第45話 甘受せし魔王

 スピネルが私を床に降ろした頃。


「じゃあ、俺らはそろそろ魔界に戻るよ」


 と、勇者が切り出した。


「もう帰っちゃうんですか?」

「うん、ここに来た目的は済ませたからね」

「私らを見て、村の人たちを変に驚かせても困るし」


 勇者、魔法使いの格好は、たしかに平穏なミネラルの村では浮いている。そもそも知らない顔がいること自体があまりない村だ、2人の姿を見られれば騒ぎになることは間違いない。もっとも、好奇心と興味による面白半分の騒ぎ、だろうが。


「2人は私が送っていく」


 と、マナミも勇者たちの側へ行く。


「そういえば、そもそも貴様が連れてきたのだったな」

「ああ、この村と魔界はべらぼうに距離が離れていてな、私の転移魔法でないと届かんのだ」

「私だって転移魔法には自信あるのに……ほぼ真逆ってヤバイわよね」

「真逆?」

「そうそうシャイ、言い忘れていた。ちと、頼みたいことがあるんだった」


 マナミの頼み……あまり気が進まず、眉間にしわが寄る。マナミは笑った。


「シャイにじゃない、お前の姉さんにだよ」

「なに?」

「わ、私ですか?」

「そう、ニコル君、君に、魔界まで付き合ってほしいんだ」

「え、えと……シャイちゃん、どうしましょう?」

「私は構わんが、このずっこけエルフを借りていったい何がしたいのだ?」


 問うと、マナミは答えた。


「魔界の平定に関して、協力してもらいたいのだ。ニコル君は魔法の技術もさることながら、魔界で生活したこともある貴重な人材だ。魔王軍の内情も知っているだろう、残党の鎮圧に役立つ。少々魔界へ立ち寄り、魔界の統治に関してアドバイスが欲しいのだよ」

「ふぅむ……だがそういえばそもそも、結局ニコルと勇者たちはどのような関係なのだ?」


 エルフ一族から魔王討伐の期待を寄せられて送り出され、あえなく私を前に戦意喪失、しかし命を奪われなかったことに感激し一転して私の配下に。その後、魔女に唆されて勇者討伐に赴き、私の前から姿を消した。それがニコルだ。


 つまり一応は魔王側から勇者へ送られた刺客なのである。しかし先ほどの勇者一行のニコルへの態度はずいぶんと親し気だった。


「そ、それはですね……魔女さんに言われて勇者様たちを倒そうとしたのはいいんですが、勇者様たちが怖くて近寄れず、どうしようかと尾行していたんですが……ハルさんに気付かれてしまって」

「ハル?」

「私のことよ。ずいぶん高度な魔法使ってたけど、さすがにずっと後ろにいられたらわかるわ」

「そ、それでその、尾行がバレて怖くなってしまって、全部喋っちゃったんです。私のこと。そしたら勇者様たちは、私の命をとらないでいてくれて」

「明らかに悪い人じゃなかったからな」

「ありがとうございます! で、でもそれで、ますます勇者様たちを倒すなんてできなくなって……かといって魔王様のもとへおめおめ帰るわけにもいかなくて……どうしようもなくなって、結局、しばらく勇者様たちの旅に同行してたんです」


 私はため息をついた。なんともはや、こ奴らしい顛末だ。能力はあるのに流されやすく浅慮で、行き当たりばったりが過ぎる。


「私たちもニコルちゃんにはけっこう助けられたのよ? 意外と博識だし、魔法の幅も広いし。でも、突然いなくなっちゃったから心配してたのよ」

「遠くで魔王様の魔力を感じたので、いてもたってもいられず……ご心配をおかけしました」

「まあ、元気だったようで何よりですよ、ほんと」


 そうして、ミネラルの村で私を見つけた後、魔王本人という確証を得るまで付け回し、やがて私と正体を明かし合って、今に至る……というわけか。私の知らぬところで、こ奴もこ奴なりに大変だったらしい。


 ともあれ、だ。


「ニコルと勇者たちとの関係が良好であることはわかった。平穏への助力になるならば、貸してやろう」

「わかってくれて嬉しいよ。君もそれでよいか、ニコル」

「え、あ、はい! 私はもう、シャイちゃんがよければそれで……」


 ニコルが私に逆らうはずもなく、話はまとまった。


 魔界の平穏は直接的には私に関係のないことだが……レアは、魔界の命を憂いている。魔界が平穏になれば、レアも安心できるだろう。そのために力を貸すのならば私もやぶさかではない。


「なんなら、私が助力してやってもよいぞ。少々の時間ならば私自ら魔界に赴き、この力を……」

「いや、それは必要ない。シャイはこの村でゆっくりしていなさい」

「む……しかし」

「力ならば足りている。何より、勇者自らの力で魔界を治められなければ、新魔王としての箔がつかんだろう」

「むぅ……それも、そうか」


 せっかくの提案を、マナミにすげなく断られてしまった。たしかに勇者が新魔王となるのならば、魔族どもへ武力を誇示するためにも、任せるのが筋というものだろう。ちと釈然としないところもあるが、ここは引き下がる。


「さて……そろそろ、行くとしようか。ニコル君も、こちらへ」

「あ、はい」


 マナミが転移魔法の準備を始める。いよいよお別れだ。


「ウッディさん、お元気で! 俺らのことは大丈夫ですから、どうかご家族との団欒を大事にしてくださいね」

「たまに様子を見に来てやるわ、人間の寿命は短いんだから、くだらないこと気にしてないでしっぽりやるのよ」

「……余計なお世話だ」


 仲間の声に、ウッディは苦笑で応えた。


「え、えーと……み、みなさんお元気で!」


 雰囲気に流されたニコルまでもがなぜか別れの挨拶をする。すぐ戻ってくるであろう貴様は。


「では、さらばだ」


 マナミの一言と共に、彼らが光に包まれ……光が収まった時には、そこにはもう誰もいなかった。


 そうして、勇者たちは去っていったのだった。






 勇者たちを見送った後、料理屋オリヴィンは急に静かになる。


 そこに。


「さて!」


 パチン、という手拍子と共に、スピネルの声が響いた。


「あたしらは自分たちの仕事をしないと! さ、お店の準備するよみんな!」

「む、店を開くのか? 今日ぐらい、ウッディとゆっくり過ごしても……」

「いいのいいの、それよりも普段のここがどんな感じなのか、ウッディに見せたくて! あなたも見たいでしょ?」

「ああ……そうだな。俺のいない間、2人がどう頑張ってきたのか……見せてもらおう」

「そういうこと! レアもお父さんに、仕事ぶり見てもらおうね!」

「……はい!」


 そうして、スピネルの号令と共に、いつものオリヴィンの朝が戻ってくる。


「スピネル、俺も手伝いを……」

「あなたは座ってて、普段の私らを見てもらうんだから。そうそう、この後ルカちゃんっていう子も来るから紹介するよ、とってもいい子でね」

「う、うむ」


 普段の、とは言うが、スピネルはいつもより張り切っていた。夫の帰還、掛け値なしに嬉しいのだろう。


 ルカに私のことは説明するのか、とか、村人にウッディのことはどう話すのか、とか、色々懸念すべきことはあるはずなのだが、それも頭にないほど、喜びが勝っているらしい。 


「シャイさん、私たちは着替えましょうか」

「む、そうだな」


 ひとまず、私は私の仕事のために準備をせねば。レアに連れられ、店の奥へと向かった。




 店の奥で着替えながら……ふと、私は考える。


「人間界のためにも、魔界に平穏を……か」

「え?」

「いやな……」


 魔界を平穏にするなどという手段、私は思考をよぎったことすらなかった。魔界で魔王として君臨している間ずっと、平穏を渇望していたにも関わらず……私には、思いつくこともなかったのだ。


「ちと、思ったのだ」


 レアを相手に、私は語り始める。


「魔王となって魔界を治め、魔界を平穏にすることで、人間界にも平穏をもたらす。なんともスケールの大きな話だ。しかしそれを決めたのは、魔王たる私よりは遥かに小さな、勇者という人間だ。それにウッディもまた、家族の平穏のために、勇者に与し魔王を討つという選択をし、それを見事成し遂げた。いずれも、平穏を掴むために戦い……そして掴み取った」


 彼らは……平穏を得るために、考え、選び、決意し、戦った。


 対して、私はどうだろうか。


「今、私が浸る平穏は、全て『与えられた』ものだ」


 ミネラルの村で生きてきて、あらためて思うことがある。平穏とは、容易に手に入るものではない。この村の平穏とて、魔物を借り続けたレアの祖先や、食糧供給を担ってきたルカの祖先、他、様々な役割を担う村人たちと、その善性によって支えられてきた、得難いもの。


 平穏を願うならば……行動すべきではないか。平穏のため、自分にできることを、やるべきではないか。私はそう考え始めていた。


「私には力がある。魔王の力、大きな力だ。私は与えられる平穏に、ただ甘えるのではなく……平穏を思うのならばこそ、自らの力を、使うべきでは……」


 が、その時。


「ダメです」


 ぺしっと、レアが私の額に、チョップを喰らわせた。


「レ、レア?」

「シャイさんは、私のお姉ちゃんです。魔王じゃなくて、お姉ちゃんなんですよ」

「それは勿論だ。だが……」

「シャイさんが考えてることって、私のお姉ちゃんとして、必要なことですか?」

「む……?」

「前にお母さんも言ってました、『難しいことは大人に任せておけばいい』って。シャイさんは私のお姉ちゃんで、お母さんの子供なんだから、お母さんやマナミさん、勇者さんたちに、任せておけばいいんです」

「わ、私は子供では……」

「いいえ! シャイさんは子供で、かわいい私のお姉ちゃんですっ!」

「む、む、む」


 力強く言い切られ、私は思わず圧倒されてしまった。


 ……だが。


「……まあ、今は、それでよいか」


 レアの言うことにも一理ある。私は元魔王である以前に、レアの姉。


 ただの、村娘なのだ。


 平穏を勝ち取るとか、世界を平和にとかは……器ではないのかもしれない。


「そうです、シャイさんは私のお姉ちゃん、それでいいんです。それよりも早く着替えないと、お母さん待ってますよ」

「ああそうだな、そうしよう」


 魔王としての私より、姉としての私を求める者がいる。私にとっても、かけがえのない者が。


 ならば彼女と平穏に過ごすことが……私にとって、平穏を得る何よりの道。


 今は、それでよかろう。


「シャイさん、まだちょうちょ結び下手なんですね」

「う、うるさいっ」


 レアの笑顔に、私は今ここにある平穏を感じるのだった。

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