第7話 食事せし魔王

 昼を越えてから料理屋オリヴィンの店員は食事をとる。私はカウンターにレアと並び、それを前にしていた。


「いやー悪いねシャイちゃん、うちら昼過ぎにご飯にするのが当たり前になってて、うっかりシャイちゃん付き合わせちゃった。お腹すいたろ?」


 カウンターの向こうで笑うスピネルに言われ私は少し赤面した。というのも、この少し前に私は腹を盛大に鳴らしてしまったからだ。魔王だった頃は食事よりも魔力と瞑想でエネルギーをまかなっていたから……


「さ、遠慮しないで食べなよ。口に合えばいいんだが」


 スピネルが勧めるのは私の前に置かれた料理だ。黄色いつるつるふわふわとした楕円形のものに赤い粘性のソースがかかっている。傍らにはパンが添えられていた。


「これは……なんという料理だ?」


 魔界に料理という文化は希薄だ、当然これも初めて見る。尋ねると隣にいるレアは驚いた顔を見せた。


「知らないんですか? オムレツです」

「ほう、オムレツ……」

「レアの大好物なんだ、卵は知り合いから新鮮なのを貰ってるんだよ。ま、食べてみなよ」

「うむ……いただこう」

「いただきます」


 隣にいるレアの見様見真似でスプーンを手に取りオムレツに手を付ける。スプーンの背で赤いソースを全面に広げた後に楕円の端をすくい、口に運んだ。


 すると口の中に広がったのは塩味と酸味、そして甘味。赤いソースの味が黄色い膜の甘味をうまく引き立てている。


「うまい!」


 思わず口に出していた。スピネルは満足そうに、レアは微笑ましく私を見ていた。


「よかった、どんどん食べてね」

「おいしいですか、シャイさん」

「うむ、美味だ。遠慮なくいただこう」


 私は次々オムレツを口に運び始めた。魔界では食事というのはエネルギー補給の手段にすぎず味は二の次、従って『うまい』という感覚の価値は極めて低い。そのために私にとっての『うまい』は『かわいい』同様にあまりに新鮮に感じ、その新鮮な驚きが私の手を絶えずに動かしていた。


 やがて皿の上の料理はあっさりと私の腹の中へと姿を消した。ちと量が少ないかと思ったが、よくよく考えれば今は魔女の小さな体、かつての私からすれば小指の先ほどの量でも十分にエネルギーが満ちていた。


「馳走になった。いや、このオムレツというものは美味なものだな」

「気に入ってくれたみたいでよかったよ、そんなにおいしかった?」


 スピネルに尋ねられ、私はほくほく顔で感想を述べた。


「ああ美味だ。私はまともな料理というものを食べたのは初めてでな、料理とはこれほどのものかと驚いておる」


 魔界での食事は血肉を貪るか果実をかじるか、せいぜい洗うか焼くのみで、料理というのはごく一部の酔狂な種族がやる程度。それも味のためではなく、肉体的に脆弱な種がなんとか栄養を得るための工夫といった具合で、魔王たる私も食事の必要があまりなかったことがあり、料理らしい料理を食べたのはこれが生まれて初めてだった。


 しかしその旨を私が言ったら皆はシンとなってしまった。はたと失言に気付き、私は思わず口を抑える。


 人間界の常識はまだよくわからんが、料理を味わうというのがこれほどに幸福なのならば、それを経験したことがないと告白するのは、両親がいないこと同様に哀れみを呼ぶことになるだろう。せっかくの団欒に水を差してしまった。


「い、いや実はな、私の両親はとんと料理が下手でなー……」

「シャイ!」

「きゃっ!?」


 突然、接客のため待機していたルカが後ろから私に抱き着いてきた。


「お前に何があったのかは聞かない。聞かないが、もう安心してくれ。これからは料理も満腹食べさせてやるから」


 私の頭をなでまくるルカに、私はただ困惑するだけだった。とにかく愛情表現ではあるようなので悪い気分ではないが……


「……強いんだね、シャイは」

「ん? ああ、まあな」


 スピネルに言われたこともよくわからなかった。強いかどうかで言えばこの体になる前の方が確実に強い。


「シャイさん……私も、いますから。これからは、大丈夫です」

「あ、ああ。ありがとう……?」


 ふいにレアが私の手に手を重ねてきた。それだけは純粋に得をした気分だった。




 その後、料理屋オリヴィンの仕事は穏やかに過ぎていった。


 ミネラルの村では昼はともかく夜は家族で食べる家が多いらしく、夕の仕事は昼ほど忙しくはなく、仕事に慣れたこともありそう大変には感じなかった。


 日が沈む少し前にはもうほとんど客もおらず、私たちは半ば談笑しながら過ごしていた。


 そしてその頃、今の今まで忘れていたが私をここに連れてきてくれた女……マナミが店にやって来た。


「おぉー、シャイちゃんはもう馴染んどるんだなぁ。よかったよかったぁ」


 レアたちと談笑していた私を見たうんうんとマナミは頷く。思えばこの女がミネラルの村へと私を連れ、そしてこのオリヴィンを紹介してくれたおかげで、私はこれほど穏やかな時間を過ごせている。彼女へは感謝してもしきれないくらいだ。


「ああ、マナミのおかげだ。改めて礼を言う、感謝しているぞ」

「いいんだぁシャイちゃんはなーも気にせんでぇ。私もそろそろここを発たなくちゃならんから様子見に来たのよぉ」

「おや、もう行くのかい? よかったら夕飯食べていきなよ」


 スピネルが勧めたが、マナミは首を横に振った。


「私にゃー動物たちが待っとるでなぁ、商売も済んだし早めに帰りたいんス。お心遣いだけ受け取っときますだぁ」

「そう? なら仕方ないか、また来なよ」

「ありがとうごぜますー。んじゃあ私はこれで、シャイちゃん、レアちゃんにルカちゃんも元気でなぁ」

「ああ、お主も達者でな」


 マナミは早々にオリヴィンを後にする。その去り際に私を見て、


「シャイちゃん、レアちゃんたちと仲良くなぁ」


 と告げ、ドアを閉めた。


「さて、じゃあもうお客もいなそうだし、ぼちぼち店閉めて私たちは夕食にしようか!」

「おおっ、晩は何を食べるのだ?」


 マナミが去って後スピネルが提案する、私は昼食のことを思い出して高揚していた。




 夜も私たちは4人で卓を囲み夕食を共にした。晩のメニューとなったシチューも無論美味で私は舌鼓を打った。


 その後、軽く体を清めた後、就寝という運びになった。初めてのベッドでの就寝、私は胸が高鳴るのを感じていた。


 ……が、ベッドに入った時の私は知る由もなかった。


 よもや少しの後、レアと同じベッドで寝ることになろうとは……

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