第17話 駆除する魔王

 深夜。


 私は部屋のベッドから抜け出し(今夜は1人で寝ていた)、村周辺の森を歩いていた。オリヴィンより拝借したランプを片手に、薄闇の森を行く。もちろんレアたちには内緒でこっそり出てきた。


「いつつつ……」


 歩く度に全身がキリキリと痛む。昼間、ゲイズ・ベアと戦った時の反動だ。魔力によって身体能力を強化できるのはいいが、貧弱な魔女の体ではその出力に耐え切れないのか、しばし痛みが出る。


 動くのに支障はないが、やはり痛いのは嫌だ。私は痛みに慣れていないのもある。魔力による戦闘は、なるべくしないに越したことはなさそうだ。


「さて……この辺りか」


 痛みに耐えつつ歩き、私は目的地に辿り着いた。


 そこはゲイズ・ベアの出現した場所、木々の種類が変わり始める境目。実はあの後村に変える途中、木々に目印をつけてあり、それを辿ってきた。


 ゲイズ・ベアは魔界の生物、本来ならばこんなところにいるわけがない。だいいちミネラルの村周辺の魔物はレアの先祖らが狩り尽くしたと聞く、それを潜り抜けてあれほど好戦的な魔物が残っているのも考えづらい。それに魔界の歴史は魔女に習ったが、魔界の生物は外界にはほとんどいないはずだ。


 ありえないものがいたのならばその『理由』は探らねばならない。理由を突き止めぬまま捨て置いてはいつ想定外の事態が起きるかわからず、平穏は脅かされる。


 不安は解消する。安心こそが平穏だ。


 解決できるか否かは別として、まずは原因究明をしなければならない。そしてそれは私の仕事。


「……『残り香』があるな」


 ゲイズ・ベアが出現した木を見上げる。これも魔女に習ったことだが、魔法を使った際、その場には魔法に変換しきれなかった魔力が漂い、それを魔力の残り香と呼ぶ。


 転移魔法を用い魔界の生物を私の前に送り出したのは、まず間違いなくあのローブの男。そしてローブの男は同じく転移魔法により私の前から姿を消した。


 ならば、転移魔法の残り香を辿れば、その足跡を突き止められるかもしれない。


「よし……」


 私は久しぶりに探知魔法を使用した。魔力の波を円状に放ち、少しずつ範囲を広げ、魔力の反応を探る。私の魔力ならばかなり広い範囲まで探れる、これで……


「む!?」


 反応が返ってくる。魔力の残り香の気配が、森の中に……だがおかしいのは、その数だ。2つ。3つ。10……100。数え切れぬほどの気配が無数にある。


 バカな。魔力の残り香は所詮残り香、時が経てば霧散する。これほどの広範囲に、それも同質の残り香がいくつもあるなどと。


 短い時間で転移魔法で何度も行き来したか。それとも……残り香がまったく消えないほどに、強大な魔力の持ち主か……いずれにせよ、危険だ。


 そうして考え込んでいたその時。


「これは……!」


 さらに嫌な反応があった。それは魔力の残り香ではない、もっとはっきりとした……魔物の反応!


 私はすぐにその場所へと駆けて行った。





 ミネラルの村からずいぶん離れた森の中、我が物顔でそれはいた。


 それは蛇。だがただの蛇ではない、折り畳まれた体でさえ見上げるほどの巨体を誇る、大蛇。


 太い胴体はゲイズ・ベアを数体まとめて捻り殺す。


 金属光沢を持つどす黒い鱗は逆立ち、触れただけで切り裂かれる鋭さを併せ持つ。


 目は暗黒の中でも地平線までを見通し、また温度・圧力・魔力などを感じとる器官を全身のあちこちに持つため死角という言葉をこの蛇は知らない。


 牙から絶えず生成される毒は触れれば失神、粘膜に入れば激痛にのたうち死に至る。大蛇はそれを高圧力で射出する能力をも持っている。


 背には無数の翼。蛇の身で竜よりも早く飛び、全身のしなやかな筋肉と合わせれば、急降下する隼をも悠々と一飲みにしてしまう。


 尾の辺りには逆立った毛がびっしり。一本一本が鋼鉄の強度を持ち、地に振るえば一瞬で地中へと逃げる穴を掘り、獲物に向ければ肉塊を穿つ。


 蛇の王……そう呼ばれる、凶悪な生物の揃う魔界の生態系でも最上位に位置する怪物。


 その周囲には猪と、多くの小動物の死骸が転がっていた。この蛇が殺したのだろう、高い知能をも備えるこの蛇は、食べるだけなく嬲り遊ぶためにも命を奪う。


 蛇は接近する私にもとっくに気付いていた。品定めするようにチロチロと舌を動かし、やがて、その口を開いた。







 数秒後。


「フン、驚かせおって」


 私はパンパンと手を掃った。尻の下に、あえなくくたばった蛇を敷きながら。


 魔界での食物連鎖の頂点クラスがいきなり出現したのは驚いたが……そもそも魔界における生物の頂点はこの私、魔王シャイターンだ。魔物程度、いくら凶悪であろうと私の敵ではない。


 しかしただでさえ体が痛いというのに余計な手を煩わせおって。明日の仕事に響くぞ。


「……ほかに気配はないか」


 昼間の時はあのローブの男が見張っていたようだが、今はそうした気配はなかった。


 いかに危険な魔界の生物であろうと私の敵ではないが、不気味なのは目的がわからないことだ。あのローブの男の目的、正体、そしてはたしてローブの男が単独なのか組織の一部なのかもわからない。


 幸い村人は熊が出たと思っている、自主的に村から出ないようにしてくれるだろう……なんとかその間にケリをつけねば。


 村とその周囲は私の魔力で常に覆い魔物の接近を探知するとして、やはり根本的にはあのローブを捉えなければ解決するまい。


 だがどうやって……そう考え込んでいた時。


「む!」


 背後に気配。私はすぐに飛び退き、後ろを向いた。


 そこに、あのローブの男が立っていた。


「相変わらず見事な気配の消し方だな」


 私は虚勢交じりに笑う。こやつの転移魔法は音もなく気配もなく瞬時に消えては現れる、その練度は私の遥か上を行く。それは認めざるを得ない。


 背後をとられたのは不覚だが、これは好機だ。向こうから現れてくれるのは都合がいい、なんとしてもここで決着をつける。


 だが、事態は思わぬ方向へと進む。


「……アナ、タ」


 ローブの男が声を出す。厚い布で体全体を覆ったその声はくぐもっており、また魔法による加工が施されているのか、うめき声のように聞き取り辛い。


 だがそれでも、男ははっきりと口にした。


「魔、王……?」


 やはりこの男は、私の正体を知っている。先ほどの蛇駆除もどこからか見ていたのかもしれない。


 ならばもはや隠すことはなかろう。


「いかにも私は魔王シャイターン、かつて魔界の統べた王よ。今は村娘のシャイ……シャイ・オリヴィンだがな」


 私のことを知っているならば、私の強さのほども重々理解しているはずだ。シャイターンの名に委縮し、素直に身を引いてくれるのが最善だ、闘争は好かん。


 もっとももし引かないならば、実力行使もやむを得ない。平穏を妨げる者は排除するしかあるまい。


「それを知り、貴様はどうする」


 ローブの男へ逆に問いかける。しばしの沈黙が、夜の森に響く。


 ――やがて響いたのは、シュルリという衣擦れの音。


 男が纏っていたローブが地に落ちる。そしてその中から。


「魔王様~~~~っ!!」


 見た目麗しいエルフの女が、泣きながら私に飛びついてきた。

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