10 児童コーナーと死体

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 児童文学や絵本が並ぶコーナーは、怪我防止のためか角にクッションが張り付けてあったり、優しい言葉で「静かにする」「走らない」と書かれた張り紙が貼りつけられていた。

 高さの低いテーブルや椅子が置かれている場所を通り過ぎ、突き当たりでオズワルドたちの動きは止まる。


「ふむ」


 顎に手を添えてオズワルドはまじまじと見た。

 棚と棚の間、通路を塞ぐように大の字であおむけに倒れている男がいる。国立図書館館長、ルパラ・オリエリックの死体であった。

 目は見開かれ、口はぽかりと開かれている。胸元は赤黒く染まっており出血したことが伺えた。

 なによりも奇妙なのは――皮膚も服も、同じように切り裂かれたあとが無数にあることだった。

 憲兵たちは顔を青ざめさせたが訓練されているからかこの場から去ったり忌避的な態度は取らない。ちらりとアクロを横目で伺うと、平気な顔で眺めていた。


「ルミリンナ、子どもの利用者はいなかったのか?」

「いませんでした。国立図書館ですから、休日はともかく平日の夕方はめったにいませんよ」

「どういうことだ」

「ええと……。司書さんに聞いたら分かりやすいかもしれません」


 遠巻きに様子を伺っていた司書のひとりを憲兵が死体が見えない位置まで連れてくる。

 まさか自分が証言をするとは思っていなかったらしく、目を白黒させていたが、子どもの利用状況について質問されると小声ながら答えた。


「日中は託児所の子どもたちが訪れますが、帰宅する夕方以降はこのあたりは無人です。今日は入館しているところも見ていません……」


 大学や国立図書館まわりは教育機関や研究機関が多く並び、寮は多いものの家族向けの住宅は少ない。

 地域の図書館ならばふらりと行けるが、国立図書館は気軽に訪れる雰囲気ではないのだろう。大学生が入り浸っているが。


「なるほど、ありがとう。……死体を見た不幸な子どもはいないということか。よかった」


 どこか遠くを見ながら呟いたオズワルドを、アクロは不思議そうに見た。レルドは一瞬顔を歪めたが、誰にも気づかれないうちに戻す。


「次だ、隊長殿。オリエリック館長に恨みがあるような人間はいるのか?」

「……分かって言っていません?」

「いいや? 世間でうわさされる通り、【紺碧の魔術師】は大学に隠遁している引きこもりなものでね。世論と言うものに疎いわけだ。だから隊長殿、あなたにお聞きしたい」

「……。数年前、当時は財務官であったオリエリック館長が『偽りの英雄を称える金はない』と発言したり、その流れで勇者パーティーメンバーを貶したことでかなり非難を受けていたではありませんか」


 非難や批判はよくされるので、オズワルドとしても「そういえばそうだったな」と思い出すレベルだ。

 もうすっかり疎遠になっているロッダムはどうしたか不明だが、オズワルドもクラリスもほとんど無関心で成り行きを眺めていた。

 魔王が消えたことで人類に有害な魔素が薄れたこと、勇者が魔王の角を持ち帰ったことで、彼らがたしかに魔王を倒したと認められているが――中には信じない者もいる。いまだに匿名の手紙で『詐欺師』と罵られることもあるぐらいだ。オズワルドは大切にその手紙を保管し、一定の数が溜まると紙で遊ぶのが好きな学内妖精に渡している。


「えぇ? ああ……『頭でっかちで英雄気取りの若造』だっけ? あんまり熱烈だから愛の告白だと思っていたな」

「そんなワケあるかばか」


 小声で罵倒しつつレルドは続ける。


「あのとき勇者様の……ある意味信奉者たちが殺害予告を出したりオリエリック館長の家を燃やそうとしたりで大変だったのですよ。すぐに鎮圧されましたけど」

「ははあ」

「さすがに騒ぎを起こして肩身が狭くなったのか財務官の役割から降り、国立図書館の館長に異動してきています」


 やわらかい表現だが、実質更迭だろう。

 国としても相手が貴族だからあまり下手なことは出来なかったのか。


「つまり、恨みをかいすぎていると」

「そうなります」


 改めてオリエリック館長を見下ろす。

 最期に瞳に映したのは誰だったのか――。


「よっぽどの恨みだったんだろうな。老衰なんか待てず、自分の手で殺すんだから」

「先生、この傷はどうやって作られたのでしょうか?」


 アクロが首を傾げた。


「いくら人がいない場所といえど、こんなに切り裂くにはそれなりの時間が必要だと思います。頭からつま先まで切りつけているというのもおかしな話ですね。殺すならこんなに傷をつけなくても――」

「ルミリンナ」


 淡々と自分の見解を述べる生徒にオズワルドは声をかけた。

 思考に沈みかけていたアクロは目を瞬く。


「どうしましたか、先生」

「……いや」


 アクロは――オリエリックに対して悼む気持ちも、関心も、無いようだった。ただそこにあるものとして扱い、今は「どのようにして死体ができたか」に興味を抱いている。

 そういう心を排した者はオズワルドの周りにも多くいる。今更どうとも思わない。

 ただ、なぜだろうか。

 アクロの話し方が誰かに強く似ていたのだ。無垢ゆえに残酷な、子どもじみた思考回路。それはまるで――

 軽く頭を振る。今は関係ないことだとオズワルドは思考を切り替えた。


「切り裂かれている理由、という点についてはひとつ答えを提示できる」

「それは一体?」

「見せしめだ」

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