第29話 受け容れられし魔王

 魔王。聞きなれたはずのその言葉が、私の背筋を凍らせた。


「……なぜ、私が、魔王だと」


 意外なほど、思考は落ち着いていた。今パニックになってはいけないと、心がわかっているようだった。


 レアは私を睨みつける。目には涙をたたえながら。


「聞いちゃったんです、ニコルさんとのお話。少し前の夜、この部屋で、2人が話してたのを」

「この部屋……あの時か」


 ニコルとミネラルの村で初めて再会した日、私とニコルはこの部屋で話をした。窓から出て窓から入った際、うっかり自分の部屋とレアの部屋を間違えた凡ミス。それがまさかこのような結果に繋がろうとは。


「本当の名前はシャイターン、その体は魔女という人の体で、魔法でマカイという場所からここに来た……違いますか」


 やや震えがちに、それでいてしっかりと述べられたレアの言葉を私は咀嚼した。


 どうやら本当に……全て、バレているようだ。


 私は深く息を吸い、吐いた。動揺は大きかったが、それ以上に……得体の知れない感情が、私の中で膨れ上がり始めていた。


 ぞわぞわと、体の内を虫が這うような不快感。今すぐにでも叫び、逃げ出してしまいたいという欲求。それは私が今まで味わったことのない感覚だった。


 奇妙な感覚に蝕まれつつも、私はなんとか言葉を紡ぐ。


「……いかにも、そうだ、私は魔王。元だがな。かつての名はシャイターン、今なお、常人をはるかに超越する力を持つ。全て、お前が聞いた通りだ」


 ニコルとの話を聞かれてしまったのならもうごまかしはできない。


 せめて正直に、話そう。


「だが、私は自分を偽ったことはない。私は魔王だが、ずっとずっと、平穏を望んでいた。血も、争いも、いらない。私はただ、仲間と笑い、程よく働き、卓を囲み、安らかに眠る、そんな平穏を……今の、この村での生活こそが、私の望みだ」


 信じてもらえるかはわからない。しかしそれでも、信じるしかない。レアが私を、信じることを。


 レアは……涙を流した。


「怖いんです」


 震える声で、レアは言った。怖い、当然だろう、すぐそばに魔王がいるのだから。


「安心してくれ、私がお主らに危害を加えるわけがない、私はただ……」

「違います。そういうことじゃないんです」

「なに……?」

「私は、シャイさんが、どこかに行ってしまうのが、怖いんです」


 うつむいたレアの瞳から、ぽろぽろと、涙が零れる。


「私は、シャイさんを、信じています。シャイさんはシャイさん。かわいくて、優しくて、楽しくて、たまにかっこいい……お姉ちゃんだって。シャイさんが魔王だと知っても、やっぱりシャイさんはシャイさんで……ワッフルを食べて、うたた寝して、お勉強して、本を読んで、私を守ってくれた……お姉ちゃん、なんです」


 でも。レアはそう言って顔を上げ、涙と共に私を睨んだ。


「なのにシャイさんは……私を、遠ざけようとします。嘘をついて、隠し事をして……ニコルさんと話して……」

「ち、違うレア、それは……」

「信じて、ほしかったんです」


 私を睨んでいたレアの目が、より一層の涙で滲む。もはやこらえきれず、レアはただただ、涙を流した。


「信じてほしかった。シャイさんがお姉ちゃんなら、私はシャイさんの妹です。家族なんです。魔王だなんて、関係ありません! ぜんぶ話して欲しかった、困ってるなら相談してほしかった……」


 私は言葉を失った。レアを、ここまで苦しめていたとは、夢にも思わなかった。


「シャイさんのことが、わからなくなって……怖かったんです、シャイさんが、遠くにいっちゃうようで……どこかに、いなくなっちゃうかもって……」


 涙まじりのその声は、どんどん小さくなっていく。


「どうして、話してくれなかったんですか。信じてくれなかったんですか。どうして……」


 そのまま、レアはうずくまる。やがて部屋にはすすり泣きの声だけが残った。


 どうして。


 レアのその言葉が私の頭に響き渡る。


 どうして、自分が魔王だと明かせなかったのか。レアを信じていなかった、と言われれば、否定はできない。私が魔王だと知ってなお私を信じたレアのように、私もレアを信じるなら、魔王だと明かしてなお家族でいられると。


 それに一度はそうしようとしたはずだ。レアを、村の皆を信じて。なのにしなかった。できなかった。


 どうして。


 私にもわからない。


 あの感情が膨れ上がる。名前を知らない感情が。レアの姿を見ていると、感情はどんどん、どんどん大きくなる。


 これは。


 この感情は。


 ……恐怖だ。


「……あ」


 気付いた時。


 私の目からも、涙がこぼれていた。


「これ、は……?」


 一度溢れ出した涙は、堰を切ったように溢れ出した。


「なぜだ、どうして、こんなっ……!」


 泣いている場合じゃない、そうわかっているはずなのに、涙が止まらない。涙を流すなど、私には初めてだった。止め方がわからない、止め方などないのかもしれない。


「うっ、うう……うううううっ……!」


 怖い。怖い。途方もなく怖い。レアに嫌われることが。村の皆に失望されることが。ミネラルの村にいられなくなることが。


 そうだ、私は怖かったんだ。だからできなかった。手に入れた平穏を失うことが、どうしようもなく、怖かった。


 恐怖など、生まれてから一度も感じたことはなかった。なのに……レアから、拒絶されると想像すると。


「シャイ、さん……」


 いつの間にか、レアが顔を上げ、私を見ていた。信じられないものを見るような目で。当然だろう、魔王が泣いているのだ……いや、姉が、泣いているのだ。


「ぐうっ!」


 私は涙を拭った。こらえる術を知らずとも、必死に涙をこらえる。姉として、妹に、こんな姿を見せるわけにはいかない。それでも涙は流れる涙に邪魔されながら、口を開いた。


「正直に言う。レア、私は、怖いんだ。怖かったんだ。お前に嫌われたくなかった、村の皆に嫌われたくなかった。信じてなかったわけじゃない、でもそれ以上に……怖くて、言えなかったんだ」


 あふれる涙を何度も何度も拭いながら、私は必死に言葉を紡いだ。


「不甲斐ない姉を、どうか許してほしい。誓う、誓うとも。私は、これからも……お前の家族だ。だから、だから……!」


 そうだ、これはただのすれ違い。私たちは、互いをちゃんと信じている。正直に打ち明ければ、きっとレアは、私を受け容れてくれる。


 今度こそレアを信じ、私は託した。


 沈黙が部屋を包む。いつの間にか、レアも泣いていなかった。


「……ふふっ」


 やがて、レアは涙を拭い、笑った。


「ほんとうに、しょうがないお姉ちゃんですね。やっぱり、シャイさんはシャイさんみたいです」

「レア……それじゃあ」

「はい。これからもよろしくお願いします、お姉ちゃん」

「レア!」


 私は思わずレアに抱き着いた。


「ありがとう……本当に、ありがとうっ……!」


 目からはまた、涙が零れる。しかし今度は、喜びの涙だった。恐怖から解放された安堵感が体を満たす。幸福な気持ちは、胸いっぱいに広がっていた。


 レアも私抱き返す。静まり返った夜の静寂の中、私たちは長く長く抱擁していた……






 しばしの後、私たちは泣き止んだ後、さすがにもう遅いということで眠ることとした。ニコルにも連絡した。


 いつものように、そういつものように、2人で同じベッドに入る。そしてこれもいつものように、レアは私にがっちりと抱き着いた。


「レアよ、いつもこう抱き着いて寝るのは、ひょっとして私を逃がさないためだったのか?」

「はい。シャイさんが、夜にこっそり抜け出すかもと思ったので」


 腕力で魔王を押し留めようとは、たいした奴だ。事実、効果抜群だったわけなのだが。


「ふむ……ならば、お返しだ」

「ひゃっ」


 私もレアに抱き着き返してやった。


「私とてお前を離したくはないからな」

「ふふ、また泣いちゃったら困りますもんね」

「ぐむ……」


 相変わらず、どうもレアには一歩敵わないところがある。せめてもの反論として、抱き着く手を強めてやった。


「そうそうシャイさん、魔王だってことは、私たちの秘密にしましょう」

「む? いやしかし……」


 村の皆を信じるなら、秘密にせず明かすべきだろう。またレアの時のようなことは起こしたくない。


「じゃあ聞きますけど、シャイさん、怖くないんですか? 魔王だって村の人たちに教えるの」

「それは……怖いとも」


 スピネルやルカ、マイカ、ルビィにサフィ、この辺りの皆には教えても受け容れてもらえると信じているが、怖くないと言えば嘘になる。信じていても、怖いものは怖いのだ。


「怖いなら、無理に教えなくてもいいですって。私が知ってますから、大丈夫です」

「む、そうだレア、ならばお主が付き添って、保証をしてもらうというのはどうだ? それならばいくらかスムーズに……」

「シャイさん、今夜は私も、正直に言いますね」


 するとレアは、思わぬことを言い出した。


「せっかくの、私だけが知ってるシャイさんの秘密なんです。シャイさんとの、特別な絆なんです。他の人に、教えたくありません」


 レアは当然の権利とでも言いたげに、そうのたまった。


「レア、お主時々、やけに子供っぽいところがあるな。あるいは嫉妬深いというべきか」

「だってシャイさんは私のお姉ちゃんなんです、これくらいは認められるべきです」

「だがニコルも知っておるぞ?」

「それはそれ、これはこれです! ともかく、内緒ですからね」

「わかったわかった、お主に言われては仕方がないな」


 実際、現実的に考えれば、必要もなしにわざわざ魔王だと喧伝することもなかろう。信じてもらえるとも限らないし、やっぱり怖いのもあるし。あくまでも、私にもっとも近しい存在であるレアだからこそ、信じて打ち明けるべきだったのだ。


 しかしどうも、前から薄々感じていたのだが、レアは独占欲が強いところがあるような……?


「では……おやすみなさい、お姉ちゃん」


 そんな考えも、レアの一言で吹っ飛んでしまう。いずれにせよ、かわいい妹だ。


「うむ、おやすみレア」


 そうして、私たちは抱き合ったまま、ぐっすりと眠った。


 明日からまた、私とレアの新しい……そしていつも通りの、日々が始まる。


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