第72話 解放されし少女
運命の夜は終わった。
魔女に関しては、マナミの牧場で面倒を見ることとなった。魔女はなおも私たちへの怨嗟を吐き散らしていたが、マナミの監視下ならば問題はないだろう。もはや見た目通りの少女でしかないこともあって、マナミ曰く、動物たちと触れあいながら平穏に暮らしてもらうらしい。奴も多少なり、平穏の価値を理解できればよいのだが。
私とレアは家に帰った。スピネルたちに話はつけてあるが、あまり遅くなると心配するだろう。帰りはニコルの転移魔法で送ってもらった。
あとは私たちに任せてゆっくり寝なさい。マナミたちはそう言って、去っていった。
後にはミネラルの村の、静かな夜が残るばかりだった。
「……あー」
自室のベッドに腰かけ、私はふと呆けた声を漏らした。
「シャイさん、どうかしましたか?」
隣でホットミルクを飲むレアが問いかける。ちなみに私は猫舌なので冷めるのを待っている。
「いやな……これで本当に、終わったのだなと思って」
「終わった?」
「私にまつわる諸問題が、だ」
思えば色々あった。この村に来てからというもの、転移魔法の暴走事件があったかと思えば、ニコルと遭遇したり、マナミと遭遇したり……勇者と邂逅したり。
魔女による襲撃があったかと思えば、病により余命僅かと宣告されたり。
私の平穏には、様々な問題があった。
それらをひとつずつ、時に他者の手を借りつつ解決していって、この夜に至ったわけだ。
「いわば私は、今日まで……魔王であることから、逃れられなかったのかもしれないな」
私の身に起こった問題はいずれも、私が魔王であったゆえに起きたことだ。
転移魔法の暴走と病は、莫大な魔力ゆえ。
勇者に狙われる恐れや魔女による襲撃は、魔王という立場にいたがゆえ。
魔王という立場を捨てたつもりが、結局、その名によるしがらみから抜け出せずにいた。
そう、今日までは。
「だがそれも今夜、決着がついた」
無論、私が元魔王であることはこれからも変わらない。レアと折半した魔力はそれでもまだ人間と比べれば遥かに多い、マナミとニコルという、魔王時代とは切っても切れぬ関係を持つ2人もいる。勇者による魔界運営もうまくいくかはわからない。過去が完全に消えることはないし、消したいと願うわけでもない。
それでも、やはり、私は今。
「ようやく……魔王をやめられた。そんな気がするのだ」
そういった実感が、喜びとも安堵ともとれぬ一声として漏れ出た。そんな感じの、「あー」だった。
レアはそんな私を見て、笑った。
「魔王をやめたら、シャイさんは……なんになるんですか?」
ミルクを飲みながら聞いてきたのは、冗談めかした問いだ。私もまた、フッと笑い、ミルクに口をつける。まだ熱い。戻した。
「決まっておるだろう。お主の姉であり、スピネルとウッディの子であり……一応は、ニコルの妹で、マナミの子。ミネラルの村に住む、一介の村娘」
かつてないほどの実感を込めて。
私は私がなんであるか、口にする。
「シャイだ」
答えを聞き、レアが笑う。それを見て、私も笑った。
これが私の望んだものだ。心から、そう言えた。
さりとて、平穏とは、変化がないことではない。
むしろ平穏だからこそ、変化が訪れるのかもしれない。
「村を出る、だと?」
そう聞き返し、はにかみながら頷いたのは、店に遊びに来たマイカだった。
小料理屋オリヴィンの昼休み、私はレア、ルカと共にマイカの話を聞いていた。
「すぐじゃないけどねー、さ来月くらいかな」
「それでも驚きだ……村を出てどこに行くのだ?」
「ディーン城下町! こないだシャイたんファミリーと一緒に出かけたっしょ? その時、憧れてた美容師さんと話してさー、見習いで働かせてもらえることになったんだ!」
嬉しくてたまらない、というふうに、マイカは目を輝かせていた。かねてから街で働くのはマイカの夢だった、はしゃぎもするだろう。
「でも寂しくなるな、そうなると」
ルカが喜び半分悲しさ半分といった顔で言う。ルカとマイカは幼馴染、その夢を応援する気持ちもあるだろうが、離れ離れになるのはやはり……
「ま、1か月だけだけどね」
さらりと言い放ったマイカに対し、私たちは肩透かしを受けた気分になった。
「なんかさー、働いてた人の妹さんがー、その人の地元で結婚式? の予定で、それに出て帰ってくるまでの穴埋めなんだって。だから1か月だけ、その後は村に帰ってくるよ」
「な、なんだ、そうだったのか」
「でもでも、街で働くの初めてだし、体験は大事ってパパも言ってたし! とにかくやってみるっきゃないっしょ!」
夢の実現とは程遠い、わずかな期間の就労といえど、大事な一歩には違いない。マイカの嬉しそうな顔を見るとこちらも嬉しくなってくる。
「ともあれよかったではないか、夢に一歩前進だな」
「それそれー! マジ一歩前進!」
と、その時、ふいにマイカは聞いてきた。
「そーいえばさ、シャイたんの夢ってなんなん?」
「む? 私の夢……?」
「そ! なんかないの? 将来こうなりたいとかさー」
「むう、とりあえず、レアの姉としてもっとしっかりとしたいと思っているが」
「そういうのじゃなくてさー、んーなんて言えばいいんだろ」
「むむ?」
私とマイカが困っていると、ルカが助け舟を出してくれた。
「たとえばシャイの目標は、絵物語をスラスラ読めるようになることだろ?」
「うむ! レアと一緒にな」
「夢っていうのは、それよりもっともっと大きな目標のことだな」
「ふむふむ?」
「そんな感じー! さっすがルカ」
私は文字が読めないので、レアが好きな絵物語も、レアに読んでもらわないと理解できない。それはそれで心豊かになる時間なのだが、やはり少しずつしか読み進めず、レアと好きを共有できないのはもどかしくもある。だいいち、姉として少々気恥ずかしい。
絵物語を読めるようになった自分を想像するとわくわくする。
そして夢とは、それよりもっと大きなこと。すなわち、もっとわくわくすることなのだろう。
「夢、か」
平穏のさらに奥に、それはあるのかもしれない。
私は夢について考え始めた。
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