと伺っていたのですが、もしや軍属の経験がおありなのですか?」
「……ええ、まあ。恥ずかしながら以前、騎士団に籍を置いていた時期がありましたので。どうやら、その頃の癖が未だ抜け切れていないようです」
「騎士団に? ならば家名が無い、というのは妙ですね。王立騎士団の正式な騎士ともなれば出自がどうあれ騎士爵位が与えられるはず……それに、貴女の顔、以前どこかで―――」
「――アンジェ」
シスターの言葉を鋭いアルトボイスが遮った。
「詮索はそのぐらいにしておけ。彼女の素性に関しては私が保証する。お前からすれば不満だろうが、今はそれで納得しておけ」
セリアに言われて、シスターは、む、と口を閉じる。
初対面の私にはよく判らないけれど、その様子は確かにセリアの言う通りなんとなく不満そうではあった。
「……そう、ですね。失礼致しました、アウローラ様。不躾な詮索、どうかお許しください」
「いえ、お気になさらず」
仕切り直すように、シスターは、こほん、と咳払いし、
「それでは改めてご挨拶を。私の名はアンジェラ。若輩の身ではありますが、この教会の管理を任されております。以後お見知りおきを」
「ええ、こちらこそ」
一応の挨拶として、私は右手を差し出す。
シスターは何故か一瞬躊躇したように私を見たけれど、やがて意を決したように私の手をそっと握る。
そして、その手に触れた瞬間―――背筋が凍った。
シスターの手は外見相応に繊細で、強く握りしめれば折れてしまいそうに細かった。
なのに、その魔力密度は――異常だった。
直に触れてみると如実に伝わってくる、華奢な身体に不釣り合いなほど内包された膨大な魔力量。
少なくとも、総量だけなら王立騎士団の上位クラスに匹敵する。
しかも、それを私に気づかせなかったように、魔力が体外に全く漏れ出ていない。
自身の魔力を完璧に御しきっている確かな証拠。
―――この女は、
「……お前―――」
目の前のシスターを見れば、彼女も驚いたように目を丸くしている。恐らく、相手もこちらの力量を察したのだろう。
互いに視線を交わし合う。
やがて、彼女は、ニッコリと微笑み、
「よろしくお願いしますね? アウローラ様」
「……………」
狸め。
余計な詮索はするなと、そういうことなのだろう。
何が一介のシスターだ、この嘘つきめ。
「……ああ、よろしく」
互いに寒々しい挨拶を交わし合うと、セリアが両手を、パン、パン、と軽快に打ち合わせた。
「はいはい、そこまで。二人ともそう睨みあうな。それじゃ、お互いに自己紹介が済んだことだし、本題に入るとしよう……アンジェ、彼は?」
「ええ、今呼んで参ります。立ち話も何ですし、どうぞ中へ。カレン、あの子に応接室へ来るように伝えてもらえる?」
シスターが腰にしがみついている小さな少女に優しく声をかける。
けれど、カレンと呼ばれたその少女は動こうとせず、じっとセリアを見つめていた。
「……カレン?」
シスターが怪訝そうに少女の名を呼ぶ。
名を呼ばれた少女はやはり、セリアの顔を見つめたまま、
「………つれていっちゃうの?」
「っ! カレン!」
諌めるように叫ぶシスター。
けれど、少女は構わずにセリアを見上げ再び同じ言葉を繰り返した。
「申し訳ありません、セリア様。この子は………」
「いや、いいよ」
謝罪するシスターを緩やかに手で制し、セリアは少女の瞳を真っ直ぐ見据える。
「ああ、連れていく」
セリアは逡巡も躊躇いもなく、そう告げる。
少女の肩がビクッと震えた。
けれど、その子はシスターの服を強く握りしめて、自身の想いを弱々しくも訴える。
「……つれて……いかない、で」
「君にとって、あの少年はどういう存在なんだ?」
少女の懇願に答えを返さず、セリアは静かに問いかける。
少女はたどたどしくも、けれど懸命に言葉を紡いだ。
「……いっしょに、ご飯を食べた」
「そうか」
「こわい夜に、抱きしめてくれた…」
「そうか」
「泣いてるときに、なぐさめてくれた……」
「そうか」
「たくさんたくさん褒めてくれた……ッ」
「そうか」
「たくさんたくさん優しかった……ッ!」
「……そうか」
やがて少女の涙腺が決壊する。
その大きな瞳からポロポロと涙が零れ落ちていく。
少女はシスターの裾を握りしめ、叫んだ。
「つれていかないで……ッ!」
少女の賢明な訴えが木霊する。
一瞬の静寂。
それから、セリアは震える少女の頭を優しく撫でつけた。
「すまない。それでも私はあの少年を連れていく」
セリアは心苦しそうに眉尻を下げて、
「私にとって、彼は―――」
「――カレン」
その時、穏やかな声が耳に響いた。
少女が振り返り、その視線に導かれるように私もそちらに顔を向ける。
そして、その先には一人の少年が佇んでいた。
―――それがこの物語の始まり。
英雄史の果ての後日譚。
アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイムと
過去を棄てた私と、過去を失った少年。
共に過ごした時間は短かったけれど。
それは確かに、私が本当の意味で生きていられた―――幸福な日々だった。
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