その少年はね

「その少年は少々ワケありでね」






 セリアは手慣れた様子で愛車を運転しながら、口元の煙草をゆらゆらと揺らす。




 詳細は行きながら説明する、ということで目的地までは車で向かうこととなった。




 車の中にいるのは私とセリアの二人だけ。




 開け放たれた窓から流れていく白い煙を私はぼんやりと眺めていた。






「守ってほしいとは言ったが、その少年は別に誰かから命を狙われているわけじゃないし、直接的な危害に遭っているわけでもない。ただ、その子には身寄りがなくてね。お前の方でしばらく預かっていてもらいたいんだ」




「……戦災孤児か?」








 戦災孤児。








 戦時中や戦後の混乱によって親や故郷を亡くし、行き場を失った不遇の子供たち。




 今の時代ではさして珍しい話でもない。








「さて、どうかな。恐らくそういうのとは少し違うと思うが」




「恐らく?」








 歯切れの悪い返答に、私は怪訝な視線を向ける。








 セリアは軽く肩を竦めて、








「言っただろう? ワケありだって。その少年はいわゆる記憶喪失というやつでね。名前以外のことを何ひとつ憶えていないんだ。まあ、外見的な特徴から察するにこの国の生まれではないということだけは確かだがね」




「記憶喪失?」








 ……なんだか、すごい厄介事の匂いがしてきた。








 今すぐ逃げ出したくなったけど、走行中の車内の中で逃げ場などあるはずもない。




 私は仕方なしに、セリアの話に耳を傾ける。








「事の始まりは二週間前だ。ウチの屋敷の近くで、ほとんど着の身着のまま倒れているところを偶々フェリが見つけてね。流石にそのまま放置するのも忍びなく、ひとまず保護して話を訊いてみたんだが、先ほど言ったように記憶の大半を失っているらしく、名前以外のことは分からなかった。何らかの事件に巻き込まれた可能性があると思い調べさせたが、それらしい情報は無し。市庁舎にも確認したが該当する戸籍データは存在しなかった。他にも方々手を打ってはいるが、今のところその少年の素性についてはほとんど何も分かっていない」




「通行管理局は?」




 内部に該当するものが無ければ、外部から来たと考えるのが自然だ。とはいえ、その程度のことにセリアが思い至らないはずがない。








 案の定、セリアは首を横に振った。








「残念ながら、そちらについても同様だ。過去半年に亘ってラルクスの通行記録を確認してみたがヒットは無し。となると、あとは非正規ルートだが船から密航するには外国人は目立ち過ぎるし、陸路は通行門以外だとあのバカ高い外壁を越える必要がある。お前クラスになれば話は別かもしれんが、仮に魔術士の仕業だったとしても子供一人抱えて誰にも気付かれることなく、あれを飛び越えることは不可能だろう。状況結論だけを言えば、その少年は何の前触れもなく突如この街に姿を現したということになる」








「……………」








 そんな事がありえるのだろうか。








 ラルクスは他の地方都市と比べても遥かに治安が良い。それは同時に、外部からの行き来に対しても厳しい監査が入るということだ。








 当然、外壁に対する監視だって常に行われている。








 私にだって単独でならともかく、その条件でこの都市に侵入するのはかなり厳しい。




 それこそ、空でも飛べない限りそんな事は不可能だろう。








「奇妙な話だな……それで? 話は解ったが、それなら預けるのは私のところじゃなくて騎士団や警察の方だろう。それともアンタは私が保母さんにでも見えるのか?」




「お前が保母に見えるのであれば、場末の娼婦だって聖母に見えるだろうね……騎士団や警察に預けるというのは却下だ。どう取り繕っても、その少年は面倒ごとの種だ。身柄をたらい回しにされるのは目に見えている。どの部署も慢性的に人手不足だしね」




「……おい。まさかとは思うが、私にソイツを一生養え、なんて言う気じゃないだろうな?」




「心配しなくても、お前の甲斐性の無さは知ってるさ。とりあえず一時的に預かってもらうだけだ。期間は……まあ、長くて一ヶ月といったところだな」




「一ヶ月? それまでの間にソイツの家族を捜すっていうのか? でも、いくらアンタでもたった一ヶ月で素性も分からない子供の家族を見つけることなんて……」




「勿論そちらも並行して調べていくさ。ただ、現状その少年の記憶が戻らない限り、捜索は困難を極めるだろう。それに、事情はまだ分からんが仮に家族を捜しあてたところで必ずしも受け入れられるとは限らないしね。もしもの場合は私が養子としてその子を引き取る」














「…………………は?」














 セリアの爆弾発言に、思わず間抜けな声を出してしまう。








 この女、今さらりととんでもないこと言わなかった?








「……もう一度言ってくれ」




「だから養子だよ、養子。まさかとは思うが単語の説明まで必要か?」




 馬鹿にしたような口調のセリアに、私はしばし口を開いたまま絶句した。




 正直、頭の理解が追いつかない。




 いえ、もちろん単語の意味が解らないとかそういうことでなく。








 だって、隣にいるこの女に母親というイメージが、まったく、全然、これっぽっちも、結びつかなかったのだから。








「……本気か?」




「勿論。さすがに私もこの手のことで冗談なんて言わないさ」








 セリアはさらりと言ってのける。








 けれど、事はそう簡単な話ではない。








 何しろアークレイ家は聖王国内でも有数の名門だ。




 一般家庭のように、はい、そうですかと簡単に養子になんて迎えられるはずがない。




 周りからの反発は当然あるだろうし、後継者問題だって出てくるだろう。








 それらの問題を踏まえてなお、セリアが養子に迎え入れるだけの〝何か〟が、その少年にはあるというのだろうか。








「アンタが何処の誰を養子にとって、どうなろうとも勝手だけど。どうしてその子供を引き取ろうなんて思ったんだ? そいつを引き取ったところでアンタには何のメリットもないだろう」




「なに、別にこれといった理由はないさ。強いて言えば、ただの直感だよ」




「……直感? 同情の間違いじゃないのか?」




「そういう感情があることも否定はしないがね。理屈の上で考えれば、その少年を引き取ったところで、確かに私に得は無いだろう。お前の言うように、騎士団や警察に丸投げした方が面倒も無くて済むしね……けどさ、話はもっとシンプルなんだよ、アウローラ。その少年と言葉を交わして、私はその少年のことを気に入った。その少年の行く末を見てみたいと思った。だから引き取ろうと思った。それだけのことだよ」






 そう言って、セリアは口元を淡く緩ませる。




 それはおよそセリアには似つかわしくない、愛おしむような柔らかな微笑みだった。








「損得でなく感情で判断したっていうのか? 為政者としてどうなんだ、それ?」




「知らなかったのか? 私は堅苦しいことが嫌いで、型破りなことで有名なんだ」






 ふふん、と、今度は悪戯っぽく笑うセリアを呆れた顔で見やる。






「……随分と行き当たりばったりな話だな」




「人と人との出会いなんて、大抵行き当たりばったりなモノばかりだろうさ。けど、そんな出会いの中にこそ、人生を変える大きなきっかけがあるかもしれない――それはお前にも覚えがあるんじゃないか、アウローラ?」






「……どうだかな」








 そっぽを向いて答える。




 自分でも子供っぽいなあと思う態度だったけど、見透かしたような言い方がなんだか気に食わなかった。




 セリアは、ふう、と紫煙を吐き出し、話を戻す。






「まあ、とにかくいざとなればその少年は私が引き取る。邪魔する奴は潰す。ただ、今は少し時期が悪いんだ。何しろ私はこれから終戦記念式典の調整で色々と忙しくなるからね」




「……ああ、そういえばもうそんな時期だったか」




「ああ。お前たち大戦を戦い抜いた英雄たちと、あの戦いで散った英霊たちに感謝と敬意を示す祭事だ。お前たちのおかげで、私たちは今日という日を生きていける。それは、誇るべきことだと私は思うぞ」








 淡々と前だけを見ながらセリアは言う。




 その言葉に、私は、ぎり、と奥歯を噛み締めた。








「誇れるものか。知っているだろう。私は、英雄なんかじゃない」








 英雄と称えられるべきなのは、あの人のような存在のことだ。




 むしろ、私はそんな英雄を死に追いやった大罪人だろう。




















 脳裏にあの日の――十年前の光景が蘇ってくる。












 ―――厚い雲が空を覆っていた。








 深くて冷たい森の奥。








 木々は折れ、無残に抉られた大地が、そこで起きた戦いの激しさを物語っている。




 戦いの爪痕残るその森を、深々と舞うように降りしきる淡雪が覆い隠していく。








 とても美しい光景であるはずなのに、たまらなく怖ろしかったことを今でもまだ憶えている。








 生きとし生けるもの全てを染め上げる白の花弁。








 目が眩まんばかりに輝くその世界に、傷つき倒れ伏すあの人と、泣きながら彼に縋りつく愚かな自分がいた。








 そして、そこにもう一人。








 あの人と同じ蒼穹の瞳を憎悪に焦がしながら、私を仇の如く睨みつける、一人の少女―――。




















「―――死んで楽になろうなどとは思うなよ、アウローラ」








 はっ、と、沈んでいた私の意識をセリアの言葉が現実へと引き戻す。








「私も生前、あの御方にお会いしたことがある。お前ほどではないにしろ、あの御方の為人ひととなりについても多少は存じ上げているつもりだ。後悔するなとは言わないし、忘れろとも言わない。お前は悔いるべきだし、忘れるべきではないのだろう。けれど、自ら命を放棄することだけは決してしてはならない――さもなければ、あの御方の死が本当に無意味なものになってしまうぞ」








「……………」








 言われるまでもない。








 あの人は、誰よりも優しい人だったから。




 最期の最期まで誰をも恨むことなく、自分が庇った相手を心配するようなお人好しだったから。








 その願いを無碍にすることだけは、してはならない。








「……分かってるさ、そんなこと」




「ならいいさ。とにかくそんなわけでお前にはしばらくの間その少年を預かっていてもらいたい。ただし、これは私たちの間にある契約の外の話だ。お前の望む形で報酬は支払おう」




「報酬?」






 胡乱な視線をセリアに向ける。






「そんなの、今までどおり適当に金を振り込んでくれればそれでいいよ」




「使いもしない金をいくら振り込んでも仕方ないだろう。今回の依頼は私にとって重要なもの。これまでのように端金で済ませる気はない。お前の望む報酬でなくては意味が無いんだ」








「私の、望み……?」








 セリアの言葉を反芻する。








 けれど、私にはそんなものは―――








「今のお前に望みが無いことは先ほど聞いた。それでも、考えろ。思考を止めるな。これはアークレイ当主としてではなく私個人の依頼。私が渡すのは私の名を担保にした形のない手形だ。お前がこの仕事を果たしてくれた時、私の持てる全てを使ってでもお前の望みを叶える。すべてが終わったあと、もう一度答えを聞こう」








「……特に考えつくとも思えないけどな」








 ひとつ溜息をついて、窓に頬杖をつき、通り過ぎていく街並みに視線を戻す。








 そこにあるのはありふれた、いつもの日常。








 あの人が守った世界。
















 ラルクスの街は今日も平和だった。
















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