聖女の落とし物拾い係

こふる/すずきこふる

聖女の落とし物拾い係

 


 9歳の夏の日、オレ、ディック・キャプターは初めて聖女の落とし物を拾った。

 自分が落としたものに気づかない彼女に、オレは急いで駆け寄る。



「あ、あのっ!」



 制止させようとする彼女の護衛の横をすり抜け、オレがそう声を掛けると、彼女は振り向いた。



「はい、どうかしましたか?」



 春の日差しのような温かな笑顔を向ける彼女。

 オレは、一瞬で心を奪われた。



 ◇



 人間と妖精が共存する国、ファータ王国。その国の中でも名門と謳われる国立ファータ学園がオレ、ディック・キャプターの通う学校である。



「エイミーさま~っ!」



 一仕事終えたオレは、ディック・キャプターは中庭でお茶をしている少女の下へ向かう。中庭の一角には、白銀の髪を綺麗に結い上げた少女と黒髪の男がいた。オレのことに気付いた彼女、エイミー・テイラーは手を頬にあてて「あらあら」と朗らかに笑う。



「落とし物をお届けに参りました~っ!」



 オレは握りしめたものを彼女に差し出した。



『ちょっと~っ! 何すんのよ~!』



 オレの手の中で暴れるのは、ガラスのように透き通った羽が背中に生えた小人だった。カラフルな水色の髪を揺らして暴れる小人、それはこの国で妖精と呼ばれる存在である。


 彼らは人間とは異なる生き物で人の言葉を話し、人智を越えた力、魔法というもの使う。


 ファータ王国には彼ら妖精と共存する長い歴史があり、それ故に特殊な事情があった。



「ほら、さっさとオレの聖女さまに祝福を返しな! 代わりにクッキーやるからさ!」



 ぱんぱんに膨れた妖精の頬を指でつついてやる。すると、「仕方ないわね」とぼやいて妖精はドレスのように身体に巻き付けたハンカチをオレに渡す。そのハンカチは、一見普通のものに見える。しかし、目を凝らしてみるとキラキラと光る粒子が付いていた。



「ありがとう、妖精さん」



 彼女がハンカチを受け取ると、ハンカチについた粒子の輝きが増した。それは空気中に広がると、温かな風が吹き、花壇に植えられた花が一斉に咲き乱れる。中庭にいた他の生徒達がその美しい光景を見て感嘆のため息を漏らしていた。



「はい、ありがとう妖精さん。このハンカチはお返ししますね」



 彼女は妖精に粒子の消えたハンカチを巻きつけてあげる。なんて優しいんだ、オレの聖女。


 しかし、それでも不満げにしている妖精に、オレはポケットからクッキーを取り出す。



「ほら、クッキー。そんな不貞腐れんな」

『ふ~んだ! せっかく拾った祝福なのに~! ディックのばーかっ!』



 そうオレにあっかんべーをしながらも、オレが差し出したクッキーをしっかり握って飛び立っていく。


 この国、ファータ王国は妖精と共存する国だけあって、特殊な事情がある。


 それは、この国の人間は妖精から祝福を受ける機会に恵まれること。その機会は主に3回。その人間が生まれた日に健やかな成長を、成人した日に穏やかな老いを、そして亡くなる日に安らかな眠りを約束される。もちろん、妖精との相性や出会いにもよるので、誰もが必ず3回とはいかない。しかし、それでも中には穏やかな生涯を約束される3回の祝福以外に祝福を受けた人間がいる。それがオレの目の前にいる少女、エイミー・テイラーだ。


 彼女は誕生時に受けた祝福の他にも妖精から祝福を受けており、そう言った特殊な祝福を得た女性を聖女と呼ぶ。



「ディックも、祝福を拾ってきてくれてありがとう」



 彼女のサファイアのような深い青色の瞳がオレに向けられ、どこか照れくさい気分になる。緩みそうになる頬を抑え、オレは首を横に振った。



「いえいえ、これがオレの仕事ですから」

「そうですよ、エイミー嬢。このアホに対して丁寧にお礼を言う必要はありません」



 そう、彼女の隣から不愉快な男の声が聞こえた。


 長い黒髪を首の後ろで一つにまとめた男は、にっこりと笑って黒曜石に似た瞳をオレに向ける。



「それに、彼は聖女の落とし物拾い係なんですからね。当然の働きです」

「レイヴン……」



 この嫌味な男はレイヴン・ブラックマン。彼女の護衛だ。彼が特殊な力を持つ彼女を守る為に存在し、常に彼女の傍にはコイツがいる。世の女性の大半が好むであろう甘いマスクに洗練された所作は、まさに紳士そのもの。両手にはめられた黒い手袋はいかにも気障っぽい。聞けば、この学園にはこの男のファンクラブもあるとか。



「レイヴン、そんなことを言ってはダメですよ。ディックに失礼です。あなたの嫌味で彼が辞めてしまったらどうするのですか?」

「いいんですよ、落とし物拾い係なんて潰しが利くんですから。彼が辞めてもやりたい人間なんて山ほどいますよ」



 困ったことに、聖女様は妖精から得た祝福を落としてしまうことがある。そもそも祝福は人間には大きすぎる力だ。それゆえに、身体から祝福が粒子として漏れ出てしまい、近くにある物質に祝福が付与されてしまう。


 その聖女が落とした祝福を回収して聖女へ返還するのが、落とし物拾い係であるオレの仕事である。


 聖女の祝福に触れる機会が多く、さらにお給金も高いからか、落とし物拾い係を志望する者は多い。聖女によっては複数の落とし物拾い係がいたりする。しかし、護衛とは違い離職率が高い。その理由はたくさんあるが、妖精と追いかけっこになるからだ。


 妖精の本質はイタズラ好きだ。そして聖女が落とす祝福を使ってイタズラを仕掛けるのだ。そのイタズラに巻き込まれて怪我をするなり、妖精に恐怖を覚えてやめてしまう。オレの前任は1週間でやめてしまったらしい。


 そういう経緯もあるからか、この嫌味男は落とし物拾い係を軽視している。

 レイヴンはよくできた綺麗な顔に笑顔を浮かべていった。



「まあ、私の嫌味くらい可愛いものです。このくらいでやめるなら、所詮その程度ですよ」

「テメェ、レイヴン……!」



 前々からムカつく野郎だったが、本当に腹が立つ。顔がいい分、余計に腹立つ。


 しかし、ここで取っ組み合いを始めるようなみっともないことはできないので、オレは握った拳を解いた。



「そうだよな、妖精のえげつない悪戯と比べたら、お前なんて小物のそのものだよなァ~?」



 見えない火花がオレ達の間で飛び散る。普段はのほほんとしているエイミー様もオレ達の間に流れる空気を察して慌て出した。



「ちょ、ちょっと、ディック! レイヴン! 喧嘩は……」

「あら~、ずいぶんと賑やかでいらっしゃること!」



 エイミー様の声を遮るように、甲高い声が中庭に響く。


 振り向くと、その声の主はフリルやレースをふんだんに使った改造制服を身に纏う少女だった。ぐりんぐりんに巻いた金髪を背中に払うと、縦ロールがぶわっと空を切る音が響いた。そして彼女の周囲に真っ赤なバラの花びらが舞い散った。その花びらは両隣に控える取り巻きの女子生徒達の手によってまき散らされている。


 そんな派手かつシュールな演出で登場した少女を見たエイミー様が驚きの声を上げる。



「ブレンダ様!」



 わざとらしい驚き方だけど、天然の彼女はちゃんと驚いている。



「ごきげんよう、エイミー様。相変わらず、エイミー様の周囲は賑やかで羨ましいわ~。さすが庶民の出ですこと!」



 エイミー様の驚いた様子に満足したのか、誇らしげにしているのは、ブレンダ・スケルティング公爵令嬢だ。


 この学園は元々貴族のお坊ちゃんとお嬢さん、もしくは裕福な商人の子どもが多く通う。オレとエイミー様は庶民の生まれだけど、エイミー様は聖女、オレは授業料免除が付いた特待生って形で入学している。ちなみに、レイヴンは伯爵家の次男坊だ。


 彼女は取り巻きの女子生徒達に合図を送り、バラの花びらを撒くのを止めさせると、持っていた扇子を広げる。



「でも、聖女とは常にお淑やかで慎ましくあるべきもの。そう、このブレンダ・スケルティングのように!」



 そう言って高らかに笑うブレンダに取り巻きの2人が拍手し「さすがブレンダ様!」と彼女を持ち上げた。その彼女たちの後ろに控えている大柄の男子生徒は、無表情でこちらに向かって頭を下げた。


 この学園にいる聖女は、実はエイミーだけじゃない。この喧しい公爵令嬢であるブレンダもまた聖女の1人だ。無表情で頭を下げている男子生徒は彼女の護衛である。


 なんとこの学園には現在4人の聖女が在籍している。もちろん、それは聖女が4人もいるのは異例中の異例だ。


 しかも、エイミーとブレンダは同い年。プライドが高いブレンダは、エイミーに何かと対抗意識を向けていた。


 しかし──



「はい、ブレンダ様のような素敵な聖女になれるように、精進していきたいと思います!」



 エイミーはブレンダの嫌味にも気づかず、純粋な心のままにそう告げた。さすがのブレンダも顔を引きつらせた。



「ふん、庶民の出のあなたに……」

「失礼、スケルティング公爵令嬢」



 再び嫌味を浴びせようとしたブレンダの前にレイヴンが割って入る。



「公共の場である中庭で騒がしくしてしまい、申し訳ありません。我が主はこの不出来な落とし物拾い係を諫めようとしてくださっていたのです」



 んだと! オレのせいかよ! そもそも発端はお前の嫌味だろうが!


 しかし、オレは出来る落とし物拾い係。静かに思ったことは口に出さないでおく。



「どうか、我が主を責めないでやってください。責は全てこの落とし物拾い係にありますので」



 レイヴンのお得意の愛想笑い。この愛想笑いはヤツの性格の悪さをまるっと包み隠し、大半の女子生徒はヤツを王子様かと誤認してしまう。ブレンダもアイツの愛想笑いに頬を赤く染める。



「し、仕方ないですわ! だって、庶民ですもの! エイミー様、しっかりその落とし物拾い係をしつけておくのですよ!」



 ブレンダはそういうと取り巻きの女子生徒を引きつれて離れて行き、彼女の護衛はこちらに頭を下げてから、その後についていった。


 完全に姿が見えなくなったことを確認してからオレは大きなため息を漏らした。



「マジで嵐みたいな女だな、ブレンダ嬢」

「そんな下町生まれ丸出しな話し方をするから、彼女が代わりに噛みつかれるんですよ」



 レイヴンの言葉がオレの心に突き刺さる。


 いや、分かるよ……分かるよ! お前が言ってることは! 部下の評価は上司の評価にもつながるもんな。オレを育ててくれた師匠が言ってたさ。それに同じ庶民でもエイミー様は聖女として王宮で教育を受けてたし、お前は生まれそのものから違うしな!


 わかったよ! そんなら言葉遣いをちゃんとしてやろうじゃん!



「申シ訳ゴザイマセン。以後、気ヲ付ケマス」



 どうだ!


 オレがそう言ってレイヴンの方を見ると、ヤツはよりいっそう眩しい笑みを浮かべていった。



「投げやりで事務的、付け焼刃、おまけに表情が最悪です」



 言外で落第を言い渡されたオレはヤツにバレないように項垂れるのであった。



 ◇



「くそぉ~、レイヴンのヤツ~!」



 放課後、若干落ち込んだ気持ちが回復したオレは、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。


 今、オレは学園の家庭科室の一角を借りて妖精に与えるクッキーを作っていた。



「アイツはいいよなぁ~、貴族の生まれで、顔もいいし、頭もいいし、おまけに剣の腕もいいしー」


 ブラックマン伯爵家といえば旧家の一つで、ブラックマン伯爵領は妖精が多く住まう森がある。それゆえに妖精とも関わり深く、ブラックマン家の人間はほぼ生涯で3回祝福を受けているのだとか。聞く限りだと現当主、そして成人したアイツの兄貴もすでに2回祝福を受けているらしい。妖精に祝福を受けることは実に珍しいことだ。中には誕生した日に祝福を受けない人間だっているのだ。


「天は二物を与えずっていうけど、絶対に嘘だろ」



 きっと神様は面食いに違いない。あのムカつく綺麗な顔を思い出したオレは、思わず生地をこねる手に力が入った。



『あ! ディック、見ぃ~つけた!』

「いでっ!」



 声と共に頭に痛みが走る。



『ディック、クッキー作ってる~!』

『いいな~、ちょうだいちょうだ~い!』



 それぞれ赤、青、緑の髪をした三匹の妖精がオレ栗毛の髪を引っ張りながらクッキーをねだる。



「あのな~! これはちゃんとお仕事した人の御褒美なんだよ」



 オレが作るクッキーは妖精専用にオリジナルで作ったものだ。妖精の好みに合わせて作っている。妖精は知恵が回る方だが、その実は享楽的な思考だ。何かを対価にそれ相応の行動をしてくれる。オレと妖精の間ではクッキー1枚で1つの頼み事、という約束になっていた。



『『『え~!』』』

「当たり前だろ? エイミー様の祝福を見つけてくるなり、拾ってくるなりしてこい」



 3匹が口をそろえてブーイングを飛ばすが、オレは無視して生地にハチミツを練り込む。そのクッキーを作っている様子を3匹はオレの髪を3つ編みしながら見ていた。

 オレの頭に9本目の3つ編みがされる頃、3匹の手がぴたりと止まった。オレがその様子に気付いた時、家庭科室のドアが開かれる。



「ディック!」



 そんな明るい声とともに現れたのは、エイミー様だった。オレは思わず彼女の背後に目をやると、あの嫌味野郎の姿がない。珍しい。基本的に聖女の傍にはアイツがいるのに。



「エイミー様、どうしたんですか? それにレイヴンは……?」

「レイヴンは今、先生に呼ばれて職員室に行ったの。だから、私はディックと一緒にいてって。ドアの前までは一緒だったのよ」



 なるほど、交代ってことね。学校は警備がしっかりしているとは言え、護衛の代理をさせるくらいにはオレに信頼を置いているらしい。



『エイミーだ~!』

『エイミー!』

『遊んで~!』



 オレの髪で3つ編みしていた3匹がエイミー様に向って飛んでいく。聖女の彼女は妖精に好かれやすい体質だ。その分、いたずらを受けることも多いが、そこは護衛のレイヴンが守ってくれている。



「こんにちは、妖精さん。ディックと遊んでいたのですか?」

『そうだよー』

『3つ編みしてたー!』

『それにね、クッキー作り見てたのー!』



 喧しく喋る妖精たちの話を笑顔で聞いているエイミーにオレは和む。普段は妖精と一緒にいる姿を見ないけど、妖精と一緒にいる彼女は絵になるな。妖精のいたずらで妖精が嫌いにある聖女様の話も聞くけど、彼女自身は妖精が好きなんだよな。レイヴンが完全に警戒してるから触れ合う機会もないみたいだし。


 いい具合に生地が出来上がり、オレはその生地を伸ばした。



「エイミー様、良かったら一緒に型抜きをしませんか?」

「え?」



 オレが抜き型を取り出すと、エイミー様は青い瞳をぱちぱちさせる。



「いいの? 私が手伝っても?」

「はい! 今作ってるのは妖精用のクッキーなんです。妖精はエイミー様のことが大好きですし、きっとエイミー様が型抜きしたって聞いたら喜ぶと思うんです」

『エイミーが作ったクッキー?』

『食べたーい!』

『絶対欲しい!』



 3匹の妖精が大はしゃぎでいうと、オレの手から抜き型を取り、エイミー様の手のひらに転がした。妖精から抜き型を受け取った彼女はそれをそっと握りしめた。



「妖精さんが喜んでくださるなら、ぜひやってみたいです」



 彼女ははにかんだ笑みを浮かべると、妖精達が「やったー」と声を上げたあと、オレに詰め寄った。



『ディック! ワタシ達も!』

『ワタシ達も型抜きさせてーっ!』

『エイミーと型抜きしたーい!』

「仕方ねぇなー」

『『『やったー!』』』



 3匹分の生地を伸ばしてやり、好きにさせてやる。



『ディック~! チョコとかドライフルーツつけたーい!』

「今日は用意してないから今度なー」

『ディック、それ前にも言ってた!』

『落とし物拾い係はお金たくさん持ってるのに、ケチんぼ!』



 好き放題言っている妖精にオレはナイフ代わりバターナイフを渡す。



「うるさいなー、お前らつまみ食いするだろ。これで飾りでも作れよ」

『ぶーぶー!』

『これでディックの顔つくろー!』

『ブサイクにするー』



 それを食うのはお前らだからな。勝手にするがいい。オレがそう思っていると、隣にいたエイミーがクスクスと笑う。



「ディックは妖精と仲がいいのね」

「まあ、落とし物拾い係ですし、妖精も悪いやつばかりじゃないですしね。オレはこいつらの事、嫌いじゃないですよ?」



 性格の悪い妖精も何度か会ったことがあるが、レイヴンに比べたら可愛いものだ。それに祝福を回収する上で妖精と友好関係を築くのは得策である。でも、損得勘定抜きに、オレは妖精と仲良くしているつもりだ。


 そうオレが言うと、苦笑しながらハートの型で生地を抜く。



「なら、良かった。落とし物拾い係は、すぐやめてしまう人が多いの……こんなに長く続けてくれるのは、ディックが初めて……」



 あー、そういえば、前任は1週間でやめたんだっけ? その前も長続きしなかったって聞いたな。


「レイヴンは『潰しが利く』って言っていうけど、やっぱり一緒にいるならずっと一緒に仲良くしていたいなって」



 ずいぶん意味深なエイミー様の言葉に、オレは一瞬、思考回路が停止する。宝石のように輝く青い瞳が不安げにオレを見上げ、少し居心地が悪い。


 それに仲良くしていたいって……



「えーっと、それは……?」

「レイヴンと仲良くして欲しいなって……」



 そっちか~~~~~~~~~~~



 オレは脱力を覚えると、それをエイミー様はオレが気を悪くしたと思ったのだろう。あわあわと口を開く。



「え、えーっとね! レイヴンも悪い人じゃないの! ちょっと言葉が悪いだけで……その、落とし物拾い係の人が祝福を付与されたものを隠れて売ったりしてて……」

「え……?」

「ディックの前の人は辞めたんじゃなくて、レイヴンが辞めさせたの。落とした祝福は下手したら数時間も持たないから詐欺みたいなものだし、何より聖女への冒涜だって……」



 なるほどな、それで警戒されてんのか。聖女の落とした祝福は売れるっていうもんな。オレはあんな危険物売ろうとは思ないけど。つか、それでもあの口の悪さはどう考えても性格だろ!



「でも、ディックはすごい働いてくれるし、妖精とも仲がいいし、レイヴンもそこは認めてると思うの」



 そうだろうな。じゃなかったら、オレの所にエイミー様を置いていくなんてことしないだろうしな。


 彼女にとってレイヴンは唯一の護衛だ。信頼を置いているレイヴンと仲良くして欲しいというのは、本心だろう。必死に彼を擁護する彼女に、オレは苦笑する。



「だ、だから、その、気を悪くしないでね」

「大丈夫ですよ。たしかに、アイツのこと、ムカつくとは思うけど、嫌いじゃないですしね」



 嫌味で性格の悪い男だが、アイツの仕事ぶりは感心する部分が多い。あのブレンダの嫌味からさっとエイミー様を逃がしてくれるところとか。オレをダシに使われたけど!



「それに、オレは絶対に汚職とか、エイミー様を傷つけるようなことをしません。あと、落とし物拾い係を止めるつもりはないです。だから、これからも働かせてください」



 オレがそういうと、彼女は花が綻ぶような笑みを浮かべた。



「うん、これからもよろしくね、ディック」



 エイミー様の笑顔にオレの心は浄化されていく。


 もうレイヴンの嫌味なんてどうでもいい。彼女の笑顔が見られるなら、オレはあの嫌味男と仲良くしてやろうじゃん!


 オレが彼女と型抜きしたクッキーを鉄板に乗せていると、生地で遊んでいた妖精達が一斉に顔を上げた。



『カラスだ!』

『大変だ! 逃げろ!』

『ばいばい、エイミー、ディック!』



 そう言って、妖精達が窓から出て行く。



「カラス?」



 妖精は捕食対象になりやすい。魔法を扱える存在ではあるが、魔物や猫やカラスといった動物に狙われることもあった。だから、この国の妖精は人間と一緒に暮らしているのだ。


 しかし、ここは室内だ。外より断然、ここにいる方が安全だ。



「カラスなんて、どこに……」



 オレが外を覗こうとした時、家庭科室のドアが開いた。どこか不機嫌な顔をしたレイヴンが教室に入ってくる。



「エイミー嬢、お待たせいたしました」

「あ、レイヴン!」



 彼女は持っていた鉄板を嬉しそうにレイヴンに見せる。



「ディックと一緒に妖精さんにあげるクッキーを作っていたのです」



 アイツは鉄板の上に並べられたクッキーを見て、少しだけ口元を持ち上げた。



「そうですか。あなたが作ったものなら、きっと妖精も喜びますよ」



 いつもは厳しい目つきがその時だけ和らげた。その意外な表情にオレは驚いていると、アイツと目が合う。



「良かったですね、ディック。これで君の商売道具の質が向上しましたよ」



 コイツ! ほっんと性格が悪いな! その発言がエイミー様に失礼だと思わねぇのかよ!


 オレがぐっと言いたい事をこらえると、別のテーブルに置かれた彼女の荷物をレイヴンが手に取る。



「エイミー嬢、国王陛下からの召集です。どうやら、聖女を集めて食事会が開かれるそうです」

「あら、ずいぶん急なお話ですね。クッキーの焼き上がりが楽しみだったのですが……」



 しょんぼりとクッキーを見つめる彼女に、レイヴンが優しく諭す。



「残念ですが、それは彼に任せましょう。ディック、明日焼いたものを包んでもらえますか?」



 オレはおずおずと頷くと、エイミー様がオレに鉄板を渡す。



「ディック、明日楽しみにしてるね。妖精さんに渡さないでね」

「命に代えても守り通すんで、お任せあれ!」



 オレはそう強く頷くと、エイミー様は一瞬驚いた顔をした後、困ったように笑う。その笑顔にレイヴンのせいで荒んだ心が一瞬で浄化される。


 聖女の祝福がなくても、彼女の笑顔さえあればオレは幸せに生きていけると思う。オレが彼女の笑顔に癒されていると、レイヴンがにっこりと笑う。



「妖精からクッキーを守る使命なんて、安い仕事ですね」



 レイヴン、この野郎! 


 エイミー様のクッキーを守るのが安い仕事なんて言わせねぇぞ!



「さ、エイミー嬢。支度もありますので、お急ぎください」

「え、はい。ディック、また明日ね」



 2人が家庭科室を出て行き、オレはイライラをぶつけるように追加で生地を練った。



 ◇



 翌日、オレは焼きあがったクッキーを包んだ袋を持って昼の中庭に来ていた。


 だいたいこの時間は、彼女はレイヴンと一緒に昼食を摂っている。おそらくいつものランチスペースだろう。


 昨日のエイミー様のクッキーは上手く焼けた。しかし、あの3匹がエイミー様のクッキーのことを言いふらしたらしく、案の定争奪戦になりかけたのだ。


 クッキーはもちろん死守した。



『欲しけりゃ、彼女の落とした祝福を拾ってこい!』



 そういうと妖精達は一目散に祝福を探しに行った。

 聖女のクッキーの人気にオレはただただ驚かされた。



「まったく、何が安い仕事だよ。こちとら睡眠不足だってーの!」



 レイヴンの昨日の言葉を思い出したが、オレは彼女がこのクッキーを受け取った時の反応を想像して気を静めた。



『ディック~!』



 遠くの方から声がし、オレが振り返ると昨日の3匹がこちらに向かって飛んでくる。



『ディック大変だよ~!』

『祝福! エイミーの祝福が落ちてる!』



 お、さっそくか。



「早いな。悪いけど、報酬のエイミー様のクッキーは……」

『それどころじゃないよ!』

『クッキー欲しいけど! それどころじゃない!』

『急がないと、食べられちゃう!』

「たべ……?」



 オレが首を傾げると、妖精達がそれぞれオレの頭と両肩を押した。



『『『急げ! 急げ!』』』

「え、ちょ、待てって……」



 オレが3匹に押されながら足を動かすと、中庭に絹を裂いたような悲鳴が響き渡った。

 バタバタと中庭から逃げていく生徒が「うさぎだ!」「うさぎが出たぞ!」と叫び声が聞こえ、オレは呆けてしまう。



「うさ……ぎぃ⁉」



 ぬぅっと大きな影がオレの姿を覆い隠す。


 真っ白な毛並み、真っ赤な瞳、ひくひくと動かす鼻が実にキュートなうさぎが、オレの頭上から見下ろしていた。



「ぶぉっ、ぶぉっ」



 まるでブタのように鳴くウサギにオレは目を点にする。



 でけぇ……! なんだこれ!



 オレが両手を広げても捕まえられない大きさだ。少なくともゾウくらいの大きさはある。うさぎの頭上にキラキラと輝くものが見えた。それは、小さな葉っぱだった。


 祝福が付与された、葉っぱ。



「嘘だろ、お前……」



 聖女の落とした祝福は時折不可解な事象を引き起こす。他人に一時的な幸運を授けるだけならまだいい。過去にオレが拾ってきた不可解な祝福は「足が生えた木」「踊る理事長の銅像」「断末魔を上げる大根」だったが、コイツは群を抜いてヤバい。


 落とし物拾い係が辞める多くの理由は妖精だが、こういった変な祝福で怪我を負い辞める人が次に多い離職理由だ。


 そして、この学園には四人の聖女がいる。落とした祝福は聖女によって輝き方が違う。これで別の聖女の輝きなら、その落とし物拾い係に任せるんだけど……葉っぱの輝きは、温かな黄色い輝き。



 エイミー様の祝福ですよね~~~~~~~~っ! 知ってた~~~!



 ずしん、うさぎがこちらを向いた。そして、うさぎの視線はオレが手に持つ包みに注がれる。


 え、マジ?



「に、逃げろーーーーーっ!」

『『『きゃぁああああああああああああ』』』



 オレ達が走り出すともちろん、うさぎが追いかけてくる。



『ディック! 魔法!』

「おう、サンキュー!」



 普通のサイズでも人間が追いつかない速さだが、妖精がオレに風の魔法をかけてもらい、速度を上げる。



「これだけは死守させてもらうぞ!」



 オレは風を足元へ集め、地面を蹴った。オレの身体は宙を舞い、うさぎの頭上を取った。



「もらった!」



 頭上にある葉っぱに手を伸ばすと、うさぎはさっと移動して躱される。オレを警戒したうさぎが急に方向転換して逃走する。



「あ、待て!」



 オレが追いかけた先には、優雅に食事を摂っているブレンダ軍団となぜか一緒にいるエイミー様とレイヴンの姿があった。



「エイミー様! 逃げてくださいー!」



 オレが必死に叫ぶと、彼女の隣に控えていたレイヴンが立ち上がる。



「まったく、食事中に騒がしいですね」



 突進してくるうさぎの鼻先に向って、右手を突き出した。



「ぶぉっ⁉」



 鼻先をつかれて驚いたうさぎが足を止める。その隙を狙って頭に乗った葉っぱをオレが捕まえる。すると、巨大うさぎはみるみる通常のサイズに戻り、逃げていく。



「はぁ……はぁ……」



 妖精の魔法で補助があったとは言え、全力疾走で逃げ、さらに追いかけたのだ。オレの心臓も肺も限界だった。肩で息をするオレに、涼しい顔でレイヴンが見下ろす。



「ご苦労さまです」



 オレから祝福が付与した葉っぱを受け取り、エイミー様に渡す。彼女は付与した祝福を解放するとうさぎが破壊した花壇や折れた木々が元に戻っていく。


 まるでさっきまでの騒動がなかったかのようだ。



「さすが、レイヴン様。うちのアレクシスにも劣らない身のこなしですわ!」

「公爵家のブレンダ嬢にお褒めの言葉をいただき光栄です」



 レイヴンが恭しく礼をすると、後ろにさっと移動する。



「ディック、大丈夫」



 エイミー様が息切れて動けないオレに水を差しだしてくれる。



 うっ、女神!



 呼吸が整ってきたオレが持っていたクッキーを差し出した。



「え、エイミー様……良かったら、アイツらにこれをあげてください」



 オレの後ろで隠れている妖精が目を輝かせてクッキーを見ていた。妖精達は大好きな彼女からクッキーをもらえるのが楽しみで仕方がないらしい。



「これ、私が型抜きしたクッキー?」

「はい……何とか死守しました」



 すると、彼女は目を輝かせて包みを受け取る。いつになく嬉しそうに頬を赤く染める彼女にオレの疲れが吹っ飛ぶ。



『エイミー! ワタシ、ディックのお手伝いしたの!』

『落とし物の場所も教えてあげた!』

『魔法もかけてあげた!』



 魔法の付与をしたと聞いた時、ブレンダの目が大きく見開いた。それはもう目が零れ落ちてしまうんじゃないかってくらい。


 祝福じゃないにしろ、妖精が人間に魔法をかけて手伝いをしてくれるのは稀だ。オレとしては日常茶飯事だけど。



「そうなんですね。妖精さん、ディックを助けてくださりありがとうございます」



 1人1人お礼を言ってクッキーを与えると、妖精達は歓喜の声を上げて飛んでいく。


 そして、妖精達が他の妖精達にクッキーをもらったことを自慢していると、クッキーが欲しい妖精達の視線がオレに突き刺さる。何やら不穏な呟きも聞こえてくるが、会話までは分からない。とりあえず、どうやったらクッキーをもらえるか会議をしているらしい。


 いつもならすぐねだってくる彼らが、こちらに近寄ってくることはなかった。



「よかったですね、エイミー嬢。クッキーを妖精に与えられて」



 その原因は、もちろんレイヴンが睨みをきかせていたからだ。



「はい、とても嬉しいです。ディック、ありがとう」



 あー、もうその笑顔がオレにとっての最高の祝福です。ありがとうございます。レイヴンのヤツにいいところ持っていかれたけど、オレの苦労は報われた。


 オレが幸せを噛みしめていると、レイヴンの方から舌打ちらしいものが聞こえたが、無視だ無視。



 お、なんかブレンダがすげぇ顔でこっちを見てる。



「妖精に手助けをさせるなんて、そんなことあり得ますの?」



 まあ、普通の落とし物拾い係じゃ無理だそうな。オレの場合、妖精と友好関係を築いてるからな。利害の一致というか、なんというか。



「はい、ディックはとても優秀な落とし物拾い係なのです。妖精さんともお友達です」

「こんなので良かったら、貸出いたしますよ、ブレンダ嬢」



 レイヴン、この野郎! 誰が貸し出されるか!



「ダメですよ、レイヴン。ディックは物ではありません」



 エイミー様がそう窘めると、レイヴンは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。



「ディック、昼食はまだ食べてない? 一緒に食べよう。ブレンダ様も、ディックもご一緒してよろしいでしょうか?」



 エイミー様がそう聞くと、彼女は縦ロールをぶわっと背中に払う。



「よくってよ。働いた者の労をねぎらうのも上に立つ者の役目ですわ」



 それを聞いてエイミー様がオレの分の椅子を用意する。しかし、彼女の隣はレイヴンが堂々と陣取る。無言でこっちに笑いかけてくるこの男が腹立つ。


 いつかコイツをぎゃふんと言わせてやる。



「ディック」



 彼女は紙に包んだサンドイッチをオレに手渡す。



「これ、私が作ったの。いつもディックやレイヴンにはお世話になっているから、美味しくなれ、元気になれっていっぱい願いを込めたのよ」



 サンドイッチには微かに祝福が付与されている。落とした祝福とは違い、きちんと正しく機能している祝福だ。


 え、こんな高級品をもらっていいの? 下手な高級食材よりも価値あるよ?


 困惑している横でレイヴンのヤツは「何をそんなに驚いているのですか? まあ、オレは前からいただいてますけど」と言わんばかりにサンドイッチを食していた。さすがにもったいなくて食べないという選択肢はオレには用意されていない。なぜならエイミー様がすっごい見つめてくるからな!



 意を決して、オレはサンドイッチを口にする。



「美味い!」

「良かった~」



 安堵を漏らす彼女は自分の分を口に運んでいた。



「うん、美味しく出来てる」



 笑顔を浮かべる彼女に、オレは昔の事を思い出す。



 9歳のある夏の日、オレは初めて彼女に出会った。


 当時、唯一の家族である師匠にしごかれる毎日の中で、オレは王宮へたまたま用事があった師匠と共に足を運んだ。


 その師匠は誰かに用事がるとオレから離れ、オレは王宮の中庭で遊ぶことにした。その中庭でキラキラと輝く紙袋を見つける。それに触れるとオレの身体にあった傷がみるみると消えていく。当時は生傷が絶えなかったのもあり、目に見えてわかる効果に、これは自分が持っていけないものだと思った。


 妖精がそれを「よこせ」と騒ぎそれが聖女の落とし物だと知る。これがあるということは聖女が近くにいると察し、オレはすぐに聖女を探した。そして護衛と共に歩く彼女の姿を見つけて呼び止めた。



「あ、あの!」

「はい、どうしましたか?」



 そう言って振り返った彼女の笑顔にオレは、急に恥ずかしくなり我ながらただただ紙袋を彼女に差し出した。



「こ、これ……」



 彼女は紙袋を受け取ったと、オレの顔を凝視する。そして、おもむろに紙袋に手を突っ込み、何かを取り出したかと思うとオレの口へ押し込んだ。



「むごぉ⁉」



 さくさくと甘い味が口に広がり、それがお菓子であることが分かった。


 突如、他人の口にお菓子を押し込んだ聖女に当時の護衛もぎょっとする。オレは慌てて咀嚼して飲み込む。するとキラキラと輝く粒子がオレについた。そして、身体の傷が綺麗さっぱりと消える。



 困惑するオレに、彼女はにっこりと笑った。



「良かった。たくさん怪我があったので、祝福のおかげで治りましたね」



 彼女は両手を胸の前に祈るように組んだ。すると、オレについていた粒子がそっと体の中に消える。それを見た護衛がさらに目を大きく見開いた。



「あなたが元気に怪我の無いように過ごせますように」



 そう言って微笑んだ彼女にオレは急に頬が熱くなる。単純な話、オレは恋に落ちた。そして師匠からオレは祝福を与えられたことを伝えられた。おかげでそれから怪我もしていなし、病気もしていない。そして妖精に好かれるようになった。



『いいか、ディック。お前はちゃんとその祝福の恩義を返すんだ』



 そうオレは師匠に言われた。どうやらオレの中には聖女の祝福が入り込んでしまったらしい。それはただの祝福ではない。呪い染みた効力らしい。


 オレの師匠は、俗にいう森番というやつだった。森番と言っても、普通の森番ではない。本当の意味で妖精と協力関係を結び、妖精の持つ魔法や知恵を授かり、それを王宮へ伝えるという仕事だった。それ以来、オレの修業は聖女に付き人に特化する内容になった。



「ディック、このデザートはマンゴーのムースで、ブレンダ様が…………」



 デザートについて話す彼女を見ながら、オレは身体の内にある祝福が温かくなるのを感じる。



「ねぇ、ディック。聞いてるの?」

「きいてますって……むぶっ⁉」



 オレの口に甘酸っぱい味と柔らかな感触が広がった。目の前にはにこにこと笑いながらオレの口にスプーンを突っ込んだレイヴンの顔があった。



「私からもねぎらってあげます。美味しいですか、ディック」



 この野郎!



 オレは突っ込まれたスプーンとヤツが持っているマンゴームースの容器を受け取ると、自分でもう一口食べる。普通に上手くて感動。


 何食わぬ顔で自分の分を食べ始めるレイヴンの横でエイミー様もマンゴームースを口にする。


 彼女は昔、オレと出会ったことなんて覚えていない。そもそも、本来なら、彼女とこんな近しい関係にはなれない。落とし物拾い係なんて、入れ替わりが激しく、泥土にまみれる仕事だ。しかし、彼女はそれでもオレに優しくしてくれる。


 レイヴンの嫌味は腹が立つけど、今は彼女の傍に居られるというちょっとした好待遇にオレは落とし物拾い係を続けようと思うのだった。



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聖女の落とし物拾い係 こふる/すずきこふる @kofuru-01

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