第3話 邂逅せし魔王

 やがて私はその村へと辿り着いた。


「おお、ここが!」


 マナミの馬車より降りて村の入り口に立つ。そこは私が思い描いていた通りの平穏な村だった。


 木造りの家が立ち並ぶその村は山の中腹にあり、元々はすぐそばに流れる川に集まり作られた村なのだろう、均された道路をはさんで家々が川をなぞるように立ち並ぶ。けして規模は大きくない、むしろ辺境と呼んでいいほどの静かさだったが、程よく人が行き交い談笑し、家々の間から見える青空が輝かしい、実に穏やかな村だった。


「ここがミネラルの村だぁ、小さいけんどえー村だよぉ」


 マナミがニコニコと語る、私も頷いた。


「ああ気に入った、決めたぞ、私はここに住む。ここにこそ私が求める平穏があるに違いない」


 私はこれから始まるスローライフに胸を躍らせていた。


「ワイはここの住民じゃないけんども、世話になってる人がいるんだぁ。よければその人にシャイちゃんを紹介したいと思うだ。シャイちゃんのためにもそれがええと思うけんど、どんだー?」


 私には願ってもない申し出だった。これからこの村で暮らしていくにあたり、知り合いがいるかどうかでは勝手が違うだろう。私は1人で生きていくだけの力はあるつもりだが、助けがないよりは勿論あった方がいい。


「無論だ、ぜひ頼む」

「んじゃあ行こっかぁ」


 マナミは私に歩み寄ると、ひょいとその手を取った。そしてそのまま私の手を引いて歩き出す。


「お、おいちょっと……」

「迷わないようについてくるんだよぉ」

「むぅ……」


 まるで子供のような扱いに抗議しようとしたが、今の私は本当に子供なのだと思い直す。思えばこうして誰かを見上げる、というのも初めての経験、ましてや手を引かれて歩くなど考えたこともなく、なんだかむず痒い感覚がした。

 だがどの道その紹介したい人とやらまでマナミに先導してもらわなければならない、私は諦めてマナミに手を引かるまま、とてとてと後を続き、ミネラルの村に入っていくのだった。




 マナミに案内されてやってきたのは村の中頃にある家だった。周囲の家と比べて一回り大きく、また大きな窓から中が覗けるようになっており、木製のドアの上に掲げられた看板にはでかでかと『小料理屋・オリヴィン』と書かれている。奥からは川のせせらぎと、カタンカタンと何かが動く音が聞こえていた。

 マナミは慣れた様子でキィとドアを開き中へ入っていく、私も手を引かれるままそれに続いた。


「あんれ、だーれもいねえな」


 店の中は静かだった。小さな店内にはテーブル席とカウンター席がいくつかあるだけで、今はガランとした無人の状態だった。

 全体的に素朴な印象のある料理屋で、いかにも辺境の小さな店といった感じ。ガツガツとした商売っけのない空気に平穏の臭いを感じ、私は密かに興奮していた。


「朝の時間は終わっとるだろうけんど、ドアが開いとるからやっとるはずだけんどな……」


 マナミが困ったようにしている時、ふいにカウンターの奥のドアが開いた。どうやら奥に入っていた店の者が出てきたようだ。

 そして出てきたその人物を見た時、私は息をのんだ。


「いらっしゃいませ」


 店の奥から現れたのは、今の私よりも一回り小さい少女。私はその姿に目を奪われた。


 店の制服なのだろうか、細身のエプロンドレスに身を包み、見慣れぬ客の前にしてどこか所在なさげに立っている。銀色のさらさらとした髪は少し肩に触れ、額のすみにわずかに光る宝石のような赤褐色の髪飾りとの色彩が美しい。透き通った緑の瞳はくりくりと丸く大きく可愛らしい、それでいて私たちを見る表情はとてもクールで、そのギャップがより一層かわいらしさを引き立てている。


 実は魔界には『かわいい』という概念がひどく欠落している。乳飲み子であろうと強くなければ生き残れない世界、それゆえ『かわいい』存在を私はほとんど見たことがない。それこそ魔女の顔くらいだろうが、普段は隠されていたためまじまじと見たことはなく、いわば『かわいさ』への免疫がないのだ。


 それゆえ、まるで生まれて初めて甘味を口にした赤子のごとく、ふいに目の前に現れた問答無用の『かわいさ』に私は強いショックを受け、思わず言葉を失っていた。


 少女はとてとてカウンターを出て、ちょこんと私たちの前にやって来た。


「マナミさんですか、お久しぶりです」


 少女はぺこりとマナミに頭を下げた。私の目は少女に釘付けだった。


「おー、レアちゃん久しぶりだなぁ。今日はお母さんおらんの?」

「母は奥で休んでいます。この時間は滅多にお客も来ないので」

「んだば、ちょっと話してくるだ。シャイちゃん、ここで待っとってねぇ」


 マナミはそう言うとすたすたカウンターの方へ進み、銀髪の少女が出てきたドアの奥に消えてしまう。後には私と、レアと呼ばれた少女が残された。


「あの、あなたは?」


 小首をかしげてレアが尋ねてくる。レアに見惚れていた私は、あらためて姿勢を正した。


「我が名はシャイ、ただの人間の娘だ! わけあってこの村に住むことにしたのだ。マナミに言われるがままここに案内されたのだが……お主は何者だ?」


 レアは私の話し方に少し驚いたようだったが、聞かれたことは年齢らしからぬ落ち着いた口調で答えた。


「レア・オリヴィンです。ここの、従業員です」

「レアか、この村に住むからにはこれからも関わりがあるだろう、よろしく頼むぞ。時にオリヴィンという名はこの店と同じだが?」


 問いかけると、レアは薄く笑って頷いた。


「はい、この店は私の家ですから」


 なるほど家族経営か、ますます平穏な村らしい雰囲気が出ているではないか。私は早くもこの店をいたく気に入った。

 だが気に入ったのはこの店というよりは、レアだった。すました顔もよかったが、柔らかに微笑んだ顔もまたかわいらしい。長く殺伐とした魔界で暮らした私にはそのかわいらしさがあまりに新鮮で、そして眩しかった。


「レア、お主はかわいいな! 私はお主のようなかわいい存在は初めて見たぞ」


 私は率直にその感想を述べた。すると、


「えっ……」


 とレアは驚きの声を上げ、その頬がわずかに紅潮した。明らかな狼狽と共に目を泳がせ顔を伏せる。


「か……からかわないでください」


 そして消え入りそうな声で呟く。それがまたかわいらしい。


「何を言う、お主は本当にかわいらしいのだ。かわいいものをかわいいと言って何が悪い? もっと胸を張るがいい、私はお主ほどかわいいものを見たのは初めてだが、かわいいというのが悪評ではないと知っているぞ。お主は実にかわいい!」


 せっかくなので『かわいい』という言葉を使ってみたかったのもあり、私は何度も何度も『かわいい』とレアに語り掛けた。その度にレアは顔を赤くして顔を俯かせる。それがまたかわいくて、そんな顔を見るために私はまた『かわいい』と言葉を発するのだ。

 だがそんな時、急にレアはばっと顔を上げ、私を睨んで言った。


「そ、そんなこと言うなら、シャイさんだってかわいいです!」


 へっ、と思わず間の抜けた声を出してしまう。私が、かわいい? そんなことを言われたのは生まれて初めてだったので、一瞬訳が分からず硬直した。

 するとそんな私に、畳みかけるようにレアは言葉をつづけた。


「さっき初めてシャイさんを見て、私、かわいいって思いました。綺麗な肌で、長い髪がさらさらしてて……自信たっぷりな感じの笑顔もかわいいですし、おっきな目もかわいいです。シャイさんみたいな人こそ、初めて見ました。かわいいです」


 かわいい、と何度も言われ、今度は私が目を泳がせ顔を赤くした。魔王たる私は『かわいい』なんて生まれてこの方言われたことがない、どうすればいいのかわからない。

 こんなかわいい子にかわいいと言われて嬉しくもあり、それ以上の羞恥心に苛まれつつも、それが悪い感情とも思えずに身を悶えさせるばかり……魔王として絶対の力を持っていた私も、こんな状況は初めてだった。


「シャイさん、かわいいです。こんな人がお姉さんだったらって、私……」


 レアが『かわいい』の追撃を私に仕掛けてきた時。助け船のように、店の奥のドアが開かれた。


「おっ、早速仲良くなってるね! いいこといいこと」


 店の奥から現れた大人の女が私たちを見下ろして笑っている、マナミはその後ろからついて来ていた。

 女はエプロンをつけた軽装でレアとよく似た銀色の髪を上で束ね、お揃いの髪飾りをつけている。顔立ちもレアと似ているが、大人なだけありかわいさというよりは美しさを感じさせる容姿だった。


 この女がレアの母親でここの店主なのだろう。私がそう思ってすぐレアが女を見て「お母さん」と呟きその推測を裏付けた。


「なるほどね、君がシャイちゃんか。ちっちゃいのに大変なんだって?」


 レアの母は私に手を伸ばし、私の頭を撫でた。これもまた初めてのことなので、私はくすぐったい感覚に身を震わせたが、豪胆そうに笑うレアの母を見上げると、不思議と悪い感じはしなかった。


「いかにも私がシャイだ。追放されあてもない身なのでな、この村に住むことに決めたのだ」


 頭を撫でられ少し調子が狂ったが、私はいつものように胸を張り威風堂々とした態度で女に接する。女はその笑みに少し含みを持たせるようにして、その手の平で私の髪を優しくなぞった。


「そっか、パパもママもいないのに、そんな元気に……」


 女が呟くとレアが目を丸くして私を見る。マナミとよく似た反応だった。両親がいないことなど魔界では当たり前だったが、どうもこちらの世界では勝手が違うのかもしれないと、ようやく私は理解し始めた。


「よし! それじゃあ決まりだね」


 何が決まりなのかわからないが女は私を撫でていた手を離すとレアを手招きして近くに寄せ、私に対面するように母娘で立った。


「自己紹介が遅れたね、私はスピネル・オリヴィン、この料理屋オリヴィンの店主。こっちは娘のレア、2人で店をやってるんだ」


 改めて名を名乗り、レアもぺこりと軽く会釈した。

 そしてその後、スピネルは驚くべきことを言い出した。


「これからは家族だと思って、気軽にママって呼んでいいからね! いっしょに住むんだからさ」


 え? と思わず聞き返す。レアも驚いた顔で母親を見上げていた。その反応を楽しむようにスピネルは笑い、また私に手を伸ばすと頭を撫でた。


「行くところがないんでしょ? じゃあうちに来なよ、幸い部屋は余ってる、遠慮することないからうちに住みな」


 これまた願ってもない申し出だった。この村に住むといっても都合よく空き家があるとは限らない、この家で寝泊まりさせてもらえるならば非常にありがたい。それにここに住むということは、レアとも寝食を共にするということで……私は即決した。


「お主がいいならば言葉に甘えさせてもらおう。心遣い、感謝する」

「いいっていいって、気にしない気にしない! レア、あなたもいいでしょ? お姉ちゃん欲しがってたもんね」


 スピネルに話を振られると、レアは先程のやりとりを思い出したのか少し顔を赤くする。だがチラリと私を見た後、


「はい……よろしくお願いします、シャイ……さん」


 と小さく呟き、頷いたのだった。

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