第21話 うたた寝魔王

 料理屋オリヴィンの昼過ぎ。


 昼の客もほぼいなくなり、夜の準備にはまだ早く、一日で店がもっとも暇な時間帯。


 その隙にテーブルの上を拭いたり床を軽く掃いたりとするのだがそれも終わり、私は椅子に腰かけて休んでいた。


 すると急に、体から力が抜けるような感覚に襲われる。まぶたが重い、と感じる間もなく気付けば目を閉じており、テーブルの上にぱたりと身を任せ、どこかへと心地よく沈んでいく。


「……ハッ!?」


 私は慌てて飛び起きた。いかんいかん、まだ仕事中だ、間隙の時間とはいえ寝入るわけにはいかない。


「……んむにゃ……ハッ!?」


 が、気が付けばまた同じ体勢に戻ってしまっていた。また慌てて飛び起き、戒めるように目をこする。


「シャイさん、眠いんですか?」

「うむ……そうらしいな」


 対面して座るレアからの問いかけもなんだかうまく頭に届かない感じがする。私は眠気というものに慣れていない、それに抗う方法も知らない。


 昨晩、ちと体を動かしすぎたかもしれない。ただでさえ魔法の反動で疲弊した体で、森の中を歩き、蛇と戦い、また歩いて村へ帰った。貧弱な魔女の体、一晩では疲れがとれなかったらしい。


「ふぁああ~~~~あ……レア、私の頬を叩くがいい、気付けだ」

「わかりました」


 テーブルに身を乗り出した私を、レアがぱちんと叩いた。


「うーむかわいい威力よ……その細腕では効かぬなあ、フハハハ」

「起こしてほしいんじゃないんですか。じゃあつねりますよ、えい」

「いつつ! やめろ本当に痛いのは!」

「柔らかくてつねりやすいほっぺしてるシャイさんが悪いんです」

「人のこと言えぬだろうお主は、ええいお返しだ……ダメだねむい」


 レアとじゃれあっても眠いものは眠い。魔女の奴、どうやらレアのような子供よりも虚弱体質らしい。


「寝坊したからリズムが狂ったんだろ。ちょうどいい、眠気覚ましにおやつでも食べなよ」


 とその時、先ほどから厨房で何やら作っていたルカがやってきて、私たちの前に皿を置いた。


「ワッフルだ。蜂蜜たっぷりでうまいぞ」


 それは網目状の形の焼き菓子で、とろりとした蜜がふんだんに掛けられていた。甘い匂いが漂ってくる。


「わあ……!」


 それを見たレアが目を輝かせる。


「さてはレアの好物か」

「はい! ルカさんの作るワッフルは絶品なんです」

「ほほう」


 珍しくレアが目に見えて興奮している、それだけこの菓子が美味ということなのだろう、私もがぜん期待が膨らむ。


「慌てないの、のどに詰まるよ。はいお茶」


 続いてスピネルが茶を置いてくれる。豪勢なティータイムとなりそうだ。


「シャイさん。早く食べましょう」


 いつの間にかレアはフォークを持ってソワソワとしている。好物を前にすぐにでも飛びつきたいのだろうが、それでも私を待ってくれる辺りがいじらしい。


「では、いただくとしようか」

「はい!」


 私とレアは同時にワッフルを口に運んだ。バターの豊かな香りと、蜜の濃い甘み、さくり、ふわりとした食感。


「うまい!」


 掛け値なしに私はそう評価した。ルカが照れくさそうに頬をかく。レアは一心不乱に咀嚼していた。


「いやはや、さすがはルカだ。これほどのものを仕事の片手間に作ってしまうとはな」

「ありがとな、気に入ってくれたようなら何よりだ」

「うむうむ、レアが気に入るのも納得というもの。どれ、では茶も……」


 ワッフルで甘くなった口に一度茶を含み、またあらためて甘みを味わうこととしよう。


 私は茶を一口飲む。


「にがいっ!?」


 またも正直な感想が口から飛び出た。


「だ、大丈夫かシャイ?」

「あえ……にぎゃい……舌の上がうえってなってぅぞ……」

「あちゃー、眠気覚ましにと濃いめに淹れたんだが、駄目だったか。すぐ淹れ直すよ、ほらワッフル食べな」

「うむ……甘い! ふー」


 茶の苦さで舌を口にしまうこともできなかったが、ワッフルの甘さでようやく落ち着く。


「うーむ、苦いものはダメだな。私は甘いものがよい。甘いがうまい」

「みたいだね、ごめんねシャイちゃん、以降気を付けるよ」

「うむ、そうしてくれ……ん?」


 私が苦さに呻いていた一方、レアの方はというと平然と同じ茶を啜っていた。


「レア、お主は平気なのか?」

「はい、おいしいです」

「本当か? 苦くはないのか?」

「苦いですけど、香りはいいですし、何よりワッフルの甘さが引き立ってもっとおいしくなるんです」

「ふーむ……」


 そういうものか? 私も試しに、もう一度茶の飲んでみる。


「にがい!」


 やはりダメだ。すぐにワッフルを口にして治療する。


「引き立つどころではない、相殺がいいとこだ。私はひたすらに甘い方がよい!」

「ま、レアは昔から苦いの平気だったもんね。舌が大人なんだよ」

「シャイさんは子供ですね」

「ぐむぅ……!」


 子供扱いはガマンならん。我は魔王、全てを超越した存在。たかが茶ぐらいなんだ。


「なんの私とて! ダメだにがいっ!」


 もう一度口に含んだが、ダメなものはダメなのだった。







──────────────────────────────────────────


 シャイたちがそうしておやつを楽しんだ後。


「すー……すー……」


 結局、シャイはテーブルの上で完全に寝入ってしまった。


「あらら、幸せそうな寝顔しちゃってまあ」

「かわいいです、シャイさん」


 ぷにぷに、とレアが頬を突いたりなどしたが、一向に起きる気配はなかった。


「こうして見ると普通の女の子なんだな、シャイも」


 ルカの一言にオリヴィン親子も同意する。普段、奇抜な言動の目立つシャイだが、静かに眠っている姿は年相応の女子でしかなかった。


「スピネルさんどうします? なんだか起こすのしのびないですね」

「だね、まだベッドに慣れてなくて睡眠不足なのかもしれないし、夜ご飯までくらいは寝かしとこうか。ルカちゃん、部屋まで運んであげてくれる?」

「はーい」


 ルカが眠ったシャイをそっと背負おうとした、その時。


「失礼します!」


 と、ドアも開けず突然、店内にニコルが姿を現した。


「うわあ!? びっくりした、ニコルさんか」

「ま、魔法で出てくるのやめておくれよ、心臓に悪い」

「あ、ごめんなさい。これが普通になっちゃってて」


 音もなく現れる転移魔法、魔法に慣れていないミネラルの村の面々には刺激が強いようだった。


 なおニコルは現在、ミネラルの村近くの森で暮らすことになっている。エルフという種族は壁と屋根のある空間で過ごすのに慣れていないため、ニコル自身がそれを希望したのだ。もっとも転移魔法があるニコルは、村近くで暮らす必要すらないのだが。


「それよりも!」


 ニコルはいそいそと、眠りこけたシャイへと歩み寄った。その寝顔を見て、にへらと表情を歪ませる。


「念話に応答がないと思ったら、はぁ~っなんとお可愛らしい寝顔……! これがあのシャイ……ちゃんかと思うと、なんともはや……! うふふふふ~」


 興奮を隠しきれていないニコル。だがようやく再会できた妹だしそれはかわいいだろうと、オリヴィンの面々は優しい目でそれを見守った。


 ただし、誰も気付かなかったが、唯一レアだけは、睨むようにニコルを見つめていた。


「ではでは、私がシャイちゃんを部屋にお連れしますね。せっかくですし、しばらく見守らせていただきます」

「そうしてくれると助かるよ、よろしくね」

「はい! では……あら?」


 シャイをおぶり2階に向かおうとしたニコルだが、なぜかその裾をレアがつまみ、何か言いたげに見上げていた。


「レアさん? 私に何か……?」

「……いえ。なんでもありません」


 結局レアは特に何か言うこともなく、ぷいとニコルに背を向けた。


 首を傾げるばかりのニコルに、ルカがそっと囁く。


「レアはさ、せっかくできた姉が、元々の家族の方にとられちゃわないか心配なのかもしれない。どうか温かく見守ってやってくれ」

「あ、なるほど……わかりました」


 ニコルも小声で頷く。ひとまずこの場はシャイを起こさぬようにとそれ以上は何も言わず、2階へと去っていった。


 それを見送った後。


「シャイさんは……私の、お姉ちゃんです」


 誰にも聞こえないように、レアはぼそりと呟くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る