第71話 穏やかなる魔王

 かくして、私はレアと魔力リンクの契約を結んだ。


 儀式自体はあっさりとしたものだった。手を繋ぎ、マナミが何やら唱えたかと思うと、もう終わっていた。何かもっと劇的なものを予想していた私もレアも拍子抜けした気分だった。


 しかし儀式を終えると、たしかにレアから魔力を感じるようになった。私の魔力がレアに流れ込んだのだ。


 当のレアはまだ魔力を感じることができないようだった。しばらくは訓練が必要だろう、指導してあげようと思う。姉としての面目躍如のチャンスだ。


 ともあれ、これで病の魔の手は回避できたわけだが、私に迫るのは病だけではなくもうひとつある。


 魔女のことだ。今もなお、私の体をつけ狙っている。これをなんとかせねばならない。


 しかしこれにもマナミは解決策があると言い出した。


 それはレアを囮かつ罠として使う作戦。レアを魔法によって私に化けさせ、魔法の封印を施したうえで、あえて魔女の前に出て、体を入れ替えさせてしまうというものだった。


 私が魔女の肉体に入ると肉体が魔力に耐え切れず死んでしまうが、リンクしているだけのレアならば耐えられる、という理屈らしい。また、魔力リンクしているがゆえにレアが発する魔力は私と同質、なまじ魔法に長けた魔女だからこそ欺ける、と。


 当然、私は反対した。マナミが言うからには勝算があるのだろうが、それでもレアを危険に晒したくない。


 が、当のレアが強く賛成した。シャイさんを助けるためならば、と。魔力リンクを請け負ったのだから今更危険は承知、とも。


 結局、私は押し切られてしまった。どうもレアには敵わない。だがそうした押しの強さもまた愛らしい……


 ともあれ。


 レアの魔力操作の訓練もあり、数日の後、作戦は決行された。






 そして、この夜の森へと至る。


 レアのおかげで作戦は見事成功し、私たちは魔女を捕らえることに成功した。


「レア、体は大丈夫か?」

「はい、もちろん」


 作戦を終え、再び魔女と体を入れ替えて、元の体に戻ったレアが微笑む。精神的な疲労ゆえか少しくたびれた様子もあったが、大きな問題はなさそうで安心した。


 ちなみに精神の入れ替えはマナミの手で行われた。曰く、ウッディの時と今回で2回も目の前で見たのだから模倣できる、とのこと。魂を操る魔法を見ただけでものにするとは、やはり奴も底が知れない。


 そのマナミはというと、魔女が悪さできないように、ニコルと共に様々な封印を施しているところだった。私たちはそれを待っている形だ。


 待っている間、レアを安心させたいのもあって、とりとめのない会話をする。


「別の体になるのって、変な感じでした」

「だろうな、私も最初はずいぶんと苦労したものだ。手足の長さ、指の長さひとつとっても違うからな」

「あと、私ってあんな声だったんですね。思ったより変な声でした」

「そうか? いつもと同じ声だったと思うが」

「シャイさんから聞けばそれはそうです。声って、自分の声は耳に直接響くから、自分で聞く声と他の人が聞く声ってちょっと違うんですよ。本で読みました」

「ほほうそうなのか、そういえば私の声も、魔女が発していたそれと違っていたな」

「今度、マナミさんにお願いして、私たちも入れ替わりしてみましょうか?」

「れ、レアの体に私が? ちと気が引けるな……」


 そうして話していると。


「済んだよ」


 と、マナミが振り返った。


 その奥ではニコルに後ろ手を拘束された魔女が、がっくりと項垂れていた。


「転移魔法の封印をはじめ、色々と魔術的封印を施した。少なくとも私とニコルくんのどちらかが生きている間は、魔女は魔法を使えない」


 魔女を魔女たらしめていた莫大な魔力とそれを行使する魔法の知識。今の魔女はそれらを封じられた。


 かつて人間を憎み、魔界へと至り、魔王軍の幹部にまで上り詰め、ついには魔王の座まで手にした魔女。だが勇者に敗れ、肉体を予備へ、そのまた予備へと移し替え、忌み嫌っていたか弱い姿へと戻り、それでも再起を企て暗躍していた悪は。


 ついに、敗れ去ったのだ。


「……まだよ」


 魔女が絞り出すように言う。顔を上げ、私を睨みつける。


「私は魔女……魔法の天才……魂すら操って、魔王に上り詰めたのよ。どんな封印だろうと、この私の前では関係ないわ! たとえ何年かかろうと、調べて、調べて……いずれ必ず封印を解いて、あんたらを殺しに戻ってくる! 絶対にね!」


 私に向かって魔女が吠える。私を睨む目は憎悪に満ちていた。


 魔女のもっとも恐るべき能力はその執念。人間の身で魔界に辿り着き、病により10歳で死ぬはずの肉体を何年も生き永らえさせ、ついには魂を操る魔法を生み出した。


 マナミのことを疑うわけではない、しかし月夜の中、私への憎悪をまき散らすその声を、雑音と切り捨ててよいものか。


「それが嫌なら殺しなさい! 今ここで! あんたの手で! 私を、殺しなさい!」


 暴れる魔女を、ニコルが必死に抑える。そうしなければ今にも噛み付かんばかりの勢いだった。


「どうする、シャイ。お前が手を汚すのが嫌なら、私たちで片付けるが」


 マナミはよくわかっている、実際に魔女の語る復讐が可能かどうかが問題ではない、その可能性が残ってしまうのが問題なのだ。平穏とは純潔、不安や心配といった黒いシミは、どんなに小さくとも、たしかな汚れを生んでしまう。


 それを防ぐためには、ここで殺してしまうのがベストかもしれない。だが。


「いや……殺すのは、なしだ」


 私は首を横に振った。


「レアちゃんのためか?」


 鋭くマナミが問いかける。私の平穏を第一に考えるマナミからすれば、ここで魔女を殺すのが一番だと考えているに違いない。きっと、私を説き伏せる理屈を様々用意しているのだろう。正直私とて、理屈でもって納得させてもらえるならばそれでもいい。


 だが、その納得こそが厄介なのだ。


「そうともいえるし、そうでないともいえる……」

「ほう? 珍しいな、お前がそんな曖昧な言い方をするのは」

「よくわからんのだ、理屈で言えばここで始末するのがもっともいいはずだ。なにせ私の命を狙ってきた奴だからな、ルカの一家も襲撃された」


 平穏な生活のためならば、どう考えても魔女は殺した方がいい。魔女は私を殺そうとしていたし、村の皆にも迷惑をかけたのだ、それだけの理由はある、だが。


「だがどうも……殺してしまうのは、引っかかる。抵抗があるのだ。理由は私にもよくわからん」


 一応、魔女には恩がある。魔女が肉体の入れ替えを画策しなければ、私がレアと出会うこともなかったわけだ。それが理由かもしれないが、しかしそれも魔女は自分本位でやったこと、恩を感じる必要はないはず、とも思う。


 同情もある。生まれ持った能力のために幼い頃から恐れられ、病に身を蝕まれながらも、誰を頼ることもできずに生きてきた。憎悪に飲み込まれるのも無理はない。だがそれはそれとして、行いが許されるわけではないだろう。


 つまるところ、よくわからないが、殺したくはないのだ。


「マナミよ、むしろこちらが聞きたいのだが、どうすればよいと思う?」


 逆にマナミへと問いかける。レアも言っていた、難しいことは大人に任せろ、と。身に余る問題はこいつに投げるのが一番だ。


 するとマナミは。


「なるほどな」


 そう言って、微笑んだ。いつになく優しい笑みだった。


「きっと、それが正しい感覚なのだ。魔界で生まれ育った私が歪んでいるだけで、命を奪うことへの忌避感は、平穏に生きる者ならば、持って当たり前の感覚。たとえそれが日々命を奪って生きる人間の欺瞞だとしても、その欺瞞を持ち得る余裕こそが、平穏というのだろうな」


 マナミはふいに私の頭に手を伸ばすと、柔らかな手つきで頭を撫でてきた。


「お前がその余裕を持つに至ったこと、嬉しく思う。その心、大事にしろよ」

「ふ、フン、言われずともそのつもりだっ」


 なんだか気恥ずかしくなって手を払った。マナミはそれでも笑っていた。


「……なんで」


 するとその時、絞り出すような声が魔女から聞こえた。


「なんで、あんたは……そうなのよ……! ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと……!! なんで、なんでっ!」


 だん、だんと地団太を踏む魔女。暴れているが、様子が先程とは少し違う。


「ふざけんじゃないわよぉっ!」


 顔を上げ、叫んだ魔女の瞳には、涙が浮かんでいた。


「せっかく、会えたと思ったのに……私が望んでた、魔王に……! 私なんかよりずっとずっと強くて怖くて、人間たちをブチ殺してくれる、本当の魔王に! なのに、なのにっ!」


 魔女が激しく暴れ出す、声は涙に染まっていた。


「私は教えたわ! 魔法の技術、魔王としての心構え、人間たちの愚かしさ! なのにあんたは腑抜けで! 間抜けで! 魔王なのに、ぜんっぜん、魔王じゃなかった! なにあっさり体奪われてるのよ、私なんかに!」


 魔女の声がどんどんヒートアップしていく。まるで、子供が泣きじゃくるように。


「殺しなさいよ私なんか! 魔王なんだから! もっともっと邪悪に、君臨しなさいよ! わ、私が、私が夢見た魔王は、あんたなんかじゃ……あんたらなんかじゃない! 魔界の、魔王は、強くて、怖くて、人間たちを、みんなやっつけて、私を、たすけてくれる……魔王の、はずだったのに……なんで、なんで……こんなとこで、笑ってるのよ……そんな女の子と、わ、わらって……私の、私の魔王様なのに、魔王様なのにぃ……あ、あああ、うわああああああああああんっ」


 もはや最後は言葉にならず、大声で泣き始める。夜の森に、魔女の鳴き声だけが響き渡る。


 それからずっと、魔女は泣いていた。子供のように。


 



 きっと、魔女も子供だったのだろう。幼い頃からずっと、憎悪ばかりが膨らんで、成長することができなかった。


 迫る命のリミットは、どれだけの恐怖だっただろうか。


 子供が親に縋る代わりに、魔王という存在に縋った。絶対的な悪として、自分の憎悪を叶えてくれる存在として。


 おそらくは唯一、希望を見たのだろう。魔王こそ自分を救ってくれると、子供そのものの憧れを抱き、魔界にすら至り、その足元までやってきた。


 そして失望し、暴走し……戻れないところまで行ってしまった。


 私はどうだろうか。


 もしあのまま、名ばかりの魔王を続けて。


 やがて勇者たちが魔王城へと辿り着いた時……『我が平穏を脅かすもの』として、それを殺していたら。


 平穏になれていただろうか。レアの隣で笑える、今の私になれただろうか。


 ひとつ間違えれば、あるいは。


 平穏とは、なんと得難く、尊いものであることか。


 魔女の涙を見て、私はあらためてそう感じたのだった。

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