42 大丈夫
「——止ま■■レ!」
とっさに吐き出したアクロの声に、トルリシャは動きを止めた。まるで石になったかのように微動だにしない。
オズワルドはトルリシャの手からナイフを取り上げ、人差し指を彼女の額に当てる。
「少し眠れ」
同時に額に魔法陣が浮かび、全身へ走り去る。それが消え去るとトルリシャはふっと意識を失い倒れこんだ。ぎりぎりのところで抱き止める。
「ルミリンナ、助かった。今のは?」
「……命令です」
「命令? たしか出来ないとか言っていなかったか?」
「強いものなら無理です。弱いものに対しては――効きます」
アクロは苦々しい顔をした。
「ヒト型の魔獣に命じたのは初めてですが、想定以上に効き過ぎました。なにか影響が出てもおかしくありません。ごめんなさい」
「死ぬよりはマシだ。お前が咄嗟に叫ばなければこいつは首を刺していた」
「はい……」
冷静にふるまっているつもりだがオズワルドは内心ひどく動揺していた。
自分に懐いている少女が目の前で自害行為に至ったのだから無理もない話ではある。
もうひとつ。
誰がトルリシャをそそのかしたか。
――答えは単純だ。だが認めるには感情が邪魔すぎた。
「反省会はまたいつでもできる。ルミリンナ、人を呼んで医務室へトルリシャを連れていってくれ」
「先生は?」
「カサブランカ孤児院へ向かう。——胸騒ぎがするんだ」
「ならわたしも行きます!」
「駄目だ。お前はトルリシャに付き添っていてくれ。目覚めたときまた自害しようとしたら困る」
「……」
「大丈夫だからそんな顔をするな」
まるで自分に言い聞かせるようにオズワルドは繰り返す。
「大丈夫だ」
〇
馬を一頭借り、カサブランカ孤児院まで真っ直ぐに駆らせる。
余計なことを考えると馬に魔力を流し込みかねないのでただ無心でいた。
空を仰ぐ。黒い雲が西から流れて来ていた。夜には雨が降るだろう。
孤児院についた頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
誰も居ない門扉を開け、中へ入っていく。昼間の喧騒が嘘のようにしんと静まり返っていた。
エントランスに入ると、イヴァとノヴァが並んで立っている。
「……やあ、イヴァ、ノヴァ」
「こんばんは、オズ先生」「お待ちしておりました」
「シスター・クラリスはどこに?」
「ご案内いたします」「でもその前に」
イヴァが手を挙げた。
瞬間、後ろから組みつかれオズワルドは床に押さえつけられる。
……魔術師は、物理攻撃に弱い。とくに奇襲にはとっさに対応ができない。
「っ、マーサリー、アッカリ!」
獣人族の少年と少女だ。なにも答えずただそのまま腕を掴んでいる。爪を立てられた箇所からじわりと血がにじむ。
ノヴァは背中から手枷を取り出した。『魔力封じ』にも使われるガリドッド石で作られたものと一目ですぐ分かった。
「——そんなもので俺が抑えられるというのか」
「いいえ」「時間稼ぎです」
レイロとルビガーがにこにことしながら出てくる。手にはナイフを持って。
「オズ先生がこれを壊す間に」「この子たちが死にます」
「……」
「ですから無駄な抵抗は」「しないでくださいね」
黙るしかなかった。
脅しではないのはトルリシャの一件で理解していた。
杖を収納しているブレスレットを外され、手首に枷をはめられる。しかも鎖までついており金属の無機質な音が響いた。奴隷時代を思い出して心底嫌な気分になった。
「オズ先生」「ごめんなさい」
イヴァとノヴァは本当にすまなそうに謝った。
オズワルドは不格好に起き上がる。後ろ手に拘束されたのでバランスがとりにくい。
「でもこれは」「大事なことなの」「オズ先生でも」「邪魔をしてはいけない」
「どういうことだ……?」
「こっちに来て」「お話はシスターがする」
礼拝堂に連れていかれる。
子どもたちは沈黙しオズワルドの周りを囲んで歩いていた。まるで人形のように。
「さあ」「どうぞ」
ドアが開かれた時、むわりと濃い血の匂いと甘い香りが這いだしてきた。
中の様子を見てオズワルドは目を見開く。
木か草が焚かれあたりは煙で立ち込めている。
黒い布を被った子どもたち。何もしゃべらない。
部屋の中央にはろうそくで作られた円。
内側には赤い液体で紋様が描かれている。
隅にはマザー・ベルリカや数人のシスターが胸から血を流して倒れていた。
——神に祈る神聖な空間は、おぞましい雰囲気に包まれている。
「お待ちしていましたわ、オズワルド。ルミリンナさんがいないのは残念ですけれど」
彼の元へゆっくりと歩み寄る影。
シスターベールを脱ぎ、赤毛を背中に流している。
「クラリス、なにをするつもりだ――?」
「なにって」
くすくすとクラリスは笑う。普段と変わらぬ態度で。
「勇者をお迎えするのですよ」
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