幕間④ 恐怖と魔王

 この世の果て――魔界。


 その最深部に鎮座する巨大な居城。


 魔王城の中は、逼迫した空気に満ちていた。



 玉座の間にて。


「ほ、報告いたします。勇者一行はゲート・キーパー様を打倒し、魔界へと侵入いたしました」


 足元に跪く魔族の報告を、巨躯の魔王は黙して聞いていた。その表情にはありありと苛立ちと焦燥が浮かんでいた。


「現在グレナデル様が紅魔族・灼竜族を率いて迎撃に向かっていますが……」

「わかっている、もう下がれ」

「は、ハハッ!」


 伝令は逃げるように玉座から去っていった。魔王から怒りをぶつけられるのではないかと恐れていたのだろう。あの様子では他の配下も魔王軍を見限り、反逆や逃走が起こり軍は崩壊するかもしれない……


 魔王、そしてかつての魔女は歯噛みする。圧倒的な力を手に入れて、人類へ復讐するはずだった。勇者などという暗殺者などすぐにでも始末するはずだった。


 だがそうして慢心している間に勇者とその一行は様々な力を手に入れていた。伝説の武具、精霊の加護、エルフの協力に禁術……生まれながらの天才である魔女は『成長』というものを軽んじた、その軽視が呼んだ事態だった。


「クソッ!」


 吐き捨て、拳を玉座に叩きつける。強靭な魔王の肉体に殴られ、黄金の肘掛は粉々に砕け散った。


 玉座の間は無人だ。魔王以外誰もいない。そうでなければ、今の衝撃の余波だけで生半可な者は死んでいただろう。それほどにその肉体は強かった。


「この魔王の肉体に、私の魔力が合わされば、何者にも負けない無敵の存在になれるはずだった……なのに、なぜ……ッ!」


 そして、その時。


「おやおや、ずいぶんとお怒りの様子だね」


 突然、女の声が玉座の間に響く。魔王が気が付いた時、その足元にその女は立っていた。


 魔王の肉体を持つ者からすれば、それは小さな小さな存在。見た目はただの人間。小指の先で潰せるような人間だ。


 だがこいつはこの魔界の最深部にある魔王城のそのまた最奥に、音もなく、気配もなく、現れた。


 そしてそれはこれが初めてではない。魔王は女の顔を見るなり、怒りに顔を歪ませた。


「貴様、性懲りもなくまた現れおったかッ!」


 迷うことなく選んだのは攻撃だった。魔王の拳を女目掛け叩きつける。強靭な魔王の肉体から繰り出される拳は風よりも速く、かつ砲弾よりも強く、その一撃だけで魔王城が重く震える。


 だが拳は無意味に床を破壊しただけ。女はまた音もなくそこから少し離れたところになんでもないような顔で移動していた。


「性懲りもなく、というのは君のことだろう? 私がかつて忠告しただろう、魔王とて無敵ではない、無用な闘争はいずれ身を滅ぼす、とね」


 飄々と女は語り掛ける。魔王を前にして、その表情は余裕に満ちていた。その余裕がまた魔王を、魔女を憤らせる。


「黙れッ! 私の力があれば、全てうまくいくはずだったんだ! あの、勇者……勇者さえいなければ……ッ!」

「ほほう、じゃあ君が自分で勇者と戦いに行ったらどうだ? 転移魔法は使えるだろう? こんなところで待ってないで、さっさと魔王の力で叩き潰せばいいじゃないか」


 女に問われ、魔王は言葉に詰まった。なぜならば、魔王は一度、それを実行に移している。自らの手で勇者を始末しようと、魔王自ら外界に出向いて勇者一行と交戦したのだ。


 そして、失敗した。


 敗れたわけではない。ただひとつ、あまりにも想定外のことが起き、それに動揺し……そして怯え、逃げ帰ってしまったのだ。


 魔王の脳裏にその記憶が蘇る。それを表情から読み取ったのか、女は瞳に邪悪さを滲ませて魔王を見つめた。


「その様子だとすでに経験済みのようだな。そして悟ったのだろう……魔王の肉体にある、『弱点』を」


 そう。


 女の言った通りだった。


 無敵に思える魔王の肉体には、弱点があったのだ。あらゆる面で強さに特化したような肉体に、ぽっかりと空いた大きな穴……それは、『治癒魔法をかけられると肉体が崩壊する』ということ。


 あまりにも強靭な肉体を持つ魔王は傷つけられること自体がなく、その弱点は誰にも、本人すら知ることはなかった。だがひとたび知ってしまえばあまりにも脆弱な弱点。治癒魔法は誰にでも簡単にかけることができる、その上魔王の肉体は、治癒魔法を積極的に受け入れるように作られていたことを魔女は後で知った。


 勇者との交戦時、偶発的にその弱点を魔女は知った。無敵のはずの魔王の、明らかな弱点の存在に魔女は動揺し、また弱点が勇者たちへと露見することを恐れ、逃げ帰ったのだ。


 だがきっと勇者たちはその弱点に気付いている、次戦えばそこを容赦なく突いてくるに違いない。防ぎようのない圧倒的な弱点を……


 その弱点はまるで、強靭な魔王を倒せるように、『用意されていた』かのようだ。


 魔王の焦燥を見て、女は不敵に笑っていた。


「わかっているだろう、君は勇者一行に勝てない。いやこの弱点が露呈すれば、魔族ですら君を殺せるかもしれない。君もそれを少なからず危惧しているから、『あんなもの』を作ったんだろう?」

「ぐっ……」

「近づいてくる死の足音の耳心地はどうかな? この世界に、君への殺意と憎悪を向ける存在がいるんだ。その刃は常に君へと向いている、死は刻一刻と君へ迫っている。賢い君ならわかるだろう、その殺意と憎悪は、逃れられない現実だ」


 淡々と女は語り掛けた。魔王は反論しようとしたが、できなかった。全て事実だったからだ。


 自分は勇者と戦えばまず、負ける。むしろ、魔王の肉体そのものが『負けるために作られた』ようなものだったのだ。


 死ぬ……殺される。


「怖いだろう。闘争は、恐怖を生むんだ」


 怖い? 私が?


「黙れェッ!」


 吠え、また女へと拳を叩きつける。だがまたも拳は空を切り、そして今度こそ、女はどこかへと消え去っていた。


「……クソッ……」


 悔しまぎれに吐き捨てるのが精一杯。


 魔王が恐怖する。そんなことありえない、ありえていいはずがない。


 魔女は必死に、自分に言い聞かせるのだった。

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