第37話 諭したる魔王
ある日の小料理屋オリヴィン。
時刻は昼時、今日も昼食の客でにぎわっていた。
「お待たせしました、どうぞ」
「待たせたな、食すが良い」
私とレアも配膳したり注文を聞いたりでせっせと働く。しかし、この日は少し様子が違った。
「なあレアよ、妙に忙しくないか?」
「ですね。というより、お客さんの回転率が悪いような」
「回転?」
私が指でくるくると回すジェスチャーをすると、レアは首を横に振った。
「本当に回すわけではなくて、つまり、料理が出てくるスピードが遅い気がするんです」
「ふむ、たしかに……」
「それなんだけどさ!」
私たちの会話に、ルカが割り込んできた。料理を担当する彼女は輪をかけて忙しそうに、厨房で立ち回っている。話も作業をしながらだ。
「実はさっきから、スピネルさんが奥に行って戻ってこないんだ!」
「む、そういえば姿が見えん。それで料理の提供が遅かったのか」
普段、厨房はスピネルとルカの2人で切り盛りしている。客が多く来るタイミングでスピネルがいないのが、今の忙しさの原因らしい。
「ああ、あの人がこんなに長く厨房を離れるなんてほぼないのに……シャイ、悪いが様子を見てきてくれないか?」
「うむ、承知した」
接客をレアに委ね、私は店の奥へと向かった。
店のもっとも奥……その部屋は、無数の歯車を伴う装置が鎮座する、水車小屋の役目を持つ部屋。このすぐ向こうが店の裏であり、村を流れる川と水車に繋がっている。
はたしてスピネルはそこにいた。装置の前に向かい、何やら頭を抱えているように見えた。
「スピネル」
入ってきた私にも気付いていない様子だったので軽く声をかける。すると。
「わっ!?」
「ぬっ!?」
それだけで予想外にもかなり驚いたスピネルは大声を上げ、その声に驚いた私も、思わず声を上げてしまった。
「な、なんだシャイちゃんか。どうかした?」
「どうかしたも何も、お主が一向に戻らんから、様子を見に来たのだ」
「え? そうか、そんなに時間経っちゃってたのか……」
スピネルは眉をひそめ、何やら悩み顔をしていた。
「お主こそどうしたのだ、何かよからぬことでもあったのか」
「ん……いや、そういうわけじゃないんだけどね」
口では否定したスピネルだが、その歯切れの悪さといい、何かがあったのは明白だ。いつもの闊達なスピネルが鳴りを潜めてしまっている。
ふと、スピネルの後ろの、水車に連なる装置を見る。川の流れの力を動力に、小麦を粉にするための装置と教わった。村の食を支える生命線ともいえる、非常に重要な設備だ。今はスピネルがその管理を任されており、始終響くゴトリ、ゴトリという歯車の音が私も印象に残っている。
しかし……今、その歯車はいずれも、止まっていた。
「その装置、止まっているようだな」
「あ、あーこれね! ちょっと調子悪いみたいで……ま、時間ある時に直すよ。それよりも、さっさと店に戻んないとね! 呼びに来てくれてありがとねシャイちゃん、さ、行こうか」
「む……うむ」
スピネルはそそくさと話を切り上げ、私ともども部屋を出るように促した。どうもスピネルがこういった態度をとるのは珍しい、いつもは女ながらに豪快で力強く、こうした煮え切らない態度とは無縁の母なのだが。
ともあれ、仕事に戻らねばならないのも事実。その場はそれ以上追求せずに、私たちは仕事に戻るのだった。
しかしその後、夜に至っても、歯車の音が蘇ることはなかった。
「スピネルよ、水車はどうなったのだ?」
夕食の席で、トマトパスタを味わいつつ聞いてみる。スピネルは苦笑しながら答えた。
「結局よくわかんなくってね。明日、オーソクレースさんにも相談してみる予定だよ」
オーソクレース……ルカの名字であり、つまりはルカの父のことを指しているのだろう。村長であり、かつては水車の管理もしていたと聞いている。
「む、ならばルカにその旨言伝を頼めばよかったのではないか?」
「んーまあ一応これからまた修理がんばってみるつもりだからね、まだいいかなって。まっ、小麦粉の貯蔵は十分にあるし大丈夫大丈夫、心配してくれて偉いねシャイちゃんは」
そう言ってスピネルはぐしぐしと私の頭を撫でた。こうされては、むむ、と嬉しいような恥ずかしいような思いで唸ることしかできない。
まあスピネルが大丈夫と言うからには大丈夫なのだろうと、トマトパスタを頬張るのだった。
その日の深夜。
ふと、私は目を覚ましてしまった。
隣で寝ているレアを起こさないようベッドから抜け、窓の外を覗いてみる。月はほぼ頭上にある、まだまだ朝は遠いらしい。
が……耳を澄ますと、下の方から何やら物音が聞こえる。かちゃ、かちゃ、とん、とんという、何か固いものを打つ音だ。
もしやと思い、私は階下へと向かった。
想像した通り、あの水車の部屋に、スピネルがいた。ランプを傍らに置き、木槌を置いて、水車の装置に向かっている。こんな真夜中に、どうやら修理を試みているらしい。
「スピネル、まだやっていたのか」
「うわっ!?」
「ぬっ!?」
声をかけると、またスピネルの驚く声でこちらが驚かされてしまった。
「おっと……ごめんねシャイちゃん、修理の音、部屋まで聞こえてた? 起こしちゃったかな」
「それは別によい、それよりも、まだ修理は終わらんのか。ここまでやって終わらぬのであらば、お主も言った通りルカの父に任せた方がよいのではないか? 明日も店を開くのであろう」
「んー……大丈夫、もうちょっとで直るよ。シャイちゃんは気にせずおやすみ」
スピネルはこう言うが、やはりどうも、煮え切らない態度に見えて仕方がない。昼間に厨房の仕事を放り出したのにも、睡眠時間を削ってまで修理しているのにも、私に見せる笑顔に反して、必死さを感じるのだ。もうちょっとで直る、というのも、恐らく嘘だろう。
「スピネルよ。お主、無茶をしておらぬか? そしてそれを隠そうともしている」
言葉を選ぶのは苦手なので単刀直入に問いかけた。一瞬、スピネルが表情強張らせたが……すぐにまた、笑った。
「そんなことないって、心配してくれるのかい? 偉いねえシャイちゃんは」
そしてぐしぐしと頭を撫でてくる。だが、今回はここで退かない。
「そう、心配なのだ」
頭の上の手を掴んでどかし、スピネルの顔を見上げる。スピネルは虚を突かれた顔をしていた。
「スピネルよ、お主の意図はわからんが、少なくとも私を心配させまいと気丈を装っているならば逆効果だ。騙しとおせていない。重ねて言うが、私はお主を心配している」
「う……」
「子を想うのが親ならば、親を想うのが子だ。子は心配しておるぞ、母よ」
真っ直ぐに目を見つめて言葉をぶつける。スピネルにはこれが一番効くだろうという打算もあったが、心配していたのは本当だ。私からすれば母たるスピネルとて人間、その能力に限界があることを知っている。無理をしようとしているならば、止めねばなるまい。
「……なーんか、シャイちゃんには敵わないなあ」
私の思いが伝わったのか、スピネルはそう言ってふーっと息を吐きだした。浮かべる笑みは、先ほどまでのものと違ってゆったりと力の抜けたものだった。
「よし、じゃあもう言っちゃうね。実は直し方がぜーんぜんわかんなくて、困ってたんだ」
「やはりか。しかし、ならばそれこそルカの父に相談すればよいのでは? お主の前に水車を管理していたのが奴だろう」
「うん、実際オーソクレースさんに相談すればすぐ直してもらえるんだろうけど……できれば、私が自分で直したかったんだよ」
「それは、なにゆえ?」
問うと、スピネルは水車の機構の方を向いた。そしてそっと、その支柱に手を伸ばし、撫でる。
「オーソクレースさんから聞いたんだよね、私たち家族は元々この村に住んでたわけじゃなくて、レアがもっと小さい頃に引っ越してきた。その時に、この家を譲り受けると同時に、水車の管理を任されることになったんだけど、それはつまり居場所を与えてくれたってことなんだ」
「居場所?」
「この村は助け合いで成り立ってる、オーソクレースさんとこが麦を作り、コランドさんが医者、ビオさんが散髪、その他諸々……ってね。そこに新しく入ってきた私たちには、何も役割がなかった。もちろん村の皆は優しいから、気にせず受け容れてくれたけど、それでもやっぱり、何か仕事をしなくちゃいけないだろ? そこで、オーソクレースさんが取り計らってくれたんだ」
「役割もなにも、料理屋ではないかお主らは」
「料理屋も村に来てちょっと後から始めたんだよ、水車管理だけじゃ手が余ってたからね、料理だけは得意だったし」
「なんと」
水車の管理が先にあって、料理屋は後から追加した仕事だったのか。なかなかに意外な事実だ。
「して、それと故障の相談をしないことになんの関係があるのだ」
「んーだからさ、水車の管理はオーソクレースさんが任せてくれた大事な仕事。それだけじゃなくて、村の食事を支える水車なんだから、村の皆が私に任せてくれたのと同じこと。だからせめて、これだけは完璧にこなしたくって……まあ、見栄よ見栄。カッコ悪いじゃない、任された仕事できなくて、他の人に泣きつくの」
「そういうわけか。なんというか、その考え方自体が格好が付かんと思うぞ」
「言ってくれるねシャイちゃん……ま、否定はできないけどね」
そう言ってスピネルは笑った。ようやく、元の調子が戻ってきたようだ。ひとまず私も合点がいった。
「事情は分かった、あまり根を詰めすぎるでないぞ。大人しくルカの父に任せ、お主も寝るといい。私も部屋に戻る、レアが寂しがってるやもしれぬのでな」
さすがに眠気が戻ってきたので、私は部屋に戻ろうと踵を返した。
「待ってシャイちゃん」
が、そこにスピネルが声をかける。
「今の話、レアには黙っててくれない?」
「なに?」
思わぬ言葉に私は再び振り返る。スピネルは……笑っていなかった。
「シャイちゃんはもう仕方ないけど、レアにはあんまり、かっこ悪いとこ見せたくないんだ。だからお願い、ね?」
「ふむ……」
レアには言わないで欲しいと、スピネルは手を合わせ懇願した。その態度は半分は冗談なのだろうが、珍しい姿であることに変わりはない。
なんとなく、想像はついていた。オリヴィン家は父親がいない、レアはそのことに少なからず心を痛めている。幸いスピネルが父親のようにたくましいので、レアも必要以上に思い悩むことはないようなのだが……
ひょっとしたら逆なのかもしれない。スピネルがたくましいからレアが悩まないのではなく、レアが悩まないよう、スピネルがたくましく振舞っているのではないか。
目の前の……どこか弱々しくも見えるスピネルを見て、ふとそう思った。
「よかろう。レアにはこのこと、黙っていよう」
ひとまずスピネルの頼みは引き受ける、強く反発する理由もない。スピネルも安堵の表情を浮かべていた。
「だが、これだけは言っておくぞ」
私は胸を張って、どんと叩いた。
「かつてとは違い、今、レアには私がついておる! ちょっとぐらいお主が揺らごうが案ずるな、この私に任せるがいい! けしてレアを不安にさせるようなことはせん!」
レアにも言ったことだ、父親がいないのならば、私がその穴を埋めると。年長者として頼りがいと、包容力のある存在、レアの姉になるとは、そうした役割を負うことと私は決めていた。
おそらくはスピネルもそうした責務を負っていたのだろう。だがこれからは、私がそれを肩代わりしてやれる、むしろ肩代わりしてやりたい、なんせ私は姉なのだから。
「……ぷっ、あははは!」
が、なぜか私の言葉を聞いたスピネルは、いきなり吹き出した。
「な、なぜ笑うのだ! 私は真面目にだな!」
「いやごめんごめん、かわいいシャイちゃんが急にかっこいいこと言い出すから、つい、ね」
「むむむ……」
ぽんぽんと私の頭を撫でるスピネル。私は唸るしかない。
「……うんうん、そう言ってもらえると助かるよ。ありがとね、シャイちゃん」
「う、うむ」
そういえば以前レアに対して言った時も笑われたことを思い出した。
「さ、そろそろ寝ようか。私も寝ることにするよ、シャイちゃんに言われたとおり、水車のことはオーソクレースさんに頼もう。直し方を教わるよ」
「うむ、それがいい」
「最後に後片付けだけしてくから、シャイちゃんは先に寝てなよ。おやすみ」
「うむ、おやすみ、スピネル」
私もそろそろ眠気が限界に近い、今度こそレアのもとへ戻るとする。スピネルへ背を向け、部屋を出る。
「……本当に、ありがとう」
スピネルが小さく呟いた言葉は、眠気ゆえよく聞こえなかった。
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