第16話 家族と魔王
熊出没事件があったその日の夕食の卓にて。
「しっかし熊が出るとはな……レアたちが無事でよかったよ」
「ほんとですね。山の方に近づくんじゃないぞって、シャイにも言っとけばよかったな」
スピネルと、今日は夕食を共にしているルカが言う。
「なに、心配にはおよばぬ。こうして無傷で帰ったではないか」
「そういう問題じゃないっての」
「やっぱり子供だけで森に出すのは危なかったかもね、もしなにかあったらコランドさんにも申し訳が立たないとこだった……反省だ」
「お母さん……」
悩まし気に頭を叩き落ち込むスピネル。保護者として、今日のことに責任を感じてしまっているのだろう。レアも心配そうに母親を見ていた。
その時、私はバンとテーブルを叩いた。
「スピネルが責任を感じる必要などない!」
私は強く言い切った。スピネルたちが驚いて私を見る。
事件の真相は魔界の生物の出現、それもローブの男による作為的なものの可能性が高い。スピネルが予想できたはずがないのだ。
それに、もしそうでなくとも。
「そもそも子供だけではない、ちゃんと私がいたではないか! きちんと私が大人として同行し、事実そのおかげで無事に済んだのだ! なんら問題ないだろう?」
これは励ますための言葉ではなく、歴然とした事実を述べたまでだ。どうやらスピネルはそのことを忘れいたようなので思い出させてやる。
スピネルはきょとんとした目で私を見ていた。が、すぐに。
「ぷ、あはは! そうだね、ありがとうシャイ。いい子だなああんたは」
と笑顔を見せて、私の頭を撫でてきた。どうやら元気になったらしい、よかったよかった。なぜかレアは怪訝そうな顔で私を見つめていたが。
「なにせ私はレアの姉なのだからな! 妹を守るのは姉の務めよ」
そう言うと、レアも笑顔を見せた。
「そうですね。シャイさんは、私のお姉さんです」
満足そうに笑うレア。あらためて彼女を守れてよかったと思う。この笑顔を、平穏を守るためならば、私は身を粉にして働く覚悟がある。シャイターンが魔王ならば私はシャイ、レアの姉だ。
「うむうむ、それでよいのだ。これからも私に頼るがいい」
頷きながら、今晩のメニューであるシチューを口に運ぶ。
「あっつッ!?」
「シャイさん!?」
「ああほら、水水」
舌を火傷してひーひー言う私、心配するレア、水を差しだすルカ、笑うスピネル。
平穏なオリヴィンの夕餉だった。
食事を終え、後片付けをしている時。
「そういえばなんですけど、スピネルさん」
「んー?」
「シャイって、正式にこの家の子供になるんですか?」
食器を運びながらルカが尋ねる。洗い物の準備をしていたスピネルは、少し考えてから言った。
「シャイちゃんがそのつもりなら、私はいいと思ってるよ。どう?」
「無論よいとも! 言っただろう、私はレアの姉だとな」
「かわいいお姉さんです。うふふ」
「やめい」
私は完全にこのオリヴィンに腰を据える気でいた。他に行くあてもないのもそうだが、今更ここ以外に行く気もない。
「となると名もシャイ・オリヴィンとすればよいのかな? フハハハ」
「だ、そうだよルカちゃん」
「ならよかった。父が少し気にしていたので」
「ほう、あのチェス親父か」
「チェス親父って、まあその通りか。一応、村長として村の家族構成とかはまとめてあるからな」
そしてその時、ルカの言葉から、私はふと思いついた。
「それならば、スピネルことも母親と呼ぶべきかな?」
それを言った途端、ピタリ、と周囲の空気が一瞬止まったのがわかった。
「む? 何かおかしなことを言ったか?」
「あーいや……そのなあ」
「うーん、なんていえばいいかな」
ルカ、スピネルが何か言いあぐねているように視線を見合わせている。いったいなんだというのか、私が困惑していると。
「シャイさん。シャイさんの本当のお母さんのことはいいんですか?」
と、レアが切り出した。ルカ、スピネルが驚いてレアを見る。
なるほど、と合点がいった。スピネルを母と呼ぶということは、私の実の母を蔑ろにするとも捉えられる。家族の縁が深いのが人間の常識、私のことを捨て子だと信じている者たちにとっては、気遣いのいる話と思ったのだろう。
「ああそれか、無論よいとも、今更過去のことなど毛ほども気にしておらん」
それは本心だった、そもそも私には親の記憶自体がないのだ、実の親など気にするわけもない。スピネルが最初の母だ。
「そ、そうか?」
「ならいいんだけどさ」
ばつの悪そうな笑みを見せる2人。そんな2人に、レアはしたり顔で言った。
「大丈夫ですよ、お母さん、ルカさん。シャイさんは、たくましい人ですから」
自分こそがシャイさんを理解しているんだ、とでも言いたげな笑みだった。
「うむうむ、妹を守るのが姉の役目ならば、姉を信ずるのは妹の役目。レアよ、姉として誇らしいぞ」
「えへへ……」
そんなレアを私は、そっと撫でてやった。
「なんというか、ほんとにシャイちゃんは強い子だねえ」
「案外、本当に保護者役になってるのかもな」
「ルカよ、それはどういう意味だ」
「おっと失敬。それよりシャイ、じゃあ実際にスピネルさんに言ってみなよ、お母さんって」
それもそうだ。家族になった証、というほどでもないが、あらためてこのオリヴィン家の一員となる決意を固めた意思表明として、一言呼んでおくべきだろう。
「あー、ではスピネルよ……もとい、こほん」
スピネルに向き直り、咳ばらいをして喉を整える。スピネルは期待を込めた笑顔で私を見ている、他の2人も同様だ。
「……なんだか、あらたまるとためらわれるものだな」
別になんてことないと思っていたのだが、こうして期待を注がれると急に恥ずかしくなってきた。照れ隠しの笑みで場を濁してしまう。
「シャイさん、ファイトですよ」
「う、うむ」
レアの言われ、覚悟を決める。
「えーでは……おか……」
が、その時。
突然、オリヴィンの戸がトントンとノックされた。
「もしもし~入れてもらってもええか~?」
聞き覚えのある女の声……私をこの村へと運びオリヴィンに紹介した牧場娘、マナミだった。
「あ、はいはい」
お母さん呼びの儀(とでも言おうか)は一時中止、スピネルが応対に向かう。私は宙ぶらりんのまま放っておかれてしまった。
「マナミさん、珍しいねえ夜に来るのは。それに、前来てからまだ2日だろ? こんなに早く来るなんてね」
「いやあ、シャイさんの様子が気になってまって、また来ちゃったんだよぉ。んでも途中でちょっと迷っちまってなあ、夜になっちまった。また一晩泊めてけろ」
「もちろん! ついでに夕食も食べるだろ?」
「あんがてえなあ、お願いするだぁ」
スピネルはマナミの分のシチューを取り分けるため厨房に向かう。
店内に入ったマナミは私を見つけた。
「おぉ~シャイちゃん! 元気にしとったか?」
「お主、間がいいのやら悪いのやら……」
「んんん?」
魔界から放逐された私を拾いオリヴィンと巡り合わせてくれたのはマナミだが、今邪魔をしたのもマナミ。なんというか、良くも悪くもちょうどのタイミングで現れる奴だ。
「あ、そうだマナミさん! 実は今日、近くで熊が出たらしいんだ」
「あんれま! んじゃまたうちのじさまに相談して……」
そのままマナミはルカと話し始める。私はレアの方に向かった。
「まあ、呼び方など些細な話だ。ここが私の家であることに変わりはない」
「そうですね。でも恥ずかしがっているシャイさんはかわいかったですよ」
「ふん、別に、慣れないことにちと戸惑っただけだ」
「うふふっ」
いつものことだが、私をからかうレアは楽しそうだった。
「レアも、私をお姉ちゃんと呼んでよいのだぞ?」
私は反撃を試みる。が。
「いいですよ、お姉ちゃん?」
「ぐっ……!」
思いもよらずレアは即答し、その響きに私は胸を抑えた。構えていなかった方向から殴られた気分だ。レアからのお姉ちゃんと呼び、なんと甘味な。
「ふふん、これくらい簡単です」
レアはあくまでも、母呼びをためらった私に対し、簡単に呼べたのだということで誇っている。こやつ、自分のかわいらしさを自覚して行動しておらぬ。ある意味危険だ。
「……今日のところはお主の勝ちだ、レアよ」
「ふふっ、どうもです」
負けて悔いなし、意義のある敗北だった。
「ふんふん、レアちゃんとも仲良くやれてるみたいだなぁ?」
いつの間にかルカとの会話を終えていたマナミが問いかけてくる。
「当たり前だとも」
「当然です」
私たちは揃って笑顔で返すのだった。
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