第31話 戦慄の魔王
そして、いよいよその日の夜、魔法除去作業の決行と相成った。
「ではレアよ、行ってくる」
「はい……気を付けてくださいね」
今日も窓から外に出る、ニコルを伴うが、レアは留守番と決まった。
「あの、ほんとうに、私に手伝えることはないんですか? ちょっと危険なことでも、私は……」
「レアよ、お主の気持ちはありがたいが、今度ばかりはそうもいかん。私はお主を、危険にさらしたくはない。大事に思うが故な」
「はい……わかりました」
「強いていうならば、お主に頼むことは、私を信じ待つことだ。お主ならば、できるだろう?」
そう言って私はレアの頭をなでた。柔らかな髪がふわりとかき上げられ、レアは少しくすぐったそうにする。少し微笑んだ。
「はい。信じています、シャイさん」
「うむ、では行ってくる」
私はレアの頬にも軽く触れた後、彼女に背を向け、窓から外へ飛び出した。その背にレアの期待を背負って。
ニコルも私に続く。いよいよ、運命の夜が始まろうとしていた。
……と、格好よく飛び出してきたはいいのだが。
「ぜえ、ぜえ……ま、まだ着かんのか……」
ほどなく、私は息も絶え絶えになっていた。森をえんえん歩いてきたため、魔女の体が……いや、私の体が悲鳴を上げているのだ。つくづく体力がない。
「魔王様、大丈夫ですか?」
対し、ニコルはぴんぴんしていた。見た目は私にも負けずに華奢なニコルだが、エルフは元来森の中で暮らす種族、骨なり肉なりの構造が人間とは違い、見た目に反し意外なほど頑丈なのだ。
「申し訳ありません、私の転移魔法でお連れできれば一番よかったのですが……」
「それは仕方あるまい、仮にも魔王だ……」
重いものを運ぶのに力が要るように、転移魔法においては魔力の量が重量にあたる。私ほどの魔力を持つと、そう簡単には転移魔法は使えない。それこそ私自身ほどの魔力でもなければ。
「あの封印さえなければな……魔女め、忌々しい置き土産をしおって」
だが、私の体には魔女が施した転移魔法を封じる術式が刻まれている。魔界に舞い戻り復讐されることを恐れた魔女の策略だ。これのせいで、私は転移魔法が使えないのだ。
なので目的地まで、歩くしかない。
「魔王様、よろしければ、おんぶしますけど」
「むぐ……背に腹は代えられぬ、おぶれ」
「はい!」
ニコルは嬉しそうなのを隠そうともせず、私をおぶった。ちと恥ずかしいが、配下に運ばせているだけと考えれば違和感はない。
「えへへ、こうしてるとほんとに姉妹みたいですね」
ニコルが何か言っているがこの際無視する。
「では行け、日が昇る前にはケリをつけたい」
「はい!」
そうして、私たちは目的の場所へと向かっていった。
やがて辿り着いたのは、森を抜けた先にある、花畑。
今は月光にのみ照らされて薄暗く、鳥の声もない、どこか神秘的な光景ですらあるその場所。
忘れもしない、私が初めてこの地に来た時の場所だ。
「やはり、ここだったか」
「はい、散らばった魔力の中心ですね」
ニコルの調査の結果も、この場所が転移魔法の暴走の核だというものだった。私がこの地へと転移した時、私の魔力と魔女の魔力が合わさった結果、過剰な魔力が拡散、残留し、今回の魔物出没事件を引き起こした。
私が原因で起こった魔物出没事件、ミネラルの村の平穏を脅かしかねないその事件を解決してこそ、私は初めて村の一員となれる。
思えば懐かしいものだ。この花畑で私は平穏を得た喜びに笑い、ミネラルの村を目指し、マナミと出会い……レアと出会った。
始まりのこの地で、あらためて私の平穏が始まるわけだ。どこか、運命的なものも感じていた。
「では早速準備だ」
「はい、魔王様はこちらにお立ちください」
時間が惜しいので、早速魔法除去の儀式に取り掛かる。
ニコルが用意してきた布を広げ、その中心に私が立つ。布には円と星、無数の魔導文字を組み合わせた陣が描かれている。
「探知魔法の要領で、魔力を広げてください。事前に転移魔法の拡散範囲を囲むように、術式を込めた杖を配置してあるので、その位置を把握していただきます」
「うむ。今やっておる」
微弱な魔力を体から放ち、少しずつその範囲を広げていく探知魔法。これも、ここへ訪れた時に初めにやったことだ。
今はあの時よりも範囲を広げ、ミネラルの村を射程に収めてからもなおも続ける。やがて、ニコルの言ったとおり、この地を中心に五角形を描くように配置された杖の存在を感じ取った。
「見つけたぞ」
「はい、これでそれらの杖と魔王様に魔力的なつながりが生まれ、結界が張られました。では最後に、この魔法薬を、結界全体に散布してください」
「うむ」
ニコルが手渡したのは皮の袋、中には例の魔法薬が入っている。レアの協力によって完成した、この儀式の要だ。
「ニコルよ、あらためて礼を言うぞ。お主の働き、ほんとうに感謝する」
儀式の手順、必要物の用意、そしてその下準備まで、何もかもニコルに任せてきた。ニコルがいなければ、この事件は解決の目途すら立たなかっただろう。
「いえいえ! 魔王様に救われた恩義に比べれば」
「いや、それをもって余りある功績だ。なにせ、私が切望する平穏を、お主が守ったも同然なのだからな」
「ま、魔王様……もったいないお言葉です」
「後で褒美を取らせてやろう、レアが拗ねない程度にな。では行くぞ」
ニコルへの礼も済ませ、いよいよ儀式の最終段階。
私は手にした皮の袋を、空高く放り投げた。
「散れ!」
袋を指し、風の魔法を解き放つ。何よりも速く、何よりも遠くへ走る疾風。
瞬間、袋は弾け飛び、同時に吹き荒れた疾風により、中の粉が空へと散っていった。私の魔力により魔法薬は結界にまんべんなく行き渡る、物質的にではなく、魔力的に。
「ニコル、やれ!」
「はい!」
ニコルが短く呪文を唱える。すると、私の手が、淡く光を放ち始めた。
これで、儀式は完了だ。
「これで、辺りに散らばっていた転移魔法の残り香と、魔王様の魔力が、接続できました。あとは普通に魔法を使うときのように、ご自身の魔力を操るだけです」
「うむ」
仕組みとしては単純だ、空気中に飛び散った魔力に、魔力的な紐を結んだだけ。範囲が広いので諸々の準備が必要だった。
しかしそれも完了。あとはその紐を手繰り寄せ、我が魔力をあるべき場所に戻すのみだ。
「さて……我が手元から離れた魔力よ。ずいぶんと面倒なことをしてくれたな。今こそ戻れ、主のもとへ!」
右手を天に掲げ、魔力へと号令を出す。魔法薬によってリンクされた周囲の魔力を全て……私の中へ、吸収する!
「ハアアアァァァァ……ッ!!」
魔力を示す淡い光がみるみるうちに右手へと集まり、私の中へと収まっていく。その量は莫大だが、魔王たる私の魂と、それに匹敵するほどの魔力を有していた魔女の肉体ならば受け容れられる量だ。
よし。収容すべき魔力が肉体の限界を越えないかは不安要素のひとつだったが、この調子ならば問題はない。
魔法薬及びそれとのリンクもよく働いている。このままいけば問題なく事は済む。
ようやく、真に平穏な日々がやってくる。これで胸を張って村に戻れる。レアと共に、日々を……
だがイレギュラーは、予想外の箇所に現れた。
「ひゃっ!?」
突然、右手に鋭い痛みが走った。この体になってからの癖である細い声が漏れる。魔力吸収も中断してしまった。
今のは一体……まさか……悪い予感が膨らむのを感じつつ、私は作業を再開すべく右手に力を込める。
「うっ、くうぅっ……!」
だが魔力を吸収しようとすると痛みは増していき、また私の体の中に戻るはずの魔力もまったく吸収できない状態だった。
それはまるで、魔法自体が私を拒むような……
そこまで考えた時、私はひとつ思い当たった。
「ま、魔王様!? どうしました」
「これは……クソッ」
やむを得ず、吸収を中断する。
「……ダメだ。これ以上は、私の中へ魔力を入れられん」
「ど、どうしてですか? 儀式に何か不備が……」
「いや違う。魔女の置き土産のせいだ」
「魔女さんの……あっ!」
ニコルも気付いたようだ。そう、私の体には転移魔法が使えなくなる封印が施されている。
「転移魔法を使えないということは、転移魔法の形にした魔力を扱えないということ。そのせいで、周囲に漂っている転移魔法の残滓を、私の体が拒んでおるのだ」
「そ、そんな」
迂闊だった。よもや、魔女の謀略がこんなところで牙を剥くとは。
「ニコルよ、お主、この封印を解くことはできるか?」
「や、やってみます!」
ニコルが私の体に手を触れる。だがすぐ、泣き出しそうな顔で首を横に振った。
「も、申し訳ありません……とんでもなく複雑で、かつ隠蔽された封印です。私もこうして探るまで、封印の存在にすら気付けませんでした……目に見えない知恵の輪みたいなものです、わ、私では……」
やはりそうか。私が平穏を望むとは知らぬであろう魔女にとって、私の帰還は最大の懸念。その防止策の要たる封印、さぞ強力なものに違いない。
「な、なら、魔王様の代わりに、私が魔力を吸収します! それなら……」
「それが無理なことはわかっているだろう。残滓とはいえ私の魔力だ、お主の体がもたん。必要量の半分すら回収する前に、死んでしまうぞ」
「う、うう……」
ニコルの顔が不安でいっぱいになる。当然だろう、つまりこれは、魔法除去の儀式の失敗を意味しているからだ。
このままでは空間の歪みは村の周囲に現れ続け、いずれ取り返しのつかない事態を引き起こすだろう。
……だが、方法がないわけではない。
「ニコルよ……魔法薬による魔力のリンクは、どれくらい継続できる? 可能な限り長く続けるならば、いつまで可能だ?」
ニコルに問いかける。ニコルは質問の意図がわからなかったようだが、おずおずと答えた。
「か、解除の呪文を使わない限りは継続が可能です。ただ、もともとの持ち主に魔力を還すだけですから……」
そうか、と私は小さく答える。ならばもう手はひとつしかない。
覚悟はできている。
「今、村周辺の魔力の残滓は私と結びついている。吸収はできずとも、私が移動すれば魔力も移動する。合っているな?」
「……まさか、魔王様」
ニコルも気付いたようだ。ああ、と、私は答える。
「ゆえに私がこの地から離れれば……それらの魔力もついてくる。そうすれば、空間の歪みはもう起こらない」
私が努めて静かにそう告げると、ニコルは目を大きく見開いて私を見つめた。その目がわずかに震えていた。
「魔王様……本気で仰っているんですか。この村を離れると、村の皆と……レアちゃんたちと、別れると」
ああ。私は頷いた。
「それしか方法がないなら、そうせざるをえない。優先順位の問題だ。村の皆に害を及ぼすくらいならば……他に、選択肢はなかろう」
ニコルは何か言いたげに私を見つめ、言葉を選びきれないのか声にならない声を漏らしている。私を慕う彼女には珍しく、怒りすら滲み出ていた。
「なに……永遠に村を離れるわけではない。世界を巡れば、きっと魔力除去の方法もあるだろう。それが見つかるまで、離れるだけだ」
ニコルとて無限の知識を持つわけではない、きっと彼女も知らない解決策は、世界のどこかにあるはずだ。それを見つけるまで村を離れる、ただ、それだけだ。
「魔王様……ですが……」
「わかっている、みなまで言うな」
わかっている。これは、裏切りだ。
一時的な離脱とわかっていても、レアは不安に思うだろう。このまま、シャイが戻ってこなかったら。もう二度と会えなかったら。それこそ、父親のように……事実、確実な当てがあるわけではない。本当に、二度と会えないかもしれないのだ。
信じて欲しい。そう言った矢先に、信頼を裏切り、どこかへと去る。レアに二度、家族を失う痛みを浴びせる。なんという悪逆非道だろう、まるで魔王のようではないか。
だが……それでも、レアや村の皆が命を落とすよりはいい。
今までも、危ない場面はあった。このまま魔物の出現が続けば、いつかきっと、取り返しのつかないことが起きる。それよりはいい。たとえレアに恨まれようと、憎まれようと……
「っ……」
違う。レアが私を憎むことはないだろう。ただ、深く深く、悲しむだけだ。
だがもう……他に、手はない。
そしてそこに、ダメ押しのように異変が訪れる。
「むっ!?」
「こ、これは……!」
私たちの頭上の夜空が急に、切り裂かれたように口を開く。それは今までの中でも度を越えた、巨大な空間の裂け目。
「そ、そうだ、転移魔法が、収束して……!」
「ちっ、しまった……なまじ、中途半端に魔力を集めたせいか!」
私たちはすぐさま飛び退く。直後、裂け目から邪悪な魔力が溢れ出す。
そしてすぐに、それは空間より落ちてきた。
漆黒の体、金属にも似た光沢。
片足の指だけで人間1人をゆうに押し潰す巨体。
紅蓮の目は煌々と輝き、狂気すら宿した暴力をほのめかす。
そして何より、その両手足の爪、背に並ぶ無数の棘、口の牙から絶えず漏れ出す、暗緑色の粘性の液体は、猛毒。
その悪魔は絶えず毒を垂れ流す。それがただそこに在る、それだけでその地は日をまたがずに草すら枯れはてた死地と化す。
死毒の竜。ただ息し、動くだけで死を振りまく、恐怖の存在。
「よりにもよって……クソッ!」
私は瞬時に身構えた。ニコルはすぐさま逃げ出していた、それが当然、それが必然。臆病とは生き残るための術、もしそうしなければすでに死体だったかもしれない。
魔王たる私にとってはこの竜を殺すくらいわけはない、だがこいつは体内にほぼ無限に毒を生産する器官を持っており、こいつの生命力はそれを『抑える』ために使われている……そうしなければこいつ自身が即座に死に至る、それほど強力な毒。
そしてこいつが死ねば、その毒は制御を失い無限に溢れだす。ひとつ間違えれば、ミネラルの村どころかこの周囲一帯全てが毒に侵された地獄と化すのだ。
これもまた私が呼んだ災厄! 私がいなければ、ミネラルの村が、村の皆が危機に晒されることはなかった。
黒い竜を見て私の決意はまた確固たるものとなる。やはり私は、去らねばならないのだと。
「最後に見せてやろう、魔王の力! 竜よ、この地に、あの村に、欠片たりとも手出しできると思うなッ!」
私は魔力を解放した。瞬時に目には見えない魔力の壁、結界が私と竜を覆い閉じ込める。これで竜はここから出ることはなく毒も漏れ出ない……結界が、消されない限りは。
だが、その時。
「あーららまぁ……なんだべこりゃ」
背後から、声。誰もいるはずのない、真夜中の山奥の花畑。
すぐさま振り返る。結界のすぐ外、呑気な声を上げて、口を開けて竜を見上げたのは……マナミだった。
「マナミ! お主なぜ……」
言いながら思い出す、マナミは時折、野草の収集のために山奥に来ることがあると。思えば私がマナミと出会えたのもそれが理由、この地でのこと。
「いや、とにかくここから離れろッ! ここは危険だ、すぐに逃げるのだッ!」
私は声を張り上げた。結界で隔離されているとはいえ、この竜のそばは全て死の危険がある世界。私にとって恩人であるマナミを絶対に死なせるわけにはいかない。
だがマナミは私の声を聞いても一向に逃げようとはしなかった。そのまま竜を見つめ続け……
「潮時だな」
短く、呟く。
マナミは、笑っていた。
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