30 誘導的

 ホリーは小さく笑い声を漏らした。

 首を傾げてアクロは答え合わせを待つ。


「殺害、か。病死や老衰のことも考えなかったのかい?」

「先にそのような思考に誘導したのはホリーさんでしょう? 新興宗教とこの手紙は何ら関係がありません。だから、ホリーさんは『キッサイカさんが殺されかねない環境にいる』と遠まわしに言いたくて情報を提示したのではないですか?」

「その通りだ」

「なら、キッサイカさんが危険な状況にいると分かっていて、しかし自分では動かずわたしたちにおつかいを頼むのは――」


 アクロはホリーを見据えたまま、瞬きを一度した。


「――彼を見殺しにしているということでは?」


 オズワルドは表情無くアクロの頭をわしづかみ、そのままテーブルにぶつかる勢いで下げさせた。

 彼自身も深々と頭を下げる。


「申し訳ありません、【紫煙の魔術師】様。私の学生が粗相を致しました」


 ——アクロの発言は高名な魔術師に対する言葉ではないだろう。

 一介の学生が【紫煙の魔術師】で【紺碧の魔術師】の師へ向けた言葉としては、不遜にもほどがある。年上に堂々ということではないし、同年代でもここまですっぱり聞くものではない。

 良くも悪くもアクロは直球で真面目すぎる。

 本人にまったくその気はないにしても、真っ向から正直に話すので人によっては喧嘩腰と思われても仕方がない。


「ルミリンナ。この方は俺の師匠だぞ、言葉に気を付けろ」

「すみません……」

「いいんだよオズワルド。たしかにその通りだから。離しておやり」


 しぶしぶ手を離す。アクロは首をさすりながら起き上がったが、どうしてそんなことをされたか分かっていない様子だった。あとで小言だ。

 ――長年の付き合いで自分の師匠がどのような事を言われても怒鳴ったり怒り狂うことはないのは知っていた。

 だとしても怒りの感情は存在し、それが溜まると突拍子もないことをしでかすので油断ならない。ホリーが足を吹き飛ばしたのだって、「足の一本や二本吹き飛ばしてこそ優秀な魔術師だ」と揶揄した者に対する意趣返しだったのではないかと疑っている。ちなみにその者は国外に逃げてしまったそうだ。

 そのためこの行為の一部はパフォーマンスだ。「ここはどうかお許しください」という。


「若いからこその無謀さを私は好むよ。年を取ると面倒なものにがんじがらめにされて良くない」


 ホリーは指を組みその上に顎を乗せた。

 これは面倒なことになるな、とオズワルドは直感する。この姿勢を取る時はたいてい無茶ぶりを通そうとするのだ。弟子たちはこの姿勢を取られると組み立てていたスケジュールが白紙になることを覚悟する。

 

「お嬢さんの『誘導的だった』という感覚は正しいよ。私はキミたちがキッサイカ家に臨むにあたり、少々緊張感を持っていてほしかったからね」

「どういうことですか?」

「人に言われて気付くのと、自分で考えて気付くのでは意識に違いがある」

「?」

「分かりやすく言うとだね――人に『あそこに落とし穴があるらしい』と言われても意識から抜けやすい。だが自分で『あそこに落とし穴がありそうだ』と察知すると嫌でも緊張したままになるだろう? それと同じだ」

「……つまり、ええと……わたしたちは、もしかして危ないところに向かうのでしょうか」

「うん」


 あっさりとホリーは頷いたのでオズワルドは思わずこめかみを押さえた。


「ルミリンナは17の女子ですよ。まだ監護される年齢です。分かって危険なところに飛び込ませるわけにはいきません」


 そこまで言ってオズワルドは「しまった」と思う。

 16歳の少年だったオズワルドを、数十年以上帰還者のいない魔王討伐の旅へ送り出したのは他でもないホリーであった。

 様々な事情が絡み、師弟の道はそれしかなかった。彼女の苦悩を知っていながら、当時のホリーを責めるような言葉になってしまったことに気付く。

 謝るべきか悩む彼へ、師匠はなんでもない調子で口を開いた。


「大人なことが言えるようになったじゃないか。だけどね、あの家は多分オズワルドだけでは中にあげてくれないよ。今は珍しい、上流階級の人間としか関わり合いを持ちたくないってところだから」


 百年以上前、階級差別に対する抗議から起きた内戦を経てこの国は緩やかではあるが制度が緩くなった。

 それでも未だに排他的な家はある。


「ああ……。【紺碧の魔術師】の経歴はバレバレですもんね。血筋の知れない孤児院上がりだから」

「いまさら古臭いと思うけれど、まあ爵位にしがみついていておかわいいことと思っておけばいい。だが門前払いはさすがに食らいたくないだろう?」

「……だからルミリンナとともに行かせようと」

「そうだ。もしキミらが来なかったら他の貴族の家柄を持つ弟子に行かせようとしていたけど、いいタイミングで来てくれたね」


 いやなタイミングである。

 アクロは小さく手を上げる。


「待ってください。わたしはルミリンナ家の名を名乗っているとはいえ、分家から貰われてきた養女です。いい顔はされないのではないでしょうか」

「いい顔をされることが目的でないよ。貿易業をしているところはまだあまりいないし、関係が悪くなると困るだろうから入れてくれると思うがね」

「そんなものですかね……」

「そんなものだよ」


 丸め込まれたアクロの横でオズワルドもせめての抵抗を試みる。


「仮に、仮にですが師匠……上手くいかなかったらどうしますか?」

「弱気だねオズワルド。私が手塩に育てた弟子と、その弟子の教え子。失敗する要素はどこにもないと思うがね」


 激励のようでいて多大なプレッシャーを叩きつけてくる。

 唇を結ぶしかできないふたりにホリーはにこにことしながら手を叩いた。


「さあ食べようじゃないか。それから外行きに着替えて、キッサイカ家へおつかいに行っておいで。普段の大学生活の息抜きにはなるんじゃないかな?」

「息抜きではないでしょうこれ……」

「ん?」

「なんでもありません」

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