第8話 苦悶せし魔王

 夕食を終え、軽く体を拭った頃にはもうすっかり日が落ちていた。


 わずかに灯が灯るばかりの薄闇のミネラルの村、料理屋オリヴィンは完全に営業をやめルカも帰宅する。翌日の支度をするというスピネルを残し、私たちは2階の寝室へと向かう。


 歯を磨き服を着替え就寝の準備をする。幸いにも部屋を与えられた私は風雨をしのぐ心配などする必要もなく、柔らかなベッドに安心して身を横たえる。


「ではシャイさん、おやすみなさい!」

「うむ、おやすみ!」


 シャイとあいさつを交わしそれぞれの部屋へ。


 自室のドアを閉めるやいなや、私はベッドへと飛び込んだ。


「ふふ! いよいよ就寝だ」


 ぽふぽふとベッドを叩くと、初のベッド就寝への期待が高まっていく。


 元々、私は人間と同じようには眠らない。目を閉じて体を休める休眠状態に入ることはできるが、その状態でもうっすらと意識はあるし、何より完全に自分の意思で休眠と覚醒を切り替えることができる。


 それゆえ、私は『眠い』という感覚を味わったことがなかった。


「ふふ……瞼が重い……これが眠いという感覚か」


 だが今は人間たる魔女の体。およそ人間らしからぬ魔力を備えていたこの女もやはり肉体は人間、昼間の労働もあってか、相応に眠気を感じていた。


 なるほど眠気に身を委ねるというのは心地よいものだ。食事をして空腹が満たされるのにも似た快感がある。魔王の肉体は完全すぎるゆえに、こうした快感を得ることもなかった。


「では早速……就寝!」


 仰向けに寝転がり、眠りたがる体に正直に目を閉じる。するとすぐ、ふわふわと体の感覚が曖昧になっていき、えもいわれぬ心地よさが体を……というよりは心を包んでいった。


 なるほどこれが眠るということか。よい、実によい。


 私はそのまま平穏な心持ちを楽しみつつ、眠りの中へと落ちていく……


 その、はずだった。


「ぐッ!?」


 突然、胸に激痛が走る。


「くうっ……ハアッ、ハアッ……つぅっ」


 思わず左胸を抑えて転げまわる。胸の中が痛い……いや、焼けるように熱い。


「う、ううううううっ……!!」


 こらえきれない。口から苦悶の声が漏れる。脂汗が額ににじむ。痛みのあまり全身は硬直しうまく呼吸もできない。あまりのことに混乱しきり、ただ耐えることしかできなかった。


 時間にしてほんの10秒ほどで、その熱さは収まった。


「うッ……はあっ……」


 左胸から手を放し、緊張した体を脱力させ、ベッドに寝転がる。先ほどまでの熱さは嘘のように消えていた。


 なんだこれは。あの痛みは、熱さは。


 ゆっくりと平静を取り戻す頭に、とある記憶がよぎった。


 それは私が魔王になって間もなく。一度だけ、魔女が私との謁見中、急に胸を抑えて苦しみ始めたことがあったのだ。魔女曰く、生まれつきの病、あらゆる魔法も効力がないが、苦しいだけで命に別状はない、と。


 魔女がその発作を見せたのはただの一度きり、それも1年ほども前のことなのですっかり忘れていた。だが魔女の体を引き継いだということは、その病をも引き継いだということだ。


「難儀なものだな……」


 思わずため息が漏れる。私に人間の肉体の知識は乏しく、魔女がいない今、病の原因や治療法も一切わからない。だが魔女の言っていた通りなら命に差し支えることはなく、苦しみもさほど長くないなら、耐えればよいだけだ。これしきで、私の平穏は揺るがない。


 苦痛により眠気が吹き飛んでしまったが、どの道肉体は疲労している、横になっていればすぐにまた眠気はやってくるだろう。そう思って目を閉じようとしたとき。


「シャイさん、大丈夫ですか?」


 レアが部屋に入ってきた。起き上がって顔を見ると、とても心配そうな顔をしていた。


「わ、すごい汗……何かあったんですか? とっても、苦しそうな声が聞こえました」

「む、そちらまで声が届いていたか。眠りを妨げてしまってすまないな、ちと病の発作があっただけだ、すぐ収まったし問題はない」

「やまい……病気ですか!? た、たいへんじゃないですか」


 ただでさえ心配そうに眉をひそめていたレアがより一層深刻な顔になる。私は慌てた。


「な、なに心配はいらん! 生まれつきの病でちと胸が熱くなって苦しいのみだ、ほんの少しの間耐えればよいだけよ」

「でも……」

「本当に大丈夫だ。ほらこの通り、私はピンピンしておる」


 レアを心配させまいと努めて元気に振舞い、胸をポンと叩いて見せた。幾分か不安は和らいだようだが、レアはまだ心配そうな顔をしていた。


「起こしてしまって悪かったな、もう心配はいらん、さ、ゆっくり休むがよい。明日も仕事があるのであろう」


 そう促したが、レアは部屋に帰ろうとしなかった。


「いえ……よし、決めました」

「む?」


 少し考えた後、何かを決心したようにじっと私を見たレア。


 そして次の瞬間、思わぬことを口走った。


「今夜、一緒に寝ましょう」

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