41 らしくない
抵抗心はないのかと突っ込みそうになった。
控えめに見てもこれはマズい。二十は離れている男女が密室で膝枕しているのは、道徳的によろしくない。
ずるずると下へさがっていきアクロの脚から逃れる。
「……ルミリンナ、これは駄目だと思う」
「駄目?」
アクロはなにがいけないのか分かっていないらしく首を傾げる。
唯一の目撃者である学内妖精は興味なさげにふわふわと飛んでいた。この研究室は三階にあるので外から覗かれることはまずない。
つまりオズワルドは勝手にこの状況に窮しているわけだが、寝起きなこともあって気付かない。
「年頃の娘がおっさんの膝枕するのは良くない。というか接触もいけない」
「そうなんですか?」
「貴族の娘だろ……。もっと警戒心をもってくれ……」
だがほぼ毎日入室を許している時点で説得力など微塵もない。
いつものやりとりをし、雑談を交わして帰るという繰り返しなので認識がすっかり甘くなっていた。
「わたしは男と女ではなく魔術師と元魔王の関係で考えていたので気にしていませんでした」
「ああ……」
魔王は無性別だったらしいので、男女がどうのというのは疎いのかもしれない。
いやでも人間の社会に17年生きているわけなのでそのぐらい察してほしかった。
「それか師匠と弟子ですかね」
「関係を改ざんするな」
起き上がり髪をかく。
ドアの近くにカゴが転がっている。いかにも平静で対応しましたと言わんばかりの顔をしているが、投げ捨てられたカゴの様子を見ると慌てて駆け寄ってきたのだろう。
夢の中のオズワルドのように。
「……なんか持ってきたのか?」
「はい、サンドイッチを。どうせ先生なにも食べていないんだろうなあと思って」
「ああ……丸一日ぶりだな」
アクロは信じられないものを見る目でオズワルドを注視する。
「は!? それってわたしが食堂でいただいたフルーツサンドと丸パンですか?」
「そうだな。お前が部屋に色々持ってくるから前より食べるようにはなった」
「元魔王に健康管理されていて恥ずかしくないんですか!?」
「そんな羞恥あるなら魔術師やってない」
魔術師の食事事情の中でもオズワルドはまだマシなほうだ。
ホリーぐらいに規則正しく生きている方が珍しい。
「膝枕ついでに口にパン詰め込めばよかったです……」
「死ぬわ。……というより、妙な気を利かせないで普通に起こせばよかったのに」
弟子になる為になりふり構わなくなってきているとは思いたくない。
「最初はそうしましたよ。でも起きなくて。先生、目元に隈もありますしよく眠れていないのかと思ってそのままにしていたんです」
「……」
「でも途中から様子がおかしくなったので少しだけちからを使わせてもらいました」
「様子がおかしくなったとは、例えばどんな?」
「呼吸と脈が弱まっていました。そのためあまり良くないな、と」
夢の内容を思い出す。あの黒い蝶はアクロのものだったようだ。
あのまま留まることをアレキが承諾していたら今頃この身体はどうなっていたのだろう。
「勇者が――夢に出てきたんだ」
根拠はないが、あれは本物だった。
魔術師としての勘が告げている。
アクロも疑うことなくそのまま受け入れた。
「あら。お元気でした?」
「もう死んでいるんだから元気もなにもないだろ……」
「それもそうですね」
一回死んで生まれ変わって現在元気にしている少女は頷いた。
「なんだったかな、引っかかるようなことを言っていたはず」
「彼の言葉はいつだってどこか引っかかりません?」
「うんまあそうなんだけども」
アレキは回りくどかったり正解をはっきり言わないことがある。
厄介なのが、無意識の時とわざとの時があることだ。神託のようなことが実は単なる食べ物の感想であったり、なぞなぞのような語りが警告であったりと彼の言葉に振り回されることが多々あった。
オズワルドはある程度察せたし、クラリスはすぐに慣れて取捨選択ができていたが、ロッダムは最後まで翻弄されっぱなしだった。「具体的に言え!」と怒鳴るのが旅のあいだの日常茶飯事である。
「『停滞した未来に希望はない』ってさ」
「……勇者にしてはあまり明るくない言葉選びですね」
アクロは眉をひそめた。それからちらりと親指に嵌めた指輪を見る。
「少なくとも、魔王であったわたしの夢に出て来た彼はいつも明るいことばかり口にしていました。なので『停滞』や『希望はない』というのは意外です」
「俺も同じことを考えている。ひとを不安にさせないようにし続けたあいつが、どうして……」
夢の時間の関係もあって、あの程度の言葉にまとめたのだろう。だとしても不親切には変わりない。
誰へ、どういった意図なのかぐらいは教えてほしかった。
「なにか感じ取ったのでしょうか――」
アクロの言葉に被さるように、ノックの音が室内に転がり込む。
来客の予定などない。生徒が泣きついてきたのだろうかと考えていると、再びノックされる。
「誰だ」
「オズ先生、トルリシャだよー」
「トルリシャ……?」
カサブランカ孤児院で暮らすケンタウロスの少女の名前を聞いてオズワルドは不審げな表情になる。
外は暗くなりつつあり、いくら王都とはいえ亜人の子どもが出歩いて安全な時間ではない。
そろりとドアを開けると二本足のトルリシャが立っていた。
「こんな時間にどうしたんだ。クラリスが心配するぞ」
にこにこと、トルリシャは無邪気に笑っている。
異様な雰囲気だった。
「シスター・クラリスが呼んでいるよ。あなたが必要ですって」
「なに……? どういうことだ、なにか孤児院で起きたのか」
「シスター・クラリスが呼んでいるよ。あなたが必要ですって」
まったく同じ言葉を、まったく同じ調子で繰り返す。
オズワルドとアクロは視線を交わした。
「リシャさん。あなたはシスター・クラリスに頼まれたのですか?」
「……」
なにも言わない。ただオズワルドだけを見ている。
その目は虚ろだ。
「トルリシャ。説明ぐらいはできるだろう。クラリスはどうして俺を呼んでいる?」
「シスター・クラリスが呼んでいるよ。あなたが必要ですって」
じっとその様子を眺め、アクロは冷静に告げる。
「——先生にのみ、特定の言葉を発するようですね。これは魔術ですか?」
「いや……魔術なら苦労はしない」
魔法陣も魔力も感じない。
これは――暗示、あるいは洗脳だ。
「分かった、トルリシャ。すぐ孤児院に向かう」
「うん。ありがとー、オズ先生」
トルリシャは変わらずにこにことしながら、ポーチに手を入れる。
取り出したのは細身のナイフだった。
「リシャさん!?」
「トルリシャ!」
「これは必要なことだから」
熱に浮かされたように呟くと、勢いよく喉元へ切っ先を向けた。
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