第10話 飾られし魔王
一夜明けて。
「んむ……」
私は寝ぼけまなこで卓に着き、朝食のハムエッグを食べていた。マナミの牧場で採れた卵と塩漬けのハムの組み合わせは美味だったが、それよりどうも頭がぼやぼやしてうまく働かない。
「シャイさんは朝に弱いんですね。はい、ホットミルクです」
「ふぁ~あ……そうらしい……すまんな」
レアが差し出したミルクを受け取り一口飲む。温かなミルクが喉を通り少し目が覚めた気がした。
魔王だった頃は寝起きだろうと常に100%の力が出せたものだが、人間の体はそうもいかないらしい、この魔女の体は特に朝弱いみたいだった。
「ふふふ、シャイさん寝ぼけてて、かわいいですよ」
朝からレアがからかってきたが、まだボーッとしていた私にはかえって効果が薄く、逆に
「ん、寝ぼけと言えば昨晩……レアは私を『お姉ちゃん』と呼んでいたぞ」
と仕返ししてやった。レアは一瞬固まり頬を紅潮させる。ふふん、よい顔だ。
「昨晩は楽しかったようだね、なんなら明日からもレアといっしょに寝る?」
レアをやりこめ調子に乗っていた私はスピネルの言葉に大いに慌てた。だがはっきりとは否定はせず、「き、気が向いたら」と語を濁し、レアもスピネルも何やら生暖かい目で私を見つめているのだった。
朝食を終え身支度を整えて後。
私はスピネルに目覚ましがてら村へ散歩に出かけることを勧められ、レアと共に村を歩いていた。
「村を見て歩けるのはありがたいが、店の方はいいのか?」
手を繋いで隣を歩くレアに尋ねる。はい、とレアは頷いた。
「朝は自分の家で食べる人が多いですし、それに朝食は食べない人もけっこういますから」
「なるほど、そんなものか」
「そもそも昨日ほど忙しいのは珍しい方です、たぶん昨日のお客さんの半分くらいは、シャイさんを見るために来たんだと思いますよ」
「なに? わ、私が目当てだったのか?」
「はい。村に新しい人が来るのはとても珍しいので、店に来た人が他の人にそれを話して、といった感じで噂が広まったんだと思います」
思わぬ事実に私は驚いた、よもや昨日の客の目当てがこの私だとは……確かにこんな辺境、新しい住民が来たと聞けば見に行きたくなるものなのかもしれない。
実際にこうして村を歩くと、ちらほら出歩いている村民たちが私たちに声を掛けてくるが、その多くがレアだけでなく私にも名を呼んで笑顔で挨拶をしてきていた。向こうの名前を知らないので簡単に挨拶を返す。
「ふふふ、人気者ですね、シャイさん」
レアはいつもの悪戯顔で笑っていた。少し気恥ずかしくはあったが、村から受け入れられているのは私も悪い気分ではないので、うむ、と頷いた。
「まだ早い時間だが、外に出ている者が多いな?」
「はい、お店をやっている人はその準備をしたりしてますから。私たちみたいに散歩する人も多いんですよ」
「ほう、勤勉なことだな。てっきりこんな辺境ではゆったりと暮らしているものだと思っていたが」
「実はそういう人も多いんです。仕事がなければ昼まで寝てる人もいますし……お母さんも、お店が休みの日とはけっこうぐうたらです」
「フハハハハ、だろうと思った。平穏でよいではないか」
レアと談笑しつつ村人に挨拶を返したり、店を教えてもらったり。そうして村を一回りしようかという頃だった。
「おっ、その子がウワサの新人ちゃん?」
ふいに後ろから声を掛けられた。レアと共に振り返ると、そこには初対面の少女が立っていた。
一目で思ったのは、ずいぶん派手な見た目をしているなということだ。髪の色は目が覚めるような金色の上、私にはさっぱり構造の分からない編み方をヘアピンで留めてきれいに飾っている。
目鼻立ちのすっきりした顔、薄めだが化粧が施されておりレアとはまた違うかわいらしい容姿をしている。服は村民の例に漏れず簡素だが、随所にリボンや花飾りなどのアクセサリーでアレンジしてあり、スカートも膝までとレアやルカに比べれば短めだ。
耳に六角形をした宝石のイヤリングをつけた少女は私たちを見下ろしてひらひらと手を振り、快活に笑っていた。
「マイカさん、おはようございます」
レアがぺこりと頭を下げる。どうやらこの派手な少女はマイカというらしかった。
「やっほーレアちー、で、そっちがシャイちゃんだってね? 初めましてー」
「いかにもシャイだが、私のことを知ってるのか?」
「知ってるも何も村中で噂になってるよ、オリヴィンに新しくすっごくカワイイ子が来たって!」
「村中!? そ、そうか……」
村中で噂、すっごくかわいい、などと言われ私はひどく赤面した。レアがしたり顔で見ているのはわかったが反論しようもなかった。
「あたしはルカからも聞いてたからね、今日会いに行こうと思ってたんだー。あっ改めて自己紹介するね、あたしはマイカ・ビオ、ルカの幼馴染! よろしくねー」
どぎまぎする私をよそにマイカは勢いよくまくし立てる、だがとても楽しそうだった。
「マイカさんのおうちは村で唯一の散髪屋さんをやってるんです、私もお世話になってます」
「あたしはまだ見習いだけどねー、でもちょくちょく店にも立ってるんだぜ」
「ほほうなるほど」
手でチョキチョキと鋏の真似をしてみせるマイカ。なるほど散髪は人間が生きる上では欠かせないもの、辺境だろうと絶対に必要な人材というわけだ。
「あそうだ、どおれ、顔ちょっと見せてねー。おーカワイっ」
「ひゃっ」
とその時、いきなりマイカは私の顔を両手でつかんできた。距離感の読めぬ対応にどぎまぎする私を、マイカはじーっと真正面から見据えてくる。間近で見るマイカの顔はかわいいというよりは綺麗で、私はレアの時とはまた違った意味で赤面した。
「……むぅ……マイカさん、見過ぎです」
「あ、ごめんごめん。レアちゃんもカワイイよ」
「そういうことじゃないです」
なぜか少し眉をひそめたレアがマイカを遮り、ようやくマイカが私から離れる。私は先程から赤面しっぱなしだった。
「ふむふむ、やっぱカワイイ! よし決めたー」
そしてひとりで何やら決めて私と視線を合わせる。その目には何か、嫌らしい気配が漂っていた。
「やっぱね、新しい子を見ると……カワイがりたくなっちゃうよねえ?」
マイカは私を見下ろして、ニヤリと笑った。
それからしばらく後。
私は鏡の中に映る私を見て、震えていた。
綺麗に編み込まれて盛られた髪。
整えられたまつげ。
桃色の健康的な色を引き立たせる口紅。
鏡台の前に座らされた私は、見事なまでに『女の子らしく』変身した私の顔を見て、今日最大の羞恥に染まっていた。
「うんうん、やっぱいい感じー!」
私の肩に手を置いたマイカが満足げに笑っている。私はあれやこれやの間に彼女の家に連れ込まれて座らされ、マイカにより丁寧に飾られてしまったのだ。
「シャイさん、すっごく、かわいいです……!」
レアが感嘆の表情で、いつものからかいを抜きにした、本気の賞賛で私を褒めた。からかいではなく本気であるからこそ私はより一層の羞恥に苛まれ、思わず顔を伏せた。
「フフッ、ホントに恥ずかしがり屋さんだねえシャイたんは」
「しゃ、シャイターン!?」
「そ、シャイたん。かわいいっしょ?」
「あ、あぅ……」
マイカの私を呼ぶ声に一瞬本気で驚いた。シャイターン、と聞こえたからだった。すぐにただの砕けた呼び名と気付いたが、こんなタイミングで魔王としての元の名を意識してしまった私は、ただでさえ紅潮する私の頬はもう茹でダコのように真っ赤になっていた。
「うーん、あたし勢いでやっちゃったけどさー、シャイたんはこういうのイヤだった?」
そんな私を見て心配そうに問いかけるマイカ。彼女に悪意はない、それは当然わかっている。それでもこの羞恥はさすがに耐え難い……が……
横目でちらりとレアを伺う。レアは私に見惚れたように口を開けている。
「わ……悪くは、ない。ちと、戸惑っているだけだ」
「マジ? よかったー!」
本心としても、鏡の中に映った私の姿は我ながら綺麗に思う。こうして彩られること自体は悪くないとは思っていた。
「やっぱさー、カワイくなるのって楽しいよね、それ自体が! うちのパパは清潔ならそれでいいって言うんだけど、あたしはもっとオシャレした方がみんな楽しいと思うんだよねー」
「むぅ……」
少しだけ落ち着いた私は、あらためて鏡を見てみる。マイカの言う通り、こうして見た目を彩られると、なんだか気持ちが弾むような気もした。
思えば容姿に気を使うというのは闘争こそ法という魔界ではあまりない概念だ。美醜を気にするというのもまた、平穏であればこそ。
つまりはオシャレを楽しむのは、平穏を楽しむということだ。
「私もそう思う。オシャレはいいな」
「でしょ!? シャイたん話がわかるぅ! ルカもレアちーも、あんまオシャレに興味持ってくれないからさー……ねね、せっかくだから服も試してかない? あたしのお古あるからさー」
「ふむ、こうなると服も気になるな。ではひとつ……」
羞恥はあるが、この際毒を食らわば皿まで。マイカの誘いに乗り服も試してみようと私は乗り気になったが……
「シャイさん!」
と、突然レアが強い声で言う。
「これからお仕事ですよ」
レアは先ほどまでとは一転して、私を睨みつけていた。表情の薄い娘なのではっきりとはわからないが、何やら怒っているのが見て取れた。だが思えば、仕事があるというのに遊んでいてはレアが怒るのも当然だ、
「すまぬすまぬ、つい興が乗りすぎてしまったようだ。そういうわけだマイカ、服はまた別の機会としよう」
「えー! しょーがないなー、約束だぜ」
マイカも不満顔ながら飲み込んでくれた。実際、それからも度々マイカとはこうしたオシャレの話題に乗ることになる。
「さ、いきますよシャイさん」
レアは強引に私を引っ張っていく。仕事のためにここまで怒るとは真面目な奴だ、と感心しつつ、ここは素直に従い、私はマイカに手を振りつつその場を後にしたのだった。
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