第6話 労働せし魔王

 料理屋オリヴィン、その奥の更衣室にて。


「む、むむむむ……」


 私は壁に立てかけられた姿見の前で唸っていた。鏡の中に映るのは細身のエプロンドレスに身を包み、羞恥を滲ませた困り顔をする金髪の少女。ふりふりとした装飾のついたエプロンドレスは、幼さの残る容姿によく似合っているが……それが自分の姿だと思うと複雑だった。


「少しサイズが大きいかもしれないが、今日はそれで我慢してくれ」


 この制服を貸しそして着付けてくれたルカも同じ制服に着替えていた。これがオリヴィンの制服なのだ。


「よく似合ってますよ、シャイさん」


 レアも鏡に映った私を見て言う。その後私と目を合わせ、少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、


「とっても、かわいいです」


 とのたまった。ほぼ条件反射で私の頬は紅潮する、レアの奴め、私がそう言われるのに慣れていないのを悟りおちょくっているのだ。仮にも魔王がこんな子女に弄ばれるとは……反論しようとしたが、鏡の中に映る私の姿はただのかわいい服を着た少女なので、羞恥に負けぐぬぬと唸るのみになる。


「よし、じゃあ店の方行こうか。記念すべき初仕事だ、がんばるんだぞ!」


 ルカが促す、私もいつまでもぶつくさ言ってはいられない。人間として生きていくからには相応の労働は必要なのだ。


「フン! たとえ初めてのことだろうと、この私にかかれば造作もない! 見事職務をこなしてみせようぞ、フハハハハハ!」

「おお、よくわからんが気合入ってるな。じゃあ行くぞ!」

「うむっ!」


 私はルカに連れられ、意気揚々と店に出ていった。




 店のカウンターではすでにレアの母にして店主スピネルが営業の準備を整えていた。様々な食材や調味料を揃え、調理器具も準備している。すでに厨房のかまどに火が入れられ、いくつかの食材も調理場に並べられていた。


「おーシャイちゃん、思った通りうちの制服がよく似合うね。料理屋オリヴィン三姉妹ってとこか、かわいいかわいい」


 スピネルにまで追い打ちをかけられ私はさらに赤面した。ちなみにスピネルは制服は来ておらず簡素なエプロンのみだった。なぜだ。


「さてじゃあお仕事だけど、私とルカが料理を作るから、シャイちゃんにはレアといっしょにお客さんの注文を聞いたり料理を運んだりをお願い」

「あいわかった、しかしこの狭い店なら客の声がスピネルにも届くのでは?」

「厨房って薪の音や食器の音で意外とうるさいんだこれが。客に大声出させるよりは、注文聞いた方がいいだろ?」

「なるほどな」

「とはいえいつも私ら3人か、ルカちゃんとレアだけでも回ってた店だし、そんな難しくはないさ。まずは半分見学のつもりで気楽にね」


 スピネルはそう言ってくれるが、私としてはやはり店に貢献したい。初めての労働というものを堪能したいのもそうだが、レアによいところを見せ、魔王として、何よりは姉として、尊厳を取り戻さねば。


「む? そういえば、代金はどのように受け取っておるのだ?」


 それも給仕役である私やレアの仕事なのか、それとも店の主のスピネルが取り扱うのか。重要なところだ。


 が、驚きの答えが返ってきた。


「ああ、うちはお金は貰ってないんだよ」

「なっ!?」

「ほら、ここは小さい村だろ? だから持ちつ持たれつ、協力して暮らしてるんだ。農業、散髪、医者、みんなで分業さ。で、うちは料理が役目。料理屋というより村の食堂みたいなもので、だからお代はもらってないんだ。ここにある食材だって、みんな村の誰かからもらったものだしね」


 なるほど、そういうものか。たしかにこの小さな村では各々が自分のためだけに暮らすことはできず、食材調達やその他の面で支え合ってこそ生活が成り立つのだろう。


 互いに協力して生きる、というのは魔界と対極だが、そうしなければ生きていけない、というのはある種魔界と同じ。平穏というのも、なかなかに奥が深いようだ。


「だからシャイちゃんが自分から働くって言ってくれて安心したよ、ここでは働かざるもの食うべからず! 村のみんなへの感謝も込めて、がんばるんだよ」


 スピネルがガシガシと私の頭を撫でる。うむ、と私は頷いた。


「さてそろそろお客が来る頃合い……っと、噂をすればだね」


 スピネルが窓の外を見てニヤりと笑う。視線を向けると、ガラスの奥の人影がオリヴィンの入り口の方に歩いて来ていた。

 やがてキィと音を立て、お客が入ってくる。小さな男子を連れた母子だった。


「スピネルさん、やってますか? お昼をいただきにきました」


 落ち着いた様子の母親がゆったりと語り掛ける、男子は興味なさげに母親の足元に隠れていた。


「ちょうどメノさんが最初のお客さんだよ、アイくんもいらっしゃい」


 スピネルが男子の方にも話しかけると、こんにちゃ、とたどたどしい挨拶を返した。後から聞いたが、このメノは森での木の実やキノコの採集を仕事としているらしい。

 その時メノの方が私に気付いたようだった。


「あら……見かけない子ですね。どうしたんですか?」

「この子はシャイって言ってね、今日から一緒に暮らすことになったんだ。お仕事も今日が初めてだからお手柔らかにね」

「まあまあそれは……シャイちゃんっていうの? よろしくね」


 メノが身を屈めて私に微笑みかける、うむ、と私も頷いた。


「我が名はシャイ、これよりここの従業員だ。なんなりと申し付けるがいい」


 変わった話し方ねー、とスピネルに話しつつ、メノは手近なテーブル席に腰かけた。

 だが私はふと、その息子と思しきアイがまだ立っていることに気付く。なぜか母親に続かずに、じーっと私を見ていたのだ。


「どうした少年、私がどうかしたか」


 問いかけると少年はとことこと私に歩み寄ってくる。目線が私の腰辺りの背の彼はなぜかそのまま真っ直ぐに私の腰を見ていた。

 やがて私のすぐそばまでやってくると、アイは突然。


「えーい!」


 と、私のスカートを思いっきりまくり上げた。


「はっ……!?」


 突然のことに私は目を白黒させて硬直した。へその上までまくり上げられるスカート。その下にあるものが白日の下に……アイ、そしてレアの視線の先に。顔が真っ赤になるのを遅れて感じた。


「しろ!」


 アイが楽しそうに言う。その声で正気に返った私は慌ててスカートを抑えた。


「き……貴様ァ! よくもこの私にかような狼藉を!」

「こ、こらアイ!」

「きゃーっ」


 怒りと羞恥に震える私を前に、母親からの怒声を受けつつ、アイは笑いながら逃げ出した。勿論私は追った。


「我が力をもって八つ裂きにし冥府に落としてくれるわァ!」

「わーい、にげろー」

「こらアイ、お姉ちゃんになんてことするの!」

「相変わらずエッチだねえアイくんは」

「シャイさんの……下着……」

「お、おいあまり駆け回るな、ケガするぞ!」


 にわかに騒がしくなる店内。そう広くはないがアイはすばしっこくテーブルの下などを逃げ回り私はなかなか捕まえられない。


 ……やれやれ。


 礼節を弁えぬ者には、教えてやらねばなるまいな……!


「……フッ!」


 私はごくわずかに魔力を解放し、一瞬だけ身体能力を上げる。そして逃げ回るアイの前に瞬時に移動してみせると、突然目の前に現れた私を見てアイが目を丸くする。すかさずその頭をガシリと掴んだ。


 かつての私ならばこのまま握りつぶすのも容易いが……今はそういわけにもいかないし、本来私はそういうのは好かん、ここは平和的に『指導』してやる。


「少年よ。気持ちはわかるが、初対面の娘……む、娘に、そういうことをするものではないぞ」


 私はアイに顔を近づけると、にっこりと笑った。


「なァ?」


 その瞳から一瞬だけ魔力を解放する。私が持つ魔王の魔力はただ放つだけで力なき者には根源的な『恐怖』『畏怖』を与える。その時の私な笑顔はひどく猟奇的であっただろう。

 あれほどはしゃいでいたアイは一瞬で大人しくなった。


「よぉしわかればよいのだ。フッハハハハ、さあ親の下へ行くがよい」

「うん……」


 私に送り出されアイは素直に母親の方へと帰っていった。ちと脅しすぎたか? と思ったが、幸いアイからは恐怖の色はない。が、なぜかチラチラと、私に視線を送っていた。


「へえ、あのアイ君が素直に言うこと聞くなんて珍しい。たいしたもんねシャイちゃん」

「すみません、本当にうちのアイがご迷惑を……」

「い、今シャイ、とんでもない動きしなかったか? 見間違いか?」

「……白……」


 スピネル、メノ、ルカ、レアがそれぞれ違う反応を見せる。レアは少し様子がおかしかったが。

 だがその時オリヴィンのドアがまた開き、次のお客がやって来た。


「さあ仕事仕事! いらっしゃいませー!」


 それを皮切りに料理屋オリヴィンは本格的に業務モードに入る。


「フフフ、見るがよいわ、このシャイの仕事ぶりをな!」


 そうして、私の仕事も始まるのだった。




 意気揚々と仕事に挑んだ私だったが、慣れない仕事はなかなかに難しかった。


 まずオリヴィンに来たばかりの私はメニューを覚えておらず注文がとれない。


 料理を運ぶのも私本来の巨躯とはあまりにもスケールの違うこの体、まだ順応しきれておらず四苦八苦する。


 そもそも接客という文化自体に馴染みがない、態度は平常通りでよいとスピネルや客から許しをもらっていたが、それでも客商売というのは難しいものだった。


 しばらくして客足が一旦途絶え、疲れ果てた私はようやく一時腰を下ろせた。


「ぐうう、我が体力をここまで削ろうとはやりおるわ……しかし我は負けん!」

「なにと戦っているんですか」


 レアに軽くツッコミを入れられる。カウンターにいるスピネル・ルカの方も調理の手を止め洗い物などしていた。


「お疲れシャイちゃん、初めてなのにこんな働かせて悪いねえ。今日はこの辺にしとく?」


 そう問いかけるスピネルはまだまだ余裕そうだ。店主の体力というのもなかなか侮りがたい。


「否、我はまだまだいける……しかしこの店はいつまでやっておるのだ?」

「具体的には決めてないんだよ、お客がいなくなる頃合いに昼はおしまい。夜も最初のお客がきたらスタートかなー」

「我が母ながらいい加減です……いいんですか、そんなことで」

「いーのいーの、ミネラルの村はみんなそんなもんよ」


 いかにもこの辺境の村らしいやり方だった。労働中もここに来た客を見ていて改めて思ったが、この村は平穏に満ちている。疲労困憊だったが私は実に満足していた。


「疲れただろうシャイ、ジュースでも飲むか?」


 ルカが私を気遣って言う。こちらもまったく余裕といった具合だ。むしろ魔女の体が体力がなさすぎるような気がする。


「ああ頼む、だが私は出来れば紅茶の方が……っと、客だな」


 窓の外に人影が見えたので私はぴょんと椅子から飛び降りた。アバウトとはいえまだ営業中だ、客の前で休むわけにもいくまい。


 やがてドアが開き客が入ってくる。だがその客は、奇妙な風貌をしていた。


 その男は大柄な体の全身をローブで覆う、茶色は黒紫色の毛皮で出来ているようだが長く使っているのかボロボロであちこち擦り切れている。


 その下は温暖なミネラルの村では暑いだろうに分厚い布服を着こんでおり、口元まで隠れている。その上でうつむきがちなため顔はよく見えなかった。


 そして何より……


「い、いらっしゃいませ。どうぞお好きな席へ」


 いくら怪しくても客は客、いつも通り応対するレアはさすがだ。だが一方で私は……その男から、目を離せなかった。


 なぜか男は席につこうとせず、その場で店内を見渡す。私の方もちらりと見た。だがこれといった動きを見せない。さすがにその頃にはカウンターのスピネルやレアも不思議に思い男を見つめていた。


 男は一通り店内を見渡した後、急にそのまま踵を返して、店から出て行ってしまった。


「な、なんだったんだ? あのお客……」


 ルカも他の面々も困惑するばかりだ。注文もせず、店を見るだけ見て帰ってしまった怪しい男に疑問だけが募っていた。


「村にあんな人いたかな?」

「うーん覚えがないねえ、今日はあんな厚着するほど寒くもないし」

「あの男……?」


 そんな中、私は少し……嫌な予感を感じ取っていた。理論的なものではない、魔王として魔界で生きてきた経験から磨かれた勘が警鐘を鳴らしていたのだ。


 あの男はただ者ではない、きっと何かある。そんな予感をひしひしと感じていた。


 何よりあの男の全身に漂っていたのは、魔力の気配。


 それは平穏とは対極にある動乱の気配だった。まるでよくない何かがこの村に近づいてきているような……とても邪悪で忌むべき、何かが。


「だが……」


 たとえその正体がなんであろうとも。


 せっかく私が掴んだこの『平穏』を乱すものは、絶対に許さない。


 その時は全霊を持って排除してくれよう……私は魔王の精神でそう誓った。


「なんだったんだろうね今の人、旅の人かな?」

「たぶん、ここを別のお店と間違えて入ったとか……そんな感じでしょうか。お昼ご飯にはちょっと遅いですし」

「かもね、まあいいや、仕事終わったら他の人にでも聞いてみよう。あ、いらっしゃいませー!」


 そうこうしている間に次のお客がやってくる。

 私は魔王から1人の村娘に戻り、従業員としての平穏な労働に身をやつすのだった。

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