第15話 誓いし魔王

 そうして私たちは外へと遊びに出た。


「シャイちゃんこっちこっち! あっちにでっかい木があるんだ!」

「きれいな小川もあるのよ~」


 村の外の森を双子が進む。思えば村の外の地形を私はまだ知らず、散策は初めての経験だ。


「フハハハハハ、それは楽しみだ!」


 私も思わずテンションが上がってしまい、双子に続いた。


「どうしたレア、早く来い! 遊ぶときに遊ばねば損だぞ」

「……わかってます、今行きますよ」


 さきほどからレアの様子がおかしい気もするが、今は散策だ。距離だけ離れすぎないよう気を付けて先を行く。


 ミネラルの村周辺の森は背の高い木が並んでおり、上を見上げれば葉が視界を覆い、そのため昼間でも薄暗い。光が届かない分、足元には茂みがあまりなく歩きやすい。


 魔界ではこうした緑の植物自体がかなり貴重だ。目についたそばから木々を喰らい尽くす魔物や、面白半分に山火事を起こして遊ぶ魔族がいない、平穏だ。


 周囲の魔物はレアの祖先が狩り尽くしたとルカの父が言っていたが、この感じだとまんざら嘘でもなさそうだ。


「あっ見てルビィ! いい感じの枝あった!」

「ほんと、いい感じね~」


 子供が安心して遊べているのがその証拠だろう。実に平穏。


「この葉もなんと生き生きとしていることか」


 届く場所にあった葉に触れ、その生命力を噛み締める。根付く自然、これこそ平穏……


 とその時。


「ん?」


 葉に触れた手に妙な感触。妙に思って手を引いてみると。


 そこに、芋虫が張り付いていた。


「ひゃああっ!?」


 思わず叫び、ぶんぶんと手を振り払う。すぐに芋虫は地面へ落ちた。


「え、シャイちゃんどしたー!?」

「だいじょうぶ~?」

「シャイさん、どうしましたか!?」


 私の叫び声を聞いてか双子とレアが駆け寄ってくる。


「な、なんでもない。ただちょっと、虫にびっくりしただけだ」

「えー? シャイちゃん虫怖いのか?」

「ルビィたちは平気だもんね~」

「こ、怖くはない! ただ驚いただけだっ!」


 無論、私にとって虫の一匹や二匹とるに足らぬ存在だ。ただ、私はこの小さな体になってから、その分周囲のものは大きくなったように感じることがある。そんな状態でいきなり手に芋虫がついていたのを見たのだ。私の元の体の縮尺なら人間の数倍はある大きさの芋虫がいきなり手にいたことになる、いくら私といえど驚くに決まっている。


 そもそも虫は好かん。気色が悪い。断じて怖いのではない。


「シャイさん……うふふふ」

「なんだレアその笑いは」

「いえ。ふふふふっ」

「ぐぬ……」


 言葉なくとも言いたいことが丸わかりなレア。上機嫌なのが口惜しい。


「まーいーや、行こ行こ!」

「行こ行こ~」

「シャイさん、私が守ってあげましょうか? うふふ」

「うるさい!」


 思わぬ足止めを受けたが、私たちは森を進むのだった。





 その後、私たちは自然の中で遊んだ。川のせせらぎに木の葉で作った船を流してみたり、追いかけっこをしてみたり、形のよい石を探してみたり……


 いずれも子供の遊びだったのだろう。だが、生まれてこの方娯楽といったものにほとんど触れてこなかった私には、そのどれもが煌びやかで、まさしく子供のように遊び回った。


 全力で遊んでくれる私が、サフィやルビィにとっても新鮮だったらしく、2人とはすっかり打ち解けた。私から見ても子供らしい遠慮のなさこそあれど、2人ともとてもよい子だ。レアの友達なのだから考えてみれば当然か。


 レアだけはあまり乗り気ではなかったが、元から外で遊ぶのが好きではないのだろう。途中からは一歩引いた位置で私たちを見守り、半ば保護者役のようになっていた。


 そうして、私たちは楽しい時間を過ごしたわけだが……


 それは唐突にやってきた。






「あ、シャイちゃんそっちはダメ!」

「む?」


 森を進もうとした私がサフィに呼び止められる。


「そっちの木、葉っぱの形が違うでしょ? そこからは言っちゃダメなんだよ!」

「村から離れすぎるからね~」

「ふむ、なるほどな」


 見上げればなるほど、私が向かおうとした先には、これまでと異なる種類の木々がいくつかあるのが見えた。


「目では見辛いんですけど、そこからは山の上に続く坂になってるんです。だから日の当たり方がちょっと違って、別の種類の木が育ってます。もっと奥に行けばこっちの木ばかりになりますよ」

「ほほう」


 ミネラルの村は山の中腹の盆地にあるらしい、これより先に行けば登山になってしまうということか。住民たちは木の種類によってそれを見分け、子供たちにも行動範囲として教えている。生活の知恵だな。


「あいわかった。ちと村から離れすぎたかもしれんな」

「そろそろ空も赤くなってくる頃です、村に戻りましょう」

「うむ」

「はーい」

「は~い」


 ちょうどいい頃合いだと遊びを切り上げ、村に戻ろうと私たちが踵を返した。


 その時。


「むっ!?」


 私は再び振り返る。魔力の気配。それも小さなものではない。種類の違う木……その上の辺りからだ。


 そしてさらにその時、グルルルル、と、獣の唸り声が、そこから響いた。


「え?」


 声に気付いたシャイたちも振り返る。そしてその瞬間、睨んでいたその辺りから、何かが落ちてきた。


 どすん、と重い音を立てたそれは、熊だった。だがただの獣ではない、その体躯は見上げるほどに大きく、手足の爪は異様なほどに長く太く輝き、真っ黒な毛が警戒を示すように逆立っている。


 何より私は、その獣を知っていた。そう私が知っていたのだ、魔界から出たことのない私が。


 ベア。魔界に生息する、凶暴な魔物。腕の一振りで巨木を小枝のように折り、喰らえるものはなんでも喰らう。


 熊は辺りを見渡した後、私たちに狙いをつける。四つ足でしっかりと地を踏み、前のめりになりいつでも飛び掛かれるように構える。


「わ、わわわ、わ……!」

「さ、サフィちゃん……!」

「しゃ、シャイさん……!」


 双子、そしてレアが恐れに震えている。私はゲイズ・ベアから視線を逸らさないよう睨みつけつつ、双子を後ろにかくまった。


「いいか、私が3つ数える。私が3つ目を数えたら、全速力で村まで走るぞ」

「う……うん」

「わ、わかった」

「はい……!」


 振り向かずに告げる。皆怯えてはいたが、私が動じないのを見ていくらか落ち着きを取り戻せたようだ。


 一方で熊の方は落ち着きがない。苛立っているのが見て取れた。


 観察する熊ゲイズ・ベアの名の通り、こ奴は凶暴だが、それと同時に熊の例に漏れず臆病だ。自分より弱いとみなした者にしか襲い掛からない。たとえば……自分から背を向けて逃げ出すような相手。


「1、2、3!」


 私が合図を出す。それと同時に、双子とレアが走り出す音が聞こえた。


 それを見たゲイズ・ベアがこちらを弱者と見なし、咆哮を上げながら襲い来る。目論見通り、弱者の仲間たる私も弱者と見なしてくれた。


「フッ!」


 軽く息を吐き、私は魔力を解き放った。瞬間的に解放された莫大な魔力は私の体に収まらず突風となり、森がざわりと一声騒ぐ。


 魔界の生物は本能的に魔力を操る。この熊もそれでやっと気付いただろう、襲う相手を間違えたことに。


 たかが魔物一匹。私は魔王、魔界を力のみで統べた覇者。その称号に元がつくとはいえ、熊風情に舐められては困る。


 熊は完璧に委縮し足を止めた。だがあくまでそれは私に対してのみ、これほど危険な魔物をミネラルの村の近くに放っておくわけにはいかない。


 魔力により身体能力を強化し、風の速度で瞬時に熊へと詰め寄る。怯える熊が私の接近に気付くよりも早く、その胸のあたりに手を当てた。


「悪いな」


 次の瞬間に、私は自らの魔力を、ゲイズ・ベアへと直接ぶつけた。


 ガア、っと、短いうめき声。それきり熊は動かなくなり、やがてどたりと身を横たえた。


 魔物には……というよりあらゆる生物には心臓の横に、魔力を蓄える器官がある。そこへ一度に許容量を超える魔力を叩きこむと、器官が暴走を起こし、魔力が体内で放出され、すぐそばにある心臓をも飲み込み焼き尽くす。


 魔女が得意としていた暗殺法だ。音もなく、熱も光もなく、もっともスマートに相手を仕留められる。


「さて、この熊どうしたものか……」


 村の者に死体を見られてはいらぬ恐怖を与えるかもしれない、埋めるなりして隠蔽し、子供たちが恐怖のあまり普通の熊を怪物に見間違えた、とでもするのがいいだろう。


 だが問題は、なぜこの熊がここにいるか、ということだ。


 その出現も唐突かつ奇妙だった。ゲイズ・ベアは木登りはできるが、どう見ても辺りの木に爪跡などの痕跡はないし、こんな危険な生物が村の近くに生息するのならば村人が知っているだろう。


 何より、魔界の生物が魔界の外にいるとは考えづらい。


 それにこいつの出現の時に感じた魔力の気配。あれは……転移魔法だ。


「つまり何者かがこの熊を送り込んだ……? いったいなんのために……」


 とその時。


 私は何者かの気配を感じ、振り向いた。


「あっ、貴様ッ!」


 木々の影に隠れて私の様子を伺っていたのは、かつてオリヴィンに現れ、ミネラルの村周囲を怪しく嗅ぎまわっていた、あのローブの男だった。


 男は私に気付かれた途端、転移魔法で姿を消した。以前も見たがやはり起動までの時間が短い、相当な魔法の使い手だ。


 男の正体は分からない。だがもし、私がやっと掴んだ平穏を崩そうとするならば。


 いや……それよりも、レアをはじめ、ミネラルの村に危害を加えようとするのならば。


「絶対に許さんぞ……!」


 何が何でも、守り抜く。平穏と、平穏の理由たるミネラルの村を、皆を。私は強い怒りと共に誓った。






 その後、私は魔法を使い手早く熊を埋めて隠し、レアたちが逃げた先へと向かった。


 足跡は村まで続いていた。よほど無我夢中で駆けたのだろう、私がいないと気付かぬほどに。無論私も、レアらに熊を狩る姿を見せぬよう、それを狙っていたのだが。


「あ、シャイちゃん!」


 村ではスピネルが外に出ており、いち早く私に気付いた。そしてそのそばには、大声で泣くレアと双子の姿があった。


「シャイぢゃ~~~~ん!!」

「えぐ、無事で、よかっだよぉ~……」


 私が戻らないのでてっきり熊に食われたと思ったのだろう、双子の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。


 そしてそれは、レアも。


「えぐっ、びすっ、ジャイ、ざぁん……」


 私の下に駆け寄り、ひしと抱き着くレア。私はその頭をそっと撫でた。


「すまぬなレア、心配をかけた。ちと足がもつれてな、この通り無事だ、安心するがよい」

「わだし、ジャイさんが、どっか、いっちゃったら……おどうさ、みたいに……えぐ、ふええええええええん」


 普段の落ち着きから一転、力の限り泣くレア。私はその頭を何度も何度も撫でてやるのだった。







 この出来事はすぐに村中に伝わった。私の思惑通り、現れたのは大きめだが普通の熊で、怪物じみた容姿は子供たちが見間違えたのだろうということになった(私の証言もあったことだし)。


 しばらくの間、子供たちはもちろん、大人も迂闊に村の外には出ないこととなった。あのローブの男が何かを仕組んでいるならこれも都合がよい、村の中ならば私の魔力で結界を張り守ることができる。


 そして私はなるべく早くあの男を捉え、正体と目的を暴くのだと誓うのだった。







 が。


 その時は意外なほど早く、そしてあっけなく、訪れることとなる。

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