第9話 同衾せし魔王
「……ぐむむ」
私は視線を泳がせてその部屋の中を見回した。家具といえばベッドと机、鏡台やクローゼット程度の小さな部屋。
だが円形のカーペットにはネコの模様があしらわれ、要所要所に小さくもかわいらしい装飾が見られる。いわゆる『女の子の部屋』……なのだろう、他の例を見たことがない私には推測するよりないが。
そしてその部屋の真ん中。薄いひらひらとした寝間着に身を包み、髪を上に束ねてうなじを露出させた、レアが不思議そうに私を見ていた。
「シャイさん、どうしました。私の部屋、何か変でしょうか」
そう、ここはレアの部屋だ。だが女子の部屋に邪魔しているだけでは私はここまで所在なく落ち着きを失ったりはしない……レアの部屋にいる理由が問題だった。
「早く寝ましょう、少し狭いでしょうけど我慢してください」
レアはベッドの布団をまくり平然と言った。そう、私はこれからレアと同じベッドで寝るのである。
「なあレアよ、やはりそこまでする必要はないのではないか? ベッドは十分に大きいとはいえ……」
「ダメです、心配です」
口調は丁寧だが、レアからは有無を言わさぬ圧を感じる。出会った時から薄々感じていたが、この娘おとなしそうに見えてなかなかに強情だ。
「さ、どうしましたシャイさん、早く来てください。私もう眠いんです」
いつの間にかレアはベッドに横になり、布団の半分を開けてぽんぽんとベッドを叩き催促してくる。その顔にはうっすらと笑いが浮かんでいた。
「……ひょっとして、恥ずかしいんですか?」
表情に乏しいレアだが、それが挑発であることは私にもわかった。
「フ、フフフフ……この私を挑発するか、よかろう! これしきのこと、我が覇道の前にはどうということもないわぁ!」
半ばヤケになった私はずかずかとベッドに近づき、そのまま身を横たえた。柔らかな綿の感触を薄い寝間着越しの肌が感ずるのと同時に、レアが持ち上げていた布団がふわりとかけられる。
気付けば私たちは同じ布団の中で、向かい合っていた。息遣いすら感じそうな距離にレアの顔がある。途端に私の反骨心はしゅるしゅると萎み、代わって羞恥心が私の顔を真っ赤にした。
「ふふふ。シャイさん、かわいいです」
レアは赤面する私を見てほくほく顔だった。ぐぬぬ、とまたやりこめられた私は恥ずかしいやら、間近でレアの笑顔を見てて嬉しいやら。
どうもレアは私を弄ぶのが癖になっているらしい、ここらで少し反撃してやらねば。
「おのれ、この私を侮るとどうなるか思い知らせてやるぞ。そらっ!」
私は布団の中で手を動かし、レアの脇腹をくすぐってやった。弱点だったのか途端にレアが笑いだす。
「ひゃっ、あはははは! やめ、やめてくださいぃ」
「フン、我が力を思い知ったか! そらそら」
「きゃはははっ、お、お返しですっ!」
「ひっ、ばっ、やめ……あはははは!」
レアに脇をくすぐり返され、『くすぐったい』という慣れない感覚に私は身をよじる。だが負けじとレアを責める手も止めなかった。
狭い布団の中で私たちはしばしくすぐり合いをしていたが、やがてスピネルに「仲いいのは結構だけどそろそろ寝なよ」とやんわりと叱りを受けた。
いく分か緊張も和らいだ私たちは枕元のランプを消す。
「それではシャイさん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
私たちは静かに目を閉じる。全身に平穏を感じつつ温もりの中まどろむ、私は幸福だった。
深夜。
ミネラルの村周辺の山林で、怪しく動く影があった。
それは日中に料理屋オリヴィンを訪れた謎の男だった。相も変わらずボロボロのローブと厚い布服で体を隠している。
こんな深夜に、こんな辺境の村の周囲で月光から隠れるように木々の影をうろつき回る男。どう考えてもまっとうな理由があるとは思い難かった。
男はゆっくりとミネラルの村へと近づいていく。その目的はわからない、だがその身には――邪悪な魔力が少しずつ膨らみ始めていた。
だが、その時。
「そこまでだ、下郎がッ!!」
木の裏に潜み待ち伏せをしていた私は男に飛び掛かった。魔力により瞬間的に強化した身体能力で跳躍し、そのまま男の首を抑え、地面に叩きつけ捻じ伏せる。突然のことに男は抵抗できない様子だった。
あらかじめ魔法により網を張っていたのだ。魔力を持った輩が村に近づけばわかるように。私の魔力があれば、村ひとつ結界で覆うくらいわけはない。
私はあえて自ら打って出た。この平穏、絶対に守り抜く!
「フン、貴様が何者かは知らんが、ようやくつかんだ私の『平穏』を……このミネラルの村とその住民たちを脅かすものは、この私が許さん!」
魔力による圧をかけ、私は男への圧迫を強める。男はろくな抵抗もできていないが私は油断せず、いつでも魔王の魔力を解き放つ準備をしていた。
「まずはその顔を晒し、目的を教えてもらおうか! フッハハハ、さあ邪魔な服は……」
男の顔を拝もうとそのローブに手を伸ばした瞬間だった。
突然、男の姿が消えた。
「ひゃっ……!?」
体重をかけていた相手がいきなり消えたことで私は地面に倒れ込んでしまった。慌てて起き上がり辺りを見渡すが男の服の欠片すら落ちていない、どうやら転移魔法を使い瞬時に移動したらしい。
念のため探知をしてみたが反応はなかった。私は転移魔法を使えないのでこれでは追いようもない。
「逃がしたか……」
これで確かになったのは、あの男が相当な魔法の使い手ということ。準備も予備動作もまるで見せずに、私の探知範囲を越える転移魔法をあの一瞬で行使するとは。
「フン、まあよいわ」
逃げたということは逆にいえば真っ向から私に対抗する自信がなかったということ。十分に警告はできただろう、私とこの村に手を出せばどうなるか。
平穏を乱す存在を放置していては、我が愛する平穏にノイズが混ざる。心の隅に不安を抱え続けるような平穏はまっぴらごめんだ。私は貪欲なのだ。平穏を求めるならば、より純粋な平穏を求める。
いずれ必ず尻尾を掴んでやる。私はそう強く決意した。
「うぅ、しかし夜風はこの身にはこたえる……」
私は思わず身を震わせる、少女の肉体に薄い寝間着だけ、夜の空気は酷だ。さっさとレアが待つ暖かい布団に帰ることにした。
しかし……とその道中、私は考える。
「奴が一瞬見せた魔力、それにあの転移魔法。あいつ、もしや……? いやまさかな」
私は自ら浮かべた疑惑を否定しつつ帰路につく。ちと心当たりがあるがその可能性は低かろう、しかし万が一そうならば……唯一言えるのは、ひょっとしたらだが……
存外この一件、拍子抜けするほどにあっさり、笑い飛ばすように解決するのではないかということだった。
私は屋根伝いに渡り窓からレアの部屋に戻った。すると、
「んん……」
とレアが小さく呻く声がして、ベッドの上でのそりと起き上がる。しまった起こしてしまったか、と私は慌てたが……
「お姉ちゃん……? どこ、行ってたの……?」
寝ぼけているのかレアは私にそう語り掛けた。お姉ちゃん、という言葉がレアから投げかけられるのに、私は胸が鳴るのを感じた。
「だ、大丈夫だ、もう済んだ。さ、いっしょに寝よう」
「んー……うん……」
私は極力静かに歩きまたベッドにもぐりこみ布団をかけた。するとこれまた寝ぼけているのか、レアは抱き枕にそうするように私に抱き着いてきた。
私の頭から先程の一件などあっさりと掻き消えて、幸福の中にまた平穏なる眠りに落ちるのだった。
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