幕間 平穏の裏で

 魔王シャイターンが討たれた魔界は、混乱が広がりつつあった。


 元より破壊と暴力だけが法の混沌の地、魔界。絶対的強者およびそれが率いる人間という明確な敵への憎悪だけで成り立っていた仮初の調和が崩れ、また死の臭いが魔界中に立ち込め始める。ただ暴れる者、次なる魔王を目指す者、なおも人間界への侵攻を企てる者……血しぶきと共に、また魔界の争いの歴史が幕を上げようとしていた。


 だがそこに一閃、鋭い声が響き渡った。


 それは魔力により直接頭へと語り掛ける念話。魔界全土へ余すことなく響いたその事実が、莫大な魔力すなわち力の証明でもあった。


 声の主が名乗ったのは、勇者。


 響いたのは、宣言。


 魔王を討った自分が……新たな魔王となり、魔界を統べるという、宣言だった。





 魔王城。


 念話による宣言を行っていた勇者がゆっくりと目を開く。その傍らにはマナミが控え、勇者の頭に手を添えていた。


「お疲れさま。なかなか見事な演説だったじゃないか」

「そ、そうかな。こんなことは初めてだから、正直何を言えばいいかわからなかったよ」


 新魔王として仰々しく演説を行った勇者を、共にいた他の仲間たちもはやし立て、「うるさいな」と勇者は毒づいた。


「これで魔界中から君は魔王として認識された。ここからが大変だぞ、魔王に媚びを売ろうとするもの、直接打ち倒して成り代わろうとする者、有象無象がいくらでも寄ってくる」

「ああ、覚悟の上だよ。そうでないと、この魔界を統一するなんてできやしない」


 勇者は固い意志を秘めた瞳でマナミを見ていた。マナミも静かに頷く。数多の苦難を超えて魔王を討った青年は、並大抵の覚悟でここにいるわけではないのだ。


 そしてそれは勇者と旅を共にしてきた者たちも同じ……マナミは彼らへと振り返った。


「あらためて礼を言わせてくれ。私の望みを聞いてくれてありがとう、君達にはこれからも大変な迷惑をかけるだろうが、私も精一杯援助する、どうかその力を貸してほしい」


 そう、勇者一行が魔王を討った後も剣を置かず、勇者を新魔王として掲げ魔界に留まることにしたのは、マナミの頼みによるもの。マナミが頼んだのは、魔王を失い混沌とするであろう魔界の統治……そして復興。




 かつて人間から迫害され、排斥された者たちが僻地へと追いやられ、互いに殺しあうしか生き延びれなかったがゆえに今の魔界は生まれた。


 だが魔界にいる者が必ずしも暴力と闘争を望むわけではない、マナミとその家族のように平穏を望む者たちもたしかに存在する。


 しかしながら魔界にいる以上、戦わずには生き残れない。マナミは偶然それに足る力を持っていただけ、今なお魔界では悲劇は起こり続けていることだろう。


 魔王の統治、そして人間という共通の敵を明確にしたことである程度の調和はあった。だがそれも限定的かつ一時的なもの、平穏とは言い難い状態であることに変わりはない。


 マナミも魔王となった後、魔界を平穏に作り替えようとしたこともあった。だがマナミとて魔界に生まれ闘争の中生きてきた存在、力で抑圧することはできても、魔界に平穏をもたらすにはどうすればいいのか、その頭脳をもってしてもわからなかった。


 何よりマナミは生まれながらの強者。普通、生き物は誰でも生まれた直後は『弱い』存在であり、親の庇護下で育つ経験を経るが、マナミにはそれが希薄。ゆえに、弱い存在でなお生き延びれる世界がどういうものなのか、想像すらできなかったのだ。


 結局マナミは魔界を見捨て、他の地へ己の平穏を求めた。だがマナミは心のどこかでずっと魔界を見捨てたことを気にしており、それは望んでいた平穏を得て、その価値を改めて知ってからさらに強くなっていった。


 だからマナミは勇者に頼んだのだ。魔界に平穏をもたらしてほしい、と。




「……あんたらが魔王なら、俺は勇者だ。俺は、その使命に誇りを持ってる」


 頭を下げるにマナミに勇者は笑顔で応じた。


「魔界が魔界のままなら、魔王を討っても次の魔王が出てきてまた闘争が続くだけ。俺の使命を果たすことが、あんたの願いでもあったというだけだよ」


 真っすぐな目で語る勇者。そのそばにいる仲間たちも頷いた。彼らのほとんどは魔族の手で故郷、あるいは家族を失い、帰る家もない。皆、勇者に付き合うと決めていた。


 唯一の例外が、故郷に家族を残していたウッディだった。ウッディも初めは勇者の使命に手を貸さなくてはと自分だけのうのうと剣を置くことに反発していたが、失ったからこそその価値を知る仲間たちの説得と、「君は良くても、レアはどう思う」というマナミの一言で、彼だけは旅路を終えることを決意したのだった。


 もっともマナミの転移魔法があればいつでも会いに行くことができる。取引というのは、マナミの望みを聞く代わりに、マナミの力を様々なことに利用していい、というものだった。これから魔界で暮らす勇者一行も、時折人間界の友のもとへ赴いたりもするのだろう。


「そういって貰えるとありがたい……さすがは勇者だな」

「元魔王に褒められるのは、変な気持ちだな」

「フハハ、よく言われるよ」


 さて、とマナミが手を打った。


「これからここに住むんだ、城の設備でも紹介しようか」

「そういえばここ生活手段あるのか? 特に俺ら人間が住めるようなのは」

「何を言う、元は私が家族と共に住むために作ったものだぞ、むしろ本来は人間サイズ用の住居だ。風呂もトイレもある。仮にも王城、住むだけなら快適だぞ」

「人間臭い魔王だな、まったく」


 勇者たちは主なき魔王城を、いや自らが新たな主となった城を歩いていく。かくして、勇者は新たな魔王となり、魔界の平穏へと向かっていくことになるのだった。






 そのしばらくの後、魔王城の一室。


「待たせたね」

「あ、いえいえ」


 入ってきたマナミを、ニコルが迎える。


「勇者様たちへの案内は終わったんですか?」

「ああ、今はそれぞれの部屋決めに議論を戦わせているよ」


 さて、と、マナミは一呼吸置く。


「では、君を呼んだ本題に入ろうか」

「はい、えーと、私目線からの魔界統治のアドバイスでしたっけ?」

「いや、実はそれは建前だ」

「え?」


 驚いたニコルがマナミを見る。マナミの顔に笑みはなく、真剣そのものだった。


「本当に相談したいのは、ミネラルの村についてだ」


 ミネラルの村、という言葉に、ニコルも反応を見せた。唇をぎゅっと絞り、張り詰めた精神が露わになる。


「……やっぱり、そのことでしたか」

「君なら気付いていたはずだ、あの村の特異性。その原因も、薄々勘づいていたんじゃないか? 特にこの魔界に来て」

「ま、まさかとは思いますが……魔力極理論、ですか」

「ああ。私はそう見ている」

「で、でもそれは机上の空論のはずです! 理屈の上では成り立ちますけど、色々条件を揃えた上でのことで……」

「その条件が揃っている恐れがある。君もわかっているんだろう」

「う、うぅ……」


 マナミ、ニコルの2人は共に真剣に言葉を交わしている。そしてそれぞれ、揺れ方は違えど、同じ危惧を抱えている。


 そしてこの2人のつながりと言えば……ひとつしかない。


「マナミさんは、『スピルト・ミルク・シンドローム』についても?」

「ああ、把握している。本人が私に弱みを見せたがらないだろうから知らないフリをしているけどね」

「そうですね、私も、余計な心配はおかけしたくありません」

「私も同じ気持ちだ。子供は、笑って過ごすのが一番いい」


 片や、愛する子。


 片や、敬愛する恩人にして、愛しき妹。


「協力してくれるな? ニコル君」

「はい、もちろんです! シャイちゃんのためでしたら!」


 平穏は必ずしも簡単に手に入るものではない。すでに懐にある平穏の裏でも、それを保つため、誰かが支え続けているかもしれない。


 それでも彼女に平穏を。

 2人は決意を固めるのだった。

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