第32話 対面せし魔王
「この地に残留した魔力と自らをリンクさせ、全てを吸収しようとし……中途で失敗、結果空間異常が束ねられたか」
毒竜を見上げ、つらつらとマナミは語る。正確に、そして冷静に、全てを把握していた。
その瞳は底の見えない輝きを宿している。頬が持ち上がり笑みを浮かべる。普段のマナミとはまるで違う笑みを。
そして次の瞬間。
「まずは、仕事をしようか」
マナミはそう言うと、たった一度、腕を横に振った。右腕を持ち上げ、地面と水平に振る動作。それは私にはただの無意味な所作に見えたし、そう感じた。だがそれと同時に。
私が張っていた結界が消えた。音もなく、魔法の気配もなく。
「マナミ……!? いや、貴様……!」
こいつはマナミではない、少なくとも私が知る、あのマナミでは。
どうする? 私は必死に思考を巡らせる。結界が消された今、竜は自由に飛んでいけるし、その身から毒を垂れ流し続ける。
だがマナミ、いやマナミの姿をした『異常』の危険度は未知数、目を離すわけにはいかない。
対処を間違えれば私も村もどうなるかわからない。どうすればいい? どうすれば……
「消えろ」
マナミが魔力を解放する。
「くっ!?」
私はすぐに魔法のシールドを張って防御した、周囲がまばゆい光に包まれる。咄嗟に防御したがこれは攻撃的な魔法ではない。
これは、まさか……
私は防御を続けた。だが頭に浮かんだ疑念は消えず、渦巻き始める。
私が張った壁が破られることはなく、白い光が最大まで強くなる。その後はだんだんと弱まっていく。
やがて光が収まり、周囲が夜闇に戻った時。
あの毒竜は、忽然と姿を消していた。
きれいさっぱり、竜はいなくなっていたのだ。踏みつぶされた花々と、巨体が落下した跡だけを地面に残し、まったく消えてしまっていた。溢れだした毒すら痕跡すらなく消えていた。
私は目を丸くして、思わずあのマナミ……仮にそう呼ぼう。マナミへと視線を向ける。マナミは笑っていた。
「フハハハハハ……」
マナミは私の反応を見て愉快そうに笑っていた。
「見事なものだろう、私の転移魔法は。あの竜は毒ごと包んで飛ばしてしまうに限る、魔界に出戻りしてもらったよ」
彼女が語った通り、先程マナミが放った魔法は転移魔法。それもかなり高度な転移魔法で、毒竜を全てまとめて魔界へ飛ばしてしまったようだ。
つまりは毒竜の脅威は去ったわけだが、私は混乱した、マナミの意図が読めなかった。
「安心しろ、私はお前の味方だ。そう警戒することはない、魔王シャイターン……もとい、シャイ」
「どうだかな」
改めて私とマナミは対峙する。月明りがわずかに照らす森の中。相対するのはおさげにそばかす、オーバーオールの田舎娘。だが私の中に走る緊張は、並々ならぬものがあった。
「前に……森に出現した魔物を消したのも、貴様か」
「ああ、そうだ。よく覚えてたな」
転移魔法の暴走によりミネラルの村周辺に出没した魔物が、転移魔法によって消されたことがあった。その術者は膨大な、そして私に似た魔力を持っている、とニコルが言っていた。
「本当は、お前がなにも心配しなくて済むよう、お前たちが気付くより早く処理し続けるつもりだったんだ。実際最初の一度以外は……いや、一回だけ、お前らの目の前にゲイズ・ベアが出た時は失敗したな。あれは運が悪かった」
やはりか、と私は心中で呟く。謎の転移魔法の術者が現れて以来、森での魔物出現はほぼなくなっていた。全て、こいつが消していたのだ。あの、マイカやニコルと共に森にいた時の、ゲイズ・ベアとの一戦も知っているのは、その証明といえるだろう。
だがなんのために? まるで、私の味方であるかのような口ぶりだが……
「マナミの姿を借りてなんのつもりだ、貴様が何者か知らんが、正体を表せ!」
「正体とは失敬な、これも私の素顔だよ。マナミに化けているわけじゃない、この場所でお前と出会い、ミネラルの村へと連れて行ったときのも私。ただ隠していただけだよ、力と、素性をね」
私とマナミがここで会ったことを知る者は当人のみ、どうやら本当にマナミらしい。思えばマナミとは腹を割って話したことはなく、恩人ではあるがあまり内面を知らない人間だった。
マナミは笑っていた。楽し気に。
私は重ねて問い詰める。
「では貴様の目的はなんだ。本性を隠し、私に接近し、いったい何を企んでいた」
するとマナミはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。「わかってないなあ」、そんなことを言いたげな顔だった。
「さっきも言っただろう、私はお前の味方だ。実際にそう仮定すれば全ての辻褄は合うと思わないか?」
たしかに、そうだ。
私をミネラルの村へ案内したこと。オリヴィンへと紹介したこと。ずっと森で魔物を転移し、村を守っていたこと。たった今、毒竜を消して私と村を救ったこと……たしかに、仮にこいつが本当に私の味方だったとすれば、全ての行動に説明がつくかもしれない。
だがそれで信用するほど私はお人よしじゃない。何よりこいつはずっと、私たちを騙していたのだ。
「それでも、お前が本性と力を隠していたことの説明にはならない! お前が何も企んでいないのならば、純朴そうな村娘を偽装する必要などなかったはずだ!」
主張の穴を見抜き、鋭く追及した。少なくとも私はそのつもりだった。
だがそいつはあろうことか私の追及を聞くと……「ぷっ」と吹き出して、笑い始めた。
「フハハハハハハ! 何を言うかと思えば……フフ、ハハハハ!」
おかしくてたまらないという風に大笑いするマナミ。何がそんなにおかしいのか理解できないが、こちらは真剣に問いただしているのに、笑われるのは腹が立つ。
「笑うのをやめて、質問に答えろッ! 企みもなしに正体を隠すわけがなかろうが!」
重ねて問うとマナミはより一層おかしかったのか笑い声を大きくしたが、ひーひー言いながら笑いをこらえ、ようやく笑うのを止めた。
いったい何がそんなにおかしいのだ、よもや狂人ではあるまいな? 私はイライラしながらそいつの言葉を待った。
そしてマナミは笑いをこらえながら、言った。
「お前、人のことをとやかく言える立場か? 『正体を隠し』『力を隠し』『村娘に偽装して』いるのは、むしろお前だと思うが?」
「……あ」
思わず声が出た。マナミの言う通りだった。私がマナミに追及したことは全て私にも当てはまる……「企みをなしに正体を隠すわけがない」とまで言ってしまった。
「自分のことを完全に棚に上げているのがおかしくてな……だから笑ったのだ、気に障ったなら悪かったな……しかしまあなんと似て……フハハハハハッ」
なおも笑うマナミ、私は顔が紅潮するのを感じた。
「わ、私は特別だ! たしかに私は元魔王だが、私が望むのはただひたすらの平穏! 何も企んではおらぬ、正体を隠していたのも周囲にいらぬ猜疑心や恐怖心を与えぬためだっ!」
慌ててまくし立てる、するとマナミは羞恥で狼狽する私とは対照的に、ごく冷静に、穏やかに、こう言い放った。
「私も同じだよ」
えっ、と言葉を失った。同じとはどういう意味か、私が問うより先にマナミは逆にこう問いかけてきた。
「シャイターンよ、お主は疑問に思ったことはないか? 自身がいかにして生まれたのかを、いかにして育ったのかを」
突然の問いかけに私はすぐには答えられなかったが、マナミはすぐに勝手に話を続けた。
「ないだろうな、お前はそういう風に作られたのだから。お前は生まれながらに強く大きく、育つ必要などなく発生した。新たな魔王になるために」
たしかに……私に幼い頃、あるいは弱い頃の記憶はない。
私が生まれたのは、2年前。気付いた時には、魔界にいた。今と変わらぬ心を持っていた。巨大な体、巨大な力、全てを持っていた。
なぜ生まれたのか、どうやって生まれたのか、誰から生まれたのか。疑問に思ったことはなかった。思う暇もなかった、生まれてすぐ、魔界で生きるため、戦いの日々が待っていたから。
魔界で生きるため戦う内に、ごく自然に、魔王の玉座に座っていた。称号も、玉座も、私が作ったものではない。魔界の覇者の地位として、既に用意されていたものだった。
だがそれをなぜこいつが知っている? 作られた、とはなんだ?
その疑問に対し……そいつは、あまりにも驚くべきことを告げた。
「私はかつてこう呼ばれていた、『
魔王。それは、私だけの称号ではなかった。
私は言葉を失った。事実として知ってはいたことが、唐突に目の前に突きつけられたのだ。
そしてマナミははっきりと、その事実を口にした。
「そう、私はお前の先代の魔王だ、シャイターン」
突拍子もない話。
一瞬だが垣間見えた強大な魔力。私にすら知覚させない緻密な技。そして正体を明かした時から醸し続ける、えもいわれぬオーラ。
魔王ならば納得がいく。だが同時に、あまりにもおかしい。
なぜ先代の魔王とやらがここにいるのか。まして、偶然私と出会うなどあり得るのか。魔王だとして、結局何が目的なのか。
さて、とマナミは一呼吸置き、少し息を吐いた。その表情は穏やかだった。
「とはいえ私が魔王であったことはあまり重要ではない、お前もそうだろうシャイ、元魔王なんて肩書は今になればほとんど意味はない。それよりもはるかに大事なのは、お前と私の関係性なのだ」
「関係性だと……?」
「一から話すとしようか、私が魔王となった経緯、魔王をやめた経緯、なぜ今ここにいるのか、お前とはどういう関係なのか、お前は何者なのか。全てな」
マナミは意味ありげに微笑み私を見つめる。私は自らも意識せず汗を流し、つばを飲み込んでいた。
そしてマナミは、かつての魔王は、語り始めた――
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