第13話 託されし魔王
「いやあすまんすまん! みっともないところを見せたな」
ルカの父はようやく立ち直り、頭をかいて私に詫びた。
「あらためて自己紹介だ、私はスパード・オーソクレース、現ミネラルの村の村長だ」
恰幅のいい男はそう言って笑った。こうして見ると貫禄があるようにも見えるが、先ほどまでの醜態が記憶に新しい以上、どうしてもそちらが先に出る。
「チェスに負けたのがそんなに悔しかったのか?」
「悔しい! だってもう何十回とやってるのに一度も勝てないんだよ? 今回はかなり惜しいとこまで行けたと思ったからさあ」
恥ずかしげもなく子供のようにのたまうルカの父。村長としては頼りないの一言だが、人間としてはこういう素直な男は私としては嫌いではなかった。
「たしかに、惜しかったな。最後の局面、これをこうではなく、こちらに動かしていればまだ目があった」
「ん? んん~~……あっ、ほ、ほんとだ! あァ~~~~~……」
私が教えてやると、ルカの父はまたソファに崩れ落ちた。なんというか感情を素直に表に出す奴だ、ルカとは似ても似つかない。
「っていうか君、チェスわかるのかい!?」
と思ったらがばりと起き上がり私に詰め寄る。うっ、と一瞬体格差に圧倒されてしまった。
「う、うむ、たしなむ程度だがな」
チェスという遊戯は魔界にはない。だが、魔女が持ち込んだのだ。
魔女曰く、『王なれば盤上遊戯のひとつくらいたしなむもの』とのことで、わざわざ魔石を加工し魔女自らが私にチェス盤一式を献上してきたことがあった。私も遊戯とあればやぶさかではなくルールも覚えたのだが、あいにく血の気多い奴ばかりの魔王城にチェスを指せるような者はおらず、かといって魔女を相手にすると、知能の点で奴に敵うはずもなくボコボコにされるばかりだった(魔女もプライドが高く手加減などしてくれなかった)。
なので結局、ほとんどチェスを指すことはなかった。
「それならぜひどうだい一戦! 軽く、遊ぶぐらいでいいからさ」
「ふむ……」
見る限り、この男はかなりチェスに入れ込んでいるようだ。ならば共通の趣味を持っておくのは今後ミネラルの村で暮らす上で何かと有効かもしれない。
思えばこうした遊戯を楽しむというのもまた平穏の象徴……平穏を掴んだ今こそ、私はチェスをするべきだ、きっとそうに違いない。
「よかろう! かかってくるがよい」
「よーし!」
私はルカの父とチェスに興じることにした。どうせこの男、先ほどの様子を見るにさしたる強さではない。軽くひねってやろう!
少しして。
「おーいシャイ、お菓子と飲み物持ってきたぞ」
「あなたお待たせ、シャイちゃんとは仲良くなれた~?」
ルカとその母が部屋に入ってくる。そして私たちはというと。
「よっしゃー!!」
「バッ、馬鹿なっ……! この私があああ……っ!」
勝ち誇るルカの父、思わず仰け反りソファに身を沈ませる私。チェスの一戦は、私の敗北という形であえなく決着がついたのだった。
「おのれえ! なぜだ、なぜ負けたのだあっ」
すぐにソファから起き上がりチェス盤へと視線を戻す。私の体には大きいソファがぽふぽふと手を沈ませるのでなかなか起き上がれなかったが、なんとか起き上がりチェス盤を覗き込む。ルカの父も同じようにしていた。
「ほら、シャイちゃんはここで攻め急いだんだ。だから俺はこっちから攻めて……」
「なっ、そういうことか! ぐぬぬ、こんな見え見えの攻めに気付けぬとは……!」
「見てるだけなら気付けることも、いざ当事者となると気付けないものだよシャイちゃん」
「うぐぐぐぐ……もう一戦、もう一戦だ!」
「はっはっは、かかってきたまえ」
遊ぶつもりで始めたチェスだが、やはり負けると悔しい。私はすでに駒を並べ始めていた。
「あらあら、思ったより仲良しになってるわね~」
「意外と似た者同士なのかもな」
ルカたちの視線も気にする余裕なく、私は次の一戦へと興じるのだった。
そうしてしばらく、私とルカの父はチェスでやりあった。認めたくはないが互いにあまり上等な腕を持たないためか次々に決着がつき、私も初戦こそ負けたが以降は巻き返しも見せ、最終的には5勝5敗のイーブンにまで持ち込んだ。
「見たか、これぞ私の実力よ。次やる時には完膚なきまでに叩きのめしてくれる」
「はっはっは、望むところだ」
戦い続けて疲れたので一時休戦、私たちは菓子と茶で休憩をしていた。ルカとその母も、それぞれ私とルカの父の隣に座りいっしょにいる。
「しっかし、シャイちゃんはしっかりした子だなあ! ちょっとびっくりするぐらいだよ」
「そうねー、ルカから聞いてたけど、年の割に堂々としてて、偉いわ~」
「ふふん、ほうふぇんだとも」
お菓子を頬張りつつ「当然だとも」と応じる。しかしうまい菓子だ。甘い。
「シャイちゃんみたいな子が来てくれたら、レアちゃんもスピネルさんも嬉しいでしょうね~」
「まったくだな! 特にレアちゃんは安心しただろう」
お菓子を咀嚼しながらふと考える。ルカの母はさきほども同じことを言っていた気がする、思えば娘であるルカを預けているということもあるし、この村長一家とスピネルらは何か親交があるのだろうか。
「んぐっ……お主らは、レアたちとはどういう関係なのだ? なにやら親しげだが」
直接聞いてみた。すると、少々意外な反応が返ってきた。
「あー……えっとねえ」
「どう説明したもんかなあ」
言葉に詰まる村長夫妻。おや、と、私もやや不安になる。まずいことを聞いたか。平穏のほころびの気配は、今の私にとってもっとも憂慮すべきことだ。
「……ずっと、黙ってるわけにもいかないしな」
ルカの父がうんうん、としきりに頷く。ルカの母の方は夫を見つめ、この件を委ねるつもりのようだった。
そしてルカの父は語った。
「俺はレアのパパと、親友だったんだ。この村で小さい頃からいっしょに育ってきたし、家族同然の付き合いだった」
レアの父親。なるほど、語りあぐねた理由はそれか。仔細は知らぬが今は料理屋オリヴィンにいない存在。
「それに実はな、そもそも村長の役目は、オリヴィン家の方だったんだよ」
「なに? だがお主らはあれほどの麦畑を……」
「そりゃあ畑は立派だけど、だから村長になれるわけじゃないさ。料理屋オリヴィンの奥にある水車は見たかな?」
「水車……そういえば」
店の裏にはすぐ川がある、そういえばその辺りからずっとカタカタという音が聞こえていた。なるほど水車があったのか、思えばスピネルが度々そちらへと引っこみ何かしていた気もする。
「あの水車で小麦を潰して粉にしている。いくら麦がとれても小麦粉にしなきゃ使えない、そのための設備は毎日点検して維持してかなきゃならない。それを代々管理してきたのがレアのパパのオリヴィン家で、水車を管理するのが村長の仕事だったわけだ」
「ほほう」
なかなかに面白い話だと思った。魔界において私が魔王となったのは最も力を持つからこそ。一方で人間の社会では、食を支える存在こそが最も力を持つとされるわけか。
「だがそれではなぜ、今はお主が村長なのだ?」
「それがな、レアのパパとその家族はレアのパパが子供の頃に、この村を出たんだ」
「なに?」
「あいつが15歳ぐらいの時だったかな、あいつの両親……つまりレアの爺ちゃん婆ちゃんと一緒に、都の方に引っ越したんだよ。その時に村長の仕事は俺らオーソクレース家が引き継いだんだ」
意外な事実だった。てっきりスピネルもレアもずっとこの村で育ってきたのかと思っていたが。
「ほらこの村の周り、魔物がいないだろ? 元々はオリヴィン家が代々魔物を討伐して村を守る使命もあったんだが、長年狩り続けたせいか、最近はもう狩り尽くしちゃったみたいなんだ。それで水車小屋回すだけで食わせてもらうのも忍びないからって、レアの爺ちゃんは都で兵隊をやりに行っちゃったんだなあ」
魔物がいない、というのはたしかにそうだ。この村には堀も塀もない、もし魔物がいたならば瞬く間に食い散らかされてしまうだろう。この村が平穏に存続しているという事実はレアの先祖の奮闘の結果であったというわけか。
しかし魔物を狩り尽くしてしまうとは。レアの祖父というのは、さぞ武に優れた人物であったに違いない。
「しかし、現にレアらは今この村にいるではないか」
「それがな、あいつ、レアのパパな、一度だけこの村に戻ってきたんだよ。3歳のレアちゃんとスピネルさんを連れて……」
ルカの父がそこまで語った時。
「あなた、その辺りでいいでしょう」
と、ルカの母が口を挟んだ。おっと、とルカの父が口を抑える。
「そうだな、こっから先は俺が教えることでもないか。悪いけどシャイちゃん、これ以上はスピネルさんから聞いてくれ」
「む……」
オリヴィン発祥の秘密、興味はあったが、たしかに父親の不在の理由ともなるとやや踏み入った話になる。部外者から聞くのはレアたちに悪い気もした。最初の疑問、オーソクレース家とオリヴィン家の関係は聞けたわけだし。
「あいわかった。時を待つとしよう」
人間の常識はまだ私にはよくわからない、両親がいないのは憂慮すべきことというのは学んだが、それをどこまで慮ればよいのやら。下手に触れられたくない部分に触れて、レアやスピネルを傷つけてはたまらない。
生きていれば当然相応に過去がある。その過去が必ずしも平穏とは限らない。だがだからこそ平穏には価値がある……
平穏とは、生きていれば自然と手に零れ落ちるものではない。身の振りよう、心の持ちようによって、自ら求めていくものだ。私はそれをよくわかっていた。
「いずれ向こうから語ってくれる時も来よう。幸い今は平穏な時を生きている、焦らないことはそれすなわち平穏。平穏ならば甘受するまでよ」
「そうそう、そういうことだ! よくわからんけど」
ルカの父はいつもの調子で豪快に笑った。
「まあなんだ! あいつがいなくなってからスピネルさんもレアちゃんも寂しい思いをしてただろうけど、シャイちゃんが来てくれてよかったよ。俺が言うのもなんだけど、2人をよろしく頼むな」
「うむ!」
ルカの父の頼みに、私は胸を叩いて応じたのだった。
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