望む明日なんてない

 正直……その質問は、不意打ちだった。






「……それ、アンタに何か関係あるのか?」




「無論だ。魔術士という強者の枠組みの中においても、お前の力は個人が持つ武力としては余りにも破格に過ぎる。災害級ハザードと真正面からやり合える者なんてこの国では十人にも満たない。そんな規格外の力を持った存在が明確な意志も目的も示さずにフラフラしてるんだ。それなりに警戒もするし、その真意を確認しておきたいとも思うさ」






 咎める視線をぶつけても、セリアは臆することなく首肯する。






 魔獣には討伐難易度による階級ランクが存在する。




 下から順に〝下位級ロウ〟〝中位級ミディアム〟〝上位級ハイ〟〝災害級ハザード〟〝伝説級レジェンド〟の五つがそれだ。




 当然、上の階級になるほど知能が高く、戦闘能力も強大になる。




 特に〝災害級ハザード〟以上の魔獣は地震や嵐などの天災と同一視されており、その力をもってすれば都市の一つや二つ軽く消し飛ぶ。




 そんな怪物たちと同等の力を持つ存在ともなれば確かにこの都市の代表であるセリアにとっては無視することのできない脅威だろう。






 もっとも、私にその意思があればの話だけど。






「邪推だよ、それ。私にこの都市と事を構える気は無い。ここに住まわせてもらう代わりに、この都市の脅威となるものを排除する。それが先代アークレイ当主との契約。実際この十年、私はその契約を履行してきただろう」




「今までは、な。悪いがラルクスの市長としてだけでなく、雇用主としても今のお前の言葉のすべてを信用することはできない。私はね、アウローラ。強い力には強い意志が伴うべきだと思っている。お前の意志はその強大な力に対してあまりにも薄弱だ。そんな宙ぶらりの弱い意思で、ラルクスにその力が向けられることはないとどうして断言できる?」








 セリアは真っ直ぐに私の瞳を見据える。


 嘘も誤魔化しも一切許さないというように。






 強い眼だ。






 彼女の言う、強い意志を感じさせる菫色の双眸。




 その瞳から逃れるように、私は顔を伏せる。








 やがて唇から疲れた吐息が零れ落ちた。








「……無理だよ」








 弱々しく答える。








「私にはもう、見つけられない」








「それはお前が始めから諦めて探そうとすらしていないだけじゃないのか? 本当に見つけられなかったのか? アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。元・王の近衛。この十年――生きて、暮らして。誰かと触れ合い、何かを守って。望む明日を生きたいと、ほんの少しでも思わなかったのか?」








「…………」








 アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。








 かつての名前。








 あの人がくれたその名前を以前は誇りをもって名乗っていたはずなのに。


 今はもう抱えきれずに、あの雪の日に置いてきてしまった名前。








 そんな何もかもを投げ出した私が、あの人のいない明日に一体何を望めるというのか。








 世界は霞んで、未来なんて遠すぎて何一つ見えやしない。








「望む明日なんて無い。そんなモノ、私の中にはもうありはしないよ。生きている実感も目的もない……この街にはアンタが居て、一緒に買い物に行く程度の知り合いもできた……でも、それだけだ。十年前のあの日から、私の中にあるのは後悔だけだよ」








 余りにもくだらない、懺悔のような言葉。












 あの時、生き残るべきだったのは私ではなく、




 あの時、身を呈すべきだったのは彼ではなく、




 あの時、本当に死すべきだったのは、きっと―――……












 気づけば、左手を強く握りしめていた。








 黒色のグローブに隠れたそこに在るのは守るべき人を守れず、無様にも生き残ってしまった私の罪の証。








「まだ、忘れられないのか。かつての主を守れなかったことを」




「……忘れられるものか」








 そんなの、答えるまでもない。




 だって、あの時のことを悔やまなかった日なんて一日だってないのだから。






「なあ、アウローラ。人魔大戦が終わり、聖王がこの世を去って十年。あの御方の居ないこの世界は、お前にとって何の価値もない存在なのか?」








 セリアが悼むように問いかけてくる。




 その問いに、私はゆっくりと首を横に振った。








「あの人が生きて、守った世界だ。無価値であるはずがない。ただ、私はそれを素晴らしいものだは思えないし、守りたいとも思わない。私が守りたいと願ったのは――たった一人、あの人だけだから」








 私たちの間に沈黙が流れる。








 カチ、コチ、カチ、コチ、と柱時計の音がやけに大きく響いた。








 やがてセリアが、そうか、と小さく、薄く笑った。








「残ったのは後悔だけ、か。失敗して、逃げ出して、名前を棄てて。それでも、残ったモノが他にもきっとあるはずなんだけどな。確かに後悔もその一つではあるのだろう……けれど、それだけじゃない。お前に必要なのはきっと、そのことに気づかせてくれる〝誰か〟なんだろうね」








 それは彼女との付き合いの中で初めて見る、どこか遣る瀬無さともどかしさが混じった複雑な微笑み。








 セリアが再び煙草の煙を吐き出すと、煙の向こうには、いつもの不敵な笑みがあった。








「オーケー。ひとまず今のお前の気持ちは分かった。色々と柄にもないことを言ってしまったが、本題に入ろう。お前に頼みたい仕事の内容についてね」




「……私のことは信用できないんじゃなかったのか?」








 先ほどまでとはまるで違うことを宣うセリアに、私は怪訝な視線を向ける。




 けれど、セリアは煙草を吹かしながらあっさりと答えた。








「そうとも。今のお前のことを信用することはできない。だからこそ、今回の依頼でもう一度、お前という剣の本質を試す。無事にこの依頼を達成することができたその時、改めて契約更新といこう。お前への依頼は―――」








 そうして、セリアはその内容を告げる。








 あまりにも端的な言葉で、




 あまりにも真摯な声音で、
















「――お前に、ある少年を守ってもらいたいんだ」
















 そんな言葉を口にした。










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