第38話 魔王と相貌

 それは、ごくごくいつも通りの、ミネラルの村の平穏な朝。


 私はレアと共に朝の散歩をしていた。


「むぅ、マイカにもらったこの服だが……ちと下が足りぬように思う」

「そうですか? ちょうどいいですけど」

「そりゃお主にはそうであろうが」


 着ているのはワンピースなる一枚の布からできた服、マイカから譲り受けたものだ。奴はオシャレに興味を持つゆえ、多少ならば縫製も嗜むらしい。言動に反し器用な奴である。


 薄桃色をしたその服は通気性がよく、日の熱が増すこの時節に合ったものだった。しかもレアとお揃いだ。揃いのワンピースで村を歩くと耳目を集め、仲いいね、と声をかけられ、姉として実に鼻が高い。が、大きさまでまったく揃いのため、私のはやや小さくなってしまっているのだ。


「むむむ……下着が見えておらぬか気が気でないぞ」

「大丈夫ですよシャイさん、スカートって自分で思ってるよりも周りからは見えませんから」

「楽しんでおるなお主」


 スカートの丈を気にする私を、レアは楽し気にたしなめる。この妹はどうも私の恥じらいを楽しむきらいがあるのが困りものだ。


「でもシャイさん……シャイさんがそういうのを恥ずかしがるのって、ちょっと意外です。シャイさんって、元々女の子だったんですか?」


 レアはひそひそ声て問いかけた。私が元魔王であることをふまえた質問だからだろう。


「ふむ……私の元の肉体に雌雄の区別はなかった。だが『いかにも』な王たる存在として作られた私だ、おおむね男だったと言っていい……のか?」

「聞かないでくださいよ」

「いや、私にもよくわからんのだ。自分の性別など気にしたことがなかったのでな」

「えー……? 性別を、ですか?」

「うむ、向こうで生きる上ではどうでもよかったものでな。性別の差は平穏な場でこそ生じるものよ」

「そうなんですか? でも、力の強さとか、あるじゃないですか」

「むしろ女の方が頑強な種族もある、あるいは種族の差の前に男女の差など誤差の範囲よ。竜を目前にした人間が、男であろうと女であろうと大差あるまい」

「うーん、そう考えるとすごい世界ですね……」

「大雑把なだけよ。生死の競争にあらゆることが塗り潰された、つまらぬ世界だ」

「そうですか……」


 魔界について話したその時、ふいに、レアの表情が曇った。


「む、ど、どうしたのだレア、どこか痛むか?」

「あ、いえ、そういうわけじゃなくて。シャイさんは出てこれたけど、そんな大変な場所で、がんばって生きてる人もいるんだなって思ったら、ちょっと悲しくなっちゃって……」

「む……」


 遠く離れた地にいる者の境遇を慮り悲しむ。優しい心には変わりないのだが、世界は広いのだし、そんなことを考えていちいち落ち込んでは生きていけない。レアには珍しい、年相応の幼い感傷と言えた。


「ま、まあ魔界があったからこそ、私は平穏を渇望するに至り、こうしてお主と出会えたのだ。その点では感謝してもよいかもな」

「……ですね。ふふっ」


 話題を変えたら、レアの顔に笑みが戻った。これで一安心。


 さてそうしてる間に一通り村を歩き、店の前へと戻ってきた。


「む、見ろレア、すでに店の前に客がおるぞ」

「あ、ほんとですね……小さい子?」


 料理屋オリヴィンの前に、開店待ちの客とおぼしき者がいた。レアの言った通り幼子であり、レアと同じくらいの年のようだ。暑くなってくる時節だというのになぜかローブで全身を覆っていた。なんらかの遊びだろうか? じっと店の看板を見上げているようだった。


「サフィルビィが遊んでるんでしょうか? でもそれなら2人でいるはずですが」

「ふむ、意外に迷子かもしれん。ちと声をかけてみるか」


 どの道店の前にいるので無視するわけにもいかない。私たちはその子供へと歩み寄った。


「そこな子よ、我らが店に遊びに来たのか」

「お母さんかお父さんはいないのですか?」


 レアと共に子供へと問いかけると、子供はこちらへと顔を向ける。


 その瞬間、私たちは息を呑んだ。


「な……お主、その顔……!」


 ローブの奥にあったのは……私と同じ顔だった。金色の髪、水色の瞳。一目で『同じ』とわかるほど、あまりにも似た顔。


 私と同じ顔をした娘は、私たちを見て。


「あっ……」


 小さく声を漏らしたかと思うと、その瞳から、ポロリと涙が零れ落ちた。


 混乱する私とレアを他所に、娘は涙を拭うと、今度はムッと眉を吊り上げこちらを睨む。だがぶんぶんと首を横に振ると、私のそばへと一歩近づいた。


 そして私の腰に抱きつき。


「お姉ちゃん……」


 そう、一言言ったのだった。






 ひとまず少女はオリヴィンの店内へと通された。ジュースの置かれたテーブルにちょこんと座る。


「それで、お嬢ちゃんどこから来たの?」


 向かい合うスピネルが問いかけるも、少女はあの一言の他に一切口を開こうとしないので何もわからない。根気よくスピネルは話しかけているが、少女はただじっとスピネルを見返すだけで、やはり何も話さない。


「何者なのだ、あの娘……」


 その様子をカウンターの奥からそっと眺める私。


 が、隣で。


「こっちの台詞です! 誰なんですかあの子! お姉ちゃんってなんなんですかっ」


 レアがまくし立て、私をぽこぽこと殴っていた。


「や、やめろレア!」

「なんなんですかなんなんですか! お姉ちゃんってなんなんですか!」

「やめろというに! わ、私にもわからんのだ!」

「う~~~っ!!」


 唸りながらぽこぽこ私を殴り続けるレア、相当取り乱している。涙目ですらあった。そんな様子もかわいいが、そんなことを言っている場合ではない。


「いいから落ち着け! 私の妹はお主だけだ!」

「ほんとですか……?」

「ああほんとだとも、だからまずは落ち着け、な?」

「うぅ~……」


 ひとまずぽこぽこは止めさせた。レアはまだ納得いっていない様子だったが。


「やれやれ……私が取られると思って焦ったのだろう、気持ちは分かるが、まずは落ち着いて考えるのだ。そもそも魔王たる私に妹などいない」

「私は!?」

「無論お主を除いての話だ! 出生の話! 落ち着けというに」

「じゃ、じゃあ、あの子誰なんですか!」

「だから私にもわからんと言っておる!」


 いつも聞き分けのいいレアがまるで駄々っ子だ。余程動揺しているらしい。ただまあ無理もない話だ、私とて動揺している。


 ひとまず、レアを抱きしめる。


「いいか、とにかく私にお主の他に妹はいないし、私がお主から離れることは断じてない。本物の妹が現れて私を掠めとる、なんてことはないのだ、安心するがよい」

「うぅ……わ、わかりました……」


 そうゆっくり囁くと、レアはようやく落ち着いてくれた。やれやれ、と一息つきつつ、私は考える。


 普通に考えれば、この体……魔女の妹、ということなのだろう。奴の家族のことは聞いたことがないが、元々は魔界の外で生まれ育ったのは知っておる、妹がいてもなんらおかしくはない。


 もしそうだとして、次の疑問は彼女がなぜ、どうやってこの村まで来たか、だ。ミネラルの村は山の中にあり、最寄りの街までは馬の脚でもかなりかかる。レアよりも幼い少女が、たった1人で現れることなどありえない。


 それに妹にしてもあまりにも顔が似ている。魔女を幼くしたようにしか見えない、姉妹といえどここまで似るものなのだろうか?


 何もかもが妙だ。ただの小娘とは思い難い。


「う~ん……」


 考えていると、困り顔のスピネルが戻ってきた。


「どうだ、何か聞き出せたか」

「ダメだね、ぜんぜんお話してくれないや。シャイちゃん、ほんとに妹さんじゃないんだよね?」

「う、うむ……」


 魔女にはいるかもしれないので少し言葉に詰まったが、ここはひとまず否定しておく。


「私に妹はいないはずだ」

「私は!?」

「だから出生の話だろう察してくれレア!」

「レアは私が預かっとくから、ちょっとシャイちゃんが話して来ておくれよ、今んとこシャイちゃんにだけは口きいたんだろ?」

「むう……やむをえんか」


 得体の知れない娘だが、私となんらかの関係があるのは間違いない。


 私はスピネルに言われた通り娘のもとへ行き、対面の椅子で向かい合った。


「えーっとだな……お主、本当に私の妹なのか?」


 問いかけるも、今度は反応しない。首を振ることすらしてくれなかった。


「むう、そう黙っていてはわからん。せめてお主の名前くらい……」


 私がそう問い詰めようとしたとき。


 ごくごく小さな声で、娘は呟いた。


「シャイターン」


 ぼそり、と一言。あまりに小さい声なので、私の聞き間違いだったかもしれない。だが私はその一言を、絶対に無視するわけにはいかなかった。


 それは私の名前……魔王としての名前。限られた者しか知らないはずの、知られてはいけない名。


「……何者だ、お主」


 それ以降、少女が口を開くことはなかった。

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