第35話 見送りし魔王
翌朝。
「ふわあああぁぁぁぁ……」
私は大あくびをしながら食堂へ降りてきた。すでにレアとスピネルは朝食の準備をしており、寝ぼけ眼をこする私を見てくすりと笑う。
「おはようねぼすけ、顔洗ってきなよ」
「おはようございますシャイさん」
「んむ……あぁ、おはよぅ……」
昨晩は色々とあり、そもそも夜中に抜け出してきていたので流石に眠い。この体は朝がそんなに強くないようだし……私はもう一度大きなあくびをして、スピネルに笑われた。
とその時、さりげなくレアが私のそばへ歩み寄ってくる。
「シャイさん、例の件はどうなりました?」
心配そうに小声で尋ねるレア。私は微笑を浮かべ、同じく小声で返した。
「つつがなく解決したとも、何も案ずることはない。明日からは私も枕を高くして眠れそうだ」
その報告を聞き、よかった、とレアも胸をなで下ろした様子だった。彼女も私を心配してくれたのだろう、実際『あれ』の介入がなければ私は村を去るという選択をしていたところだったし。改めて、レアと離れなくて済んでよかったと私は安堵した。
だがその時ふと、店内のテーブルの席の方を視線を向け、私は仰天した。
「おはよーシャイ。お寝坊だぁなー」
先程は寝ぼけていたので気付かなかったが、なんとマナミがしれっと座っていたのだ。いつものオーバーオール姿で席に着き、何食わぬ顔で私に手を振っている。
「ま、マナミ!? なぜ貴様がここに……」
「今朝、村に着いたんだぁよ。そんでここで朝飯食べさせてもらってなあ」
「マナミは大抵、うちでご飯食べてくからね」
「んだー、ここのメシはんめしてなぁ」
「そ、そうなのか……」
すっかり眠気も吹き飛び私はマナミを睨みつける。訛りのある口調、ぼんやりとした雰囲気、どう見てもいつものマナミで、昨晩の出来事が夢だったのではないかとすら思える。だが先代魔王にして私の生みの親というインパクトは、そうそう薄れることはなかった。
『貴様、よくもぬけぬけとここにいるものだな。呆れたぞ』
魔法で念話を飛ばす。
『もともと今日村に訪れる予定だったからな、普段通りの行動をしてるまでだよ』
マナミは同じく魔法で応答した。一方で、口ではスピネルと談笑している。つくづく器用な奴だ。
『それに元とはいえ母なのだ、娘の様子を見に来てもいいだろう?』
『誰が娘だ誰が。いけしゃあしゃあと偽の口調を作りおって、その訛りが偽造だとスピネルたちが知ったらどう思うだろうな』
『偽造とは失敬だな、これはひとつの言語だ。周囲に溶け込むためにその地の言語を学び用いるのはなんらおかしいことではあるまい? それに口調はどうあれ、内容は一切偽ってはいないつもりだよ』
『まったく貴様は……ああ、もうよい……』
こいつにはどうも敵わない、さしもの私も白旗を上げ会話を打ち切った。それは実力的に伯仲した相手だからなのか、それとも実の親だからなのか……
『そう構えるな。あまり拒絶されると母は泣いてしまうかもしれんぞ』
『ほざけ』
しかし朝食に出たポーチドエッグとやらが美味だったのでだいたいのことはどうでもよくなり、結局マナミといっしょに朝食を楽しんだのだった。マナミは終始、楽しそうに私を見ていた。
幸いにも、と言うべきかどうかは定かではないが、その日の昼(寝坊した私にとっては朝食をとってほどなく)、マナミは村を離れることとなっていた。マナミが村を訪れる目的は主に物資の交換で、それが済んだのなら、すぐに帰ることもままあることらしい。
牧場という動物を相手の仕事はなかなか大変で、悠長に村に留まっているわけにもいかない日もあるのだと。「ま、それがええんだけんどなぁ」とマナミは笑っていた。
そんなわけで、村の外れで私はマナミと2人きりになっていた。
「見送りありがとなぁシャイ、嬉しいだよ~」
「抜かせ、貴様がそうなるよう仕向けた癖に……」
「まあ、これくらいは許せ。さほど時間はとらせん」
流れるように口調を切り替えるマナミ、私には到底真似できそうもない。
「あらためてになるが、私の正体を知ったとて、お前の生活は変わらない。私もあまりお前に干渉はしないようにする、これまで通りな」
「そうしてくれるとありがたい……なんというか、貴様がいると調子が狂うのだ」
「ほほう、それは私が親だからか? 母として認めてくれるのか? 嬉しいことを言ってくれる」
「そういうところだ! まったく」
マナミは愉快そうに笑っていた。悔しいがこいつの言う通り、私がこいつに対し、レアともスピネルとも違う、ある種特別な感覚を抱いているのも事実だ。
「ただ、私の正体をうっかり漏らさないようにだけは気を付けてくれ。シャイはうっかり屋だからな」
「フン、心配には及ばん、誰がうっかり屋だ。ああでも、その話なのだがな」
実は私も、マナミに伝えねばならないことがあったのだ。
「レアにはもう言ったぞ。お前の正体」
「おや……」
マナミが珍しく動揺を見せた。少しやり返せた気がして嬉しい。
「あいにく、レアには隠し事をしないと決めておるのでな、無論私のことも知っておる。異論はあるまいな」
「ふむ……」
マナミは考え込む仕草を見せたが、すぐにいつもの調子で笑った。
「シャイはレアちゃんを信じているんだな。ならば、私も娘を信じるとしよう。お前の判断に任せる」
「うむ」
マナミならばそう言うと思っていた、私がレアを信じたように、私を信じてくれると。認めたくはないが、やはり私たちは親子ということなのだろう。
「それより……そうか、それほどまでに、レアちゃんと親しくなっていたのか。そうか……」
「む? どうかしたか」
「いやなに、嬉しくてな。オリヴィンの人達にお前を任せたこと、間違いなかったのだな、と……新たな、あるいは真なる家族と共に、平穏なる日々を歩んでいる、その事実が……親として、嬉しいんだ」
そう語るマナミの表情は、さきほどまでのからかうような笑みではなく、慈しみのこもった……それこそ、母のような表情だった。
「そ、そうか」
私は思わず言葉に詰まってしまった。からかい半分ならともかく、こうもしみじみと言われると、これはこれで調子が狂う、なんというか気恥ずかしい。マナミ相手だとどこまでも噛み合いが悪い……これも親だからか?
「ま、わいはたまーにしか来んし、ゆーっくり平穏を満喫するといいだぁよ」
ふいに、マナミは普段の(表の)様子に戻り笑った。その方が私もやりやすいのでありがたい。
「んでも、困ったことさあったらばいつでも言えな、わいがなんとかするしてなー」
「フン……勝手にしろ」
しかしながら、なんだかんだマナミは私のことをよく理解してくれている。魔王という立場に飽き、平穏を望んだという同じ境遇の者同士、繋がっているものがあるのだろう。無論、親子だからというのも否定はできまいが……
「それと、機会さあったらワイんとこの牧場さ来てけ。ワイの両親……シャイのじっちゃんばっちゃんも待っとるでなぁ」
「え……わ、私の祖父母だと?」
「言っただーよ、ワイは家族でこっちさ来たって。2人も孫のこと気にしとるでなぁ、早めに来さまいよぉ」
「む、むむむ……」
マナミの両親、いまいちピンと来ない。こいつも生き物なのだから父と母から生まれてきた、当たり前といえば当たり前だが……この元魔王の両親、想像ができない。ましてや私にとっては祖父母にあたると言われれば尚更、理解が難しい。
「あとそれとな、これ大事なんだけんども……」
マナミはにっこり笑うと、ふいに、元魔王の表情、余裕に満ちた強者の笑みに戻った。
「シャイよ。今魔界ではなかなか面白いことが起きそうだ。そうなれば……この村にも、変化は波及するやもしれぬぞ」
「なに?」
「けして悪い影響ではない、平穏を脅かすどころか、むしろより良いものとなる。ことが起こるまではもう少しかかる、気長に待つがいい」
「う、うむ」
私はひとまず頷いた。
変化は平穏とは相反する言葉のひとつ、何かよからぬ気配を感じないでもないが……マナミが笑って告げるということは危惧すべきことというよりは、奴の言った通り『面白い』ことなのだろう。
詳細は秘密にされたが、なんだかんだ私はマナミを信頼している。平穏の価値を知り、私の平穏を重んじてくれる。マナミに任せればよいだろう。
「んじゃ、そろそろ行くとするべ。へばなシャイ、元気でなぁ」
マナミは普段の牧場娘の顔に戻り、馬車へと乗り込んだ。今度こそ村を去るようだ、といっても転移魔法が使えるので、来ようと思えばいつでも来られるのだろうが。
「うむ。お主も……その、達者でな」
一応は送り出してやるべく、私はそう言って手を振ったのだが、なぜかそれを見たマナミが硬直する。
「どうした? 固まりおって」
「い、いや……なんというか、シャイが私の身を気遣ってくれると思ったら、想像以上に嬉しくて、かわいくて……親心を刺激してくれるなあこの娘は」
「……いいから、さっさと行け! フンッ」
もう知らん、と言わんばかりに、私は踵を返してその場から立ち去るのだった。
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