第4話 出師

大正6年(1916年)2月6日


 朝起きると、すでに朝御飯のにおいがしている。

 床の間から見える庭には、相変わらず雪が積もり、外の寒さを感じさせた。

 出がたいが、そんな気持ちを押し殺して、布団から出て、それを畳み、髭を剃り、顔を洗い、服を着替える。


 妻の雪に「おはよう」と挨拶し、神棚に拝礼する。

 一汁二菜の朝食を食べ、これがしばらくは食べられないのだと実感する。

 白菜と油揚げの入ったみそ汁、卵焼きにホッケの一夜干し、漬物と玄米。

 戦場に行ったら、いったいどんな飯を食うことになるのやら…


 「雪、美味しかったよ。ありがとう。」

 「お粗末さまでした。」


 我が家の、いつもの朝の常套句だ。



 私は荷物を持ち玄関へと向かうと、雪があるものを手渡してきた。


 「…これは、御守りだね。」

 手渡された御守りには、"八方除御守"と書かれており、この御守りは、樺太市に建立された樺太神社の御守りであった。

 樺太神社は樺太の地の総鎮守、総氏神であり、豊原市の豊原神社と並んで、樺太にとって大事な神社であり、我が家からは路面電車を使って20分位の距離にある。


 「はい、昨日頂いて来ました。」

 雪は、相変わらず口数が少ないが、気立てのよく出来る、私には勿体ない嫁さんだと改めて思い、更にはしばらくは会えぬ事を沸々ふつふつと実感してしまう。


 「身重の身ですまないな。ありがとう、なにがあろうと、生きて帰って来るよ。」

 「行ってらっしゃいませ… どうかご無事で…」


 別れの挨拶は手短に済ませ、私は必要最小限の荷物を持ち、玄関を出た。

 長居をすればする程、離れ難く成ってしまうような気がしたからだ。


 玄関の外は、よく晴れ渡り、雪が積もっている、いつもの樺太の朝だった。



 私は路面電車に乗り、車窓から雪の積もる樺太の街を眺め、この間行った稲荷神社のある公園を通り過ぎ、第八師団司令部前駅で下車した。

 いつの通勤ルートだが、出師前だからだろうか、いつもとは少し景色が違って見えるような気がした。



 大正6年2月6日の09時、第八師団長による出師すいしの訓示が始まり、訓示終了後から即座に、第八師団から欧州派遣第一旅団へ抽出された第八歩兵連隊は、樺太駐屯地を出発した。

 欧州派遣第一旅団直轄の「第一〇〇旅団直轄連隊」に抽出される、第八師団直轄連隊の一部も一緒だ。


 欧州に派兵される部隊は、優先的に自動車が配備されていた部隊である為、──いや、もしかしたら欧州に派兵される予定であったから、優先的に自動車が配備されていたかもしれないが…

 我等は樺太中央駅まで車輌で移動し、その後は兵員、武器、兵器、物資に車輌を列車に乗せて、敷香港駅まで行き、列車から下車した後は、そのまま船に乗り込み、そこから先は、欧州へと長い船旅をすることになる。

 ──樺太中央駅はその名のとおり、樺太市の中央に位置し、樺太島の中央にも位置するため、樺太の物流の起点にも成る駅だ。



 樺太中央駅に着いて、列車に中隊各員を乗り込ませ、最後に私が乗車しようとした時だった。

 「兄さん!」

 大きい声だが、聞き覚えのある声がした。


 「智永! 雪!」

 我々が乗り込む列車のホームの向かい側のホームに、弟の智永と、雪がいた。


 「義姉ねえさんを迎えに来たついでだ! 兄さんを見送りに来たよ!」

 そのホームには、他にも、派兵される将兵を見送りに来た親族が集まっている。

 みな大きい声を出して、出発しようとする者の名を呼び、声援を送っていた。


 「智永! 雪を頼む、父さんと母さんにも宜しく言っておいてくれ!」


 「わかった! 智義から昨日電話が来たよ! あいつは元気にしているってさ! 兄さんも無事でね!」

 弟がそう言うと、隣にいた雪は一礼した。

 私は思わず、条件反射で敬礼をして列車に乗り込んでしまっていた。

 ちなみに、智義ともよしは三兄弟の末弟で、あいつも陸軍に士官で入隊し、今はシベリア王国の裏塁ウラル山脈東部に駐留する第一独立混成連隊の騎兵隊に所属している。



 私が乗り込んで三分と経たぬうちに、列車は樺太中央駅を出発した。

 後は、先に言った通りの旅程だ。

 敷香港駅に着き、列車から降り、先ずは武器、弾薬、物資と車輌を船へと積み込む。

 徴用された民間会社の五千トンクラスの貨客船が8隻だ。

 この港で第八砲兵連隊から抽出すれた砲兵大隊も合流し、将兵が船へと乗り込み、夕刻には汽笛と共に日本の土を離れた。


 この日、我が隊と私は、遠き欧州へと船出ふなでした…




 私は敷香港出港後、あてがわれた船室に荷物を納めた後、改めて欧州派遣軍の編成表を見てみた。


 欧州派遣軍の第一次派遣部隊の陣容はというと、北部方面軍(十州島、樺太島、千島)の各師団、旅団から抽出された「欧州派遣第一旅団」。

 東部方面軍(関東、東北、甲信越、東海、北陸)の各師団、旅団から抽出された「欧州派遣第二旅団」。

 西部方面軍(近畿、山陽、山陰、四国)、南部方面軍(九州、沖縄)の各師団、旅団から抽出された「欧州派遣第三旅団」。

 「欧州派遣軍司令部」は、参謀本部、各方面軍から選抜された司令部要員、「欧州派遣軍直轄連隊」は、各方面軍の方面軍直轄連隊から抽出、「遣欧国家憲兵第一大隊」は、国家憲兵隊から選抜された隊員で構成され、「遣欧近衛第一独立混成連隊」は、近衛師団から抽出された部隊で編成されている。



欧州派遣軍司令部

 欧州派遣軍直轄連隊

 遣欧国家憲兵第一大隊

 遣欧近衛第一独立混成連隊

  3個近衛歩兵大隊

  1個近衛砲兵大隊

  1個近衛騎兵隊

  1個連隊直轄大隊


欧州派遣第一旅団

欧州派遣第一旅団司令部

 第八歩兵連隊

  3個歩兵大隊

 第十三歩兵連隊

  3個歩兵大隊

 第一◯八砲兵大隊

 (第八砲兵連隊から抽出)

  2個軽野砲兵中隊

  (三八式十糎加農砲改:8門)

  4個野砲兵中隊

  (三八式野砲改:24門)

 第一三四工兵大隊

 (第十三、十四工兵大隊から抽出)

  3個工兵中隊

 第一四六輜重兵大隊

 (第十四、第十六輜重兵大隊から抽出)

  3個輜重兵中隊

 第一◯七斥候隊

  1個騎兵中隊(戦車研修中隊)

  1個自動二輪中隊

 (第七騎兵連隊から二個中隊)

 第一〇〇旅団直轄連隊

 (第七、八師団直轄連隊、第十三、十四、十六旅団直轄連隊から抽出)


欧州派遣第二旅団

欧州派遣第二旅団司令部

 第一歩兵連隊

 第十二歩兵連隊

 第二◯一砲兵大隊

 (第一砲兵連隊から抽出)

  二個重野砲兵中隊

  (四年式十五糎榴弾砲:8門)

  四個軽野砲兵中隊

  (四年式十糎加農砲:24門)

 第二◯四工兵大隊

 (第四工兵連隊から抽出)

 第二一◯輜重兵大隊

 (第十輜重兵連隊から抽出)

 第二◯三斥候隊

 (第三騎兵連隊から二個中隊)

 第二〇〇旅団直轄連隊

 (第一、三、四、十師団直轄連隊、第十二旅団直轄連隊から抽出)


欧州派遣第三旅団

欧州派遣第三旅団司令部

 第二歩兵連隊

 第十一歩兵連隊

 第三◯五砲兵大隊

 (第五砲兵連隊から抽出)

  二個軽野砲兵中隊

  (四年式十糎加農砲:8門)

  四個野砲兵中隊

  (三年式七糎半野砲:24門)

 第三◯九工兵大隊

 (第九工兵連隊から抽出)

 第三一五輜重兵大隊

 (第十一、第十五輜重兵大隊から抽出)

 第三◯六斥候隊

 (第六騎兵連隊から二個中隊)

 第三〇〇旅団直轄連隊

 (第二、五、六、九師団直轄連隊、第十一、十五旅団直轄連隊から抽出)



 また、装備の面で特筆すべきは、元来輜重兵科は優先的に自動車化されており、それに次いで衛生兵科、工兵科、砲兵科が自動車化されてはいたが、この"派遣軍"は、全ての兵科が自動車化され、馬匹は皆無であるということだ。

 騎兵科には軍馬ではなく自動二輪オートバイが配備され、それに各旅団の一個騎兵中隊は、イギリスから現地で菱形戦車雄型、雌型を受領し、現地でイギリス軍から指導を受けた後に、日本初の戦車中隊として、西部戦線で実戦配置に就くことになっている。


 兵器としても、砲兵の使用する野砲は自動貨車トラックや砲兵トラクターで牽引する為に改良されたもので、三八式野砲改、三八式十糎加農砲改を装備している。又、新式の三年式七糎半野砲、四年式十糎加農砲、四年式十五糎榴弾砲を装備する部隊も存在する。


 これも一重に、観戦武官からの報告と、同盟国の軍部からの戦訓を聞いて、我が陸軍が自動車化を加速させた結果だ。

 青島チンタオの戦いでは、輜重兵科をはじめとした支援部隊と、砲兵科が自動車化されるに止まっていたが、欧州派遣軍で初めて、全兵科が自動車化されるに至っている。


 欧州派遣軍の自動車化に際しては、自動車の確保にだいぶ骨を折ったようだ。

 大戦勃発により欧州からの外車の輸入は停止してはいたが、それ以前に輸入されたトラック、乗用車、米州アメリカからの輸入車、トラクターをかき集め、陸軍工廠で開発、生産された車輌を増産し、欧州派遣軍に抽出されている部隊に配備した。


 こうして編成された欧州派遣軍の一部は、今は船上にある。


 舷窓スカッツルからはいつしか月明かりが差していて、私はつい、うとうととしだしていた。

 航海初日、私は編成表を眺めながら、眠りへといつしか落ちていた。


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