第69話 背負いし魔王

 今夜、私の平穏な日々は、重大な危機に直面していることが判明した。


 マナミの話の要点は3つ。


 1つ。私の病は深刻、本来ならば命を落としていたこと。


 2つ。ミネラルの村に魔力が希薄だったおかげで病の進行が緩和され、そのおかげで私は今生きているということ。


 そして3つ……今、魔界を治める勇者の手によって、魔界を覆う結界が解かれようとしていること。


 それらをまとめた時、結論はひとつ。




「そう、遠からず、お前は死ぬことになる」


 マナミは真っ直ぐ、私を見つめて言った。機械的な警告だった。


「……なるほどな」


 私がしたことはまず、レアの手をぎゅっと握ってやることだった。家族を失うことにトラウマがあるレア、私が死ぬということは、想像しただけで辛かろう。覚悟の上でこの話を聞いているが、それでも私は、僅かに震えるその柔らかな手を握ってやった。


 私には、死の宣告を受けようと、さほどの恐怖や混乱などはなかった。元より死に対して私はさほど恐怖はない、いちいち死に怯えていては魔界では生きられないからだ。マナミがそう、私を作ったのかもしれない。あるとすれば混乱だが、先程までとは違い、なぜ死ぬのか、どうすれば死ぬのか、理由も過程もはっきりしている。


 むしろ『つまり死ぬ』という呆れるほどシンプルな問題を提示されたことで、思考が整理され、すっきりしたくらいだ。


 恐怖があるとすれば、それはレアを遺して死ぬこと。


「質問が3つある。1つめ、勇者が魔界の結界を解放する理由は?」

「環境をよくするためだ。魔界は結界で覆われていることで魔力が圧縮され、地脈、水脈、様々な悪影響が出ている。魔界を、新たなる魔王を生まないような平穏な地に変えるためには、結界の解除は必須だ」


 結界の解除は必須。理由は平穏のため。そう言われては仕方がない。


「わかった、2つめの質問だ。結界が解除されたとして、その影響がミネラルの村に及ぶまで、どれくらいの時間がかかる?」

「1日とかからない。魔力は形なき存在、世界の果てだろうとその影響はすぐさま届く。転移魔法が一瞬であることを考えれば、これでも長いくらいだ」


 猶予はなし。まあ、これも想像できていたことだ。


「3つめの質問だ。結界が解除されれば私が死ぬという事実、勇者は承知の上か?」

「知っている、私が説明した。勇者とてお前を殺したいわけではない、問題解決まで待つと言ってくれた。ただし、魔界の解放を阻止するつもりならば、容赦はしない、とも」


 勇者、魔王を打ち倒した青年。かつてまみえたその瞳には、優し気な笑みの奥に、揺るぎない意志の力を宿していた。


 勇者は言っていた。『魔界がある限り、第二第三の魔王が生まれ続ける』。『魔族が人間を恨み、人間の世界へ攻め込むのも、魔界が住みづらいからだ』。『ならば魔界を平和にすれば、少なくとも今よりは、戦争は起きなくなる』。


 勇者とは、人間の世に平和をもたらすために戦う者。魔界を平和にすることは、いわば勇者の戦いの一部。その戦いはまだ続いているのだ。そして勇者は平和のためならば、どんな強大な相手でも……それこそ魔王でも、討ち滅ぼした。


 平穏のため、魔王と戦うのが勇者。まして一度は成し遂げたのだ。私を討つのは魔女を討つのとは話が違うが、容赦はしない、という言葉を、甘く受け止めるべきではないだろう。


 皮肉なものだ。魔王をやめたはずの私の前に、結局、勇者が立ちはだかった。やはり魔王は勇者に討たれるものなのか? これもまた、運命というやつか。


「なるほど、安易な解決は叶いそうにないな」


 では、ここらでひとつ、はっきりさせておくべきか。


「マナミよ。何一つ犠牲にせず、私も死なず勇者の要求も満たされ……全てが丸く収まるような解決法はあるのか?」


 返答は、わかりきったものだった。


「……ない。私たちが見た限りではな」


 マナミは目を逸らした。奴にしては珍しく、あからさまに内心を出した仕草だった。


 マナミは別に全能ではない、世界をくまなく探せば、解決法はあるのかもしれない。だが、マナミの能力と、私へかける心情を思うと、その口から出る「ない」という言葉には重みが感じられた。


 ふーっ、と、私は息を吐いた。


「話はわかった」


 今宵、マナミから聞き出した『秘密』。その意味、その意義、はっきりとわかった。


「お主らの顔を見るに、私の死が避けられないわけではない。何かしら方法はあるのだろう」


 もしも万策尽きたのならば、特別授業だなんだ、とおどける余裕もないはずだ。マナミに関して、その点は信頼がある。


「だがそのために、私は何かを捨てねばならないのだろう。お主らに必要なのは、私にその犠牲を求める覚悟……そして私が必要なのは、その犠牲を受け容れる覚悟、というわけだな」

「その通り。お前にこんな選択を迫ることになるとは、まったく自分が情けない限りだ」

「フン、それはお互い様だ」


 私は自嘲気味に笑った。


「思えば私の平穏は、どれもこれも与えられたものだ。肉体は魔女に、住む場所はレアたちに……生きる時間は、運命に。私自らが掴み取ったものなどひとつもなかった。以前からレアにも言われていたことだが、私は結局、子供なのだな。この重大な局面にあって、あらためて痛感させられた」


 運命と言えば聞こえはいいが、結局、流されていただけだ。極論、魔女が魂を入れ替える魔法を完成させていなかったら、私は今でも平穏平穏と内心ごちつつ、魔王城でふんぞり返っていたかもしれない。


 認めるしかない。私は無力だ。


「だが、そんな私を、受け入れてくれた者たちがいる。レアも、スピネルも、村の皆も……マナミ、ニコル、お主らもな。あらためて、感謝する」

「っと、きゅ、急になんだ、シャイ」

「もも、勿体ないお言葉ですっ」

「ゆえに……無力な私ができることといえばやはり、私らしく生きること。それがきっと、私にとっても皆にとっても、最善なのだろう。そのために何かを背負う必要があるのならば、喜んでやるとも」


 思うに平穏とは、本来、何かを犠牲にしてでも掴み取るものなのだろう。勇者が平穏を求めて戦ったように。ともすれば、平穏に生きることは、魔王になることよりずっと難しいことなのかもしれない。


 私はその価値ある平穏を、ただぽんと与えられてきた。これまでが恵まれ過ぎていたのだ。今とて、迫る命の危機の対処策を、結局はマナミらに探してきてもらっている。


「覚悟のひとつくらい決めねば、魔王云々以前に、1人の人間として恥ずかしいというものだ」

「……そう言ってもらえると助かるよ」


 私がはにかみがちに微笑みかけると、マナミの頬もようやくほころんだ。


「して、次善の策はなんだ。私は何を背負えばいい? これまでの平穏の分だと思って、背負ってみせるとも」


 話はまとまった、後は私が生きるための献策を聞くのみ。私はそう思い、おどけて胸を叩いて見せた。


「ああ」


 だが……それを受けて頷いたマナミの表情が、また陰った。


「いくつか案はあった。たとえば村の方を結界で覆い、魔力希薄を保つ方法だ。ただそうなるとシャイは生涯結界の外に出られないし、何より結界も魔法である以上、それで村を覆うとどうしても今より魔力濃度が高くなり、病が進む危険性がある……他にも、一時的に仮死状態にして治療法を探す、魔力嚢自体を手術で取り除いてしまう、などの案はあったが、いずれも根本的な解決に至らなかったり、危険性が高すぎたりと、現実的ではなかった」


 何やら長々とのたまうマナミに、私は少し苛立ちを感じた。


「今更回りくどいことを言うなマナミ、結論を言え。どんなものでも受け入れると言っておろうが」

「悪いがこれは自衛のためだ、色々と考えた末の結論なのだと納得してもらわなくちゃいけないからな。私とて、無意味にお前に嫌われたくはない」

「なに?」

「初めに言ったろう、後悔することになると。その意味が、これからわかる」


 後悔? 確かにマナミはそんなことを言っていた。だがそれは、私が死の危機にあることをレアが知ってしまうことだと思っていたのだが……


 ……後から思えば、それは正しかった。だが、それで終わりではなかったのだ。


「レアちゃん」


 ふいに、マナミはレアに話を振った。


 私は気付く。レアの手の震えが、いつの間にか止まっていることに。それどころか、私の方から掴んだはずの手が、レアの方から、しっかりと握り返されていることに。


「今、君が考えていることと、私の結論は同じだ」


 マナミの言っていることがわからない。マナミと、レアの考えが同じ? どういうことだ。


「君の口から言ってあげてくれないか。シャイの命を救う方法を」

「なんだ? 何を言っている?」

「はい、わかりました」


 私を置き去りに、レアはしっかりと頷き、もう片方の手も私へと伸ばして引いた。


 両手を握り合い、私とレアが正対する。


「シャイさん。私ずっと、考えてたんです。王女様たちに、お話を聞いてから……でも、きっとシャイさんは嫌がるだろうと思って、言えませんでした。でも、シャイさんの命が危ないんだったら、もう嫌とは言わせません。『犠牲』、背負ってもらいます」


 レアがゆっくり、しかしはきはきと語り掛けてくる。私はそれをどぎまぎしながら聞いていた。王女といえば、ディーン城下町のサニとルチルのことだろう。私と同じ病を持った姉妹……


 そこまで考え、ようやく私も考え至る。


「待て、レア」

「待ちません。私が、我慢できないんです」


 月明かりに照らされた、レアの瞳が私を写し込む。そしてその小さな唇から明かされる。


 私を遥かに上回る、彼女の覚悟が。

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