第18話 エルフと魔王

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 それはかつて、シャイがまだ魔王シャイターンだったころ。


「……といった形で人間界への侵攻は続いております」


 玉座に鎮座するシャイターンに、側近の魔女が報告する。


「うむ」


 シャイターンの返事はそれだけだった。


 もとより侵略に興味はなく、争い自体好かないシャイターン。魔女が魔族どもを煽り立てて勝手に始めた人間との戦争に、興味などなかった。所詮は強さだけで魔王へと祀り上げられた存在、人間どもを守る義理もなければ魔族たちを世話する気もない、勝手にやれ、というのが正直なところだ。


「引き続き、不肖ながらこの私が指揮をとらせていただくということでよろしいですか?」

「ああ」


 魔女も返事を期待していたわけではなく、早々に報告を切り上げる。お飾りのトップという魔王の存在は、互いにとって都合がよかった。


「ではこれにて……」


 そうして魔女はすぐに玉座の間を去る……そのはずだったのだが。


「む?」

「え?」


 去ろうとした魔女に対し立ち塞がるように、誰かが立っていた。


「えーっとここは……?」


 それはエルフ、世に名高い美貌の種族。細い腕で杖を携え、魔導士のローブをまとった女が、きょろきょろと辺りを見渡す。


 ダークエルフはともかく、エルフは魔界にはいない、外部の者だ。それが魔王城の最深部、玉座の間に音もなく現れ、今の今まで誰も気付けなかった。目的は暗殺か諜報か……魔王、魔女共に瞬時に警戒態勢に入る。


 エルフもすぐ目の前の魔女と、その奥に鎮座する巨大な魔王に気付く。そして。


「ひ、ひいっ!?」


 と、悲鳴を上げた。


「ま……魔王っ! お命、頂戴いたしますっ!」


 すぐに杖を向け、勇ましく宣言し直すも、その足はガクガクと震えていた。


「なんだお前は?」

「わ、私はお前を討つため、エルフの谷よりやってきました! 悪しき魔王よ、ここで死んでくださいっ!」


 そう言った途端、エルフの杖から火球が飛んできた。魔力を解放してから火炎魔法にするまでの速度が段違いに早い、シャイターンはまったく反応できなかった。


 が、エルフの放った火球はシャイターンの顔に当たると、そのまま掻き消えた。魔王の肌を焼くには、火球はあまりにも小さすぎた。


「あ、あれっ」

「……封印魔法」

「ふぇっ!?」


 動揺するエルフの隙を突き、魔女が封印魔法を放つ。次の瞬間には、縛り上げるようにして光の輪がエルフを拘束していた。


「に、逃げなきゃ、転移魔法……あれっ?」

「封印魔法をかけた、もう魔法は使えない。魔法の技術は見事なものだけど、お前はあまりにも戦いを舐めすぎね」

「そ、そんな……!」


 一瞬のうちに魔王城に現れたエルフの刺客は、一瞬の内に捕らえられてしまった。


 そして次の瞬間には。


「ふええええええええええんもうやだああああああああああああああ」


 と、突然大声で泣きだした。


「だから無理って言ったのにいいいいいいい死んじゃうよおおおおおおおおわああああああああん」


 びーびー泣きながら崩れ落ちるエルフ。登場、攻撃、捕縛まで瞬く間に済ませ、子供のように号泣するエルフに、シャイターンも魔女も、ただただ呆れ果てるしかなかった。


「魔王様、このエルフ、いかがいたしますか? お任せいただければ、目的から出自まで吐かせて差し上げますが」

「うーむ……いや、待て」


 たしかに魔女に任せれば問題はないだろう、魔女の技術があれば魔法で自白させるのも拷問するのもお手の物、後処理まで全て片付けてくれる。


 だがシャイターンは、このエルフを哀れに思った。このまま魔女に任せれば持ち得る情報を骨の髄まで絞られた挙句、魔女の人格を考えれば、実験体か魔法生物ホムンクルスの素材か、少なくともおよそ生物として信じ難いほどの末路が待っている。


 なんというか、この小動物のようなエルフがそうなるのは、かわいそうだ。


 それにひとつ、シャイターンには考えがあった。


「こいつは私に預けろ、利用価値があるやもしれん。お前は下がるがいい」

「……かしこまりました。封印魔法は一刻ほどで解けますので、それだけご注意を。では」


 魔女はややの逡巡こそ見せたが、素直に引き下がり、今度こそ玉座の間から去っていった。


「さて……死にたくなくば話してみろ。お前の全てをな」

「ひぐ、ひぐ……こ、殺さないんですか……?」

「殺さない殺さない。落ち着いてからでいいから話せ」

「は、はいぃ……」


 ちょうどいい暇つぶしが出来た、と、シャイターンは笑うのだった。




 そのエルフがぽつりぽつりと語ったこと曰く。


 女がいたエルフたちが暮らす集落は、魔族との戦いの真っ最中だった。エルフは魔族と認定されない人間に友好的とされる種族のひとつ、魔族からすれば人間と同様の敵。魔女の人間界侵攻の余波を受け、侵略者との戦いが続いていた。


 争いは長引き、魔女の策謀もありエルフたちは劣勢。そこでエルフの指導者たちは起死回生の一手に打って出る、それは魔族軍の頭たる魔王を直接討ち、戦争を終わらせることだった。


 そのための勇者として、1人の女に白羽の矢が立った。女は種として魔法に長けるエルフの中でも天才と謳われる魔術師で、無数の魔術を精巧な技術で操り、できないことはないとされるほどの使い手だった。


 そして人格面でも真面目で勤勉。魔王討伐という危険な任務も、二つ返事で請け負った。


 かくしてエルフの女は得意技でもある転移魔法を用い、魔王城へと乗り込んだ――


 ……が。




 

「わ、私……戦いとかそういうの無理なんです。臆病で、小さな虫でもびっくりしちゃうくらいで……魔法は得意なんですけど、それは病気を治したり水車を作ったり、仲良く暮らすためのもので……でも、谷のみんなが真剣な顔で頼むから、怖くて断れなくて……それでこんなことに……」


 すっかり意気消沈したエルフはそう語った。


「なるほどな」


 シャイターンはこのエルフに、不思議なシンパシーを感じていた。戦いが苦手、というのは、シャイターンも同じだ。降りかかる火の粉を払いはするが、それも魔王としての能力あってこそ。戦い方が非効率的、魔王なら戦いの技においても強者であるべき、とは魔女にも苦言を呈されていた部分だ。それでも力だけで戦ってなお敵がいないのが魔王なのだが。


 だがそれはそれとして、このエルフの魔法の腕前は本物。特に転移魔法に関しては類を見ないほどの精度を持っている。一瞬にして遠方へと移動する転移魔法は、やることだけ見れば単純だが魔法としてはかなり高度であり、あの魔女ですら、転移には魔力漏れによる発光を伴い、また数秒以上の時間を要する。それを、このエルフは一瞬のうちに、音も光もなくやってのけるのだ。


 逆にシャイターンはそういった魔法の技術は不得手で、転移魔法に至っては使用自体が出来なかった。もっとも魔王城に鎮座していればよい魔王にとってそんな魔法は不要で、おそらくはこれからもそうだろう。


 だがすでにその時、シャイターンはぼんやりとだが、自らが望むものをイメージしていた。すなわち平穏。そしてそれが、魔界の中には存在し得ぬであろうことも。


「面白い。貴様、これから私に魔法を教えるがいい。貴様が持つ魔法、興味がある」

「えっ!?」


 シャイターンがそう告げると、エルフが目を丸くする。


「そ、それって、殺さないってことですか……?」

「当然だ、元より殺す意味などない」


 エルフは残虐な魔王のイメージから恐怖していたのだろうが、そもそもシャイターンは闘争を好まないし敵対心のない相手を殺しても後味が悪いだけだ。最初から殺すつもりなど毛頭なかった。


 だがすっかり死に怯え切っていたエルフの方は、魔王のその言葉に飛び上がるほど喜んでいた。


「あ、ありがとうございますっ! 慈悲深い魔王様、本当にありがとうございます! このご恩は忘れません、一生かけてでも報いて……」

「御託は良い、さっさと教えろ」

「は、はいっ! 全身全霊を持って教えさせて頂きます、魔王様!」


 かくしてエルフは魔王の配下となり、魔王に魔法を教えることとなったのだった。





 それから、このエルフは魔王城に住み魔王軍の一員となった。


 命を救われたと感じたエルフはすっかり魔王に惚れこんでしまい、むしろ魔族よりも魔族らしく魔王に忠誠を誓う存在となった。


 日々魔王に尽くし、そして持ちうる魔法技術の粋を魔王に教えた。


 そしてまた、魔王が興味を持った際は、魔界の外の暮らしなども魔王に伝えたりもした。


 側近たる魔女はそれをあまり快く思っていなかったようだが……





 そんなある日。


 突然、エルフは姿を消した。


 転移魔法で外の世界へと逃げ帰ったのだ。


 シャイターンはやや落胆したが、考えてみれば当然か、と思い直す。別に初めて現れた時以降、魔法の使用を縛ったりはしていない、あのエルフの転移魔法をもってすれば、魔王や魔女の目の届かない場所からならば、いつでも逃げ出せたのだ。


 シャイターンもそれを咎める気はなかった。便利な存在ではあったが本来魔界にいていい身ではない、本人が望むならばそれでいい、と。転移魔法などの習得もほぼ終わっていたし。


 こうして魔王の前に突如現れたエルフのことはシャイターンも時が経つにつれ忘れていった……


 それはシャイターンがシャイになる前の話。




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 そして、シャイターンがシャイになった今。


 そのエルフはかつての魔王の前に、姿を現したのだった。

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